Q&Aのコーナー第十一回「ノーブラだとよくないですか?」

 Q.


 筆者さんの「無防備こそ最大の武器」という記事を読んで、とてもハートがワクワクしたのですが、どうしても思考が入り込んでくることがありまして……

 私は女性ですが、とてもブラジャーをするのが窮屈なときがあります。

 家の中ではまだしも、外出するときは乳首が目立ってしまうことを恐れてブラジャー無しで過ごすことができません。

 そこにはやはり恐れがあり、ノーブラだと痴漢だと思われるんじゃないか、はたまた痴漢に遭うんじゃないか、ご近所さまに「はしたないわねぇ」と言われるんじゃないか、嫌な思いをするんじゃないかと自己防衛の気持ちがでてきます。

 ノーブラではいられないということに関して、自分はそんな恐れがあったんだ。色んな概念や観念に縛られていたんだ。と発見したのですが、だからといって外出するときも完全にノーブラでいうのはまだ勇気が出なくて、面倒なのですがブラジャーをつけています。

 スピリチュアルの情報を得るたびに、考えが極端な方向へいくこともあり、こういった微妙なラインのところはどうなんだろう。と気になっていました。

 そこでぜひ筆者さんの意見を聞いてみたいのですがいかがでしょうか。

 よろしくお願いいたします。



 A. ブラジャーはつけてください。あなた自身のためにも。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 この質問者は、この作品中の『無防備こそ最大の防御』という記事を前提に質問している。未読の方は、是非ご一読くださいませ。



 これは、ご質問をいただいた時、答えたものかどうか迷いました。

 うう! デリケートかつビミョーかつ具体的で生々しい問題だなぁ!

 しかも、男性の筆者が女性のこういう質問に答える、ってどうなん?

 申し訳ないことに、ご質問いただいてからだいぶ間が空いてしまっていた。

 今日、やっとお答えできる気になったことを、うれしく思う。



 さて、ブラジャー云々という具体的な話は、まず脇へ置いておこう。

 まずは、本質的な話から攻めて、そのあと現実への適応例を扱うことにしよう。

 さて。まずいつものように、この世界の大前提から。

 最初からの読者なら、もう耳タコの話かもしれないが、丁寧に初めからいこう。



 最初に存在したのは、神である意識体である。

 存在したのは、本当にそれだけ。

 完全。そして永遠の静寂——。

 でも、それではあまりに退屈だった。

 主体と対象、という二者が最低でも存在しなければ、自分というものは分からない。無人島に一人でいたら、自分が背が高いのか低いのか、太っているのか細いのか、足が速いのか遅いのか、イケメンなのかそうでないのか、美女なのかどうかとか……比較という行為が一切できないので、自分が分からないのである。

 そこで、神意識はマジでこう願ったのである。


 

●自分を知りたい。知り尽くしたい!



 だから、神意識はそういう動機で、この物理次元宇宙を創造した。

 ビッグバンのはじまりだ。

 言い換えれば、それは壮大なロールプレイング・ゲームの始まりでもあった。

 元々は完璧で、「何かをする」 必要のない存在が、あえて自分を制限し、達成するべき何かを設定し、それを目指しだしたのだ。その達成すべきことというのは、それをもってそのままゲームのクリア条件となり、エンディングイベント発生の条件ともなる。



①この世界で、自分と言うものの可能性・喜怒哀楽を味わいつくすこと。

②この世界が幻想であり、自分は人間(ゲームキャラ)ではなかったと気付くこと。



 ①は、カルマの完全清算を表し、②はいわゆる「覚醒」と呼ばれる状態に至ることである。しかし、皆さんも人生で実感されている通り、簡単にはクリアさせてくれない。当たり前だ。だって、それ(過程)を楽しみに来たのだから!

 ちなみに意地悪な話かもしれないが、その過程は長引けば長引くほどよい。

 永遠の時間を持て余しているのに、たかだか百年そこそこでクリアできるゲームをこさえますか、っての。

 キリストだって釈迦だって、自分一代で悟りまでもっていったわけじゃない。

 それまでの何度もの転生で学んできたアドバンテージがあったにすぎない。



 さて。

 そもそも神だった存在は、自分をわざわざ制限のあるキャラクターに封じ込め、自覚をもったままではスリルもへったくれもないので、自分が完全だという自覚まで消した。

 そこまで、本気だったということである。

 ゲームは世に色々ある。そしてどのゲームにもルールというものがある。

 戦闘機を操って敵機を撃墜するシューティングゲームなら、相手の攻撃をかいくぐってボスキャラを撃墜すれば勝ち。その間に、敵の弾に当たったら死ぬ。三機までは撃墜されてもいいが、それが全部やられたらゲームオーバー。

 スーパーマリオだったら、敵キャラにうっかり触れてしまったり、底なしの穴に落ちてしまったら失敗。

 恋愛シュミレーションだったら、相手の女の子の個性にあった攻略をしないと、バッドエンディングを迎えることになる。

 今あげたような約束事があるから、ゲームは面白いのだ。

 失敗したくないから、といってルールを取っ払って何でもありにしてしまえば——

 そんなもの、もはやゲームとは言えない。



 だから、この世界で生きる上での大前提。



●いくら人間に意志の力・思いの力があるといっても——

 ゲームのルールを壊すようなことは実現できない。



 この世界にゲームを楽しみに来ているのに、そのルールを無視しようなんざ、成り立たない話なのだ。

 あなた、高層ビルの屋上から飛び降りることができますか?

「私は宇宙の王で、中心だ! その私が命じる。重力よ、無くなれ! 私に空を飛ばせろ!」

 そんな風にどんなに念じ、祈っても、飛び降りたらそのまま地面にペッチャンコである。言わば、重力というのはゲームをする上でのひとつの制限であり、ルールなのである。

 サッカーで、キーパーでもないのに手を使いまくったら? ラグビーで前にパスできることにしたら? バスケで、ボールを持ったまま三歩どころか何歩でも歩いてかまわないことにしたら?

