スピリチュアルはやめるためにある

 スピリチュアルそのものは、決して目的ではない。

 最終ゴールはないし、一生ずっと続けるべきものではない。

 常に肌身離さず持っていないといけないような、欠かせない何かではない。



●スピリチュアルとは、学校のようなものである。



 学校というところは、いつまでもいる場所ではない。

 小、中、高、人によっては大、専門学校。これらは最終ゴールではなく、社会に出るまでの養成機関である。

 いい年したおっちゃんが、ドリフの小学生コントみたいにすね毛の生えた足を半ズボンから出し、黄色い帽子とランドセルを背負っていたら、ちょっとヘンだ。

 おばあちゃんが女子校生の制服着てたら、犯罪の域だ。あれは年頃の若い子が着るから、魅力的なのだ。学校は、いい年した大人の居場所ではない。

 学校で学ぶことさえ学んだら、もう学校には行かない。社会で活躍する。ゆえに、スピリチュアルで一定の気付きを得たなら、もうしなくていい。

 あとはもう、実践編である。

 やり続けていないと劣化するとか、感覚が鈍るというのはニセモノの証しである。一定の気付きを得たのちもスピリチュアルの世界で生きるのは、それでメシを食っている人だけでいい。学校にいていい大人は、学校の先生だけである。



 私は、今現在のようなスピリチュアルの在り方は「過渡期」だと思っている。

 スピリチュアルをやっている『スピ人口』なるものがあるとして。それは、人全体からしたら微々たるものだろう。

 スピリチュアル実践者が単純に夢見てしまうのは、いつかスピリチュアルに皆が目覚め、同じようにしだすこと。そしてこの世界が良くなって、メデタシメデタシ。

 またまた夢を壊すようなことを言うが、世界の(日本も)スピリチュアル人口はずっと一定比率のままだろう。なぜなら「スピリチュアル」という固定化された窓口でなくとも、同じ気付きができるからである。

 この道に来ないと本当の幸せとは何か分からないとか、この世界の本質にたどり着けないとか、この宇宙はそんなケツの穴のせまいところではない。どんな道、どんな境遇、どんな考え方でも、シナリオなら気付くときには気付きを得る。



●スピリチュアルでしか悟れない、なんて思ってませんよね?

 スピリチュアルでしか本質的な気付きや成長ができないとか、スピリチュアルでしか「カルマ解消」や「浄化」ができないとか(そんなものないけど)、まさかそんな傲慢なこと思ってませんよね?



 それなら、宗教と同じになってしまう。

 あちらは、「うちこそ真理」「うちでしか救われない」と基本的に思っている。

 スピリチュアルは、この宇宙における趣味の窓口のひとつに過ぎない。あまたある料理の中の一品に過ぎない。だから趣味で選択し楽しむのはいいが、皆もするべきと押しつけに頑張らなくていい。(シナリオなら、そう言ってもやってしまうが)



 筆者は、日常生活でスピリチュアルなことを一切考えていない。

 本書を執筆する時。動画配信をする時。その場合は必要に迫られてスピリチュアル発想モードになるが、それ以外の場面では至って一般人である。おいしいものをおいしいと思い、映画を楽しみ、喜怒哀楽もベタに感じる。

 日常の過ごし方に、スピリチュアルメッセンジャーにふさわしいひねりも工夫もないですよ。

 何もバラさないのに、周囲の人が筆者に対して「タダ者ではない」 オーラでもかぎ取って、頭を下げたりなどしない。向かいの家のおじいちゃんは、私に色々人生訓を教えてくるし。おそらくあちらはこちらを「自分より未熟な若造」だと思っているだろう。



 過去に紹介したガッツ石松の、CMでの名セリフ。

 


『人生、360度変わるな!』



 これである。これが一番大事。

 360度回ると言うことは、何も動かなかったのと結果的には同じ、ということ。

 でもだからといって、合理的発想で「まわらなければよかった」と言えると思いますか? 実は、この360度回ってもとの位置に返ってくるという「ムダ」こそが大事なのだ。決して、回らなければよかった、回って損だったというのは断じて違う。

 


●たとえ同じ位置でも、360度回って見える景色と回る面倒をせずに見える景色とでは、同じものでも見え方が違う。



 視点が違う。

 味わい深いのは、当然360度回った後の景色である。

 スピリチュアルとは、360度回るための学校である。別にその学校でなくても、この宇宙のすべてが学校でもあり、教材であり、教師である。

 でも、スピリチュアルという学校を魂の旅の手段として選んだのなら、そこから卒業したなら(360度回ったら)、あとは周りの景色を楽しむだけ。



 スピリチュアルは要らない、と言う時それは「本当に要らない」のではない。

 学校のように一定期間お世話になったら、不要になるものなのである。そう考えると、『スピリチュアルとは、最終的にやめるためにやる』ものだと思えるのだ。 

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