神にまつわるエトセトラ
まず言っておきたいのは、神について考えるだけムダだということだ。
ゲーム画面の中のマリオは、いくら外でコントローラーを握っているプレイヤーの気持ちを想像しても、永遠に分かることはない。ただ、勝手な想像はできる。
「……今日のご主人様は何だか操作が荒いなぁ。学校で、先生にでも叱られたんかいな?」
実は、女の子にフラれたというのが正解。
当てモノじゃないんだから。そんな次元で神を考えようとしても、ナンセンスだ。
ましてや宗教をつくり、神はこう言っている、こう願っているなんて言ってお金を取ったり、一定の行動(奉仕・伝道)を強制したりなんてね!
あなたは、こういう言葉を言ったことはないだろうか。
『人の気持ちが分からないから、そんなことができるんだ』
この世界には、「ひどい仕打ち」と呼ばれるものがある。
たとえば拷問とか。殺人とか。いじめとか。
もろもろ、個人の権利や尊厳を踏みにじるような行為とか。そんな大それたことではなくても、人の大事にしているものを壊す傷付ける、あるいは人の気持ちを傷付けるような言葉を言うとか。
そういうことができるのは、相手の気持ちが分からないからだ、と。もし分かったなら、とてもそんな仕打ちはできない、と。
自分が相手の立場を想像できたなら。その上で、自分がされたらイヤなことだと思えることは、他人には軽々しくはできなくなるだろう。そう考えれば、ある意味この世界における人間関係上の悲劇は「他者の立場に立てない」ことから起こるようにも見える。
では、このお話をもとに「神」という存在をを考えてみよう。
(先ほども言ったように、ムダだと分かりつつ、ヒマつぶしで)
この世界では、実に様々なことが起こる。小さなケンカや行き違いから始まって犯罪、災害、戦争、疫病。
これまで人類は、この世界のすべてをつかさどっているのは「神」だと考えてきた。すべてを創造している絶対神だと見てきた。
(地域文化によっては、日本の神々のように人間臭くユルい多神教もあるが)
で、そういうものがいるという前提で、人類はこういう問いを発してきた。
『神がいるなら、なぜ世界にはこんな悲惨や不幸がある?
こんなひどいことが起こる?』
これに対する答えは、実に簡単なものである。
先ほどのお話を思い出してほしい。
他者の気持ちが分かれば、ひどいことなんてできない。つまり——
●神には、我々の気持ちが分からない。
だから、こういう風に世界をつくれる。
よく、どんなことにもちゃんと「意味」がある、という人がいる。
(ないけどね)
「意味」とは、人間が素直に受け入れがたい事実に対処するために考え出した、自分への納得のさせ方のひとつ。
じゃあ、ひとつ聞いてみよう。例えば、あなたに子どもがいるとする。
その子が、犯罪者によって「ただ殺したかった」「殺すのは誰でもよかった」という理由で殺されたとしたら、どうですか?
いや、私個人としてはもちろん苦しいが、きっとこれにも人間風情である私には計り知れない、深い事情があってのことだろう。神も、苦しまれてこの試練を私に与えたに違いない——
そう、納得できますか?
できるって言うんなら、マゾの王様だ。あなたの子どもが『死んでいい理由』って、一体どんな立派な理由?
