第6章~虹色の思い出を胸に~
20話 少女の約束と夏雪の気持ち
――早朝。
日の出が始まるその時間。空気が冷たいその瞬間に、夏雪は目にする事が出来る。
「今日も居るのかな……あの子、クックに会いたがってたみたいだから今日はちゃんと挨拶しようね」
クエッ。
町のはずれ。
昨日訪れた施設と町の境で、夏雪は降り注ぐ。
「あはは、今日も綺麗に降ってるね」
朝一番に宿を出たレイは、寝ている森崎を起こさぬようひっそりと出かけていた。
静かな町では外出している者もおらず、ここに来るまで誰とも会っていない。
クエッ!
クックがバサバサと羽音を鳴らすと、レイは笑いながら駆け出した。
「おはよ。相変わらず早起きさんだね」
「!?」
レイが向かった先。夏雪が降り注ぐ山沿いの緑の中には、幼い少女の姿。
声の出せない少女は、レイとクックがやって来た事に驚いているようだ。
クエッ!
クックが羽を大きく広げ、少女の前に飛ぶ。
それを見た少女はキャッキャと笑い、嬉しそうだ。
「あなたも夏雪を見に来たの?」
「…………」
レイの問いかけに、少女はふるふると首を横に振る。
じゃあ何を思って朝早くからこんな場所へやって来たのかと問いかける前に、少女はレイに近寄りその手を掴む。
『お は な』
少女の指先からレイの手のひらへ、文字が伝えられる。たった三文字の短い言葉は、確かにレイへと伝わった。
「おはな……植物の、お花の事?」
コクリ。
少女は頷き、一冊の本。昨日も読んでいた絵本をレイに見せつける。
「このお花を……探しているの?」
少女の持っていた絵本。
王子様に恋をした女の子。だけど子供の私では王子様は相手にしてくれないだろう。早く大人になりたいと願う女の子が、魔女から願いの叶う不思議な花の種をもらう場面から物語は始まる。
その種を育てて立派に花を咲かせる事が出来れば、願い事が叶えられると魔女に告げられた女の子。
しかし、たくさんのお水をやった次の日も、お日様の光を浴びたまた次の日もなかなか花は咲いてくれない。
それでも女の子は諦めずに種を育てていき、ようやく綺麗なお花が咲いたのだった。
綺麗なお花が咲くまで十年を費やした女の子は、始めにお願いした通りの大人の女性となっていた。
「このお花に、何かお願いしたい事があるの?」
幼い少女はコクリと頷いた。
そして喉を指差しながら、大きく口を動かしていく。
『こ え』
その唇の動きを見て、レイはそっと少女の頭に手を置いた。
くしゃ。
優しい感触が、少女の髪を動かした。
「……そっか」
多くは語らずに、それだけを答えるレイ。何も言わずに、くしゃくしゃと少女の頭を撫で続けた。
少女の願い。
声が欲しいという願い事は、きっといつまでも叶わない。この絵本だって、結局は不思議な花でも何でもない。長い時間をかけていたから、必然的に大人になっただけだ。貧しい家に生まれてしまった子はきっと、いつまでも貧しいままだ。治る見込みの無い障害があれば、きっとずっとそのままだ。自分に無いものを手にしようとするのは、雲を掴むようなものだ。
「出せなくても、良いんだよ。私には貴女の声が届いているから、それで良いんだよ」
「?」
夏雪が降り注ぐ、そんな中。
レイは少女をギュッと抱きしめる。
寒さを凌ぐ為では無い。只々そうしたかったから。
「……っ」
「なあに?」
何か言いたげな少女が、レイの服の裾を掴む。
抱きしめた体勢のままで、聞き返すレイ。
スッ。
少女は指差す。その方向は、町よりもっと遠く。夏色の映える山の方向。
「山……その絵本に出てくるような不思議な花は無いかもだけど、今の時期ならササユリやムクゲ。百日紅なんかも見られるかもね」
