神意識へのシフト
前の記事で、「神意識でないと、大きな変化は引き寄せにくい」という趣旨のことを書いた。その後で……
●「神意識とは具体的にどういう意識か」
●「それは簡単になれるものなのか」
……という質問をいただいた。
今日は、そのことについて説明したい。
さて。
神意識、ということを考える前に、「神」というものをどうとらえているかが問題となる。あなたにとって「神とは何か」ということが問われるのだ。
もしあなたが、神様を一般宗教が言うように——
「人間や世界を創造し、完璧な絶対者・創造主としての偉大な神」
……と考えているならば、あなたはいつまでたっても私が言う「神意識」には到達できない。そこには、この世界が仕掛けたワナがある。
この三次元ゲームをややこしくし、やりがいのあるものとするトラップだ。
それは——
●自分より偉大ですごいものが上に存在し、また自分より下の低級なものが存在する
……という、錯覚であり、思い込みである。
だから、人間がいくら「この世の主人的な位置」にいても、神という上位の存在がいると考えている。
そしてそれが悪い人間を罰したり、あるいは良い人間に幸福を与えたりする、そんなイメージがある。
一方で、動物や植物、鉱物その他(かたい言葉で万物、と呼ぶ)を、人間よりも低級なものと見なしている。 (人間にあるような霊性・魂がないと思われている) 言葉は適切ではないかもしれないが、きれいごとを抜けば結局やっていることはそういうことでしょう。
もっと言うと、同じ人間同士でさえ、優劣が存在すると考える。
その究極の例が、イエス・キリストである。
はっきり言って、私たちと同じ存在である。
それが、神様にまで祭り上げられてしまった。
キリストまでいかなくても、過去における聖人、偉人は普通人とは違うと認識されている。マザーテレサしかり。マーティン・ルーサー・キング牧師。ガンジー。
松下幸之助さん。ちょっと身近なところで、瀬戸内寂聴さん。
皆さん、当たり前のようにこう思ってません?
この人たちの命(魂)は、自分よりも値打ちがある。
自分よりもすごい。偉い。
だから、仮に一定数しか生きれらなくて犠牲者を選ぶ必要が生じた場合、著名人や文化人を優先的に選んで、自分はそこから漏れても仕方がない。
「ブーッ、残念!」(by みのもんた)
大間違いである。私は、はっきりと言う。
●あなたは、神である。
私も、神である。
最初に、神だけがいた。
たったひとつの存在であり、永遠・絶対であった。
完璧であり、問題とか変化とか波とかない。
まぁ、退屈である。
そこで神は一計を案じた。
自分を、無数に分裂させてみよう。そして自分の完全なる記憶を封印して、変化とか問題とか、それを解決する喜びを体験してみよう。
だからあなたは、人間の皮をかぶった神である。
神というものは完全で絶対、というイメージが強いと思う。
だから、こんな失敗ばっかりで不完全な私は、神とは程遠い、って思いますよね?
ノンノン。
実は、それこそ神が意図したものなのだ。
ちょっと言い方がヘンになるが——
情けなく、不完全で、必死こくあなたをわざわざ体験しにきた。
あなたからしたら、完全な神をうらやましく思うかもしれない。
いいや。神のほうでも、ドラマチックで喜怒哀楽の冒険を味わえるあなたがあこがれなのだ!
だから、自分は神だ、と名乗るのに、自分が完全であるなどという条件はいらない。それどころか、人格者だとか愛がある人、である必要すらない。
おっちょこちょいのサザエさんのような人でも、神である。
これを言うのは波紋を呼びそうだが、善悪も関係ない。
皆、神である。
とにかく、この世界には本来一なる存在しかいないのだ。
神と呼んでもいいし、ワンネスと呼んでもいい。
それが、あえてゲームをしたくて、ゲーム機をつくってピコピコやりだしたのだ。
それのゲーム機が、この三次元物理宇宙である。
ゆえに、この世界の全てはゲームなのだ。
無数にいるように見えるすべての人は、ゲームキャラ。
他人などいない。すべての人はゲーマーである神の一部。
(本当は神と同一だと言えるが、三次元で考えると分かりにくくなるので、あえて一部という言葉をつかう)
ワンネスとは、複雑なカタチにする前の、バルーンアートのバルーンだ。
空気が入った、ソーセージのような長~い棒風船を想像してください。
中の空気は、ひとつですよね?
これが、神であり、ワンネスであり、空意識です。
さて、これをバルーンアートで何かを作るみたいに数箇所でねじってみましょう。
間でねじれば、数か所ののソーセージ(?)に分裂しましたよね?