神がこの世界への概念や感覚にバリバリ通じていて、全部意味分かっていて。
それでいてこんな世界を作っているなら、神は異常者と言うほかない。ホラー漫画家より始末に負えない。
だって、相手がどんな感じなのか分かってて仕組んでいるんだから。どんな影響が人間たちやその周囲にあるのか、分かってなおそう仕向けているんだから。
理解しがたい悲劇があなたを襲ったとして。そんな時愛の神を信じているあなたが、すべてをつかさどっているその神に対してやり場のない怒りを感じるとしたら、あなたのスタンスでは「相手にはこちらの事情が分かっていて、それでもあえてこうした」という認識前提があるので、心にモヤモヤは残りながらも「神にも事情があった」と整理するしかない。
でも、残酷な現実だが実は神にはこちらの気持ちが分からない。
いや、分からないんではない。
存在形態、認識システムなどすべてにおいて、上位次元に住まう神はこちらの思考や分析の枠ではとらえきれない別次元の構造をもっているのだ。だから、自分の損得を判断できるエゴ・起こることに対して反応として生じる喜怒哀楽というシステムしか持たない人間はに、どう逆立ちしても根本から異なる神という存在のの内容は分からない。
逆に向こうでも、画面の中のマリオ(我々人間)の気持ちなど、分からない。我々だって、ゲームでマリオを殺しまくっているではないか。
相手(マリオ)の気持ちを考えたら、そもそもゲームなんかしなけりゃいいのだ。ゲームスタートイコール、命を失う可能性大の苦難の旅に追いやることなんだから。
それか、マリオが一切死なないように敵や障害物を廃し、誰がプレイしても(途中で飽きない限り)クリアできるようなプログラムにしておけばいいのだ。
ただ、それではめっちゃつまらないとは思う。
神がこっちの気持ちをどう思っている、という次元ではなく、そもそも住む世界が違いすぎるのだ。なんで、こっちの二元的概念で神を考えなきゃいけない? なんでこの世界の言葉で、計り知れない神というものの定義を狭っちい意味で決めてしまわないといけない?
だから、神(神意識)のことはほっとけ。
もちろん、構ったり議論するのは自由。感謝やお祈りを捧げるのも自由。起きることに感謝できず悪態をついたり、恨み言を言うのも自由。
神への信仰はセラピー的効果があることもあるので、一概には否定しない。
プラシーボ効果、ってのがこの世界ではあるよね。ウソでもなんでも、その人の認識の前提(思い込み)によって、プラスにも使えるから。
でも、このことは分かっておいた方がいい。
●あなたが感謝をささげる神は、あなたのことなんて考えちゃいない。
あなたの幸せなどどうでもいい。
どうでもいいとかよくないとか、そういう次元を超えている。
あなたが神に悪態をつき恨み言を言っても、神はゼンゼンこたえない。
そもそも悪気がない。こちらの気持ちどうこうなど、考えていない。
考えているとかいないとか、もうそういう次元では摂理していない。
神は、あなたの幸せなんかにちっとも興味も関心もない。我々がいくら二元性の認識で神をこちらまで引きずりおろしても、真実は語れない。
でも、皆さんが言っている「神」がこちらの二元性世界での成功や幸せに関心がないとしても……たったひとり、誰よりもあなたの幸せに関心がある、ものすごい存在がいることを知っているだろうか?
●それは、あなた自身。
そう。あなた自身が『神』。
その神であるあなたが、あなた自身にバリバリ関心を持っている。
自分という人間肉体キャラにいいことがあれば、あなたという存在意識は誰よりも喜ぶ。だって、(幻想上ではあるが)自分のことだもんね。
そして、辛いことがあれば、誰よりもその辛い立場を分かってくれる存在、それも自分。だから時として、そんな自分を追い込んだり、嫌気がさしたりする人がいる。
さぞ、辛かろうね。
現実的に我々の助けにならない神 なんて放っておけ。
それより、あなたという名の「神」が、最大の現実的戦力じゃないですか!
正味の意味での神には、物語の大枠を作らせておけばいい。脚本担当でいい。演じている我々役者こそが、現世での主役。
宗教で言うような、あなた自身とは別の意味での「神」に頼るのを、今こそ卒業する時だ。心配せずとも、あなたが独力でやっていけるように、すべての材料は常に目の前に揃っている。
神とは、歯医者のようなものだ。
歯を削る時『ハイ。痛かったら手を挙げてくださいね』と親切に言いはするが、裏を返せば「痛くても最後までやめない」という意味である。
結局、決められたことは最後までされるのだ。起こることは、人の気持ちに関係なく起こるのだ。
だったら、我々にできるのは「それをどういう気持ちで迎えるか。どういう視点でとらえるのか」という工夫だけである。
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