Q&Aのコーナー第二十一回「心のままに生きていいなら、殺人も不倫もOKってこと?」
Q.
筆者さんのおっしゃることは大体わかるのです。心のままに生きていきたいのですが、究極のところで倫理観というものがひっかかっちゃうんです。
例えば、心のままって事は不倫もOKなの?
いじめもOK? 殺人も?
倫理観でつまずく私は、まだまだゲームの達人にはなれそうにないのかもしれないですね……
A. 倫理観でつまづいているのではなく、宇宙を信用できていないだけです。
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前回に引き続き、ハウス世界名作路線である。
私のベスト1は、これ。『小公女セーラ』である。
こども向けアニメにしては、お金持ちから転落したセーラに対するいじめ描写が容赦ない。見ながら、セーラに同情して涙が出てくるわ、イジメ役のミンチン院長や陰湿ないじめっ子クラスメイトのラヴィニアに対しては、めちゃめちゃ腹が立った。アニメなのに!
「セーラ! あなたは罰として夕食抜きです!」
……育ち盛りの子どもには、それがどれだけ辛いか分かってるかぁ?
お前が抜きやがれええええ!
ヽ(`Д´)ノ
テレビ画面に対して、そんな悪態をついたような思い出が。
でも、これ、テレビの世界なんですよ。ただの映像なんですよ。
怒ったからって、何が変わるわけでもないんですけれどねぇ。
でも、あまりにお話がうまくできていたせいか、ついつい感情移入してしまう。
映画、というものが発明された頃のアメリカでの話。
ある町で、試験的に上映会が開かれることになった。
映画の中で、インディアンが白人の娘をさらっていくシーンに差し掛かった時。
銃を持ったカウボーイが、いきなり銃を撃ったのだ。
もちろん、白人の娘を助けるために、インディアンを撃ったわけだが。
結果は、スクリーンに穴が開いただけである。もちろん、インディアンは死なない。映画など初めて見たこの男にとっては、スクリーンの中の出来事がまるで現実のことに見えたのかもしれない。
私たちが一応『現実』と読んでいる、身の回りの世界は——
実は、私たちが考えているほどかっちりした、絶対的なものではない。
このブログのトップにも書いてあるが、
●現実は、夢(幻想)である。
私たちが現実の中で苦しみ悲しんだり、腹を立てたり、笑ったり楽しんだりしているのは、夢を見ているのと同じ状態である。
夢を見ている時は、多くの場合それが夢だと分からないで、マジで必死になっている。でも、目覚めてみてはじめて「何だ、夢か」と胸をなでおろす。
つまり、現実での人間の営みは、一生という時間に渡って見る「夢」なのである。
死んでから、「ああ、私はこの夢の世界にゲームに来ていたんだな」と分かる。
そこで、ゲームを続けるかどうかの選択をする。
これが輪廻転生であるが、もうゲームマスターになるくらいこの世界を理解しつくして、もういいや、ってんで戻って来ない選択ができる人が出てくる。これが覚醒者である。
覚醒者であっても、輪廻しなくてもよい権利をあえて使わず、人助けが趣味でこちらの世界に戻ってくる物好きさんもいるようだ。
現実が夢に過ぎないと分からない人たちは『超マジモード』で生きることになる。ちょっと間違いを起こせば、取り返しがつかない、と騒ぐ。もう巻き返しできない、と落ち込む。
他人からちょっと何かされたら、それだけでももうゆるせない。必死に、自分の地位名誉財産、大事な人を守ろうとする。
身内を交通事故で亡くしたり、事件に巻き込まれたらもう一生その加害者をゆるせない。死刑にしても飽き足らない、と地獄の業火に心を焼かれる。
この世界に生きていて、人生がゲームであり幻想だと認識できない人は、それこそガラス細工をワレモノとして扱うような感じで、ビクビク生きている。
青を切るか、赤を切るか? 間違えたらドカーン! という状況に置かれた爆弾処理班のような気分で、皆さん生きている。
カウボーイが映画の中の敵を撃っても、スクリーンに穴が開いただけだったように。テレビの中のセーラを応援し、院長先生にブーイングしたとろで作品は作られた通りに粛々と放映されるだけであるように。
現実の現象は、見えるものとして現われた時点で、もうそれはどうにもならない。
何とかするとしたら、映画をつくっている監督である自分が、映画の筋書きを変えるしかない。つまり、自分の内的世界が変われば、未来に映写される現実もそれに応じて変化する、ということ。
【ゲームの達人になるためのその1】
●現実を何とかしようとするのも大事だが、先に自分の心を変えるべし!
