Q&Aのコーナー第十二回「私って価値のない存在ですか?」

 Q. 


 ずっと感じていたことを質問させてください。

「人間には無駄なひとはひとりもいない」

 という言葉を目にすることがたまにありますが、これは本当なのでしょうか。

 僕は2、3年前までよく、「自分さえいなくなれば、世の中がうまく回る。だから今すぐ消えてしまいたい」ということを考えていました。

 だったら、とっとと死んでしまえばいいのに、と思いますが、痛いことや苦しいことが嫌なので死ぬことはありませんでした。(笑)

 そんなことを今でもふと思うこともあるのですが、本当に無駄なひとはひとりもいないのですか? 

 どうも、そんな気が起きたことが一度もないので、気になって質問させていただきました。もし、よろしければお答えいただければ、と思います



 A.無駄な人がいないのではなく、ひとりしか存在しないのです。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 私も、そんなことを感じてきた一人でした。

 実は、私はかつて『発達障害』と判定された人間である。

 仕事でも人間関係でも、あまりにうまくいかないので、悩んでいた時。

 福祉関係で働いていた私の友人が、「あなたって、発達障害かもよ?」と言ったのがきっかけ。

 早速私は、「アスペルガー症候群」だの、「広汎性発達障害」だのを扱っている書物を読み漁り、「ああ、当たってる! この特徴、私にぴったりじゃん!」

 そしてその足で精神病院へ行って、色々心理試験をしていただき——

 見事に「発達障害」のお墨付きをいただいた。

 ゆえに私は、「精神障害者手帳3級」を所持している。

 まぁでも、3級程度だと、日常生活でそれほど特典はない。

 映画が千円で見れることが、唯一ありがたい特権であろうか。

 


 そんな私でありますから。

 この質問者の気持は、よく分かるのでありますよ。

 でも、私はある時を境に、もう変わってしまった。

 私自身が何か、ウルトラマンが変身するように具体的に変わったわけではない。

 変わったのは、ただ『認識』である。

 私は、どこもなおす必要も変える必要もなかった。

 そもそも、私はあるがままで完全であった。

 今までは、比較対象してきたから、その思考が苦しみを産んできたけれども。

 他人などいない、ということが分かってしまった。

 究極には他人などおらず、たったひとり(ひとつ)の存在でしかない、と悟った。その日から、苦しみの日々は終わった。



 もちろん、苦しみを感じない、とかハッピーな感情しかない、というのとは違う。

 ただ、それらのことを冷静に見つめることができるようになった。

 今では、私が精神障害者手帳を持っている、と明かせば、「ええ~ウソでしょ?」 と言われる。

 そんなものない私が、色々教わりたいくらいなのに!

 そんなに人当たりが良くて、問題なさそうなのに?

 ウフフ。うんうん。そうだろう。まさに、「奇跡」である。

 でも、起こらないのなら「奇跡」とは言わない。起こるからこその「奇跡」なのである。



 今、世間でまだ誰も言ってない爆弾発言をしよう。

 発達障害など、存在しない。

 存在するように見えるのは、人々の信念のせいである。

 意識のありようさえ変われば、発達障害など問題ともしない世界が開ける。

 筆者は、その生き証人である。



 まず、これから説明することをご理解いただくための大前提として、言っておきたい。この世界に本当の意味で存在するのは、たったひとつの存在しかない、ということだ。それを、スピリチュアルの用語で 「ワンネス」 という。

 絶対で、完全で、永遠な一元性の世界のワンネスは、退屈した。

 自分という完全な存在だけでは、何の感動もドラマも生まれないからである。

 そこでとりあえず、わざわざ完全な一である自分を、二や三にしてみようと考えた。ちょっとやってみたら楽しすぎて、二や三どころか、億や兆、いやもっとまで分裂してみた。そうやって生まれたのが、私たちの住む二元性の世界・別名三次元物理世界である。



