Q&Aのコーナー第十回「スピリチュアルの分かったつもり状態を脱するには?」
Q.
筆者さんは、こうおっしゃいました。
……思考の前提が重要である。山が動くわけないと深層意識でしっかり思っているのに「山よ動け」なんて念じてもムダ。働かないと食えないとしっかり刷り込まれているのに、「働かざる者食ってよし」を理解することはムリ。深層意識の改造こそ必要である、と。
では、刷り込みを変えるにはどうしたら良いのでしょうか?
私はいくつかのスピリチュアル系ブログや本を読みました。でも、理解が表層的というか「わかったつもり」が限界のように感じて煮詰まっています。
知識より行動を、という意見も見かけましたが、結局何をすればよいのかさっぱりわかりません。わかったつもりの自分に気がつき混乱しています。
A.そのあなたで、いいんですよ。
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この問いに答える前に、ひとつたとえ話をしよう。
あるところに、悟りを得た女性がいた。
その女性の言葉は、それを聞きに行った人を救うらしいことで、有名だった。
さて、ある男が彼女のもとを訪れ、こう尋ねた。
「心の平和を得るためには、どうすればよいでしょうか?」 女性は答えた。
「こう言い続けなさい。『すべてのことが感謝です。足りないものは何ひとつありません』。」
それを聞いた男は、いいことを教わった、と帰って行った。
その男は、また女性のもとへやってきた。
「三年間もあなたのおっしゃったようにしてみましたが、いっこうに私の心は清まりません。イライラすることも多く、平安など訪れません。どうしたらよいのでしょう?」
すると、女性はこう言った。
「あなたの全てに感謝します。足りないものは何ひとつありません。」
それを聞いた男は、心の目が開かれた。
そして、本当の心の平和を得て、満足して帰って行った。
さて。
私は、質問者の質問を、何度も読み返した。
そして、非常に身近に感じた。
なぜなら、それは一時期の私の姿だったからである。
だから、この質問に答えるということは、自分の過去を整理し、その体験に改めて感謝をすることにもなる。
そういう思い入れをもって、問いに答えてみたい。
個人的な話をここでひとつ。
若い頃、筆者は某新興宗教にはまっていた。
オウムではないが、結構ぶっとんだ理論を説くところだったので、家族とモメた。 色々あって、そこは脱退。その経験から宗教自体がイヤになり、その後七年間そういうものに目を向けなかった。
でも、リアル仕事に精を出すほど傷付き、今度は新興宗教ではない『既成キリスト教会』 に救いを求めた。
でも、聖書を勉強すればするほど、また疑問が。
聖書で表現されているような神が、本当に神だろうか?
神が完全なら、なぜ人間に堕落する可能性を与えた?
完全なる神が、この世界を創ったことを後悔して、ノアの洪水を?
神の子イエスを十字架で死なせることで、人類の罪をあがなった、という。
そんな手段でないと、人類を救えなかったのか?
人類を救うためとはいえ、自分の子どもの命を捧げさせる親が、神なのか?
神は、なぜ今の世界を見て干渉したり、すぐに救われたりしないのか?
実は、キリスト教なりに、これらの質問に対抗するための学問というものが成立している。私は、それをひととおり勉強した。だから、たいがいのツッコミには対応できる。
でも、それでも。そのテキスト通りの答えから、何か「無理くり感」がぬぐえないのである。
……この理屈、ちょっと強引じゃ?
そんな気持ちを誤魔化せない中で出会ったのが、『神との対話』という本である。
スピリチュアルの世界に初めて触れた私は、衝撃を受けた。
ここに書かれてあることって、私がキリスト教の理屈では納得できなかったことを、すべてカバーしているじゃないか! すごい教えだ!
