守りたいから守る

 先日、実家が近くであることもあり、子どもを連れて顔を出した。

 食事前に、たまたまつけっぱなしになっているテレビが、ニュースを報道していた。世間的にある程度の地位にある方が、常識的に「性関係を持つべきでない」関係にある女性といたしてしまった、といういわゆる「不祥事」だった。

 父は、いつもの必殺技をキメた。

「アホちゃうか、こいつ。どういう神経しとんねん。ちょっと考えたら分かるやろ……」

 家族なので生まれた頃からの付き合いだが、父はずっと相変わらずだ。これが例えば「無差別連続殺人犯」とかになると「死刑じゃ!」という怒声が飛ぶのだ。



 父は、真面目な人である。

 頑固で、正義感が服を着て歩いているようなものである。

 父には、自負がある。幼い頃に一家の大黒柱である父(私には祖父)を亡くし、絵にかいたような貧乏状態から踏ん張って、何とかいい会社に就職して一代でマイホームを買い、筆者と筆者の妹というふたりの子供をきっちり育て上げた。

 決して、楽な仕事ではない。深夜勤務や泊りがけのシフトもあったりする不規則な、結構な激務の中病気もせず、定年まで勤め上げた。だから父は、自分は人生を「間違わなかった」という自信がある。

 また、誰にも崩されたくない誇りがある。自分がやり抜いてきたこと、守ってきたものこそが人として生きる最高の勲章であり、それ通りにできないことを憎む。例えば悪を行い他者を泣かせることや、責任ある父親なのに不祥事のせいで家族を不幸にするヤツなどは、父からすると唾棄すべき「負け犬野郎」なのである。

 だから、不祥事のニュース、特に「女性に手を出す」系には敏感に反応する。何か一言、文句を付けてやらずにはいられないのだ。



 さて、ここから内容は説明の難しい、危ない橋を渡る話になる。

 あなたのエゴさんがきっと喜ばないので、受け入れる準備のできていない魂には意味が分からないだろう。例え知的に意味が分かっても、感情が反発するだろう。

 それほど危険な内容を言うが、まぁいい。覚悟せよ。



●父は、「うらやましい」のだ、実は。



 本人は認めないだろうが、本質はそういうことなのだ。

 父は、確かに頑張ってきた。でも、無理をしてきたのだ。

 時には、やりたいことも我慢した。殺してやりたいようなやつがいても、そんなことはしない。投げ出したくなっても、投げ出さない。

 守るべき家族がある。自分は、世の中では「こうあるべき」と教育されてきた「善人」でなければならない。

 だから、どんな誘惑があっても。どんな、やりきれない思いが出てきても。歯を食いしばって頑張ってきた。

 だから見よ! 私はこのような輝かしい実績を残した。まだ一生が終わっていないから言いきれないが、でももう終盤戦の様子で見る限り「私は勝った」。人生、という名のレースに。

 そりゃ、比較論で言えば上には上があるが、勝った部類には入る。それを何だ、お前らは! こっちが成すべきことを我慢してやっているというのに……思考で、理性で「あるべき行為」に修正しないなんて、何事だ!



 すっごいイヤな言葉で、この気持ちを平たく表現すると——



●ズルいよ。



 これ、本人のエゴは絶対認めたくないだろうね。

 抜け駆けしやがって、ってこと。

 もちろん、表層意識的には、現実的に失敗したやつらのようにならなかった自分を喜べるが、どこかすわりの悪い思いが残る。気付きたくない、暗部がある。

 その気付きたくない部分とは、以下のような問いかけである。 



●あなた、頑張ってこの世で良しとされる部類にいるけど、それって心からそうしたくてしてるの? 無理して、頑張っちゃってるところはないの?

 もっと言えば、あなたがけなしているその犯罪者だけど、もしあなたが「まったく同じ状況」に置かれたら、同じようなことをする可能性がないと本当に言い切れる?

 そこを真剣に考えたら、あなたのプライドが揺るぐって分かってるから、「まともな自分」「道を外れる悪者」という分かりやすい構図にして後者を攻撃することで、自分を保っているんじゃない?



 もし父が、心の底から今までの人生の選択に意識的コミット(納得)ができており、純粋な喜びからの選択だったら、あそこまでちゃんとしていない世の男に過剰反応しない。人情的に仕方のない部分があるとはいえ、あの過剰反応はどう見ても何かある。

 ああ、そうか。「社会的に良い人物」「家族を守る良き父親」を演じるために、少々頑張り過ぎてきたんだな。

 ちゃんと「やりすぎている」人物ほど、やってない人には厳しくなってしまう。でもそれは、裏返せば「所々で息抜きできる人や、体面や守るべきもののことを考えないで選択できる人」がうらやましかったのだ。自分だって、実はそうできたらしたいよ。でも、できないなよ! やるべきじゃないんだよ!



