バランスにまつわるエトセトラ
この世界でよく『バランスが大事』ということがよく言われる。
皆さんがバランス、という言葉を聞いて連想しやすいのが——
①食事の(栄養)バランス
②(平均台の上などで)体のバランスを取る
……とまぁ、大体目に見える物質や現象界のことがほとんどだ。
でも、そういう「バランス」よりももっと大事なバランスがある。それは、目に見えない世界のバランスである。精神世界、魂の世界のバランスである。
「ワンネス(神意識)」という、実はひとつの意識しか存在しないということからすれば、宇宙の主人公であるあなたが以下の話を納得し取り入れれば、ある意味宇宙全体のバランスを取る、という壮大な話になる。
これも言葉の不便なところで、あなたが例えそうしなくても、それはそれで宇宙はバランスが取れてしまうので、結果宇宙には何の問題もない。ただあなたという矮小な『エゴさん』にとっては深刻な大問題かもしれないが。
あなたの日常生活における、気の持ちようと選択の参考になればいいが——
●バランスとは、意図的に取るものではない。
意図的に取ろうと頑張るものは、バランスとは言わない。
バランスとは、サレンダー(降参)の賜物である。心の動きに素直であること、自然体であることの結果として現れる。
努力して得られる性質のものでないことに注意。バランスを得るためには、得ようとしないことが大事であることに注意。
結局、世にいう「バランス」などあえて考えず『好きなようにする』ことであることが、真にバランスを取るということに他ならない。
中国雑技団やシルク・ドゥ・ソレイユの見た目にも危なっかしい「バランス芸」ができるためには、努力が必要だと認識している。何も努力しないで、「バランス感覚を磨く訓練」をしないでああはできない。
感覚だけでもダメでさらに 「バランス感覚を生かすだけの支える筋力・体力」も必要になるはずだ。努力なくして、バランスなし。事実、その通りだ。
でも、それは本当の意味の「バランス」とは何の関係もない。そんなもの、肉眼が見る映像であり、物理現象にすぎない。
平均台上で見事なポーズが取れようが、食事の栄養バランスが取れていようが、そんなものあなたの幸せとは何ら直接的関係には関係がない。(逆に言えば間接的にはある、ということでもあるのだが)
そんなものは取るに足らないことである。でも、私が言う「魂のオーダーに素直であること」「最終的にあなたが選択した事柄に関して、気分よくいること」、もっと易しく言うと「好きなようにすること」は、あなたの「幸せ感」に直結する。
●努力しないと取れないようなバランスに、価値はない。
真のバランスは、努力しないと取れないバランスなんかよりも得るのがやさしいのに、皆そちらに来ようとしない。
価値の低い、得るのが大変なほうのバランスを追い求めてしまうのが今の世。
悟り系のお話で言う、『執着』の話に似てるかな。欲しがるほど、得ようと頑張るほど逆に得られないことが多い、という。
バランスは、人間自我で「得よう」と意図的に目指すと、どんどん遠ざかっていく。だから、「バランス」というお話自体を忘れるのだ。概念自体を忘れるのだ。
自分に素直になる許可を自分に与えたら。選んだ人生上の選択に対して、他との比較や結果の良し悪しで裁き、次は(こうしたいではなく)こう選択せねば、とやるのをやめた時。
あなたが期待すらしていなかった「バランス」が姿を見せる。
過去に、こういうたとえ話を書いたことがあると思う。
ここに10杯のお茶がある。そして、10人の人間がいる。
ここで、人はおかしな感覚がどうしても働いてしまう。それは、長いこと人間の魂に刷り込まれ、疑うことすらしなくなったほどのものだ。
『10人にそれぞれひとつずつ、平等に分ける。』
こういう単純すぎる平等の考え方だ。これは、「こうあらねばならない」という義理の発想とも、親戚関係にある。バランスをエゴで「意図的に取ろう」とする姿勢である。
四角四面に、こういう型にはまった平等を実行すると、どうなるか?
例えば、今のどが渇いていない人がいるかもしれない。でも、平等だから! ってんで飲みたくもないお茶を善意で押し付けられ、イヤイヤ飲むハメになる。
ものすごくのどが渇いていて、一杯じゃ足りなくて二杯ほど飲みたい人がいるかもしれない。でもその人は平等だから、ってんで一杯以上はダメ、と言われる。仕方なくしぶしぶ、一杯でガマンする。
しかし、皆の魂の声の望む通りにしたらどうなると思いますか?
●みんなが、満足する結果になるんですよ!
なぜなら、お茶を飲みたくない者は、飲まないですむ権利を行使できる。
そのお茶はどこへ行くかというと、もっと二杯以上飲みたい、という人のところに回せるのだ。
だから、本当に皆が魂の声に従えば、ひとつに調和する。不思議なほど、うまくまとまる。
意図的に取るバランスなど、エゴ(思考)のサル知恵だ。皆がしたいようにしてこそ、(幻想現象界は)絵的にはうまく回る。
でも、これは逆の身もふたもない話もできてしまう。
ある種悲しいお知らせである。
あなたが何を選択しようが、宇宙はバランスが取れ続ける、ということである。
バランスが取れていない、と何かを見て判断するのは、人間のエゴの勝手な判断に過ぎない。宇宙規模では、常にバランスが取れている。
あなた自身だけを見たら、バランスが取れていないようにも見えるだろう。
日本だけを見たら、バランスが取れていないようにも見えるだろう。
地球だけを見たら、バランスが取れていないようにも見えるだろう。
でも、銀河規模・存在界全体(現在の宇宙の端から端)規模では、バランスが取れている。あなたが選択する範囲など、計算済みだ。
エッ、それ選ばないで! バランス崩れちゃう! なんて宇宙が悩むことはない。何を選ばれても、宇宙は大丈夫なようになっている。
筆者はいつも「人は結局したいことしかしないし、できない」と言ってきた。
その理屈でいくと、こういう言い方ができてしまう。
●好きなようにすることがバランスを取ることなら、人は結局自分のしたいようにしかできないのだから、宇宙には常に「バランスの取れている状態」しか存在しないことになる。
だから、結局何をしてもいいんだよ。
何かの方向性を目指しても目指さなくても、しょうがないんだよ。
何をしようが結果しょうがないんだから、あえてやるなら趣味の領域でしかない。
だから、安心して勝手に生きろ。
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