Q&Aのコーナー第十三回「赤ちゃんに送るエール」

 Q.


 私は仕事上、出産の現場に立ち会います。そこで、気付いたのですが、抱っこしても母乳をあげても泣き止まない赤ちゃんと、産声をあげた後は穏やかな表情で過ごしてる赤ちゃんがいます。後者は多分、妊娠中にお母さんが穏やかな気持ちで過ごして来られたのも関係あるのかなと思っています。

 筆者様の文章を拝見するようになって、『神様が素晴らしい体験をしにいらした』という気持ちで関わるようになったのですが、泣き止まない赤ちゃんは、何か不安や不満を感じてる様にも感じます。

 この世という、体験の場にくる際何か不安に思うことはあるのでしょうか?

 陣痛の痛みの中お腹の中で頑張ってる赤ちゃんや、出てきた赤ちゃんに声掛けするとしたら、どんな言葉が最適でしょうか?



 A.「よく来たね。良き命の旅路を!」と言ってあげましょう。



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 まずは、次の短編小説をお読みいただきたい。(時間がある方は、どぞ!)



タイトル:『赤ちゃんポスト』



 かくれんぼしてて、誰も見つけてくれない。



 ワタシは暗闇で、モゾモゾした。

 見つけるのあきらめたのかなぁ。

 それとも、ワタシが隠れていることなんか忘れて、みんなおうちに帰っちゃったのかなぁ? ワタシには、記憶が無いはずだ。

 だって、これから刻むことになってるはずだから。

 でも、なんでだろ。

 夕日が沈みかけた頃、かくれんぼの終わりも知らないで空き地で震えている、可哀想な女の子が見えた。



 遠くから、何か迫ってくるよ。

 真っ黒な雲がワタシに覆いかぶさってくるよ。

 こわいよう。

 誰か、助けてよう。

 ワタシを、独りにしないでよう。

 言葉なんて知らないはずだけど、何千年もの間叫ばれてきた言葉、言語は違っても共通のものを指すその言葉を使った。それは、ヒトの命のふるさとを呼ぶ時の言葉——



 ……タスケテ、オカアサン。



 見たこともない風景。

 勿論、何か見えてるわけじゃないよ。

 ワタシは、自分の住む世界が変わったことを全身で感じた。

 でも、ひとつだけ安心なことがあったよ。

 それは、ワタシがさっきまでいた世界を離れることはあっても、それはすぐ近くに、ずっといるんだって。

 いつまでもじゃないけど、見守っていてくれるんだって。

 ワタシと同じ旅人から、そう聞いた遠い記憶がある。



 不安になった。

 何かが、おかしい。

 ワタシは、自分の出てきた元のセカイに抱かれた。

 ホントなら、何よりもうれしい一瞬のはずだ。

 何かの、ボタンの掛け違い。

 ワタシの心臓と、ワタシの出てきたところのそれとは、ぴったりと触れ合った。

 拒絶。不安。

 聞いていたのと、違う。

 ワタシの体は誰かの肉体に包まれて温かかったけど、それはあくまで温度の世界。

 魂は、言い知れぬ悪寒を感じて。震えた。

 何か推理すると真っ暗な海に沈みそうで、ワタシは何か考えるのをやめた。



 いくらかも日が経たないうちに、ワタシはもとのセカイと離れた。

 考えないようにしていたけど、このセカイに出てきた瞬間に、どこかで覚悟はしていたことだ。

 ワタシを生んだもとの世界は、ワタシを手放すようだ。これからワタシは、太古から受け継いだ魂の知識を、思考をこれで封印することにする。

 今からワタシは、何も知らない、「赤ちゃん」として、大きな川の流れに弄ばれながら生きていく。



 もしかしたら、この子の自我が、向かってくる世界に打ち勝てるかもしれない。

 ワタシはそれに賭けてみる。

 この子を信じる。

 また、眠りにつこう。

 一世紀もしたら、この記憶は誰かの誕生とともに覚醒するのだろうか。

 それとも、この子はそれまで生きているだろうか・・・



(17年後)


 

