杜子春 (とししゅん)
皆さんは、芥川龍之介の書いた『杜子春』という短編をご存知だろうか。
『蜘蛛の糸』ほどには有名ではないので、ちょっとストーリーを紹介してみよう。
昔、昔。中国の
若者の名は「
この上は、川にでも身を投げて死んでしまおうかと悩んでいたのです。
「お前はこんなところで、ぼんやりと何を考えているのか?」
一人の老人が現れて声を掛けました。
「私ですか。私は今夜、寝る所も無いのでどうしたものかと考えているのです」
杜子春が答えると、その老人はこう言ったのです。
「そうか、それは可哀想だ。ではワシが良い事を教えてやろう。今、この夕日の中に立ってお前の影が地に映ったら、その頭の所を夜中に掘ってみよ。きっと、荷車がいっぱいになるほどのお金が埋まっているはずだから。」
その夜、老人に言われた通り地面を掘ってみると、その言葉通りお金が山ほど出てきたのでした。こうして杜子春は、一夜の内に洛陽一の大金持ちになったのでした。
「やぁ、杜子春さん。いつもご馳走になって悪いねぇ。私たちは、ここへ来るのが一番の楽しみなんだよ。朝、昼、晩、あなたの顔を見ずにはおられんのさぁ。わっはっはっ」
と、杜子春の家には連日お客さんの山。
お酒も食べ物も、飲み放題、食べ放題。
これではいくら杜子春が大金持ちでも、続きっこありません。こうして杜子春は、三年目の春が来た時にはまた、元の一文無しになってしまいました。
一文無しになった杜子春は、又、西の門の下にぼんやり立っておりました。
するとまた、あの時の老人がやっていて、どうしたのかと聞きます。杜子春が一文無しになったいきさつを話しますと、また老人は同じことを言いました。
ここを掘れば、お金が出てくるから、と。
で、杜子春は再び大金持ちになりました。しかし、また前回のようなお金の使い方をしてしまいましたので、結局は一文無しに逆戻りです。
こういうことを、杜子春は三度繰り返します。
三度目に老人に会い、同じことを言われた時。
「また、お前は寝る所も無いのか? それではワシが良い事を教えてやろう。今、この夕日の中に立ってお前の影が映ったら……」
「まっ、待って下さい! 私はもうお金は要りません」
「ほぉ、では贅沢に飽きたか?」
「いいえ、人間に愛想が尽きたのです。私がお金持ちの時は、誰も彼もチヤホヤしますが、いったん貧乏になると振り向きもしません。もう、お金持ちなんて嫌です! それより、私をあなたの弟子にして下さい。あなたは不思議な術が使える仙人なんでしょう?」
老人は、仙人になるとはお前が思うようなものではないぞ、と止めました。しかし杜子春の決心はかたく、どうしてもなると言って気が変わる様子がありません。
「よし、わかった。それではワシについて来るが良い」
老人は不思議な術を使い、杜子春を竹の杖に跨らせ、空高く飛び立ちました。
「杜子春、いかにもワシは
二人はほどなく、峨眉山へと舞い降りました。
杜子春は、峨眉山の深い谷にある、岩の上に降ろされました。
仙人は言いました。
「杜子春、ワシはまだ用事がある。お前はワシが帰って来るまで、そこに座って待っておれ。よいか、ワシが居なくなると、色々な化け物や妖怪変化が現れるかもしれない。じゃが、たとえどんな事があっても、決して声を出してはならんぞ。一言でも口を利いたら、仙人にはなれぬと思え。よいな?」
「はい、わかりました。」
やがて、松風はこうこうと鳴り、星は冷たく光り、冷え冷えとした山の空気が杜子春を包みました。
その時です!突然、「ウォーッ!」という獣の咆哮が聞こえました。
大きなトラの化け物が出てきて、杜子春を睨みつけました。
また後ろからは、大きな大蛇が口から炎を吐きながら、迫ってきます。
杜子春は心を張り詰めて、じっと座っていました。
「ウォーッ」と、トラが叫び、ヘビも一緒に飛び掛ってきました。
でも、杜子春がそれでも動じず、逃げもせず声もあげずにおりますと、やがて二匹とも煙のように消えてしまいました。
しばらくすると今度は、もの凄い雨と風が、そしてカミナリが杜子春を襲いました。杜子春は岩から吹き落とされぬように、カミナリに打たれぬように、必死で地面にしがみついていました。
