最後の告白

 夏愛は、政俊が指をかけた前開きワンピースのボタンを自ら外して、上半身を政俊に晒した。満月の光が彼女の体をはっきりと見せた。

 彼女の胸には、政俊があると思っていた乳房は無かった。そこは魚のエラのようになっていた。そして胸から腰にかけても、鱗で覆われていた。


「ナツは……人食い魚人なの。この島に……北の村に上がった、最初の人食い魚人」


 政俊はただただ驚いたが、同時にその姿を美しいと感じていた。そのことは、夏愛にも伝わっていたようだった。


「もとは海の底に住んでたの。でもずっと水面から漏れる太陽の光に憧れてて。地上に出たい、地上に出たいって願ってたら、手足が生えてきて。それで、ある夜、思い切って陸に上がってみたの。そしたら人間たちに見つかって、乱暴をするから、抵抗して、食べてしまったの。何人も食べてたら、手や足に指が生えたり、水の中に戻らなくても楽に呼吸ができるようになったり、どんどん人間みたいになっていくことに気がついたわ。だから時々夜中に海辺で人を襲って、食べて、体を人間に近づけて。ある夜、一気に陸に駆け上がって、顔や肌は魚のままだったから人間は襲ってきたけど、その人たちを薄暗い山奥に引きずり込んで、食べて、また食べていたら、見た目はほとんど人間と変わらなくなっていたわ」


 政俊は、ただ黙って、一言も漏らすまいと必死に彼女の言葉を聞いていた。


「でも体の外側の変化に中身が追いつかなかったのか、山を超えたあたりで倒れてしまったらしいの。そこを、あの先生に助けてもらって」


 先生とはあの女医先生に違いない。政俊はそこではじめて驚きの声を上げた。


「え!じゃあ、女医先生はナツの、その、秘密を、知ってて、ずーっと一緒にいたの?人間として一緒に」


「そう。人間としての生活も、言葉も、全部先生が教えてくれたの。研究対象として興味深いわ、なんて笑いながら。実際、島に来る前はどこかの偉い医学博士だったって言ってた」


 ここまで話を聴いて、ある疑問が浮かんだ。訊くべきではなかったのかもしれないが、夏愛のことを知るためには、避けて通れない問いだと政俊は考えた。


「じゃあ、北の村に時々上がってくる人食い魚人って……」


 夏愛はしばらくの沈黙の後、「仲間よ」と答えた。


「人間みたいな関係性は無いけど、同類という意味では、仲間ね。北の村の半鐘がなるたびに、ごめんなさい、ごめんなさい、ってずっと心の中で叫んでたわ」


「そうだったんだ……つらかったんだね」


 夏愛は驚いた。


「軽蔑……しないのね」


「他にどうしようもないじゃないか」


 二人の間にしばらくの沈黙が流れた。

 再び言葉を発したのは、夏愛。


「ナツのこと、嫌いになった?北の村の人たちを食い殺して、あとから来る仲間を見殺しにして……」


「そんなふうに言わないで。僕にとっては、この世でたったひとりのナツなんだ。僕に微笑んでくれる、僕の存在を認めてくれる、ただひとりの女の子。これからも、ずっと一緒にいようよ。この島でずっと一緒に暮らそう」


 夏愛はしばらく黙ったのち、言った。


「それはできないの」


 えっ?と政俊は驚く。


「なんでさ。ようやくナツのことわかったのに。わかった上で一緒にいたいって思ってるんだ。僕には……ナツしかいないんだ」


 泣きそうな表情になる政俊を見て、夏愛が言う。


「違うの。私のせいなの。私は……あと一年くらいしか生きられないから」


 政俊はさらに驚く。


「……何かの病気、なの?」


「ううん……寿命なの。先生が言うには、私の年齢はだいたい十五か十六くらいで、だから人間としての姿もそのくらいの歳の見かけになったって言うんだけど……魚の寿命もだいたいそれくらいなんだって。人間になりきれてない私は、もうそろそろ死ぬ頃なの」


「そんなの……そんなのないよ。せっかく出会えたのに。ナツは、僕をまたひとりにしちゃうの?」


「そんなこと……言わないで」


 今度は夏愛が泣きそうになっていた。


「寿命を伸ばす方法はないの?完全な人間になれないの?もう一人くらい誰かを食えば……!」


 政俊はそう口にして、非道いことを言ったと後悔した。


「そう……また人間を食べれば、今度こそ本当の人間になれるかもしれない。でもこの島で生活して、島の人みんなと仲良くなってしまって、もう誰も食べることができない……」


 夏愛は泣き出してしまった。

 政俊は夏愛を抱き寄せ、背中と頭を撫でていた。

 

 そして、ごく自然に、政俊は言った。


「ナツ、僕を食べてよ」


 そう聞いて、ハッとしてすぐにナツは言った。


「何を言ってるの」


「そうしたら、ナツはずっとこの島で生きていける」


「そしたらマサは死んじゃうじゃない!」


「死なないよ。ナツの中で生き続けられる。いつもナツと一緒にいられる」


 それを聞いた夏愛は政俊の胸でワッっと泣き出した。


「なんでそんなこと言うの。人間は五十年も百年も生きられるって言うじゃない。なんで命を投げ出すの」


「誰にも存在を認められず望まれず、愛されないで生きることが、僕にとっては幸せに感じられないんだ。だから自ら命を絶とうとした。でもナツと出会って、僕の存在をそのまま認めてくれたことで、僕はもう一生分のしあわせを手に入れたよ。だから、このあとの僕の命はナツに使って欲しい。僕の分も生きて欲しい。人生でいちばん大切な人のために死ねるなら、僕は幸せだよ。永遠にナツと一緒に生きていけるんだから」


「ナツはどうなるの!ナツをひとりにしないで」


「ひとりじゃないよ。ずっと一緒だよ。これからの人生、ずっとナツと一緒に生きていけるんだよ。ナツが僕より先に死んじゃったら、僕はまたこの世でいらない存在になってしまう。そうなるくらいなら……」


 夏愛は、やだやだ、マサを食べるなんてできない、と駄々っ子のように泣く。

 政俊は、夏愛に決断を促すつもりで、強く言った。


「君が生き続けられるなら、僕は君の最後の男になりたい」


 その言葉に夏愛は、ヒック、ヒックと、涙を止めようとした。


 二人は見つめあって、お互いの決意を確認しキスをした。


 政俊は全裸になり、衣類は海に捨てた。


 夏愛も全裸になり、白いワンピースは離れたところに置いた。血が付かないように。


 全裸の政俊は横になり、夏愛を抱き寄せた。最後の、長い長いキスをした。


 夏愛の唇はそこから顎や耳やうなじを名残惜しむように舐め回し、首筋に舌を這わせた。


「マサ」


 夏愛は涙を止めることができなかった。


「またすぐに会えるから。いや、お別れじゃない。これからはずっと一緒なんだね。普通に噛じられたら痛いから、ガツっと一発でな」


 うなずくと、夏愛は首筋をガブリと齧り、あたりは血の海となった。



 翌朝、その岩場には大量の血の跡だけが残っていた。

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白いワンピースの少女と人食い魚人 上伊由毘男 @skicco

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