人生はジェットコースター

 皆さんは、ジェットコースターに乗る時に——


 

「私は、これに乗ったら二度と生きて帰ってこれない。

 死んでしまう。助からない!」



 こんなことを考えながら乗る人は、まぁいないだろう。

 そもそも、遊園地にあるジェットコースターは、怖いけれど死ぬことはない。(かつて死亡事故はあったが)あくまでも『安全性を保証された乗り物』(……であるはず)なのだ。



 ジェットコースターは乗っているだけでも怖いというのに、コースター好きのツワモノたちは、両手バンザイとかして喜んで乗っていたりする。

 なぜ、そこまで怖さを楽しめるのか?

 そこには、ある種の『信頼』が存在するからである。



●例え今、どんなに揺れようが。

 急な角度から落ちようが、宙返りしようが。

 必ず最後には安全に帰ることができる。

 安全バーが上がって、「お疲れ様でした」というアナウンスが流れ、楽しい日常がまた続くと信じている。



 乗っているコースターが、実は故障していてこの先安全に動く保証がないとか、もしそれがあらかじめ分かっていたとしたら、誰も乗ろうとはしないだろう。



 筆者から皆様に、ひとつお願いがある。

 人生を歩むうえで、今後このように発想していただきたい。



●私は今、ジェットコースターに乗っている、と。



 ジェットコースターは、確かに怖い。

 右に揺れ、左に揺れ、時には宙返りをし、急降下をし……

 まさに、冷や冷や物の展開だ。

 でも、死にはしません。安全に帰り着くことを前提にしたアトラクションですから! だから、安全性を信頼して絶叫マシーンで手を挙げる人たちのように、あなたも人生そのものを信頼してください。

 今は揺れたり、急降下しているように見えるかもしれませんが、最後には必ず大丈夫です。 だから、マシンに身をゆだねてください。

 急降下中でも、両手なんか挙げてみましょうよ。

 同じ人生のレールを走るのでも、ずいぶんと心持が変わってきますよ。



 この世界に生きながら、将来に対して不安を抱いたり、人生この先ろくなことにならない、なんて起きる前から決めつけて思うのは、ましてや「もうだめだ!」なんて思うのは、ジェットコースターに乗りながら安全に帰れることを信じれていないのと同じ。

 筆者は、この『この世ゲームにおいて何があっても、究極には何の問題もない』ことを実感している。宇宙では、物事は完全な調和をもって、あるがままに存在し、時にかなった動きをしている。「絶対大丈夫」というセーフティネットの上で、一時期的に神意識である記憶を消して、スリルあるアトラクションに身を投じているのが人間である。

 また人間だけが、「感情」という使いどころによってはやっかいな、異質な視点から物事を判断してしまう。宇宙が、私に意地悪をしている。宇宙は私の命など、大事だと思っていない——。

 そんな風に、私という存在をあらしめている宇宙に対する信頼を失う時。ジェットコースターが本来安全である、ということを信用できないというのと同じだから、その旅路はかなり快適さと楽しさを欠くものになるはずである。

 


 あちらが先に信用してくれたら、こちらも信用するのではない。

 順番が逆である。



●こちらが信頼するから、世界も信頼で応えてくれる。



 私たちが、宇宙の主人公であり、世界の中心・人生の主体である。

 なのに、先に向こうがこっちにいいことをしてくれてたら信じようじゃないか、という姿勢はいかがなものか。

 あくまでも、こちらが先に世界を信用し、ゆだねるべきである。

 それができるかどうか、というゲームをしている。



 最近私が感じているのは、『信頼』という二文字がキーワードだということだ。

 この世界をあらしめている私たちの大元の正体・神意識への信頼。

 そして、三次元キャラである私たちの活動の舞台である宇宙への信頼。そして、私たちの人生はどう転んでも最善であり、大丈夫なのだという自分への信頼。

 


 信頼というのは、明確な根拠があってするものではない。

 もしそうなら、そんな信頼に大した価値はない。

 明確な根拠が存在するものは、脆弱である。その根拠は、明確な形をもつものであるがゆえに破壊されうる可能性を秘めている。

 しかし、根拠のない信頼は、強い。根拠がないものは弱い、と言われてきたが、それはこれまでの社会の常識にすぎない。

 根拠がないものほど、壊れにくい。

 


 根拠のない信頼を持つことは、私たちにとってそう難しいものではない。

 なぜなら、私たちの正体が『信頼』そのものだから。

 ぶっちゃけた話、私たちの正体はもともとは「すべて」だから。

 もともとそうである存在にとって、そう在ることは難しいことではない。それどころか、そうでない在り方をすること自体が難しい。

 そんな難しいことをわざわざしているから、私たち人間は生き辛いのだ。生きるのが苦しいのだ。



 生きるのが苦しいのは、人生が大変なものだからではない。

 それを難しくしているのは、生きている本人自身である。

 自然に在る在り方さえつかめば、驚くほど人生上の苦難が消える。

 消える、というのは文字通り消えるのではない。認識上、苦難と認識しなくなるだけである。


 

 さぁ。

 例え今この瞬間、あなたの乗ったコースターがどんな揺れの中にあったとしても。まさに急降下中であったとしても。筆者と一緒に、両手を挙げて楽しみませんか。

 大丈夫。そんなに怖がることはありません。だって、ジェットコースターですから! 最後には、終点に安全に着くようになっていますから。

 それを、こちらから先に信用してみるのです。

 


 これからの素敵な(はずの)新時代を、コースターを信じて喜びのうちに駆け抜けてみませんか?

 安心だ、という前提で楽しむジェットコースターは、快適なものですよ。 

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