22話 約束したから

 ――夕刻。


 昼頃までの穏やかな晴天を忘れてしまう程に、外では強い雨がしきりに降っている。


 天気の良い内に山から下りてきたレイは、陽も高い内から宿のベッドでゴロゴロと横になっていた。クックが取ってくれた、一輪の花を眺めながら。


「ねぇサキモリ、もし願いが叶うお花があったら何をお願いする?」


 今日もナギと酒盛りをしている森崎に、ふと問いかける。


 するとグラスを傾ける手を止め、渋い顔を見せる。


「随分と唐突な事言いやがるな……ま、労せず何でも願えるならまず金だろうな」


「あはは、サキモリいつもお金無いって言ってるもんね」


 クスクスと笑いながら、今度はナギに目を向ける。


 その視線を感じてか、レイに質問される前に口を開いた。


「アタシには殺したい奴が居るから、そいつらの居場所が分かれば言う事無いわね」


「ったく、願い事だってのに夢のねぇ奴」


「はんっ、金なんて俗物で安直な願いをしている奴が何言うの?」


 呆れ顔で、トクトクと酒をグラスに注ぐナギ。


 グイッと勢い良くそれを一気に飲み干すと、くるりと寝転んでいるレイに目をやる。


「そう言うアンタはどうなの?」


「えっ?」


「願い事よ、何でも叶えられるってんなら何を願うかって聞いてんの」


 ベッドの上。


 仰向けのまま天井を見つめるレイは、もぞもぞと体を動かしながら考える。


「うーん、何だろうね?」


 一輪の花。


 この地域に訪れて初めて目にした種類の花。レイの知っている花ではないが、何だかお気に入りの綺麗な花。


 そんな花をくるり、くるりと回転させて色々な角度から覗いて見る。


「あはは、急には思いつかないや」


「そう、でもアンタらしいわね」


 珍しくナギも機嫌が良いのだろう、グラスを傾けながら静かに笑っている。


 外の天気とは裏腹に、三人は穏やかな時を過ごしていた。


 ゴロゴロゴロゴロ……ドドドォオオオオン!


 ビカッと外では眩い光が発せられ、その刹那大きな落雷の音。


「あれ?」


 その大きな音が鳴った直後、スッと部屋の中が暗くなる。停電だ。灯りが消えた宿の部屋で、すぐさまナギは携帯電話の光で部屋を照らした。


 ピリリリリリリ!


 ナギの手にする携帯電話から、着信音が鳴り響く。


「へぇ、停電でも電話って使えるんだね」


 カチッ。


 森崎は手にしていたライターの火で明かりを灯しつつ、冷静にタバコに火を点ける。


「聞いたことがあるぜ、停電になっても電話だけは使えるらしいってな」


「バカね、それは固定電話。そもそも携帯に停電とか関係ないわよ」


 呆れつつ、携帯電話の画面を覗き込むナギ。


 ピリリリリリリ!


「ナギ、出ないの?」


 表示されたディスプレイを見ているだけで、ナギは電話に出ようとはしなかった。


 その為、部屋の中には着信音が鳴り響いたままだ。


「別に仕事の電話じゃないし、アタシは自分が話したい時以外は取らない主義よ」


 ダッダッダッダ!


 宿の廊下に、慌しい足音が聞こえてきた。


 ガチャッ!


「へいへいへーい! 電話くらい出てくれよ!」


 カッ!


