他人はいない
今回は、『他人はいない』ということについて考えてみよう。
「え~ウソ!いるじゃん、現に!
それに、人の考えてることなんてゼンゼンッツ分かんないし!」
そういう声が聞こえてきそうである。
例えばの話。あなたの目の前に、キライな人物が現われたとしよう。そして、何か余計なことを一言、言っていく。
「あなたって何でそんなに物分りが悪いの?」
「まぁ、最近しわが増えたわね~悩み事でもあるのかしら?」
「この前のあんた、あれはダメね。ああいう時は自信なさげにしないで、もっと毅然としてなきゃ!」
「それって、結局原因はあなた自身の弱さじゃない?」
以上、カチーンとくる一言の例を挙げてみた。
そういう時、あなたはどう反応しますか?
普通の反応として——
腹が立つ。ムカッと来る。(同じかw)
で、相手がさらにキライになる。
でも、よく言われる「覚醒した(悟った)」人、と言われる人種はどうか。
驚くべきことに、「相手は自分」に等しいと考える。つまり、自分の心の反映であり「鏡」だと見る。
だから「他人が自分の悪口を言った」のではなく、私がその人に、自分が心の底で思っていたことを『言わせてしまった』。そのように考えるのだ。
『他人というものがいて、それは自分とはまったく関係のない意思を持ち、こちらにはどうにもできない』
このように考えるのは、常識としてはOKでも真実ではない。
一見、そのように見える。だから、他者が思うとおりにならない苛立ちから、ケンカが起こる。それが大規模になったのが、戦争だ。
言っても分からんし心も通じないと思うから、力でねじふせるのだ。しかし、実は「他人は私」なのだ。私の心を映す、鏡なのだ。
テレビニュースや新聞で、政治の汚職を見たら。
殺人事件や災害を知ったら。
芸能人のスキャンダルを知ったら。
北朝鮮のミサイル発射を知ったら。
普通は、朝のワイドショーのコメンテーターみたく——
「けしからん!」「渇!」「腐っとる!」「どげんかせんといかん!」
……というリアクションになる。
でも、それは実はドツボにはまっているのである。
自分の心の世界を、外に映写して見ているに過ぎないのだ。
だから、自分の外の世界に問題がある、と考えてはいけない。
自分の中にある、ととらえて自らを省みるのだ。
そして、自分の中のそういう部分を、受け入れる。
●愛して、赦す。
それを、スピリチュアル用語で『統合』と言ったりする。
ACIM(奇跡のコース)という教えでは、この「赦し」を重要視する。
それこそが、私たちがこの世界にいる目的なのだ、という。
さて。
この文章をお読みなって、自分の価値観に合わないので、あなたの感情が乱れたとする。そこで、その責任を私にとらせようと、「あなた間違ってます!」と否定的なコメントを寄せてくる人がいるとする。
私は別に平気だが、あなたのために、愛から言う。それでは、まさに罠にハマッていますよ、と。
あなたにとって、私は「あなた」である。筆者という人物(他人)が、あなたにとって気に食わないことを書いた、という現象としてとらえるのは、この世界では正しい。常識だ。でも、真実はこうだ。
●あなたの深層意識が、私にこれを書かせ、あなたの目の前に出現するようにお膳立てした。
つまり、これはあなた自身が招いたことなのだ。
あなたの身の回りに起こること、すべてそうだ。
例外はない。
ある意味全部、自分で引き寄せている。
ええっ、こんなこと願った覚えはないけど? という現象もあるだろう。
でもそれは、あなたの表層意識が自覚していないだけで、心の奥底で実は期待していたり、恐れていたりすることだったりする。
全部ちゃんとした起こる理由がある。
ですから。
あなたがこの世界でいちいち起こることについて腹を立てる前に。
それを問題視して、敵と見なしてしまう前に。
それもまた自分なんだ、と思いましょう。
それが実行できる世界は、どれだけ喜びと平和に満ちたものであることか!
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