23話 手のひらに聞こえてくる声

 ――夜。


 雨具に身を包み、山の入り口に辿り着いたレイと森崎。暗がりに光をもたらす懐中電灯で辺りを照らしても、幼い少女の姿どころか人っ子一人見当たらない。


 大荒れの悪天候で、土地特有の冷たさ以上に体は冷える。小さな子供の体力なんてすぐに奪われてしまうだろう、一刻も早く見つけ出す必要がある。


「……行こう、サキモリ」


 そう考えたら思わず駆け出したくなる状況だが、グッと手を握り必死に衝動を抑える。山の入り口を見据えて、レイは深く息を吸った。


「子供の足なら、そう遠くまでは行ってないだろうが……」


 山道を歩く中で、森崎は辺りを見渡した。


 急な坂道や、入り組んだ獣道にはなっていない事。人を捜す状況においては幸いかも知れないが、それは同時に子供でもある程度は歩ける道である事を意味する。


 捜索範囲は広い。視界は優れない。地面もぬかるんでいて歩き辛い。全ての条件が最悪だ。


「クソッ、どこいやがるんだ」


 懐中電灯でどこを照らしても、見えてくるのは変わり映えの無い景色だけ。


 岩。土。木。川。


 どこに迷い込んでいるのか、まだ無事なのか見当もつかない。


 似たような景色ばかりを見ていると、不安な気持ちは募っていく。


「あっ!」


「見つかったか!?」


 突如、レイが指を差して声を上げる。


 森崎がその方向に光を照らすと、そこに見えているのもまた、光だった。


 ザッザッザ。


 湿った砂利道を通る足音。


 それも一つや二つでは無い。もっと多くの足音が聞こえてくる。


「おおっ、あそこに子供が居るぞ!」


「ありゃ違うだろ、もっと小さい子だって言ってただろう」


「きっと俺達と同じく、この人達も捜索に来てんじゃないのか」


 いくつもの懐中電灯の光が近付いてきて、それはようやく人の姿を写し出す。


 レイや森崎と同様、雨具に身を包んだ者達。


 施設の職員ではない。レイには見覚えの無い顔ぶれが、こちらに近付いてきた。


「お宅さん早いねぇ、どうだい行方不明の子供は見つかったかい?」


 壮年の男性が森崎に話しかけると、首を横に振って答える。


 それを見た男性は、少し目を細めて頷いた。


「なぁお前さん達……もしかして、子供を捜しに?」


 森崎が問いかけると、男性は目を丸くして驚いた。


「なんだい、お宅さんトコにも来てたんじゃないのかい? サラリーマンみたいな風貌で色眼鏡かけた兄さんと、刃物を振り回す金髪の女が」


「サラリーマン風の男と金髪の女……ってぇと」


 男性の話している人物。それがホーケンとナギの事を言っていると理解するまで、そう時間はかからなかった。


 そんな森崎達の話を聞きつけてか、別の男性が近寄り。


「ビックリしたよなぁ、いきなり長い刀みたいなモン突きつけられて。そんでもって山へ子供を捜しに行けって言うもんだからよぉ」


「聞いた話じゃその女、断った奴は問答無用で殺しながら町中回ってるらしいぜ」


 集まった者達が、口々にナギの事を語る。


 その話を聞いた森崎は、呆れてため息を吐く。


「ナギの奴め……いくらなんでもやりすぎだろ」


「あはは、大丈夫だよ」


「あん?」


 レイは笑っていた。つい先ほどまでは、険しい表情を見せていたレイ。今はすっかり落ち着いた様子で、微笑みかける。


「確かにナギは破天荒だけど、今は人手が要る事をちゃんと分かっているから。だからその為に、わざと恐い噂も一緒に流しているだけなんだよ」


 集まった人々。


 中には脅されて渋々来ている者も居るかも知れない。しかし行方不明の子供を捜す為に大雨の中で必死になっている者が居るのも、また事実。


「俺はもう少し上の方を見てくる!」


「じゃあ僕は向こうの岩場を捜しに行きます!」


「小さな子供が迷子になってんだ、早く見つけるぞ!」


 必死の捜索。決死の表情でそれを取り組む者達。


 まだ成果は挙げられていないのに、レイはそんな人々を見て打ち震えていた。


「不思議だな、世界はこんなにも鈍色なのに……この人達は輝いている」


 レイの顔。


 安心しきった笑い顔は、ほんの少しだけ濡れていた。


 それは雨のせいなのかそうでないのか、とにかく目元は潤んでいた。


 濡れた顔をタオルで拭うと、レイは再び捜索を続けた。





「――おーい、こっちに何か落ちてるぞ!」


 捜索を始めてしばらく時間が経った頃、岩陰を捜索していた男の大きな呼び声。その声を聞いた者達は、一斉に注目する。


 男は高々と、拾い上げた物を掲げた。


 本。


 それも子供が読む絵本だった。


「あの子のだ!」


 ザッザッザッザ!


 大急ぎで、レイは本を見つけた男に近寄り絵本を確認する。


 周囲の人々は頷き、この近辺の捜索を開始した。


「間違いない、きっとこの近くに……っ!」


 キョロキョロと辺りを見渡した直後、レイは突如駆け出した。


 ザザザザザーッ!


 柔らかい大地を滑るようにして、ゆるやかな斜面を下る。


 獣が獲物を追い詰めるが如く果敢な動きを見せて、レイは雑木林の奥に倒れ込む人物の元へ辿り着いた。


「ハァ……ハァ……ここに居たんだね」


 子供。幼い少女。捜していた人物が、そこに倒れ込んで居た。


 足を捻っているのだろうか、捻挫して腫れている様子が見られる。そして地面には、その小さな体の跡が道になっている。


「そっか、私たちに気付いてたんだね」


 真っ暗闇の中で見えた、いくつもの懐中電灯の光。人が造ったその光は、少女の道標となっていたのだろう。


 声の出せない少女が、自分の居場所を知らせようと。なんとかしてその光へ近付こうとしていた事は、聞かずとも地面に残った跡を見れば理解出来る。


「とにかく良かっ……た」


 バタン。


 地面が急に近付いてきたかと思えば、身体に力が入らない。不思議な感覚。安心から訪れる脱力感が、レイの全身を襲っていた。


「……あ……れ?」


 意識が朦朧とする中で、いくつかの音が聞こえてくる。


 雨の音。風の音。時折聞こえてくる雷の音。


 少し離れた所から聞こえてくる、大人達の驚いた声。


「…………」


 それともう一つ、手のひらには温かい声。

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