 タカシぃ、なんでだよぉ。

 なんで、来てくれない。

 17歳の私にとって出産とは、言語を、そして想像を絶する恐怖だった。

 死ぬかと思った。

 いや、死んだほうがマシ、とさえ思った瞬間があった。

 でも生まれた瞬間には、散々ジェットコースターに振り回されて、全てのコースを回って帰ってきた後で、体を固定していたバーが上がった時のような安堵感と幸福感に包まれた。

 今まで赤ん坊というものを、しかも新生児というのを身近で見た経験に乏しかった私には、一般的なまるまるとした、目のクリッとしたかわいい赤ちゃんのイメージばかりが先行していた。

 ものを知らない女子高生だと言われれば、その通りだ。笑いたきゃ笑いなよ。



 今見るこの子は、しわくちゃだ。

 なんか、ものすごい。

 私は、圧倒された。

 見た目がカワイイ、なんていいにくいけど…

 違うな、カワイイという語彙じゃ表現できないんだ。

 うまく言い表せる言葉なんて、日本語にない。

 イノチって、すごいな。

 私は、宗教なんて縁がない。もちろん、カミサマだって信じちゃいない。

 でも、私はなにかに畏怖の念を抱いていた。かしこまっていたよ。

 大昔の人が、自然を崇拝してたって聞いた。

 私は、それってなんかバカにできないことだな、ってこの子見て思った。



 この子の生物学上の父親、タカシはついに私の出産に立ち会わなかった。

 私、思いっきり泣いたよ。この子を看護師に預けたあとで。

 そりゃあもう、子ども時代から今までに泣いた量を合わせたのと張り合えるくらい、涙が出たさ。

 どっちが赤ん坊か分からないくらい、泣いた。

 セックスを甘く見てた。

 好きだから……

 その思いがセカイで至上のものだと思って、ほとんど迷いがなかった。

 今思えば、ある意味それも何かの新興宗教を盲目的に信じるようなもんだよね。

 目が覚めた私は、生命の神秘という、恐れ多いものに無知にも楯突いた無謀さを自覚した。そして自らの愚かさを見せ付けられ、魂の底蓋を木っ端微塵に破壊されたような気分だった。

 しかし、もう取り返しがつかなかった。



 私は、自分の母親というものに会ったことがない。

 物心ついたら、養護施設、というものにいた。

 父さん、母さん。

 ドラマやコマーシャル、学校で読む教科書で、家庭というもののことを聞く。

 施設では、できるだけその雰囲気にしようと頑張ってくれている。

 季節ごとのイベントも多い。

 みなそれぞれの誕生日だって祝ってくれる。

 職員のお兄さん、お姉さんは優しかった。

 でも、何かが物足りなかった。

 何故だかわからない。そういう時、何度も頭の中で繰り返されるイメージ。

 それは……

 夕日が沈みかけた頃、かくれんぼの終わりもしらないで空き地で震えている、可哀想な女の子。

 それは、私自身なのだろうか?