その嵐もやがて治まったかと思うと、その時、突然——
「こらっ、お前はいったい何者だ!」
……と、大きな声が響き渡りました。
それは、恐ろしく背の高い、天界の兵士でした。
兵士は、鋭い剣を杜子春に向けて言いました。
「こらっ、返事をせんか! この峨眉山はワシの治める山じゃ。なぜ、お前はワシの断りもなく、ここにやって来たんじゃ。命が惜しかったら、名を名乗れ!」
しかし、杜子春は仙人の言いつけを守り、一言も声を出しませんでした。
兵士は、怒りました。
「返事をせん気だな? では、しかたがない。命はもらった!」
そう言うやいなや、、剣で杜子春の胸を突き刺しました。
こうして、杜子春はそのまま絶命してしまいました。
暗い暗い道に、氷のような冷たい風がピューピュー吹いていました。
杜子春は天界の兵士の剣に突き殺され、この世から地獄へ行く道を、よろよろたどっていました。
そして、向こうにぼんやり見えてきたのは、どうやらあの「エンマ大王」のお姿に違いありません。
「こらっ、その方はなんの為に峨眉山の上に座っておったのじゃ!」
エンマ大王は尋ねました。
「ええい、なぜ、エンマ大王様のお尋ねに答えんのじゃ。ぶちのめすぞ!」
配下の鬼たちも、杜子春をめたらやたらにぶちすえました。
しかし杜子春は仙人の言いつけを守って、歯を食いしばり「ヒィ」という鳴き声一つあげませんでした。
「大王様、こいつはよほどしぶとい奴でございます。声一つあげません」
「うむ、わかった。よし、それではこやつの父母をつれて来い! 確か、こいつの両親は畜生道に堕ちているはずじゃ!」
エンマ大王が命令してからしばらくすると、ピシッ、ピシッ、とムチで打つ音が聞こえてきたのです。
二匹の痩せ衰えた馬が、連れて来られました。
杜子春は、その馬を一目見るなり、自分の両親の変わり果てた姿だと解りました。
「よしっ、この馬を叩きのめせ! こやつが白状せぬ内は、この馬を叩いて叩いて、肉も骨も打ち砕いてしまえ!」
鬼達はエンマ大王の命令どおりに、二匹の馬を打ちすえました。
さすがの杜子春も、これにはアッと声をあげそうになりました。
しかし、すんでのところで仙人との約束を思い出し、なんとか黙り通しました。
「それ打て! やれ打て! もっと打て! これでもまだ白状せぬか!」
その時です。痩せ衰えた母馬が、杜子春に向かって一言つぶやいたのでした。
「杜子春や、心配おしでない。私達はどうなっても良いのだよ。お前は何かしゃべりたくない理由があるのだね。それでお前が幸せになれるのだったら、しゃべらなくて良いのだからね」と 母親は、息も絶え絶えに言ったのでした。
その瞬間。杜子春は、仙人との約束も何もかも忘れて——
『お母さ~ん!!』
……と叫んでしまったのです。
その瞬間。周囲のすべてのものが一瞬にして消えてしまい、杜子春もそのまま意識を失ってしまいました。
気がつくとまた、杜子春は元の洛陽の門の下に立っておりました。
そして目の前にはあの仙人がいて、杜子春を見るなり一言いいました。
「仙人になる試験は、失敗じゃったな」
それを聞いて杜子春は、苦笑いして言いました。
「はい、私は失敗しました。
しかし、いくら仙人になるためとはいえ、自分の両親が私を守る為にひどい目にあってるのを見て、黙っているわけにはいきません。
仙人様、私はそんな修行までして仙人になるより、人間らしい正直な生き方をしとうございます」
仙人は、深くうなづいて、こう言いました。
「本当は、失敗ではないのだ。むしろ、わしの願ったとおりになった、と言うべきか。もし、お前があんなことの後でさえ平然として声もあげなんだら、私はお前を人間として生きる資格なし、と殺していたかもしれん」
その後、杜子春は都からは外れた、桃の木が美しく繁る田舎で、畑を耕して真面目に働きだしました。
決して裕福ではありませんでしたが、素直な気持ちに正直に生き抜いたのです。
(おしまい)
皆さんは、この物語を通して、何を感じただろうか?