さて、質問者はこう言っている。
『心のままって事は不倫もOKなの?いじめもOK? 殺人も?』
言い換えれば、こういうことだ。
自由に生きていい、そこに価値判断 (善悪)などないんだったら、人殺しや盗みや強姦をすることで楽しい、って思える人はそうしても問題ない、っていうことですよね?
端的に答えると、はい、そういうことです。
宇宙は懐の深い場所なので、何でも受け入れ、行わせてくれます。
でも、ここにひとつの落とし穴がある。
●殺人や盗みなど、他者を傷つける行為が楽しい、と感じるのは『浅い』 。
そんな次元の刺激を再興の喜びととらえるなんて、人間として浅いんですよ!
確かに、究極的に善悪の価値判断などなく、すべてはあるがままにあり、中立である。でも、ちょっと考えてみてほしい。
もし、すべてがあるがままでよく、何もしなくていいのなら、退屈すぎませんか?
すべての存在が、あるがままでいいんだから何もせんとこ~ってなったら?
世界が、何も動かない。
だから、本来は存在自体が完全で何もする必要のない一元性の世界の住人が、『何かする必要に迫られ、スリルを味わうゲーム』を作ったのだ。
ゲームである以上、一定のルールがあり、クリア目標がある。
失敗したり、不本意な結果に終わって悔しがるくらいなら、ゲームなんかはじめっから手を出さなければいいのに。客観的に、そう考えてしまうかもしれない。
でもやっぱり、楽しいからやっちゃうんだよね。
あえて、縛りのある困難さの中に身を投じるんだよね。
さて。空意識が編み出した究極のゲームとは——
【三次元ゲーム・ルール及び攻略ヒント】
●本来はない陰陽の二元性(善悪)の世界で、いかに悪や障害をかいくぐり、自己実現をするかを目指す。
宇宙の基本ルールである 「喜び」「愛」「全体が栄える」という本流にのっかることが、このゲームを円滑に進め、なおかつ最大限に楽しめるコツである。
言い方を変えよう。
陰陽の両極は、正反対だが同価値である。
しかし、同価値のままでは、自分が変わろうとかこれを目指そう、などという動的なことが起こらない。
あるがままでいい、と思ってしまうから。
ゆえに——
●本来は同価値であるはずの善と悪の両方が同価値では、何もドラマが起きないので、「善の方が良く、悪のほうが良くない」というゲーム上でしか通用しない前提をおく事で、善悪をめぐる様々な感情のドラマが繰り広げられるようにした
そう設定したら、ゲームキャラは善を目指そうとして努力や戦いが起きますよね?
それです。
そうやって、本来は完全であるはずの世界「パーフェクト・ワールド」の外に、あえて「夢のゲーム世界」をつくったのだ。
スピリチュアルを勉強して、疑問に思っていた人もいたかもしれない。
善悪はなく、どちらも同価値なのなら、なぜ善の方が良いように言われ、悪のほうがダメとかいけないとかいう風になるのだろう? と。
その理由が、ここにある。
そういうゲーム設定にしたのである。だから、この世界のゲームでは、善のほうに大きなアドバンテージがあるのである。
この三次元ゲーム自体が、初期キャラ設定として愛・喜び・繁栄を目指すようプログラミングされているので、それに沿って生きる者はよりゲームが楽しみ易く、逆行する者には苦しみが絶えない。
だから、真に心のままに生きる、ということが殺人や窃盗や婦女暴行になる、なんてことはない。
●実は、その人は苦しいはずだ。
その満足は、本質的な満足ではない。
自分を誤魔化して味わう、薄っぺらな満足である。
なぜなら、人間はそのようにつくられていないからである。
だから、質問者が誤解しているのは、自由に生きる、ということのなかに悪いことが含まれることがあり得る、と考えている部分である。
●それは、自由ではない。
それらの行為の奴隷になっているだけだ。
殺人にしろ、性的な犯罪にしろ、本当にそれ自体が喜びでしている人はいない。
皆、原点に恨みや悔しさや嫉妬など、やるせない思いを抱えた上でのことである。
何かに「やらされている」ような感覚じゃないだろうか。
そんなもの、心のままに生きるどころか、心が不自由だと言える。
長い文章を使って、ようやくひとつのことが言えた。(ハァハァ)
●本当に心のままに生きたら、イジメや殺人や強姦にはならない
……ということ。
では、次に人がどうこうは置いといて、あなた自身がどう生きればいいか? について触れる。
周りがどんなに善悪の戦いや感情のドラマを繰り広げようが、それはあなたの意識の反映である。
だから、何を見ても、何を聞いてもゆるしなさい。
無条件で。
えっ、むずかしい、って?