 高校生になって、私は施設のある男性職員に肉体を奪われた。

 力ではかなわなかった。私は、首から下の思考チャンネルを切り替えた。

 浮かんでくるのは、あのかくれんぼの女の子。

 悲しいとか悔しいとか、そういうことは分からなかった。

 ココロとは関係なく、私は上から涙を、下からは血を流した。



 その職員は、つかまったよ。

 ある日の新聞の片隅に、記事が載ったという。

 私にはそんなこともうどうだっていい。その記事さえ読んだことはない。

 早く、こんなとこ出てやる。

 そして、自分のチカラで生きてやる。

 そう思って、大して世間も知らない小娘がいきがってもがいていた時に、タカシと出会った。彼は、優しかったよ。ワタシに、とてもよくしてくれた。

 一緒によく入ったマック。彼が連れて行ってくれた夏の海。今でも忘れないよ。

 でも、私が傷ついていたから、人並み以上に寂しかったから、彼の優しさが本当の価値以上のものに見えたのかなぁ。

 今となっては、彼が父親であるということから逃げたというその現実に打ちのめされていた。

 私の後見人は、弁護士を通して彼との裁判さえ考えていた。

 そんなことは、半分どうでもよくなっていた。



 私なんか、生きてて何の価値があるのさ。



 ……育てられっこ、ない。



 私は漠然とそう思っていた。

 母親なんて、どうやってなるのさ。

 何の覚悟もなかったさ。

 タカシが、ダイジョウブだっていうから。私も、まぁいっかくらいで受け入れた。子育ては恐ろしく手がかかってタイヘンだって、そういうことだけよく知っていた。



 でもまさか、自分が生むとはね。

 私は、堕ろさなかった。

 なんでだろ。

 周囲も、私の意外な決定に首をかしげていたし、私自身も人を満足させられるような言葉を持たなかった。

 この子を殺したら、私自身が死ぬよりも恐ろしい目に会う。

 そして、一生後悔する。

 オンナとして、レイプされるのと同等の、あるいはそれ以上の荷を負うことになる。理由は分からない。何故かそう思った。



 看護師さんが、私の赤ちゃんを連れてきてくれた。

「赤ちゃん」という言葉のそのものの語感を始めて実感した。ホント赤いや。

 私は、ベッドの上で体を窓側にずらし、赤ちゃんの寝れるスペースを作った。

 そして、横向けの姿勢で赤ちゃんの顔をマジマジと見つめる。

 ごめんね。私みたいなのから生まれてきて。

 私、母さん知らないんだ。

 だから、どんな風にしてあげたらいいか、分からない。

 教えてくれないかな。

 その通りにするよ。何でもするよ。

 だから、どんな風に母さんすればいいのか、教えてよう!

 突然泣き出した私に、担当医と看護師がびっくりして飛んできた。

 二人は言葉も無く、私を見つめて立ち尽くしていた。

 赤ちゃんは、スヤスヤ眠り始めていた。

 横で、こんなにうるさくしてるのに——。



(34年後)



「いってきまーす」

 バタン、とドアの閉まる激しい音。

 私は、二階のベランダで布団を干していた。ここからでも、娘のバタバタと駆けていく姿が見える。

 いつも早く起こしてるのに、まったく。

 いつの間にやら、娘も私が彼女を産んだのと同じ年齢に成長していた。

 そんなに走るくらいなら、もっと早くに準備して、余裕を持って出ればいいのに。

 娘は恐ろしいスピードで、視界の中を小さくなっていく。

 風を切る速さに、制服のスカートが後ろにたなびいている。

 ……成績はともかく、カラダだけは丈夫に育ったもんだ。



 私は、あれから施設を出た。

 娘はゼロ歳児から受け入れてくれる保育園に入れさせてもらい、私は生活のために小さな会社に就職をした。

 体はものすごく辛かったが、保育園にこの歳で預けざる得ないわが子を思って、耐えしのいだ。

 そうこうするうちに、今のダンナにめぐり合い、美咲のことも受け入れてくれた。



 あ、我が娘の名前言い忘れてたね。美咲っていうんだ。

 私は、男の人に体を抱かれることがうれしいと思える日が再び来るとは思っていなかったよ。

 お母さんを知らない私でも、よくここまでこれたものだ。

 布団を干し終えたので、一階のリビングに降りた。

 つけっぱなしだったテレビからは、「赤ちゃんポスト」のニュースが流れていた。

 それを聞きながら、深くため息をひとつついた。


 

 電話が鳴った。

 この時間なら、お隣の矢口さんか、町会長さんかなぁ?

 何気なく受話器を上げた私は、そのまま凍りついた。



 こんな大きなホテル、落ち着かない。

 普段そんなところに行きつけない私は、かなり豪奢なホテルのロビーでまごまごしていた。

 エントランスをくぐると、そこは大きな吹き抜けになっていて、手前に受付・窓側にカフェテラスがある。

 そこが待ち合わせ場所だったので、とりあえずコーヒーを注文して座った。

 ……ゲ。コーヒーだけで900円?