この話は、私に大事なことを教えてくれた。
それは、人間にとって大切なものは何か、である。
お金ではない。
金持ち、という社会的ステータス・地位でもない。
他者からちやほやされることでもない。
もちろん、今挙げたものが生きる上でまったく必要ないわけではない。
ただ、『一番』必要なものにはなれない、というだけ。
あるものがあって、初めてそれらのものが存在価値をもつ。
逆に、それがないのに、お金や地位や人気があっても、何にもならない。
そのあるものとは、ふたつある。
①素直な気持ちのみに従って生きること。
②状況に応じて様々な感情を生じる自分を認め、受け入れること。
この物語で「仙人を目指す」ということを、覚醒者を目指すことと置き換えてほしい。この世界の幻想(
どんな状況でも動じず、常に冷静沈着。常に、無条件の愛にあふれている——。
そんな釈迦かキリストのようなイメージを覚醒者に重ね合わせ、自分もそうなりたい、とあこがれる。
しかし。この三次元宇宙に、なぜ人間としてやってきたか、考えてほしい。
感情を味わい尽くすため、ではなかったか? 完全なることに飽きて、不完全を、そして冒険を、愛することを求めてやってきたのでは?
完全な愛でしかありえない中で、愛がないという架空の状況を生み出し、その困難の中で愛し抜く、というドラマを演じてみたかったのでは?
そういう意味で、杜子春が仙人になろうとしたことと、現代人が覚醒者を目指そうとすることとは似ている。そして、それはハッキリ「ムダなこと」なのだ。
そもそも、この世界を作った目的に反するのだ。
感情を超越し、愛と精神面において完全さを手に入れ、この世界が幻想だとネタばれして生きることは。
●覚醒者になることが、幸せなのではない。
素直な感情を大切にして、今を生きる人こそ、幸せなのである。
その感情が、いわゆる喜びとか楽しみという、良いものだけである必要もない。
悲しい、苦しいというのもある。
それも、同価値である。
喜怒哀楽、すべてを価値判断せず等価値に受け入れる。
そのような感情を抱く自分自身をも、ジャッジせずに受け入れる。
責めない。いじめない。必要以上に厳しく当たらない。
貧乏と、お金があるだけの金持ちの状態を経験し、仙人を目指すとはどういうことかも経験した杜子春は、いわゆる、悟りに近い魂の状態に至ったことだろう。
だから、分かったのだ。
仙人というのは、『役割』であることを。
●そういう存在も中にはいる、という程度のことだと分かった。
皆が、目指すべきものではない、と。
この陰陽の、二元性の世界を楽しみに来たのだから。
ゲームセンターに来てゲームをしないのなら、何のためにその場にいるのか?
用がないなら、帰れ!ってことになりませんか?
でも、ゲーセンにいるのにゲームを楽しまず、客の世話を焼く人間がいる。
いわゆる、ゲーセンの店員だ。
それが、この世界では覚醒者に当たる。
覚醒者なんて、職業と同じだ。
みんながみんな八百屋だったら、どこで肉が買えるのか?
皆が有名人や芸能人になったら、誰が応援する? 誰が見る側になる?
だから、目指さなくていい。なる時ゃなるから。イヤでも。(笑)
時じゃなきゃ、ならない。ジタバタしても、仕方がない。
だから、「手放すことが大事」ってよく言うでしょ?
だから、好きなことやワクワクすることを選択して、存分に人間的感情を味わって、待てばよい。
私個人としては、覚醒を目指せ、なんてすすめられない。
どうしてもしたきゃ、まぁ頑張ってね、という感じ。でも、目指すというスタンスでうまくいくことは、絶対無理とまでは言わないがまれだ。
現に私も、覚醒したい! なんて思って何か努力したことはない。
それはいきなり、やってきた。
本日の結論。
●覚醒者をめざすよりも、より自分らしくあることを目指せ。
あなたの魂が、この世というゲーセンの店員をする使命を帯びており、その時が来れば、おのずと覚醒に導かれるであろう。
そうでないなら、あなたの本分はこの世界を楽しむこと。この世界を正面から相手にせず、遠い精神世界に意識を遊ばせるのはもったいない。
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