もともとは、つながっていてひとつの空気だったわけです。
それをねじって、四つの空気の塊に分裂させた。
これが、三次元の創造です。人間が複数いる、という現象です。
空気は分断されているので、まったく別個には見えますね?
でも、中の空気の質は、どんなに細かく分裂したところでまったく一緒です。
この理屈で行くと——
イエスキリストもお釈迦様も、私もあなたも、AKBや坂道グループの美少女も、そのへんのオッサンも、女子高生も老人も……みんなまったく同じ命。
ただ、ゲーム開始の初期設定と、その後のゲーム展開により得た情報や行動パターンの違いにより、全然ちがうように見えるだけである。
話を整理しよう。
神意識とは何か。
●私自身が神であった。そもそも完全なものが自己を限定して、わざわざ今のような現実を味わいにきているのだ、という自覚。
あなたがどれだけダメな人かとか、どれだけ失敗したか、など関係ない。
逆にあなたがどれだけ善行をしてきたか、偉大なことをしてきたかも関係ない。
あなたはあなたである、というただそれだけで、存在するだけで完全である。
一番間違えてはいけないのは、あなたが完全ならば、他のすべてもそうだという観点である。それがあれば、傲慢や自己卑下の罠に落ちることはない。
私は神だから、何でもできるぞ! フハハハハハ
そういう意識とは、違う。
願ってすぐかなう世界は、面白くない、すぐ飽きる最低のゲームと同じ。
ちょっと困難があって、それを乗り越えて実現するプロセスを味わいに来たのだ。
だから、神意識になることで全てを可能にできる、というのは間違いではないのだが、厳密には成就までの時間性と過程(プロセス)を経てから、という制約がある。
私は、その神意識で生きている。
もちろん遊んでいて、魔法のようにパッとできたわけではない。
必死に、時間を惜しんでせっせと自分の胸の奥底の命ずるままに動き続けている。そのプロセスの結果として、今がある。
まぁ、それが義務ではなくて、喜びだからできている世界があるのだが。
ぜひ、皆さんもこの神意識で生きていてください。
人間意識は、もうたくさん、なのではないですか?
焼肉の食べ放題でしこたま、吐きそうなほど食べたら——
「もうしばらく、肉なんか見たくもない!」
……ってな状態にならないだろうか。
私たち人類は、もう何千年も、罪悪感や劣等感の奴隷になってきた。
人間的な恨みや不幸、苦痛を味わいつくしてきた。
もう、十分ではないか。
これ以上、愛憎のドロドロドラマに浸っていたいですか?
浸っていたい人もいるだろう。
宇宙は自由なところなので、それもOK。
でも、もう神意識で生きる新しいゲームのステージに移行してもいいのでは?
ゲームも、同じ面ばかり繰り返したら、飽きますよ。
次の展開にいい加減行きたいよ!って全体意識は思っているはず。
だからこそ、アセンション云々が今騒がれているのだ。
最後に、神意識になるのは簡単か? という質問に対して。
●それは、何とも言えません。
例えば。
小さい頃から水に慣らされ、水泳を教え込まれてきた人は——
新しい泳法を教えられても、下地があるので飲み込みが早いだろう。
しかし。水に触れてこず、水泳が苦手で、もっと言うとカナヅチで……とかいう人の場合。基本的な土台すらないので、新しい泳法どころの騒ぎではない。
水泳の素地がある人の数倍、いや数十倍のエネルギーが必要になってくるだろう。
それと同じで、どんな人生(過去生も含め)を歩んできたが、が影響する。
神意識になるのが、比較的容易な方もいる。この書の内容を、少ない抵抗で受け止められる人。逆に、この書のさわりを見ただけで 「こんなのパス!」 という人は難しい。さらに、こんな人も大変だ。
①自己イメージの低い人。自分に価値があるなんてどうしても思えない人。
②誰かを恨んでいて、ゆるせない人(正当な理由があっても関係ない)
③優劣・善悪という判断基準を捨てることに、抵抗がある人。そういう人は、その判断基準が存在することで、何らかの利益を受けている可能性がある。
上記に当てはまる方。気落ちされないよう。
大変だとは言ったが、不可能だとは言ってない。
(慰めになってない?)
しかし。この宇宙は何でもアリの世界で、あらゆる可能性に満ちている。
裏ワザもあれば、ボーナスステージや一定期間無敵モードも存在する。
だから、エッあの人が? という人でもいきなり 「悟れたりする」 。
何ていうか、もう予測不可能。
だから、この宇宙は面白いのだ!
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