『ポリアンナ症候群』のウソ

 私は、今はもう続いていないが『ハウス世界名作劇場』というアニメシリーズが大好きだった。

 中でも、『愛少女ポリアンナ物語』は、私にとってのベスト3に入るほどの作品である。でも、この大好きなポリアンナちゃんの名前が、不名誉な形で使われているのである。

 心理学の世界で、このような単語がある。



『ポリアンナ症候群』


●心的疾患のひとつ。現実逃避の一種で、楽天主義の負の側面を表すもの。

 具体的には——


①直面した問題の中に含まれる(微細な)良い部分だけを見て自己満足し、問題の解決にいたらないこと


②常に現状より悪い状況を想定して、そうなっていないことに満足し、上を見ようとしないこと



 確かに、この言葉が指し示す通りの状態はある。

 でも、それをポリアンナと名付けるのは、適切でない。

 なぜなら、ポリアンナ自身に、ポリアンナ症候群の状態は当てはまらないからだ。

 そこで今日は、ポリアンナ症候群、などと名前を使われてしまったポリアンナの名誉を回復したい。



 さて、最近世間で言われるようになったのが、『ポジティブ思考の問題性』についてである。

 何でもかんでも「よかった」を探すのはプラス思考ではあるが、結局マイナス部分を直視せず逃避行動をしているのだ、と指摘する。

 つまり、そこにはマイナスに対する真剣な反省がなく、そこから向上していこう、とする意欲にも欠けるのだと。

 この、ポリアンナ症候群という言葉を主張するタイプの人は、こういう意見をお持ちのようだ。



 さて。新時代のスタンダード(常識)から、ポジティブ思考の是非を読み解いていこう。



●あなたが意識を向けるものが、(ある程度)現実化する。

 あなたが何にフォーカスしているかで、人生は変わってくる。



 つまり、ポリアンナがしていることは何かと言えば、『喜びにフォーカスしている』のである。

 意識の大半を、喜びに生きることに目を向けているので、その通りの現実を手にするのである。

 もちろん、この二元性の世界に生きていれば、マイナスなことはゼロではない。

 しかし、そんなものは問題にならないほどの喜びがポリアンナを支配しているので、いちいちマイナス面にフォーカスして、クヨクヨしているヒマがないのである。



 ここで、ポリアンナ症候群なんて言葉を口にする人々の正体を暴きたい。

 そういう人たちの深層心理にこびりついている、あるひとつの信念がある。



●この世間に生きていて、いいことなんてそうあるわけではない。

 だから、不幸や苦しみにも逃げずに向き合わないといけない。

 それこそ、問題解決に至れる道であり、向上心のある姿勢である。

 


 さて。

 これらの信念の中には、間違いが何点かある。

 厳密には、この世界に『間違い』などというものはない。

 ゆえに、ここで言う間違いの定義とは……

『実際には他の考え方や方法もあるのに、それしかない、と狭く固執して考えること』と考えてほしい。



(まちがいその1)


●この世に生きていて、いいことなんてそうそうあるわけではない。


 これは、うちの父などもよく口にする。

『この世間なんてものはな、苦しいこと、つらいことがだいたい8割くらいなんだよ。それでも頑張ってるとな、2割ほど、ああ生きてて良かった、っていうことに出会えるものなんだ。それがあるから、残り8割が大変でも、生きていけるんだな』

 苦労した年長者がしたり顔でこう言うと、なかなか反論できない。

 しかし、はっきり言う。

 こんなの、ただの思い込みであって、真理ではない。


 

●あなたがそう信じるから、あなたの願いどおりに宇宙が応答して、8割苦しく2割楽しい世界が創造されているのである。


 

 多くの方々は、発想の時点で間違いをおかしている。

「(あなたが見てきた)現実がこうだから、心構えもこうあるべき」と現実を起点に考えている、という点である。

 そういう人たちにとっては、現実というものが自分よりも上の存在なのだ。

 それによって、自分が左右され、規定されると信じているのだ。

 ひとつ、言い切ってよろしいですか?

 喜び喜びばっかり言ってるようなやつは、地に足が着いとらんのよ!

 そういうことを言うお方の人生って、実際に喜びよりも苦労が多いはず。



(まちがいその2)


●不幸や苦しみにも逃げずに向き合わないといけない。


 つまり、不幸や苦しみというものにフォーカスしている状態ですね。

 まぁ、Mッ気たっぷりです。

 デリケートな問題なので、言い方に気をつけなければなりませんが——



●起こってしまった現象に関しては、もうゲームオーバーである。



 ゆえに、起こってしまった問題に対して何とかしようとするよりも、次に起こってくることに自分の意識のフォーカスが反映されるように、喜びに集中するのである。

 だから、問題には逃げずに向き合わないといけない、と言い張る方は「自分で苦労や問題を引き寄せて、自分で解決するという独り相撲を取っている」。

 もちろん、心から素直にそうしたいのだ、ということならまだ救いもありますが、「そうしなきゃいけないでしょうが」ってな感じで、義務感使命感で動いていたらきついものがある。



●だって、宇宙の王たるその人が、決めているんですもん。

 この世は、そんなに甘くない、って。

 苦労や問題の絶えないものだ、って。

 だから、頑張って向き合います、って。

 すべて、その人の希望通り。



 ポジティブ思考には、とらえ方によっては確かに問題がある。

 この宇宙は、陰陽の二極から成る、二元性の世界である。

 だから善があって悪があり、幸があって不幸があり、快楽があって苦痛がある。

 ゆえに、その両極のうちの片方を、イヤだからといって無視したり排除したりする姿勢は、バランスを欠いている。確かに、その通り。

 悪や不幸や苦痛を無視してポジティブに逃げ込むのは、現実逃避だと言いたい気持も分かる。しかし、皆さんの意識の奥にあるホンネを、今こそ探ってほしい。



●陰陽のバランスというのを、具体的にどの程度と考えていますか?

