世界は君の胸の内

 ずいぶん昔の話になるが、筆者が電車に乗っていた時のこと。

 特にすることもないので、電車の壁にある広告を何となく見ていた。

 入試の時期ということもあって、大学の入試の案内だった。

 大きな字で、こう書かれてあった。



『この街を元気にする生きた知恵や工夫は、どこにあるのだろう。』



 神戸学院大学の、現代社会学部の入試問題だったのだそうだ。これを考えることが、どうもこの世界の価値観では「いいこと」らしい。

 私は、別にこの世界が「今ここでそうであるなら」何も問題だとは思わない。

 でもやっぱり、この世界ではゲームをしているので、そのゲームをうまくやるという意味であえて価値判断をさせていただくなら、ちょっとおかしい。



 本書で言い続けてきたこと。

 あなたの外には、何もない。あるように見えるのは、あなたの正体である「神意識」の成せる偉大な業。

 でっかい宇宙の中心として、そのドラマの中心点として、あなたが在る。真理は、すべてあなたの内側にある。そこから読むのでなければ、すべて「的外れ」である。

 でも、その的外れもゲームの楽しみの内なのだ。ゲームでまったく失敗することがないなんて、どこが面白いのか。

 でも、うまくいかなさすぎでも、ゲームを投げ出したくなる。そのためにも、いつか気付くことが必要だ。あなたが神であり、すべてだったと。

 そのタイミングは、色々でいい。焦らなくてもいい。なにせ永遠の時があるから。輪廻を繰り返してでも、つかもうとするから。



 今、アセンションという言葉に代表される通り、人間意識は新時代にふさわしく進化を遂げようとしている。もちろん、進化とは幻想で、我々はどの瞬間を切り取っても完璧だ。その前提の上で、あえてゲームに乗せられて進化と言ってみよう。

 ゆえに、外にあなたの知るべき真理があって、それを探さなくちゃというのは、時代遅れのメッセージである。今まで人類が何千年もやり続けて、疲れ果ててきたことである。

 確かに、学問という分野では努力のおかげで進み、科学も発展して暮らしやすくなった。でも、頭でっかちになり物質文明的に豊かになったという程度で、「幸せにはなってない」。



 旧世代の教育を受けてきた大人たちは、どうしても神戸学院大の宣伝をつくる人のような発想だ。自分の外に、「生きた知恵」があると考えている。努力してつかまえるものだと思っている。そうでないと、「どこにあるのだろう」などと問わない。

 どこにもないよ。全部、あなたの中にある。

 大人がそんななので、子どもも当然知恵は外にあり、学ぶものだと思ってしまう。外にあるものをいじることが、具体的方法が解答を得る道のすべてだと勘違いしてしまう。



 四角四面な発想しかできない子どもは、大人のこの問いに関して、型にはまった答えをするんだろうな。街を元気にするためには、仕事の雇用を増やす。祭りなどの文化行事を増やす。幼児、学生、父兄、老人という違う世代間の交流を活性化するためのイベントや取り組みを考える……。その答えが、地に足の着いたすごいものであればあるほど、その学生は大人から賞賛されるのだろう。

 もちろん、この世ゲーム的には間違っちゃいない。。

 街を元気にするための、究極の方法は? その筆者流の答えは、実に簡単すぎるものである。これを答えられる子どもが、今いったい何人いるだろう。



●私が、幸せになること。



 私が、今を楽しい瞬間にし続けること。

 私が大学側なら、この一言が答案に書いてあれば満点にする。ゴーカクだよ!

 それさえできれば、宇宙の王が楽しんでいるので、ワクワクしているので、あとは芋づる式に波動が周囲に伝わり千里を走る。そして自動的に、気が付いたらあなたを取り巻く世界は変わっている。

 本来は、これをこそ子どもに教えればいいのだ。これを理解してもらえれば、あとの数国理社英は「趣味」の問題である。逆に後者ができても「自分が神意識である」ことが分からないと何にもならない。

 もちろん、それもゲームだからどうでもいい。ただ、こんなに長いこと優劣ゲームやってきた歴史があるんだから、そろそろバカやってないで教訓生かしたら?



 どうやったら世界平和が実現できる?

 どうやったら老人問題、福祉問題、教育問題を解決できる?

 皆、専門用語を駆使し、見た目にすごい理屈を展開したりする。それで本を出すような有識者もいる。

 簡単なのにね! あなたが今幸せになるだけ。幸せってのは、うれしくてハッピー・ハッピーという気分のことだけじゃなく——



●自分を受け入れられていること。

 世界を受け入れられていること。

 どんな自分でも。

 どんな世界でも。

 無条件に。



 これができていることが、幸せである。

 ここから、皆さんの言う「知恵」というものが産出される。なのに皆、そういう知恵が勉強の積み重ねや科学的考察・研究によって出てくるとばかり思っている。



 今の子どもたちは、例外なく新時代のスタートを飾る人材たちだ。

 彼らを、新しい「神意識」「主人公」として、優劣などというのは幻想の遊びであり趣味の世界だということを、いかに教えていけるか。旧世代を含む大人たちが、いかにこれまで積み上げてきたことへの執着を手放し、くだらないプライドを捨てられるのか。今を生きる子どもたちの瞳は、それをジッと見つめているのだ。



 もう一度言う。

 生きた知恵は外にあるように見えても、実はあなたの内側にしかない。ハートの中にしかない。尋ねるべき所も、そこ以外にない。

 あとは、全部蜃気楼。もう、青い鳥を外に探さなくていい。

 すべては、今ここにあったのだ。

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