結構気が付かない呪縛

 時々、こういう質問が寄せられることがある。

 それは、本書のようなスピリチュアル的なメッセージとは別に書かれている、私の短編小説たち(カクヨムにも多数掲載しています)についてであるが、私がスピリチュアル・メッセージで言っていることと、短編小説のお話の内容がかみ合っていない、というのだ。



「メッセージでああ言ってるのに、どうしてこのお話の流れは逆なんですか?」

 例えばである。メッセージで悪魔はいない、と言っているのに悪魔の登場する物語を書いている。

 ~ねばならないや自己犠牲はいらない、と言っておきながら、そのような振る舞いをする人物を描いた物語があったりする。救われるべき人、救ってあげるべき人などない、そうやって「私が助けなければこの人は……」なんていう意識が相手を無力化するのだ。とか言っておきながら、必死で人を救おうとする人物を描いた小説を書いていたりする。

 確かに、ご指摘の通りである。

 本書のようなスピリチュアルメッセージで訴えていることと、別で私が書いている物語(小説)の内容の間に一貫性はない。



 でも、逆転の発想をしてほしい。質問した人に、逆に言いたい。



●なぜ、言っていることが一貫していないといけないのですか?

 メッセージで言ったことに基づいてしか、お話を書いちゃいけないのですか?

 そんなこと、誰が、何の権威があって決めたのですか?



 質問者の呪縛が、ここで暴かれたのである。



●ひとつ何か主張したら、それが終始一貫しているべき

 ~であるからには~でなければならない



 そういう鉄壁の思考の前提があるからこそ、何の躊躇もなく私に言えるのである。

 あそこでああ言っているのに、なんでここではこうなんですか……何とも、狭い面白味のない世界であることよ!



●好きなように書かせろよ。



 私は、小説や物語は自由であるべきだと思っている。

 例えば、この世の幻想でいう「善」や「正しいこと」しか書いちゃいけないのだったら、小説は、死んでしまう。絶滅してしまう。

 私が主張している内容に矛盾しない範囲でしか物語を書けないなんて、それこそ不自由の極み。まるで『図書館戦争』という小説(映画)の政府側だ。

 どんな本でも読む権利を守る、「図書隊」に入隊したくなってくるぞ。



 皆さんが、本当に「当たり前」だと思っていることの中に、「呪」(シュ、と読む。呪いの意)がある。

 すべての言葉で表せる事柄が、「しゅ」である。名前もそう。

 私って~とか、世界とは~である、などという概念も呪。

 でも、呪それ自体にいい悪いはない。ただ、方向性の問題。

 あなたが幸せになる方向で、呪(言葉)を使えばいい。

「私はあるがままで素晴らしい」「私は豊かな存在だ」とか、そういうアファーメーションもいい。

「私なんてダメ」「価値がない」 などの方向に呪(言葉)を使うなら、それは文字通り呪いとなって、あなたを縛り付ける。



 絶対的な前提など、この世界には存在しない。

 質問というものは、何かの基準(絶対的な軸)を持った者にしかできない。

 つまり、何かの基準があってこそ、それと照らし合わせてのズレ・不整合性に「?」となるのだ。


 ※じぇ~んじぇん分かりません!という丸投げタイプの質問は論外です


 覚醒とは、ある意味では「一切の質問がやむこと」とも言われる。

 要するに、「判断の軸、基準がなくなる」からだ。本当にない状態で生きると社会生活が破綻するので、「基準がない境地を知っていながら、基準ありきの人生を確信犯的に生きる」というのが正確なところである。

 しかし判断基準というものがないと、自分の納得している範囲と判断対象とのズレを認識してあぶりだせないこともまた事実だ。結果、単純で申し訳ないが「好きにしなさい」ということになる。

 ただ、好きにしろとは言っても、その価値判断が凝り固まっていて縛られている分、あなたが損を被るようなら考え直したほうがいいよ、とはアドバイスできる。



 私はすべてにいて「どっちが正しいか間違っているか、どっちが良い悪いか」などどうでもよくなった。

 だから、私は私のやりたいようにやっている。書きたいように書いている。それだけだったら単なるエゴイストだが、他者にも同じ権利を認めているし、腹も立てない。すべてが、同価値として認められるべきである。

 もし、筆者が人の意見を受け入れて何かを改善する時には、自分が間違っていたから、変えるべきだから変えるのではない。最終的に、自分が『変えたいから』変えるだけのこと。



●私があえて、首尾一貫した思想で文章を書いていないのも、挑戦的で断定的な物言いをしているのも何のためかと言うと、皆さんの課題(エゴの罠)をあぶり出すため。あなたの固定化された不自由な思考をあばくため。



 筆者が皆さんの機嫌を取り、口当たりの良いことを書いた文章を読んでも、そんなことはしてくれません。私は一定の気付きを得た魂なので、あえてそういう「突っつき役」ができるのだ。

 他人に一見不快なことを言ってあえて揺さぶる、という一種の「汚れ役」ができるのだ。フツーの人は、耐えられません。また、適切に切り返すだけの内容がありません。多分誤解や攻撃に倒れます。

 でも、私なら適役。何を言われても、どうということはありません。

 これからも筆者は、正しいことではなく「言いたいことを言いたいように」書いて行くつもりだ。

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