血
『人生の特等席』という邦題のちょっと古い洋画がある。
主演は、クリント・イーストウッド。
グラン・トリノほどの強烈な印象・後味は残らなかったものの、ささやかながらもこの作品に素敵なエネルギーを感じた。
派手さはなし、大ヒットするというようなタイプの作品ではないかもしれないが、落ち着いた、静かな感動と気付きを与えてくれるこの「大人な」作品は、私としても広くオススメできる。
未視聴の方はぜひ、レンタルや動画配信などで探してご覧になっていただきたい。
この映画は、万華鏡のように、見る人によって実に様々な見え方がするだろう。
実に様々な解釈が可能な映画である。
皆さん、きっとここが一番ぐっと来た! というポイントがそれぞれ違うだろうと思う。では、筆者はどうだったか。
私はこの作品を通して、今日の記事のタイトルそのままに『血』というテーマについて考えさせられた。
※以下、映画の本筋に触れる内容になっています。ご了承の上、お読みください。
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ストーリーとしては……
ある職人気質の頑固な父親と、その父親に捨てられたと思い込んでいる娘の物語。
父親は、かつて多くの名選手を発掘した、伝説のプロ野球スカウトマン。
しかし、そんな彼も年齢を重ね、その勘も鈍ってきたのでは? と周囲も考えだす。時代の流れで、ベテランの人間的カンに頼らず、パソコンやデータ解析などで選手の優秀さを測ろうとする動きも出てきた。
そんな若い世代の台頭で、彼ももう引退すべきだという声も上がる。
実際、彼は周囲には隠しているが、
娘は敏腕弁護士で、女性ながら将来事務所を背負う責任者として期待されている。
普段から、この父娘は折り合いが悪く、ケンカとすれ違いばかり。
しかし、父親の同僚から、実はお父さんは何かを隠している様子だ、と教えられる。そこで娘は弁護士としての仕事をとりあえず置いて、娘は父親のスカウト旅行に付き合う。今回しくじったら、もう父もスカウトマンとしては終わりとほのめかされた娘は、父の眼となり足となることを決意する。
実は娘は、幼い頃より父についてスカウトに回り、名選手をその目で見、野球を見続けてきたので、父親に負けない野球センスと鑑識眼が備わっていたのだ。
娘がしゃかりきに弁護士を目指したのは、本当になりたかったからではない。
実は、そうすることで父が喜んでくれる、と思い込んだから。
娘には苦労させたくない、と思うあまり父は、物心ついた頃から娘を野球から遠ざけた。だから、本心では野球が好きなのに、父が喜ばないと思った娘は弁護士を目指した。しかし皮肉なことに、娘は父についてスカウト旅行に出たおかげで、出世のチャンスを逃してしまう。
絶望の中でも、彼女の中に流れていた、野球人としての血が目覚めてゆく。
そしてついに、自分が本当にいたかった場所は、ここだと確信する。
野球という世界で生きてこそ、私の魂が最も喜ぶのだ、と。
本書の中で 、すでに「血」というテーマを一度扱っている。
ひとりひとりには、固有の「血」が流れている。
この血のことを、「使命」と言い換えてもよい。
いくら、回り道をしても。寄り道をしようとも。迷うことがあっても。
本当の自分とは合わないようなことに手を染めることがあっても、結局血に戻ってくる。それは、あなたの取扱説明書でもある。その通りに自分を扱うことを知った時、あなたの魂は本当の安らぎを覚えるだろう。
もちろん、私たちがこの世界でやっているのは、「人生という名のゲーム」のためである。ゲームである以上、絶対に成功する、というものでもない。
つまり、失敗する可能性がある。だから現象として、一生自分の血がどういうものか分からないで、発揮できないで終わる人生もある。でも、ゲームは魂が納得するまで続けられる(コンティニュー)ので、問題はない。
ゲームオーバーになったら、もうワンプレイしたくなる。それが、輪廻。
理屈的には、どれだけ迷おうが、失敗しようが問題ない。
永遠、という時間があるのだから。
そうは言っても、今ここを生きているゲームキャラであるあなたは、自分が生きているうちに(このキャラでプレイ中に)ゲームクリアしたいと思うはず。
自分の代はいいや、次に持ち越そうか、なんて本心では思っていないはず。だからこそ、この「血」というテーマは大事なのだ。
失われていた「血」が覚醒し、活性化するためにはどうすればよいか?