そりゃそうだ。
やっぱり、まだ自分と関係ない他人、という存在がいて、あなたにとんでもないことをすることもできる、と信じていたら、そりや難しいでしょうよ。
でも、結局それも自分なんだ。自分の姿を、現実という鏡に映されただけなんだ、と腑に落とせれば、あなたはこの世でどんなことが起こっても、映画を見ているのと同じになる。
眺めているのが悲劇か喜劇か、コメディかホラーか(ちょっといやだな……) の違いだけである。
普通の方は、現実という映画を鑑賞して、まともに受け止めて焦る。
そして、正体はただの白いスクリーンに、必死で銃を撃ちまくる。
恐れから逃げるために。
本来は守らずともよい完全な自己を、完全でないとして必死で守るために。
【ゲームの達人になるためのその2】
●他人はほっときなさい。
どうせあなたの心の反映の結果なのだから。
まず、自分のことにフォーカスしなさい。
映画である世間のことは、後回しで十分。
灯台もと暗し、ということわざがある。
あれは、こう解釈できないだろうか?
人がこんなことしたとか、政治家がこんなけバカだ、とかフォーカスするのいい加減やめたら?
あんたがそんなところにばっかり光を当ててるから、ホラ。
肝心のあなたの人生が、置いてけぼりになってるよ?
他の人はいい。あなたは今、幸せになりたいの、どうなの?
幸せになりたい……っと。
じゃあ、今から自分の喜びに意識のほとんどをフォーカスしなさい。
あなたが気にしている外部の問題は、あなたの意識の飛躍とともに、勝手に解決されていきますから。
質問者は、宇宙を信頼していない。心のままに生きることが皆にゆるされたら、悪いことする人が出てきて大変……と。その疑いの心、世界を信頼しきれない心が、そのままあなたの宇宙に反映される。
●どうか、宇宙を信頼してください。
宇宙は(本来的に)、あなたを傷つけたり苦しめたりしません。
すべての苦しみの発生源は、あなたの「解釈」です。
疑うから。信頼できないから。信念にしたがった結果を見る。
では、最後のまとめに入ろう。
質問者に伝えたいポイントをまとめていくと——
①悪を行うことは、「心のままに」生きる、という範囲には入らない。
②なぜなら、この三次元ゲームは 「悪や不幸に負けず、喜び・愛・繁栄を勝ち取っていく設定のゲーム」だからである。
③ゲーム設定の時点で、神意識は人間を、(基本的に)善を志向するように作った。
④善が良く悪が良くない、というのはゲーム世界上のことだけである。ゲームを面白くするために、どちらかの価値を偏らせる必要があった。
⑤ゆえに、本来善悪はないのは確かだが、このゲーム世界では善のほうが生きやすい、と言える。
⑥この世界が幻想であり、ゲームだと分からないから、他者の自由が怖い。
⑦すべてあなたの意識の反映なのだから、あなたの子どもだとも言える。そう考えたら、受け入れゆるす以外の選択があるだろうか?
⑧あなたが宇宙を信頼すれば、宇宙も相応にあなたに応えてくれる。
※注釈
●宇宙はすべての可能性を実現しその体験を回収する目的もあるので、本当にごくまれに悪を心から追求できるようなシナリオの人生も存在する。バットマンに出てくるジョーカーのような、その人物が「悪になる」決定的な動機や出来事がなくても悪を志向するシナリオの人生も、どこかでできる。
その人生を、宇宙における役割という側面からすれば、決して最低だとかクズだとか責められないが、その人物の被害者には耐えがたい理屈だろう。
だから言うのだ。究極の理屈なんて、人に優しくもなんともないから、求めるべきものじゃないって。
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