 暗い部屋に、懐中電灯の強い光が差し込んできた。


 その光と共にドアを開けて中へ入ってきた人物は、真っ暗闇の中でもサングラスを外さない男。ホーケンである。


 今まで外に居たのだろうか、スーツとシャツにはビタビタと水が滴っている。


「はんっ、電話に出るのも無視するのも決めるのはアタシよ。出られる状況だからっていつでも繋がるだなんて思わない事ね」


 ずぶ濡れのホーケンを見ながら、ニヤニヤと悪戯な笑みを浮かべるナギ。


 やれやれとため息を吐きつつ、ホーケンは懐中電灯の光をレイに向ける。


「今はそんな屁理屈言ってる場合じゃねぇぜ、ちょっとレイちゃんに聞きたい事があってな」


「どおしたの?」


 外は大荒れの天気。そんな中をわざわざズブ濡れになりやって来ているのだ、急ぎの用がある事は察しがつく。


「こないだ施設に行った時、レイちゃんと仲良くしていた声の出せない女の子が……外に出たきりまだ帰ってきてないらしいぜ。どっか行き先に心当たりは無いかい?」


「えっ!?」


 レイは思わず外を確認した。目で確認するまでも無く、雨音からすぐに感じられる大雨。風の音、落雷まで聞こえてくる悪天候。そんな天気だ。


「いつから……いつから居なくなったの?」


 朝の出来事を思い出す。


 待ち合わせをしていた場所へ、幼い少女はやって来なかった。その時間から居なかったのであれば、どこへ行ったのかは見当もつかない。しかし、それ以降なら……。


「朝方どこか出かけようとしていたみたいだったが、体調を崩していたらしくてな。安静にするよう施設の職員が止めたんだが、目を離した昼頃に居なくなっていたみたいだぜ」


「……山だ」


 ホーケンの言葉を聞いたレイが、小さく呟く。


 トンッ。


 ベッドの上から跳ね起きると、そのままホーケンの居る方へ。いや、ドアへと向かって歩き始めた。


「レイ!」


 ドアノブに手を掛けようとしたレイに、森崎が一喝する。


 森崎の言わんとしている事は分かっている。こんな悪天候の中、山に入る事はもとよりそんな所で人を捜すなんて到底無理だ。下手すれば二重遭難の危険も考えられる事は、レイも承知の上だ。


「ううん、ダメなんだよ。昨日ね、一緒に山に行こうって約束したから。だから私が迎えに行かなきゃダメなんだよ」


「……レイ」


「大丈夫、私が必ず見つけてくるから。だから――」


 クエーーーーッ!


 バササササササササササッ!


 レイの言葉を遮るようにして、目の前を飛び回るクック。


 なんとか行かせまいとするその態度に、レイは俯き呟いた。


「クック、外は危ないから……お願いだからサキモリ達と一緒に待っててよ」


 クエッ! クエッ! クエーッ!


 レイの言葉に耳を傾けようとはせず、荒ぶる鳴き声を叫び続けるクック。


「…………」


 困り顔をしたレイは、ドアの前で立ち尽くしていた。


 ――バシィイン!


「っ!?」


「はんっ、叩かれてようやく気付きましたって顔ね」


 いつの間にか、レイの前に立ちはだかっていたナギ。


 それまで殺気は感じられなかった。いや、感じ取れていなかったと言った方が正しい。ジンジンと頬に痛みが走ってからようやく、ナギが殺気立っている事に気が付いた。


「……痛いよ、ナギ」


 頬を叩く際に爪を立てていたのだろうか、顔には薄っすらと傷跡。そこから流れ出る血を、ゴシゴシと拭った。


「レイ。アンタは意味分かんない絵を描いてワケ分かんない事ばっか言う変な奴だけど、バカじゃなかった。でもね、今のアンタは只のバカなガキよ」


「でも、元々は私のせいだから……だから!」


「このバカ! 山の事ならアタシよりアンタやロリサキのが詳しいでしょ! アンタのやろうとしている事は只の自己満足、そんなの誰も望んじゃいないっての!」


 ガッ!


 襟元を掴み、ナギは鋭い目でレイを見つめた。


 その場に居るだけで殺されかねない殺気を、全身で受けるレイ。


「ナギの言う通りだ、レイ」


「……サキモリ?」


 どっこいせと重い腰を上げて、森崎は立ち上がる。


「こんな天気の山道じゃ歩くだけでも一苦労だ。その上子供を捜すとなりゃ……お前さんもどうすりゃ良いか分からんわけじゃないだろう?」


「でも……」


 ジュッ。


 咥えていたタバコの火を消し、大きな猟銃を担いで見せる。


「いつもより入念に、登山の準備は万全にしていかないとな」


 フゥッ。


 煙を吐き出し、レイに笑いかける森崎。


「サキモリ……うんっ!」


 その言葉を聞いたナギは、パッとレイを掴んでいた手を殺気と共に離す。


 ぽん。


 その手が、今まで殺意を込めていたナギの手がレイの髪に優しく触れる。


「どうせ泥だらけで帰って来るでしょうから、後で嫌でも風呂に入れてあげるわよ」


「あはは、お風呂はもうイヤだなぁ」


 レイと森崎は、急いで必要な荷物をまとめている。


 懐中電灯。雨具。ガス。ライターにナイフ。必要最低限の食料。救命用具。


 それらをバッグに詰め込んで、レイはクックに声をかける。


「じゃあねクック、お留守番お願いね」


 ……クエ~ッ。


 どこか寂しげにクックが見送る中、準備を整えた二人は立ち上がる。


「お前さんは行かないのか?」


「はんっ、知らないガキの為に雨の中歩くのなんてごめんだわ」


 森崎が声を掛けると、ナギはボフンとベッドに横になる。そして、そこから動く気は無いと言いたげに背を向ける。


 そんな背中を一度だけ振り返り、レイと森崎は部屋を出た。

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