 ここで、ちょっとたとえ話をしよう。

 あなたは、中学生だ。

 文化祭が近づいてきて、クラスで劇をすることになったとする。

 主役の王子役、誰それ。王女役、誰それ。

 どんどん、役が決まっていって——

 最後に残った「王女にほどこしを要求する乞食の役」が、あなたに回ってくる。



 ……ええ~!乞食の役? 何だかヤだな。



 あなたは、そう思うかもしれない。

 その時に、先生がこう言う。



「確かに、見た目に誰もがやりたい役ではないだろう。

 だが、これはある意味見た目に華やかな役よりも、難しいんだよ。

 役者としての技量が問われるんだ。

 だから、先生としてもこの役をお前にやって欲しい、と思ったんだ。

 きっと、君なら立派にやり遂げてくれる。

 そしてそれは、全体にも大きく貢献することになるんだ」



 そこへ、王女役の生徒が、さらに励ます。



「私も、あなたが適役だと思う。

 何も知らない人は、確かにあなたよりも私をうらやましがると思う。

 でも、本当の立役者はあなたなの。

 あなたがいないと、私の王女役なんて大して人に感動を与えられないわ。

 だから、私からもお願い」



 この宇宙で、あなたが今のような人生を歩んでいるのは——

 ワンネスの中で分裂した部分部分が、私はこの宇宙という舞台のゲームの中の、どの部分を楽しみます・どの部分を担当します・ということを決めているからである。

 ひとつのクラスの中で、王女の役、商人の役、騎士の役、乞食の役……と配役をきめるようなもの。

 当然、そこに優劣は一切ない。

 だってそうでしょ。王女だろうが乞食だろうが、それは役の上だけの話。

 劇が終われば、皆対等なクラスメイトたちなのだ。

 要するに、神的存在の中に含まれる無限とも言える要素を味わい尽くすためには、自分自身を沢山に分裂させて、それぞれに別の分野を担当させて、それをどんどん集約していくほうが早いや、と考えたわけである。



 ですから。

 質問者や私が、この世界でうまくいかないことが多くて、「私なんていなくてもいいんじゃないか」と思うということは、 『そういう役を演じている』のだ、というわけです。

 先ほどの例で言えば、「乞食役を振られた」ということです。

 それは、あなたの魂が劣っているからとか、そんなのは全くの見当違いです。

 今のあなたがなぜそうなのか。それを説明することはできません。

 なぜならそれは、この三次元ゲームで私たちを動かしている超意識の領域なので、ゲームキャラでしかない私たちには知りえないことなのです。



 だから、この世界で私たちにできることは、なぜ自分はこうなのか、なんてことに意識を向けたりして時間を無駄にすることではなくて、今目の前に否定できないものとしてある現実を、ゲームとして楽しみ尽くす、ということに労力を割いていただきたいのです。

 乞食の役を振られてブーブー不満をたれて過ごすのではなく、動きようのない初期設定としてそれが与えられた以上、そこからどうしていくのか、を考えるしかないのです。


 

 今のあなたに人生で与えられている役が、割り振られたものだと言いました。

 でも、人間自我としての自分は、それがイヤだ、別のがいい、と思う時。

 その願いは、かなえることが可能です。

 だから、この世界は面白いのです。宇宙一のゲームだというのです。

 でも、気をつけてください。

 本当にそれができるのは、これまでの人間意識では難しいです。

 自分が、何十億いる人間のひとりに過ぎず、ちっぽけなつまらない存在だ。

 そういう意識では、大きなことは動かせません。

 神意識でないと、大きな変化は引き寄せにくいです。

 自分も他人も、もともと同じ根源的存在から出ている。価値は一緒。

 私は神にも等しい存在。そういう意識の時こそ、あなたはこの宇宙ゲームのコツをつかんだも同然です。

 


 現に、発達障害と言われ職場もリストラされた経験をもつ筆者には、「発達障害?何それ?」というのが、今の私の実感である。

 そんなものは、私の喜びの人生に対して何の力もないのである。

 この世界では、発達障害を問題視し、なおそうとかいう発想の次元に陥っている。

 そもそも、その問題自体が人の生んだ幻想が力を発揮しているだけ、ということに気付くべきだ。以上、質問への答えになっているだろうか?

 まとめとして。

 


 ①無駄な人などいない。実はあなたしか存在しない。

 ②ワンネスは、この世界でゲームをする使命を負った無数のキャラに分裂した。

 ③すべてゲームマスターが割り振った役割なので、そこに優劣はない。大統領も乞食も。

 ④ただ、どうしても納得がいかない場合、思いの力で未来を変えることはできる。



 ただし、④に関しては補足がいる。

 ゼッタイできる、と思ってもらうのは困るからだ。そこを誤解したら、筆者に苦情が来る。あなた、私が神だ、って言ったじゃないですか! 神意識になれば、何でもできるみたいに言ったじゃないですか! 私、結構頑張りましたよ? なのに、何も変わらないじゃないですか! ってな文句が。



●この世はゲームである。

●ゲームは幻想上「他人数参加型」なので、他プレイヤーの動きがあなたの運命に影響を与えてくることがある。それに関してあなたのせいではないが、あなたの力では降りかかってくる運命をどうしようもできない場合もある。



 ゲームは、失敗する可能性があるからこそのゲームだ。

 だから、その可能性も受け入れること。その上で、全力を尽くしなさい。

 たとえ「失敗だ」とあなたが感じる状況になっても、自分を責めないこと。

 あなたは、常に自分に対して最善を尽くしているはずだ。

 責めるなんてもってのほか。よく頑張った、とねぎらってあげなさい。

 自分と和解しなさい。それができないで、神意識などまだ遠い話。



 賢者テラ

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