その時、私はこれが最終的な真理だと思った。
そして私は、「神との対話」 に関するセミナーに顔を出すようになった。
かなり皮肉な話であるが——
そこの参加者との会話の中で、「奇跡のコース(ACIM)」という教えの話になった。何でも、アメリカのある大学教授にイエス・キリストが現われて書かせた内容だということだ。
知らなかった私は、家に帰って調べ、その関連の本も取り寄せた。
衝撃的だった。
神との対話よりも、こちらが真理だとゾクゾクした。
心底奇跡のコースに心酔した私は、神との対話からこっちへ乗り換える形となった。多分その状態が一年半続いた。
奇跡のコースを学びながら、疑問が出てきた。
『エゴ、ってそんなに悪者?』
この世を幻想幻想言うけど、現に目の前にあるんだし。
「私は正しくものを見れてません」なんて意識するより、純粋に目の前のものを楽しんでいいんじゃないの?
そんな疑問を吹き飛ばしてくれたのが、Manaという透視チャネラーが提唱する『空』という理論だった。
奇跡のコースはこの二元性の世界を開いたことを「良くない」イメージで説明しているが、こっちのほうは大胆に「完璧が飽きたので、ワクワクして楽しむため」と、肯定的にとらえているのが心に響いた。
お金とかこの世的な喜びとかを積極的に肯定しているし。
「私はお金が大好きです!」
「地位も名誉も大好きです!」
そんなことを宣言するように推奨している。
どちらかと言うと罪とか、禁欲とか、高い霊性とか、そんなことばかり気にしてきた私には革命的だった。
そして、やはり同じ事を繰り返した。その先生のセミナーに行きだしたのだ。
そんなある日。
今まで外のすごい先生、尊敬できる師を追いかける生活だったのが、自分が特殊な体験から覚醒体験をし、もう外に師を必要としなくなった。
そうなった私には、あの疑問、この疑問に対する答えが、本や人の教えではない自分の内側からポンポン出てきた。
ここで、私は悟った。
もう、神との対話も、奇跡のコースも、空理論も必要ない。
それは補助であって、本当の真理は私の中にあった。
もちろん、これまでの私の肥やしになった教えの数々には感謝する。
でも、私自身がその信奉者であるかのような行動からは卒業した。
受けることはもう終わった私は今、賢者テラと名乗り、発信だけをしている。
もう、知的探求は必要なくなったからだ。
自分の外に真理を探す旅は、終わった。
これからは、人間意識ではなく「神意識」で生きる時代なのだ。
話が長くなったが。
これが、私が賢者テラとして活動を開始するまでの、魂の遍歴である。
この、覚醒までの期間、私は満たされてない感覚を抱き続けていたと思う。
自分に何かが足りなくて、必死でその穴を埋めようとする感じ。
だから、何かの教えに感動しても、もっともっと、とさらにむさぼる。
さらに、何か自分を満足させてくれるものを探す。
幸いにして、私の場合はある時点で覚醒が訪れたのでスピリチュアルめぐりが終わりを告げた。でももし、その体験がなかったら、今も何かの教えを追っかけて、セミナーに出続けていたかもしれない。
推測で申し訳ないが。
過去の私と、この質問者に共通していることがあるとするならー
●自分に、何らかの「欠け」があると思っていること。
今の自分では不十分で、何とかしなければ、という焦りがあること。
今のままでい続けたら、私は評価されない。価値のない人間になってしまう、と思っていること。
スピリチュアルを学びながらも、自己啓発をやりながらも変われない、という問題の背後に、この「不足感」がある。
ホンネの部分で、「今の私はダメだ」と思っているので、当然そういう外的な物理的現実を生み出す。
以前のQ&Aでも書いたが、現実とは「実(じつ)を現す(うつす)」と書く。
自分がホンネ(深層意識)で思い込んでいるその内容がコピーされて、この現実に現象となって吐き出されてくる。
だから、理屈だけ学んで覚えても、大して人は変わらない。
本当に変われるのは、本当にちょっとしたきっかけ。
自分のものの見方について、(理屈や考え方という、脳内の遊びレベルではなく) 変えることを受け入た時こそが、変われるチャンスなのだ。
最初に紹介した、悟った女性と、心の平和を求めても得られない男の話を、思い出してほしい。
男は、まずどうしたらいいか、という「知識としての方法」を教わった。
男のホンネは、まだちっとも変わっていない。
「……ああ、おれは短気で、イライラしやすい男だ。こんなオレが、本当に変われるのだろうか?」
きっと、本人は気付かなくても、そういうホンネが意識の下に隠されていたはずだ。だから、知識をもって表面をなぞるだけでは、男はホンネを変えられなかった。
では、なぜ悟った女性の言葉を聞いて、男はパラダイム・シフトを得られたのか?