 もしかして、半々とか、7対3とかって思ってませんか?



 反比例のグラフ、というのを思い出してほしい。 

 漸近線というものは、ゼロに限りなく近づいていきますけど、完全なゼロにはならない。……ということはですよ?

 悪や不幸や苦痛はゼロにはできないけれど、限りなくゼロに近くすることはできるのでは?

 だから、あなたの中に良いことと悪いことの配分は、自分の人生経験から言ってこのくらい、などという考えを放置しておくと、そのデフォルト設定が有効になり続けますよ! と言いたいのである。

 喜びにフォーカスすれば、苦しみや悲しみなどの配分を限りなく減らすことは可能なのだ。



 ここで、補足しないといけない情報がある。

 不幸や苦痛、という時。その現象や事件自体が問題なのではない。

 その現象なり事件にひっついてくる 『解釈』や『感情』のみが問題なのだ。

 私たちはよくここを誤解して、交通事故とか離婚とか、その出来事自体がいやなことであり、悲しいことであると短絡的に定義しているが、そうではない。

 宇宙のすべては、ただあるがままにあるだけ。

 そこに価値判断を持ち込むのは、人間のエゴだけ。

 すべての問題は、ただの感情問題である。

 悲しみや苦しみを減らす、と聞いた時に「そんなのムリ! 現実的ではない」というのは、ここが整理できていない人である。

 交通事故や離婚やケガや病気やケンカをいきなりゼロに近づけよう、というのではない。むしろ、そのすべての出来事の背後にある感情問題を何とかすれば、苦しみが苦しみでなくなる、という道も開けるのだ、ということ。



 話を、ポリアンナに戻そう。

 本人は決して、ポリアンナ症候群などではない。

 ただ、喜びにフォーカスして生きる姿勢を確立しているだけ。

 決して、現実逃避などではない。

 だって、そういう人は喜びの現象を引き寄せるので、逃避すべき現実が少ないのだ。場合によっちゃ、陰陽の陰の部分が、その人を悩ませない程度で落ち着くのだ。 そんなこともわからず、おせっかいにも「そんな良いことばかりに目を向けていたら、足元をすくわれますよ!」的なことをあえて言い張る人は、わざわざこの世は苦しいもの、と定義して、お望みどおりの世界を生み出し、問題を必死に解決する。そして、努力が実ったら、どうだ! 問題ってのは、こうやって解決するもんだ! お前のように夢見がちなやつとは違うんだよ! と誇ってみせる。

 もっと言えば、うらやましいんですよ。

 苦もなく、幸せになれる人が。



「自分はこれだけ必死に問題解決に躍起になって、やっとこれだけできたのに。あいつはあんな少ない努力で、自分より楽しそうに、楽そうに生きてやがる。そんなことが、あっていいのか? いいや、あるはずがない!」



 やっかみですね。

 この書の中で一番読まれている記事、『働かざる者、食べてちょーだい!』にも書いたが。

 早朝から雇われた労働者が、夕方遅くに一時間だけ働いた者にも自分と同じ賃金を支払われるのを見て、そんなバカな!と腹を立てた。この状況に似ている。



 もうひとつ。

 喜びにばかりフォーカスしたら、足元をすくわれるんじゃ? という恐れがあるのだ。そんなことばかりしていてはいけないのでは? という変な罪悪感があるのだ。

 恐れがあるから、足を引っ張られてポジティブ思考が効果を発揮しない。

 下手に頭がいいよりバカが得、というのは言えるかもしれない。

 あれこれ難しく考えないで、やりたいことや喜びにバカみたいにフォカースしたもん勝ち。だから、ポリアンナはあの在り方で何の問題もない。

 これで、ポリアンナの名誉を守れただろうか。



 それでは、今日のまとめに入ろう。



①ポジティブ思考に偏るのが危険なのは、本当である。


②それは、二元性の世界で陰陽の両極を尊重しない偏りが悪い、という意味合いでのこと。


③ゆえに、ゼロにするのではなく限りなく減らす、という発想で陰陽のバランスを守れる。


④つまり、この世界の不幸や悪や苦痛を限りなく減らすことは理屈として可能である。(ただし、時間性という制約もあるので恒久的維持は不可。それだとこの世界がゲームにならない)


⑤この陰陽のバランスを半々とか7:3でないと、という変な思い込みが存在する。


⑥この世は厳しい、甘くないと口にする人ほど、その現実をかえって強化している。


⑦宇宙の王であるあなたが意識をフォーカスするとおりに、現実は展開していく。

 


 これからの新時代、この秘密に気付いて、幸せを手にするだろう。

 意に染まぬ思いをして、血ヘドを吐いて苦しむ人は減っていくであろう。

 しかし、過去や経験からの思い込みや呪縛から抜け出さない選択をする者は、彼らをうらやましがってはならない。

 あなたの定義する通りに、宇宙は動く。

 問題というのは、相手にするからこそ余計に力をもつ、という側面もある。

 だから、そんなやり方より喜びにフォーカスする、というのが早道だ。

 そうする中で、おのずと問題に関しても解決の道が与えられたりする。

 もしくは、その問題が 『問題にならなくなったりする』。

 ですから、不幸や問題と格闘するよりも、喜びにフォーカスするの、オススメです。

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