 倫理道徳、(肉体の)命の尊さ、平和、調和、仲良く——

 数々の「常識」が浸透したこの世界で、今回の私の言葉は喜ばれないかもしれない。あなたの魂の関所で、門前払いを食うかもしれない。

 だって、人の命とか世の平和は、「問答無用で」大事にすべきものなのだから。そもそも、その前提を疑っちゃいけないわけだ。

 私は、「ダメなものはダメ」などという便利すぎる逃げ文句は言わない。



●宇宙で起こる以上は、すべて最善。

 すべての可能性を試すのが宇宙だから、たとえあなたが回避しても、回避した脚本は誰か他人がする。もしくは、パラレルワールドの別のあなたがそれをする。

 逆にあなたが担当した可能性は、他の人やワールドがしないで済む。

 結局、宇宙には調和が保たれる以外のことは起きない。だから、結局どうしたって同じなんだから「同じだったら、今どれにする?」ということ。

 そこには、こうあるべきこうあるべきでない、はない。ただただ、趣味の世界。



 正義は、守られるべきというので守ってもくだらない。

 守るべき、でなく守りたい、でなければならない。

 疲れてきたり、ちゃんとやってない者に腹が立ったら、危険信号である。それはどこかで無理をしている、というサインである。

 純粋に、~したいに従って正義を、平和を守るなら、疲れない。 

 


 私にも、奥さんと娘がいる。私は、大事にしたくてしている。そこに何の義務感もない。

 だから、疲れない。外の世界の誰を(何を)見ても、それが私を怒らせたり不快にさせたりできない。

 私が人間的に人に怒ることがあるとすれば——

「スペックどおりじゃないからもったいない」場合だけ。

 ダメなんだから叱るんじゃない。本当は神なのに。本人がその気になれば、いけるのに! もったいない、という思いからだ。

 もちろん、本人が最終的に選択し、起こってしまったことに関しては四の五の言わず「最善」と認めるのは、言うまでもない。



 私は、家族を守りたくて守っている。

 父親としてとか、社会人としてとか、常識人としてとか、そういうのはない。

 趣味で、妻と娘を守っている。

 私が痴漢をしたり、歩いている可愛い女の子を襲わないのは、人としてそういうことをしたらいけない、からじゃない。そんな行為(それによってもたらされる結果)よりも、楽しいことがあるからだ。

 だって、この世はたかがゲーム、されどゲーム。ゲーム上のルールを無視したら、ろくなことにならない。

 あれれ、筆者さん。さっきと言ってること違うよ? ~べきはダメで、あくまでもしたいことをしろ、って話じゃないの? そう思う方もいるかもしれない。

 ここで一言。



●例えば、スーパーマリオのゲームで、クリボーに当たったらマリオが死ぬっていうルールがあるが、どこの世界に渋い顔して「うわっ、このルール面倒くせぇ」とブツクサ言いながら義務感でコントローラーを握る人がいますか?

 ゲームのルールなんてものは、強制させられ義務付けられているものではなく、進んで楽しく縛られているんじゃないの?(なんかSMみたい……)

 クリボーに当たらないことを義務としてゲームをすすめるのではなく、当たらないようにすることを楽しむものなんじゃないのかな?



 ゆえに私からおすすめしたいのは——


 

●一切の選択を、~べきじゃなく「したいかどうか」で決めるのを基本姿勢とする。

 ただし、例え表面上はそうできない場合があっても、結果選択した以上はやっぱりそれが「一番したいこと」だったのだ、と認めることとする。



 このことが守られれば、潔く気持ちのいい人生が送れる。

 私は、父を説得して変えよう、とは思わない。人を変える、ということ自体幻想だし、父と話している感触で「今は時ではない」と感じた。だから、今は見守り続けることにする。

 世には、父のような「旧世代」が多いのだろう。頑張ってきたんだけど、そこには無理があった。義務感のゆえに、伸び伸びできなかった。

 それをいとも簡単に選択してしまう(やめたり捨てたり道を外れたりする)若者に腹が立つのは分かる。

 ましてや、世の道理を外れるやつらなんて、敗戦後の日本を支えてきた猛者たちには「外道」くらいに思えるだろう。せっかくここまで築いてきた日本を、苦労を知らない若けぇもんが勝手にしやがって! そんな忸怩たる思いがあるのかもしれない。



 でも、これからの時代こそ、新しい認識の時代である。

「正しい」といわれることを一も二もなく守るべき、という——



●「べき」に支えられた偽りの平和時代



 これが終わりを告げ、



●「~たい」に支えられた、皆が人生の主人公として選択する平和時代



 これにシフトしていく。

 何度も言うが、本当の「したい」に裏打ちされた行動が取れる人は、周囲がどうでも揺れないものだ。ましてや、批判の気持ちや攻撃的な気持ちなんて湧かないものだ。いや、湧いてるヒマがないのだ。

 もし出てくるなら、あなたは伸び伸びと生きていない、ということの証明である。

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