Q&Aのコーナー第十四回「私ってブサイク?」
Q.
あの、どうしても、自分の顔がぶさいくで生きるのがつらいのですが……
鏡も見られないくらいです。外にも出たくないくらいです。
筆者さん、よかったらアドバイスいただけませんか?
A.自分の価値は、自分で決めるものです。
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大黒摩季、という歌手をご存知の方は多いと思う。
彼女がデビュー初期の頃の歌で、『夏が来る』というのがある。
気持ちとしては歌詞を全文紹介したいところだが、著作権まわりが色々うるさいので読者さんが自分で調べて読んでほしい。
ある、自己イメージの低い女性の心情を代弁して歌いあげたもので、当時多くの共感を得た。この歌詞の女性は、「基本的に自分はダメだ」と思っている。
『何が足りない? どこがよくない?』と常に自分に問いかけているが、それはホンネの世界で「自分は足りない・自分はよくない」と決め付けてしまっていることの裏返しで、何かの努力をしてもほとんど改善されない。
ここで、大事なことをひとつ。
●自分はダメだから、ダメなところをなおす。
そういうやり方では、ほとんど改善しない。
じゃあ、どうしろというのか?
ここで、新時代のスタンダード。
●現状がどうかに関係なく。私はこれで最高なのだ、と決めてしまう。
決めてしまうことで、それはあなたという宇宙での真実の定義となり——
本当に、あなたが最高だということに合わせた現実が展開していく。
あなたが自分は最高だと決めるので、周囲もあなたの決定に従った扱いをする。
今まで、多くの人が誤解してきた。
まず、世間の絶対的な基準というものがある、と。
学力にしろ、容姿にしろ、社交性にしろ、仕事能力にしろ、一定のものさしがあって、それに自分を重ね合わせて、色々と判定をする。
そして、自分はダメな部類なのだ、という思考がガーンと強烈にインプットされる。深層意識の中にまでもぐりこみ、王座に座り込む。
その考えに反対するものは、王の権限で罰せられる。
少しでも自分がイケてるとか、私ってカワイイ?とかいう思いが出てきたら、ホウキでさっさと掃いてしまうのである。
「ダメダメ! 私ったら、何てことを考えるの! 身の程をわきまえなくちゃ!
私は、自分が素敵なんてこと考えちゃいけないの。
そんなことを考えるなんて、何て罪なことの!」
そんな勢いで、自分をダメで情けないままにしておこうと努力するのである。
私が執筆を通して、一貫して主張してきたことのひとつに……
●価値判断というものは、幻想であり、必要ない。
ただひとつあってよい価値判断は、すべての存在はあるがままで最高! だという価値観である。
美女とか、イケメンとか人の容姿にレッテルを貼って楽しむ文化自体に、善悪はない。好きだったら、別に構わない。
グラビアアイドルや坂道グループにお熱になってもよい。
ジャニーズ系のタレントを追っかけてもよい。
ただし、それが人を傷つける場合。
それによって、ある人が自分がイヤになるなどの不利益をこうむる場合。
そんな容姿の美醜に関する価値観は、ゴミ箱行きである。
私は、質問者の顔を見たわけではない。
でも、責任をもって言える。
●その方は、世界で最高に素敵な方である。
でも、人は言うかもしれない。
……でもそれって、顔のことじゃないわけでしょ?
いいえ。
顔も含めてです!
なぜ、そう言えるのか。
その方が素敵というのは、ある程度スピリチュアルの心得のある方なら理解できるだろう。
「でも、それはその人の命や魂の価値でしょ?
容姿が平均以下の方でも、そんなことは心の美しさとは関係がないですものね。
見えない部分で美しければ、それが大事なことですよね?」
これが、世間でも良い部類の考え方の限界である。
ち~が~う
●この世間の基準自体が、いらないのだ。
宇宙の真理でも何でもない、人間のでっちあげ。
すべての人の顔は、それ自体で最高なのだ!
心の世界がきれいならば、などと言う人は——
心の底ですでに「この世には動かし難い美醜の基準がある」と認めているのだ!
破壊してください。
他者の押し付けてくるものさしを。
そういう価値基準があるから、世界は成り立っているんだ、という人はいるでしょう。でも、その成り立っている世界って、本当に素晴らしいですか?
変えたり、改善したりするところなんてないような、完全な世界でしょうか?
逆に、皆さん「何かがおかしい。何かが変わるべきだ」と思っていらっしゃるのではないですか?
さて、話を大黒摩季に戻そう。
活躍の初期には、さっきの「夏は来る」のような悲しい歌を歌っていたが、その後だいぶ経ってからは、まったく違う本質的な歌を歌っている。
それが、『仮面ライダーオーズ』の主題歌である。
これも、残念だが歌詞は掲載できない。各自で歌詞検索でもして読んでほしい。
いかがだろうか。
夏が来る、とは打って変わった内容である。
この歌詞には、大事なキーワードがある。
●自分の価値は 自分で決めるものさ
この記事で、筆者がが言葉を尽くして語っても、肝心の質問者が心に受け入れなかったら、何もならない。
あなたが、あなた自身の価値を決めるのだ。実は、他の誰でもない。
もし今、あなたが自分の価値が低いと思っているなら、それは、他の誰でもないあなた自身が受け入れ、そう決めているだけだ。
この責任から、どうか逃げないで欲しい。
自分は自分のままで実は良かったんだ。堂々としていればいいんだ。
そう、気持を変えていただけるように願っている。
話は変わるが、旧約聖書に『失楽園』の物語がある。
アダムとエバが、「善悪を知る木の実を取って食べた、というあのお話。
あの話は、私たちに大事なことを気付かせてくれる。
蛇にだまされて、神様から食べちゃいけないと言われていた「善悪を知る木の実」 を食べちゃったアダムとエバは、それまでは自分が裸でも恥ずかしくも何ともなかったのに……
●二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
【創世記3章7節】
つまり、「裸であることは、恥ずかしいことだ」 といういらん知識(情報)を植えつけられてしまったのだ。
では、続きを旧約聖書から引用してみよう。
●その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。
アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。」
【創世記3章8~11節】
最後の神様の言葉、「お前が裸であることを誰が告げたのか?」という部分は重要である。
ここは言い換えると、「裸であることは恥ずかしいことだ、ということを誰に吹き込まれたのか」となる。
もちろん、それまでは天真爛漫に生きていた二人が、「良い悪いという価値判断」を知ってしまったからだ。
ゆえに、それは現在生きている人類の姿でもある。
誰かが、つまり世界が、社会が、大人が、親が、先生が。
悪気はないのだけれど、色々といらないことを吹き込んでくれたおかげで、人は様々なものさしに苦しむ。
ある者は、劣等感を抱き苦しむ。
優越感をもつ者は、じゃあ平和でいいのか、というとそうでもない。
この世界は、ちょっとしたことでも良い位置から転落し得る。
ゆえに、自分の今の優越な位置が脅かされないか、奪われないか、いつもビクビクしているのだ。
善悪の知識の実を食べてしまった私たちは、今変わるべき時代を迎えている。
絶対的基準なんてそこにはなく、あるのは「すべてが最高」という、ただそれだけ。それに気付いた者から、本当に幸せになれる。
心穏やかに生きることができる。
本当の情熱をもって生きることができる。
最後に、この創世記の神になり代わって、あなたに言う。
●あなたが最高でないなんて、一体誰が告げたのか?
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