24話 虹色の夢
――冷たい。
全身が凍えてしまうような、そんな寒さ。
周りには誰の姿も見えない闇の中。
体は冷たさを、心は寂しさを感じていた。
「ねぇ……誰か居ないの?」
その問いに対して、誰からも返事は無い。
どこを見渡しても、誰の人影は見えない。
「誰か……誰か居るんでしょ! 迅っ!」
――ガバッ!
光が目に飛び込んで来る感覚と、人の体の温もり。その両方を感じ取った直後。
「は……は……ハックション!」
「おわっ!?」
ズズズと鼻をすすると、ようやく目の前に座っている者の存在に気が付いた。
辺りを見れば、そこは宿の部屋。今居る場所はベッドの上に居る。
ボーッとする頭をブンブンと横に振って、ようやく自分が寝起きだと認識する。
「あ、迅じゃなくてサキモリだったんふぁ……クシュン」
「お前さんなぁ……」
レイに抱きつかれた状態で、渋い表情をするのは森崎。
抱きつかれた瞬間はその感触に驚かされたが、二度も鼻をかけられてはそんな顔にならざるを得ない。
「丸一日寝てたんだ、腹も減ってるだろ。何か食うか?」
「うんっ、でも喉渇いてるから何か飲みたいな」
レイがそう言うと、森崎はすでにセットしてあったバーナーに手をかけてお湯を沸かし始める。見れば、そのすぐ傍らには湯気の立つコーヒーカップが置いてある。
「サキモリ、コーヒー飲んでたんだ」
「ああ」
「ふーん、じゃあそれ頂戴」
「悪いが飲みかけだ、沸くまで待っとけ」
コーヒーカップを片手に、レイの側へ歩み寄る森崎。
オデコに手を当てて、熱の具合を測る。
「もーらいっ」
「あっ!?」
そんな森崎が手にしたコーヒーを、レイはササッと奪い取る。
ごくごく、ゴクン。
香りが自慢のコーヒーを、喉で流し込むように飲み干した。
「お前さん熱があるのにいつもより……いや、熱があるからテンション高いのか?」
「えっへへー」
苦笑いする森崎と、満足そうに微笑むレイ。
そんなレイを見て安心したのか、森崎はいつもの様にタバコに火を点ける。
フゥーッ。
レイの居るベッドとは反対方向へ息を吐き出し、タバコを咥えたままバーナーの火を止めて新たなカップに湯を注ぐ。
クエッ、クエッ!
「あっ、クック」
少し開いていた窓から、クックが飛んでやって来た。
レイが起きた事が喜ばしいと言わんばかりに、バタバタとせわしなく翼を動かして羽ばたいてみせる。
コホン、コホン。
レイの頬は赤い。熱が出ている事は、それだけで分かる。
「そういや起きたら薬飲ませとけって言ってたな、ほれ飲んどけ」
自分の分のコーヒーを淹れるついでに、レイの手にしていたカップにもコーヒーを。そしてカプセル状の薬を差し出す森崎。
ゴクン。
ずっと寝ていたせいか、相当喉が渇いていたのだろう。新たに提供したコーヒーも、薬と一緒にすぐに飲み干していた。
「ホーケンの奴が医者を呼んでくれてな、とにかく薬飲んで飯食って寝とけってよ」
「でも、まだ眠くないよ?」
「風邪で一日寝込んでた病人に権限はねーよ、すぐ飯にすっから待っとけ」
コーヒーを淹れるのと同時に、鍋に火を掛けていたようだ。
食器を用意した森崎は、うどんの入った袋にナイフで切れ目を入れる。
「ねぇ、サキモリ」
ベッドの上から、レイはうどんを作る森崎に話しかける。
森崎の返事を待たずして、レイは言葉を続ける。
「あの子は……あの女の子は?」
「…………」
質問に対して、森崎の返答は無い。いや、無言の答えを言っているのだろうと、レイは不思議とそう思った。
トン。
テーブルにうどんが配置され、レイはもそもそとベッドから体を動かした。
ずずず。
温かいうどんは寒気のする体に、熱っぽい頭に優しい味がした。
「元々な、病気がちな子供だったらしい」
「そう……なんだ」
うどんをすすりながら頷く。
声のトーンが僅かに低い。それでもレイは、森崎の言葉を待っているのがわかる。
「体調崩して無理して山に行って、その上あんな雨の中に長い時間さらされていたからな。あの後病院連れてった時にはもう……」
「うん」
もっと驚くとか、泣くとか悲しむとかのリアクションを想像していた。
そのどれとも違う、笑顔。心の底から笑っているわけではないだろう、事実を受け入れている表情。それを森崎に見せ付ける。
