根拠なく好きになれたら

 私が本書記事内でもしょっちゅう戒めているので、あまり言う人はいないが、本書や筆者の発信動画に出会って間もない一見いちげんさんが、たまにではあるが口にする。



『テラさん(筆者のこと)はすごい!』



 例えば、いつも自信に満ちて、言いたいことを言い切るところとか。毎回動画で発信するネタが尽きないところとか。何かそういうところにフォーカスして、比較論ですごいと言ってくる。

 もちろん、筆者の人間キャラ的には、そう言われて悪い気はしない。サイテーとかダメダメとか言われることを考えたら、まぁ正直にうれしいよね。

 でも、究極的には違う。そこで、今日の学びの要諦。



●すごい人というのは、いない。

 それはあなたがつくりあげた幻想以外の何者でもない。

 そういう人がいる、とあなたが認識している時。あなたは、ありのままのその人を見れていない。あなたの見たいようにその人を見ているだけ。

 だから、他人とは幻想だと言うのだ。



 すごい人、に見える人とそうでないように見える人との違いを言おうか。

 何が違うのか。



●自分のことが、どれだけ好きか。

 自分のことを、どれだけ受け入れられているか。



 たったそれだけである。

 しかも、好きになるのに「根拠」はいらない。

 こうだから自分って好きとか、こうだから自分を許せるとか。自分を好きになったり、許したりする上での一切の「条件」が要らないのだ。

 こう言うと、真面目な皆さんは途方に暮れる。なぜなら、条件付きでしか自分(他者)を受け入れてきた経験しかないからだ。



①テストの成績が良くなったから、自信がついた。

②大会で優勝したから、そのスポーツでうまいのだと思えるようになった。

③過去に過ちを犯したが、もう十分に償ったという自覚があるので、自分を許せるようになった。



 このように、この世間での「自信」とは、何かの根拠を必要とする。根拠なき自信など人が持とうものなら、その人は「地に足が着いてない」と言われる。

 テストの成績が良くないのに、自分最高なんて思えないよ! そのように人より優れているという実績的証明がないと、自分を誇れないこの生真面目さ!

 等価交換の考え方で、失敗した事実の重みに相当する努力を積まないと、過去の失敗を帳消しにできないという「贖罪」の概念。皆、このようなものにがんじがらめにされている。



 すごい人(に見える人)が生み出されるメカニズムは——



●実力、才能、うまくいく現実(原因) → 自信・自己受容・誇り(結果)



 これは、間違い。

 本当は、こう。



●自信・自己受容・誇り(原因) → 実力・才能・うまくいく現実(結果)



 人生がうまくいかない人ほど、まず自信を持てるに足る根拠(実績)がないと、自分など誇れない、好きなるに足りないと思っている。だから、その根拠を得ようとしてもがく。必死になる。

 結果うまくいけば、束の間の限定的自信が持てる。(キリがない比較競争により、すぐに潰れる運命にあるが)でも、頑張っても得られない人は、ずっと自分を好きになれる機会が巡ってこない。下手をすると、寿命が来て死んでしまう。

 皆さん。自信を持てる根拠が得られるのを待っていたら、気が付いたら老人ですよ? 「待ちぼうけ」のようなマネは愚かです。

 待ってないで、アグレッシブに今認めちゃえばいいじゃないですか。ワタシって最高!って。そうするのに条件などいらない。



●ただ生きて、息をしている、ってだけでいい。

 それだけで、誇っていい。100%の自信と自己受容感を持って良い。

 あなたがただ「命」であるというだけで、自分を肯定してよい。



 すごい人とは、単に「まず先に自信を持てた人」「まず先に自分を受け入れ、好きになれた人」である。

 そう考えたら、ズルいと思いませんか? 劣等感の塊の人が真面目に「根拠を得てから」と頑張っているのを尻目に、いとも簡単に根拠など適当な時点で一足先に「自己受容」しちゃって、輝かしいお宝をゲットしちゃうんだから。

 ベタな言い方をすれば、根拠を真面目に探している人、あなた損をしますよ! ということ。もちろん、ここで言うすごい人というのは、カルマ上(生まれつき)金持ちとか、意識の在り方とは関係ない所で(金や家柄、その他の物理的力で)状況をねじ伏せて上にのし上がった人を除きます。そんなのは成功とは呼びません。

 まず幸せでなければ、どんなに富と力があっても論外です。ここで扱っている「すごい人」とは、意識の有り様を効果的に利用することで、タイムラグがあって意識が反映されてくる現実に影響を与えることで、幸せをつかんだ人のことです。

 そうなるのには、実に簡単。無条件で、たった今自分を全面的に好きになればいい。受容すればいい。

 たったそれだけのことなのに、皆さんはできなかったりするのね。逆の訓練ばかり受けてきたからね。



 あなたの外に「すごい人」がいるうちは、あなたの魂の旅はまだまだだと思ったらいい。そんなの、いないから。実際、すごくないから(笑)。

 あなたが色眼鏡で見ているから、すごく見えるだけだから。すごい人なんていない、という言い方が気に入らないなら、こう言い換えよう。



●みんな、すごい。



 私には、外に「すごい人」はいない。

 素敵な人、ならいる。面白い人、一緒にいたい人ならいる。でも「上」はないね。

 魂の旅のある段階にいる人には、私の言葉は受け入れがたいかもしれない。反発するかもしれない。特に、熱狂的にある人物を尊敬し、信奉している人には。

 いつかそこを卒業してほしい。そしてあなた自身が宇宙の中心であり、一番の主役だった、と気付いてほしい。

 そのすごい人さえも、あなた自身だと知ってほしい。

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