 やりやすくなるからといって、そこを曲げちゃもはやスポーツじゃねぇべ?

 ルールを守るから、スポーツは面白いのだ。何でもありなのは、やっていても見ていても面白くない。

 


 重力以外にも、そういった「曲げるのがかなり難しいルール」というものは存在する。今あえて、「かなり難しい」という言葉を使った。厳密には絶対不可能ではないのだが、それを論じると大脱線するので、やめよう。

 時間の流れ、というものもそう。

 朝が来て、夜が来て。天気というものがあって。

 私たちが意志の力を発動させたところで、どうにもならないことというのがある。

 それは、ゲームの舞台設定がそうなっているから。

 その縛りの中でどうするか? が、ゲームの醍醐味なのである。



 さて。

 ゲームキャラが、自分で生み出してしまうゲームのルールというのもある。

 それが、「倫理・道徳」あるいは「社会通念・社会常識」というものである。

 舞台設定の制限以外は自由なのだが。

 自由なはずのところに、自ら進んで作り上げた制限がある。

 例えば、善悪。良い、悪いという価値判断。美の基準もまたしかり。

 その制限はしょせん幻想でしかないのだが、歴史を通して皆が信奉してきたおかげで、宇宙の真理のごとく昇格してしまったのである。

 性的なものに関する倫理道徳もそう。

 人前では服を着なければいけませんね。裸だと、えらいことになります。

 人前での肌の露出も、控えねばなりません。

 先進諸国では随分女性のファッションも大胆になってきましたが、アラブなどの中東諸国に行けば、女性が肌を見せるのは厳禁だし、顔だって見せないところもある。目以外は覆ってしまったりする。

 


 そういう、長い人類歴史を通して培われた感覚というのは、バカにできない。

 何千年もの歴史の重みがあり、人間キャラのDNAに、徹底的にインプットされているのである。

 それを破ってしまうと、自分に不利な状況を招くことになる。

 その深層意識下のホンネは、ちょっとやそっとではどうにもならない。



 今回の質問者の質問文をよく読んでみると、自分に「恐れがある」ということを認めている。

 認めてはいるが、でもブラジャーをつけなければいけない、というのはうっとおしくてイヤだ、というのだ。

 私が、そんなあなたにオススメすることは——



●恐れがあるのなら、それに挑むのはやめなさい



 ……ということである。

 相手をなめちゃいけない。

 相手は、何千年の歴史を経て培われてきた、強力な呪縛なのである。

 あなたが究極まで悟って、まったく恐れがない、というんだったら止めない。

 でも、少しでも恐れがあるのなら、悪いことは言わないから、面倒を耐えなさい。

 イヤだろうが何だろうが、ブラジャーしなさい。

 


 もうひとつ、はっきりさせておきたいことがある。

 質問者が、なぜこのような質問をするのか、である。

 多分、人生本気で喜んでいないな、と思う。

 例えば、あなたがディズニーランドにいるとする。

 めっちゃ、楽しい気分にひたって、今と言う瞬間を楽しみませんか?

 三日遊べる、という時に、その三日間はデイズニーのことだけ考えるのでは?

 その三日が明けた後の会社のことや、近所付き合い上の問題をわざわざ思い出して、どーしよう、なんて考えますか?



●あなたがフォーカスするものが何かで、あなたのゲームレベルが分かる。



 本当にこの三次元世界で喜びをもってゲームしている人からは、そんな質問はまず出てこない。なぜ、私にする質問があえてブラジャーの話題?

 そういう枝葉末節 (ブラジャーが窮屈で云々)など気にならないほどの喜び、あるいは生きる情熱がある。

 もちろん筆者にも、日常生活において「これがもっとこうだったらなぁ」と思うことがないわけではない。でも、あえてそれを本気でどうにかしよう、なんて思わない。だって、『他にもっとやりたいこと』『意識を集中したいこと』があるんですもん。

 だから、その夢を追い、実現を楽しむ過程に置いて、多少の不自由など何でもない。ましてや、少なからず恐れを抱いている物事をあえて意志の力で「引っくり返そう」なんて、考えているヒマもない。

 一応、この世界でのゲームプレイには制限がある。(幻想ではあるが)時間は限られている。もっと、意識を向けることの「優先順位」というものを大切にしてはいかがか。



 ではそろそろ、結論にいこう。



 ①恐れを抱いている自覚のあることに、あえて挑むな。

 ②多少不自由でも、それもゲームを上手に進めていく上でのルール(制限事項)だと割り切る。ブラはしたほうが、要らぬ誤解や問題が生じるのを避けられる。また、それらが生じた時に対応する時間と気力をもっと有意義なことに使える。

 ③そんなことを考えるより、もっと大きな喜びのために生きる。



 多少失礼な物言いになってしまったかもしれない。

 でも、質問に対して全力で答えた結果なので、ご了承いただきたい。

 今日のような質問が出てくること自体、あなたのフォーカスしている世界が 「狭い」ことを物語っている。

 恐れ、という存在は手強い。

 下手に挑戦すれば、返り討ちにある。

 恐れに対抗する一番の手段は——



●相手にしないこと。



 だから、恐れの気持ちを何とかしようとするよりも、無視する。

 そして、別でもっと喜べること、楽しめることを見つけて、そっちにフォーカスする。そうすれば、恐れに構って嫌な気分になることがバカバカしくなることだろう。

 恐れとか、思い通りにならないことに意識を向けるより、喜べること、ワクワクすることのほうに意識を向けるほうがいいと思いませんか?




 賢者テラ

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