女性の言葉を、思い出してみよう。
「あなたの全てに感謝します。足りないものは何ひとつありません。」
つまり。男は、感謝します、足りないものはありません、と口で言いながら、実は本当は足りない、足りないと思っていたのである。
でも、悟った女性が指摘したことは……
●その足りない、足りないと思っているあなた自身のままで、実は足りているのです。それでいいのです。あなたのそのままが、実は完璧なのです。
あなたが葛藤しているそのことも含めて、ありのままのあなたが感謝だというのです。今のままじゃだめだ、変わらなきゃと自分を追い立てなくていいのです。
男はその言葉で、いかに自分で自分の首をしめているか、理解した。
そうか。自分が「これではダメだ」という思いがあったから、言葉だけ変えてもムダだったんだ。
私は、あるがままでよかったのだ。
自分は、オーケーだったのだ。
その安心感、安定感を土台としてのみ、本当の心の平和が得られるのだ。
不足感や欠乏感をもったまま精神修養しても、ムダだったのだ。
ザルで水をすくうようなものだ。
まとめとして、質問者に私がアドバイスできることがあるとするなら。
あなたは、何かしないと立派になれない、なんてことはない。
何か条件をクリアしないと愛されない、なんてこともない。
ただ、ご自分を受け入れてください。
キライな部分を持ったままでいいのだ、ということを腑に落としてください。
心を、完全に解き放って、一切の頑張りや力みから自由になってください。
ムリに何かしようと思わないで。
心は正直です。本当に何かしたくなれば、そう主張します。
その時に動くだけでいいです。
最後に、付け加えとして。
●人間は、自分の利益になること以外は絶対にしない。
このような法則がある。
一見、自分が損をするような、捨て身の行動をする人がいる。
例えば、リストカット。
あれなど、もっと人に見て欲しい、愛されたいという気持ちの表れ。
だから、結局あれも自分の利益のためにやっている。
自己犠牲愛も、はっきり言ってそう。
子どもために、命を投げ出す親。
主君のために、身を呈して戦う家臣。
すべてやりたくてやっているのである。
それ以外の、何者でもない。
自分が、その行為によって満足を得られるからだ。
死、というものに目くらましをされて、あのひとはすごい、とか愛に生きた、とか言うが……実際は、したいようにした、ただそれだけ。それで自分が得をするからやった。
一体、何が言いたいのかというと。
これは、ひとつの可能性でしかないが、質問者は悩んでいる、苦しんでいるようでいて——
●実はその状態にい続けることで、何らかの利益を得ている
……という可能性がある。
私の周囲にも、ひとりいる。
問題を色々起こし、私なんか……といつも言い、自殺をほのめかす。
そして周囲が必死に話を聞いたり、慰めたり。
それがもう、何年も続いている。
本人には、多分悪気はない。
つまり、そのままが心の深い部分で「居心地が良い」のだ。
皆心配してくれるし、かまってくれる。
要するに、変わる気がそもそもないのだ。
私としては、この質問者が本当に変わりたくて悩んでいるのだ、と信じる。
しかし、このケースの可能性もゼロではない、ということは指摘しておく。
色々言ったけれども。
どう転んでも、あなたの神としての価値は揺らがない。
傷つけることはできない。
でも、この三次元ゲームの主役はあくまでも『あなた』なのだ。
あなたが、決めるのだ。
それに、あなたの宇宙も従う。
私にできるのは、ここまで。
あなたの旅路の幸せを、信じます。
賢者テラ
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