いのちの名前

 前回の記事(生きているだけで奇跡)で、「重い障がい(特に知的障がい)を持った方は、心配する健常者よりも幸せな世界にいる」という趣旨のことを書いた。想定内ではあったが、違和感を感じた方もいたようだ。いや、それはちょっとどうなのかな、と。

 人は、長年月どんな思考パターンに慣れてきたかというと——



●現象面(外の世界からの刺激)を参考にして(元情報にして)、意識面における様々な無形な定義(幸せとは~だ・人生とは例えると~だ等)を決める。



 あなたの外に観察されるもの、これがすべてを考えるためのデータベースとなる。こっちが主体。

 そうして観察されたもの(主観がほとんどであることが宿命付けられている)をもとにして、心の中で色々なことを定義づけする。



「私は貧乏だ」

「あの人は障がい者」

「お母さんは、かわいそうな人」

「こんな社会は、腐ってる!」



 これら全部、いわゆる自我が行う『定義付け』。

 だから、ある人から見て明らかに「かわいそう」「不幸」と観察される人がいれば、その結果としてその人はやはり「かわいそうな人」「不幸な人」と認識するのが、理にかなった流れだ。なのに私がそれを「幸せだ」などと言うので、論理的帰結がおかしい、矛盾しているとなる。それが、違和感となる。

 私がこういうことを言うと、こう反応する方もいるだろう。

「だって、何をどう見たって、そう見えるんだし! どこがおかしいの?」

 あなたは、実は大事なことをひとつ忘れている。



●まず、意識(そこが行う定義付け)ありき。

 それが、外界という幻想を形作っていく。



 このことを、よもやお忘れではあるまい?

 人は現象というよくできた映画に負けてるので、悲惨な人を見て悲惨としか思えない。でも実は、あなたがそう見るからそうだ、という側面もあるのだ。

 相手が「悲惨でなくなる」のを永遠に待つおつもりですか? 相手が変わってからしか、認識を変えませんか? まぁ、気の遠くなる話だこと。

 


(この世界では)いのちには、名前がある。皆さんに名前があるように。

 コップ、机、家、車……原子分子の集まりでしかないものに、名前が付くことで(認識のパターンが与えられることで)そのように存在することができている。

 そして、宇宙の王・神としてのあなたは、いのちに名前を付けるという行為がゆるされている。これは、実にすごいことなのである。



●あなたが、いのちに「不幸」という名前をつけたら、どうなる?

 あなたが、いのちに「障がい者」という名前をつけたら、どうなる?

 あなたが、いのちに「ダメなやつ」という名前をつけたら、どうなる?



●あなたが、いのちに「素晴らしい」という名前をつけたら、どうなる?

 あなたが、いのちに「幸せ」という名前をつけたら、どうなる?

 あなたが、いのちに「豊かさ」という名前をつけたら、どうなる?



 みんな、真面目すぎるのだ。

 例えば現状貧乏なのに、自分が豊かだとは思えない。自分が「うそつき」に思えるからだ。

 現実と違うことを言うと、思考は「地に足が着いていない」と判断する。現実逃避している、というかっこいい言葉を使って、意識主体の生き方をバカにする。

 そういう所で真面目だと、損をする。確かに、生まれてからずっと幻想世界から教わり慣れてきた習慣を、思考パターンを途中から変えるのは容易ではない。かなりのエネルギーと動機を必要とするだろう。

 でも、今手に握っているものよりも良いものに持ち替えようとしたら、とりあえず今持っているものを手放さないと新しいものを握れないではないか? そうできなければ、あなたは現状のまま変わらない。



 オ・ヘンリの有名な短編小説に『最後の一葉』というのがある。

 重い病気の人間が言う。「病室の外の木の葉が全部散ったら、私は死ぬ。」

 でも、いつまでたっても最後の一枚の葉が散らずに、残った。言葉通り、病人は死ななかった。

 でも、後で分かることだったが、それはうまくできた絵だったのだ。画家が、壁に描いた見事な傑作だった、というわけだ。

 そこで皆さんは、「ウソで生き延びさせるなんて、良くない」なんてカタいことを言いますか? 



 私は、いのちに名前をつける。

 それは、幻想上の表面を参考にはしない。つけたいように。つける。

 だって、私が神なのだから。そして、時間性の経過は必要だが、名前をつけたようになっていく。名前が、何かの現象に対してあなたが抱いた感想が、そのままリアルに転じていく。

 あなたがかわいそうと思うから、そういう現実になっている。そのサイクルを断ち切ってもらえるように、私はメッセージを伝えている。

 意識が先だよ。現象がこうだから、現実の真実もこう、って騙されないでね、と。

 いや、だってそんなこと言っても……と「だって」を強調する人は、そのような幻想をもうしばらく味わうシナリオ(役割)になっているのだろう。言うまでもないが、そこにいい悪いはない。



 最後にもう一言。

 宇宙には、あなた一人しかいない。あなたが神で、あとはあなたが生んだ映画。

 監督が、自分が作っていることを忘れて映像に目を奪われては、撮影の先行きが心配だ。目の前の人物が悲惨と映る時、「だから悲惨だ。それ以外何?」という真面目さを捨てられるかどうか?

 あなたに、いのちの名前をつける全権がある。



 今、あなたは目の前のいのちにどんな名前を付けますか?

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