「ありがと」
「?」
何故礼を言われたのか、全く分からない森崎は首を傾げた。
そして、やはり熱が高いのではないかと再びオデコに手を当てる。
ガチャ。
唐突にドアが開かれ、そこからはスーツを着た男の姿。
「ようレイちゃん、お目覚めのようだな……っと、お邪魔しちゃったようだぜ」
レイと森崎の距離。
知らぬ間に顔と顔がくっつきそうなくらいに急接近している二人を見て、ニヤニヤと茶化すホーケン。
「ばっ、バカ言うな。熱を診てただけだ」
「へいへい、そゆことにしとくぜ。それより、ちゃんと薬は飲んだかい?」
部屋にホーケンが入ってきて、慌ててレイとの距離を取る森崎。その照れた顔が可笑しかったのだろう、にやけ顔は収まらなかった。
「お医者さん呼んでくれたのホーケンだよね、ありがと。お薬ちゃんと飲んだよ」
「なぁにお安い御用だぜ……って、薬の後に飯を食わせてるのかよ! しかもコーヒーが入ったコップしかないって事は水で飲ませてないのか! 用法用量守ろうぜおい!」
薬の入った袋を森崎に突きつけると、そこには食後三十分以内だとか水またはお湯で飲んで下さいだとかの注意事項が記載されていた。
しまった!
そんな顔をして、咄嗟に注意書きから目を逸らす森崎。
苦い表情をする森崎。呆れるホーケン。そんな二人を見てクスクスと笑うレイ。
ガチャ。
「あっ」
なごやかな時間を遮るようにして、聞こえてきた音。
ドアを開けて入ってきたのは、金髪の女性。ナギだった。
「あら、ようやくのお目覚めね」
「う、うん」
ナギが部屋に入ってきてから、ある事を感じたせいだろう。レイは言葉を詰まらせながら返答する。
血の匂い。
鼻づまりのレイでも感じられるそれが、手にしている薙刀から香っていた。
「誰かを……殺したの?」
「はんっ、ちょっとプライベートでね」
ドサッとベッドの上に腰を下ろして、レイの顔を見据える。
不安そうな顔はしていない。それだけ確認すると、フッと視線を外へ向ける。
「もう聞いていると思うけど、迷子になったガキは死んだわ」
「うん……サキモリに聞いた」
「それ、本当はアタシが殺した……って言ったらどうする?」
再びレイに顔を向ける。
鋭い眼光。
ナギと初めて会う者でも、人を殺した事のある目だとすぐに感じられる瞳。
「……ありがと」
「はぁ?」
その威圧感に臆するわけでも、プレッシャーに潰されるわけでもなく告げる。
白い微笑み。
褐色の肌も、鈍色の曼荼羅模様も見えなくなるくらいの真っ白な微笑み。その笑顔と共に、レイはナギに言葉を伝える。
「あの子がそう言ってたから。優しくて温かい声で、捜してくれた皆に対して」
ジッと手のひらを見つめてから、ゆっくり目を閉じて思い出す。温かい、柔らかい小さな指先が教えてくれた。最期の言葉を。
「あの子は最期に、そう言ってたから。だからナギが一人で悪者になる必要なんか全然ないんだよ」
「……はんっ」
きっとナギなりの気遣いだったのだろう。
自分が殺した事にすれば、山に行った行かないは関係無くなる。レイは負い目を感じる必要が無くなるから、あえてそう言ったのだろう。
こてん。
ベッドに座っているナギの膝元に、頭を乗せて倒れ込む。
「えへへ、ナギ。ありがとう」
「熱があるのにあんまり近寄るんじゃないわよ、汗臭いったらないわ……もうっ、風邪が治ったらちゃんと風呂入んなさいよね」
膝に寝転ぶレイの頭を、ペチペチと叩くナギ。そんな態度を取りつつも、表情だけは柔らかいものへと変わっていた。
「……ナギ」
「今度は何よ?」
膝枕された状態で、レイは静かに目を閉じる。
視界は黒に閉ざされる。だけれどほんのりと白い光が視える。温かい光が。
「……って、寝るならちゃんとベッドで寝なさいよ!」
すぅ、すぅ。
小さな寝息を立てて、レイはそのまま眠りについてしまった。
ため息混じりに呆れつつ、それでもナギは静かに布団をかけてやる。
熱で体は辛いはずなのに、レイの寝顔はそれを微塵も感じさせなかった。
旅路で見つけた様々な色。
きっとそれらを思うがままに使っての、虹色の夢を見ているのだろう。
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