 私のような人間の出入りする世界じゃないなぁ、と苦笑した。



 その時、私の後見人だった人に連れられて、独りの熟年女性が連れられてきた。

 私は、手にしたコーヒーカップを落とした。

 誰かは知らない。

 いや、知っていた。

 目が合った。

 34年の時が逆戻りした。

 次の瞬間、私の体は宙を飛び、彼女に抱きついた。

 私の中の、かくれんぼの女の子は、「みぃーつけた」と言われて、笑っていた。

 エヘヘ。私を忘れてかくれんぼ、終わっちゃったわけじゃないんだぁ。

 よかったぁ。


 

「よかったね」



 どっからか声がした。

 どこだろ。

 私の中だ。

 誰か知らないけど、ありがと。

 なんでそんなこと思ったのか分からないけど、私はこうつぶやいた。


 

 ……私を信じてくれて、ありがと。



 放浪の旅人はようやく、安住の地を見つけたのだ。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 一言、お断りを入れておかねばならない。

 この小説の中に、一部「中絶は良くないこと」だとにおわせるような表現がある。

 でも、それは小説内の登場人物の心情を描いたものであり、筆者本人の考えではない。私は、中立である。



『神との対話』シリーズを読んでいて、こういう表現に行き当たった。

 ……世の中に生まれてくるのは、実は『苦』なのだよ。その証拠に、生まれたての赤ん坊は笑いながら生まれてくるかい? それとも、泣きながら生まれてくるかい?



 ……確かに、泣き叫んでますよね。



 お釈迦様もおっしゃった。

 この世は、『一切皆苦』(すべてのものは苦しみである)と。

 ここで、「苦」という言葉を、文字通り苦しいこと、と理解すると誤解する。

 仏教でいう苦とは、「自分の思い通りにならない」ことを言うのである。



 この書で、散々「人生とはゲームだ」と言ってきた。

 ゲームが楽しいのは、思い通りにいかないからですね!

 何でも思いのままのゲームって、きっと面白くないだろう。

 敵の存在があり、攻撃がある。罠もある。選ぶと苦しいコースもある。

 でも、それらをかいくぐって、乗り越えてゲームをクリアすることに喜びがある。

 満足感がある。

 それを味わうために、私たちはこの世界に来ている。

 ゆえに、この人生でもしあなたが満足のいく結果を残せなかった時。

 ゲームは聞いてくる。Continue?(続けますか?)と。

 あなたが、「よし。もう一度挑戦だぁ!」と思えば、100円玉を投入して、ゲームの再スタート。

 でも、あなたが覚醒した、あるいは人間としてのすべての体験を何万回もの転生でやり尽くしてもういいや、と思った時。ゲームをやめるかもしれない。

 


 赤ちゃんというのは、新しきチャレンジャーなのだ。

 過去生のすべての存在たちの「今度こそ!」という期待を一身に背負った、アンカーなのだ。無力に見えるが、実は過去生で培ったすべての叡智が、体験した感情がつまっている。

 全く完璧で何の問題もない一元性の世界ではなく、ゲームの舞台として様々な障害にあふれている二元性の世界にやってきたことで、不安がないはずがない。

 ゆえに、泣くのだろう。オギャーオギャーと。

 最初は、誰でも泣く。ただ、その後の反応は、質問者がおっしゃるように個人差がある。赤ちゃんのお母さんや環境の影響は無視できない。

 


 実は、生も死も存在しない。

 それは、幻想である。

 一本の映画を見終わる。エンドロールが流れる。

 ああ、終わった。まぁまぁの映画だったなぁ。

 ……じゃあ、もう一本見ていこっか!

 そう考えたあなたは、別の劇場に足を運ぶ。

 実は、死んでまた生まれ変わる、というのはこの程度のことでしかない。

 死を知らない人は、あまりにも怖く考えすぎなのだ。

 痛いだろうなぁ、苦しいだろうなぁと恐れる。

 実際、痛くも苦しくもありません。

 もちろん、死ぬ直前までなんらかの病気で苦しんできた、というのは別に考えてください。

 人によっては、かえって 「気持が良かったり、幸せな気分に包まれる」という人もいるくらい。

 誕生も死もどちらも私たちが創造した幻想であり、また二つとも同価値である。

 謎めいた言葉を言えば——



●私たちは生まれることもできないし、死ぬこともできない。



 これが理解できた時。悟りというものに限りなく近くなる。

 空、空、一切は空。



 命の誕生の現場にいらっしゃることは、本当に素晴らしいことだ。

 街道でマラソン選手を応援するように、旗を振ってあげましょう。

 赤ちゃんたちは、永遠の旅において喜びを追求しようとする、意欲的な挑戦者。

 その喜びのために、先に来た私ができるだけ協力しますからね。

 いつだって、声をかけてくださいね——。

 そう言って、ギュッと抱きしめてあげましょう。

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