本書では以前にも扱った、アニメ映画『魔女の宅急便』のお話。
●魔女は、血で飛ぶ。
それは、職業に関しても同じ。
絵描きの血。パン職人の血。
どんなに自分ではないふりをしても、どんなに目を背けてもー
結局、そこへ戻ってくる。
だから、血が眠ってしまった私たちにできることは、今の自分をダメな状態として、裁いたりいじめたりしないこと。
これも、宇宙の壮大なシナリオにおいて必要な一場面に過ぎない、と受け止める。
ただしこういうものは、ある程度コントロール不能な側面がある。
幼虫がサナギになり、サナギが成虫になるというタイミングはプログラミングされていて、自分が意思の力で頑張ったからといって、それが促進されるわけではない。
来る時には来るのだ。ジタバタしても仕方がない。だから、同じ時間を待たないといけないのなら、焦らないこと。
かえって、その時間を楽しく、生き生きと過ごせるようにすること。力みを捨て、宇宙に降参すること。
その自然な静寂の中で、血が胎動し始める。
●ウルスラさんも言っている(魔女の宅急便に登場する絵描きのお姉さん)。
絵が描けないときは、何もしない。ボーッとしたり、好きなことをする。
そのうちに、書きたくなるんだよ、と。
多くの人は本当にしたいことが分からない、という状態をダメだと考え、分かるように頑張らないといけない、と考える。
しかしそこには、宇宙に対する信頼がない。
「もし、私がこれからもこのままだったら……?」 という恐れがある。
だから、ダメな自分を何とかするために、血のにじむような努力が始まる。
実際、キキちゃんは劇中で、恐れから必死で飛ぶ練習をする。しかし結果は、お母さんの大事なホウキを折っただけに終わっている。
数学の世界では、負の数に正の数をかけても、答えはマイナス。
つまり……
負の数 (今の自分はダメ、欠けがあるという意識)
×
正の数 (具体的な努力)
=
負の数 (結果、空回り!大して実りがない)
……ということになる。
しかし、今の自分は、今まさにそうであるしかないのだから、今はそれが最善なのだと考えてみる。これが自己を肯定するということであり、受け入れるということ。
宇宙はあるがままにあり完璧。自分も、その宇宙の一部であると。(本当は宇宙そのものなんだけどね)
このままでも自分は完璧なんだけど、楽しそうだからあえてこれやってみようかな? という努力だとどうなる? 先ほどの例と比較してほしい。
正の数 (今の自分がOK,ありのままで問題ないという意識)
×
正の数 (具体的な努力)
=
正の数 (目に見えて、顕著な結果が出る)
……ということを、覚えておいていただきたい。
自分がマイナスである、という意識からする努力は、ショボいものに終わる。もちろん現象として成功することもあるが、長期的な目で見てその人のためになっていないことが多い。
自分がプラスである、つまり神意識であり宇宙の王であるという自覚を持つところで成す努力は、大きく実る。一般的に、自分のダメなところを奮起して直そう、というスタンスは良いことのように思われているが、実はそういう意識を原動力としても、うまくいかないのだ。苦しいだけで、楽しくない。
キキちゃんも、飛べない自分は魔女としてダメなんだという焦りを捨て、平常心で生きる日々を取り戻したからこそ、また一切の雑念なく「大事な人を守りたい」という純粋な思いに身をゆだね切ったからこそ、いざという時に無心になれた。恐れは彼女に何もできなかった。
血が、発動したのだ。
映画「人生の特等席」における娘役も、父親に対して、そして自分の血が求めていることについて素直になった時、本来の自分の居場所を見つけることができた。
あなたも、もしかしたら今この時点で、自分の本当にやりたいことが分かっていないかもしれない。
でも、心配しないで。そして、分からない自分を責めないで。
今は、そういう時期なんだと受け止めましょう。
自分は、魂における完全な旅をしているのだ、と思ってください。
自分を、肯定してください。根拠は要りません。
何か誇れるものがないと、自分を肯定できないというのは妄想であり錯覚です。
自分に対する、最悪のいじめです。
力を抜いて。血が起きだすその瞬間が来るまで、楽しく過ごすことを心がけてください。自分の心の状態が、できるだけ「快」であるように意識してみてください。
その果てに、必ずあなたは見つけますよ。
本当の、あなた自身の物語を。
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