リセットする前に

 アメリカのとある下町。

 一軒の、小さなレストランがあった。

 そこの店長は女性だが、店長兼ウェイトレス兼料理人。

 数席埋まればもう満杯になる、文字通り小さなレストラン。彼女は、そこをひとりで切り盛りしていた。

 ちなみに、そこは彼女自身の店でもなく、雇われ店長。オーナーが別にいて、経営やらメニューやらにいちいち干渉してくるのが常であった。



 それでも彼女は、よくやっていた。

 持ち前の明るさとユーモア、そして決して大型店にひけを取らない味の良さで、客足はよかった。

 しかしある日、また現場を知らないオーナーの「気まぐれ干渉」が始まった。

 このレストランには、「デザートメニュー」がなかった。なぜなら、店長一人で店を回している、という実に単純な理由だった。そこまで手が回らないのである。

 そこで、一品でもいいから何としてもデザートを新しく提供するように、という指令がオーナーから下った。

 しかも、その商品開発は正規の労働時間外に行え、ということだった。

 要するに、レストランでのいつもの労働以外にデザート開発で残業したりしても、カネは出さんということだ。人のいい店長も、これには腹が立った。



 よっぽど、辞めてしまおうかと思った。

 でも、いつも美味しいと通ってくれている常連さんの顔が浮かんだ。やっぱり、今までこの小さな店で積み上げてきたものは捨てるには大きくなりすぎた。

 そこで、彼女は嫌な気分を切り替えてみることにした。この試練を、「ゲーム」だと思うことにした。

 どうやって、新たなメニューを完成させ、自分も辛くなくて楽しくて、なおかつオーナーも満足させるか? というゲームをし、クリアしようと考えた。



 もともと、彼女は「料理好き」ではあったので、オフの時にデザートのレシピ本を買ってきたり、材料を揃えて実験してみたりすることは大して苦にならなかった。

 オーナーの顔と「商品開発にかける時間は残業とみなさない」という文言さえ思い出さなければ、結構楽しい時間になった。

 その流れの中で、彼女にとって「これは!」と思う自信作が生まれた。

 それは、『パイ』だった。彼女は独自の努力で、フワッと感とサクサク感が共存する、おいしいパイ生地の開発に成功。

 それをベースに、のっけたり練り込んだりするもののバリエーションを変えていくつかのメニューを作り、レストランのメニューにのっけた。

 もちろん、そのための仕込みや準備は、正規の出勤時間より早めに店に来て、「ボランティア」でやるのだ。店長は、そこのところはいちいち考えないようにした。

 すると、どうだろう。あっちこっちから、大絶賛の嵐。それまでの客が喜ぶどころではなくなった。

「あの店のパイはうまいぞ!」といううわさがうわさを呼び、狭い店内はいつも満員で、行列まで出来る有様。これには、うれしい悲鳴が上がった。



 この話のオチであるが——

 雇われ店長は数年後、店を辞めた。辞めて、自らが会社を起ち上げた。

 その会社はみるみる成長し、今ではアメリカでも指折りの、冷凍パイ生地を販売する大手企業となった。

 ちなみに、これは実話である。



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 私たちは皆、人生の選択において嫌なものを避ける、ノーを言い渡す自由がある。そして、それは全然「悪い」「間違った」選択ではありえない。

 人生の主人公たるその人が選んだのなら、それはそれである。それも最善。



 ただ、この世界がゲームである以上、ひとつ皆さんに提案したいことがある。

 何かにノーを言う、あるいは何かの嫌な状況から逃げるその前に、考えていただきたいことがある。

 本当に、そこにはもう何も残っていないか? 視点を変えることで、何か踏みとどまれる道はないか? 自分が気付いていないだけで、実は単純に逃げるよりもっと幸せになる道が隠れているんじゃないか?

 ゲームで言う『裏ワザ』が隠されているんじゃないか? と。

 立つ鳥跡を濁さず、である。自分の中で、「何をどうしてももうやめるっきゃない」と答えが出たのなら、それでいい。そういう作業をしてから、何でも辞めるなり逃げるなりしてほしい。

 でもこの世界の面白いところは、冷静に見たら、視点を変えたら逃げなくてもそこに結構面白いものが見つかるんだよね!



 ジャッキー・チェンの古いカンフー映画 「スパルタンX」という作品でも、ラストの手ごわい相手に苦戦する中、ジャッキーが自分に言い聞かせるシーンがある。

「これは練習だ。練習試合だと思ってリラックスすればいい」

 確かに、その場を正攻法で何とかすることばかりに意識が行ってしまう。逃げられれば、避けれればどんなに楽か、ばかりを考えてしまう。または素直に怒りを爆発させ決裂する道を取るかもしれない。

 でも、居直って落ち着いてそこから景色を見直してみた時、クッキリハッキリと、新たな道が見えるはずだ。

 ああ、遠くを探さなくても、ここにいい道があったんだな——

 皆さんにそういう気付きが、これから増えてくることを願う。 

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