「…………」
ぐいぐい。
物欲しそうな、そんな目でレイの服を引っ張る少女。
どうやらあの山に行ってみたいようだ。
「山は良いよね、でも同時にとっても危ない場所でもあるから。だから絶対に一人で行っちゃダメだよ?」
それを聞いた幼い少女は、ぷくーっと頬を膨らませる。施設の職員にも、同じ様な事を言われたのだろうか。
レイはクスクスと笑いながら、その頭を撫ぜてやる。
「それに学校もあるんでしょ、だったらお休みの日に一緒に行かない?」
「!?」
ぎゅっ。
幼い少女はレイに飛びつき、喜んでいる。
そしてレイの手のひらに、指で文字をなぞっていく。
『あ し た』
書き終えた手のひらの前に、少女は小指を立てる。
レイはそれを察して、少女の指に小指を絡ませる。空気の冷たさを忘れてしまうほど、その指は温かかった。
「明日お休みなんだ、じゃあ明日だね」
コクリ。
にっこり笑顔で頷く少女。
釣られてレイも笑顔になる。
静かな町はずれの冷たい空の下、一つの約束と些細な楽しみ。
「じゃあ明日。またここでね」
少女に別れを告げ、夏雪を眺めながらレイは町へと戻って行く。
――夜。
少女と別れてから町へと戻ったレイは、朝からずっと宿の部屋。縁側へと出て時折外の景色を眺めながら、長い時間をかけて絵を描き続けていた。
「レイ、アンタいつまで描いてるのよ?」
大量のお酒を買いこんで部屋へとやって来ていたナギは、昼間からずっと森崎と酒盛りしていた。その時からずっと、陽はすっかり暮れている時間になっても描く事を止めないレイがさすがに気になったのだろう。酒瓶片手にレイの描いている絵を覗き込む。
「花ぁ……にしては色が無いじゃない?」
「そりゃ白い花だって咲いてるだろうよ、なぁレイ」
森崎も缶ビールを片手に絵を拝見しに来たが、そこに描かれている花の絵は想像していたものとはまるで違っていた。
色の無い花。
周りの土や木々には彩色が施されているにも関わらず、絵の中心に位置する花だけは無色。花びらだけでなく、茎も葉も全てが無色だった。
まだ色を塗っていないというわけではないようだ。何枚も何枚も、同じような絵がレイの足元に散乱している。
「ま、花が白かろうが黒かろうがどうでもいいわ。それよりレイ、いつまでも絵ばっか描いてないでアンタも一杯くらい付き合いなさいよ」
「おいおい、子供にゃ酒はマズイだろ……って、それを言っちゃお前さんもだけどよ」
グイグイと缶ビールをレイに押し付けるナギ。
それをやんわりと止める森崎だが、ナギはその行為が気に入らなかったようだ。
「はんっ、そんなの誰が決めたの? そもそも飲酒に年齢制限をつける事自体ありえないわ。人の体なんて男女で違うし個体差が大きいんだから、年は関係無いっての」
「確かにそうだな……っていやいやそうじゃねぇだろ!」
ナギが飲ませようとした缶ビールを奪い取り、森崎はそれを一気に流し込む。
グビグビと喉を鳴らして、缶の中身はあっという間に無くなった。
「……そうだよね、うん。きっとそうだ」
そんなやり取りをしていた二人を尻目に、レイはポツリと呟いた。
ガタッ。
立ち上がり、縁側から外へと飛び出した。
「ちょっと、靴くらい履きなさいよ」
ナギの忠告が聞こえていないのだろうか、レイは地面を。大地を踏みしめながら大きく飛び跳ねる。
ザッ、ザッ!
土埃が舞う中、そのまま地面へと仰向けにバタンと倒れ込む。
「なっ、何してんだ……?」
驚きと呆れた気持ちで声を掛ける森崎。
地面に寝転んだまま、レイは真っ直ぐ空へと手を伸ばす。
「夏雪の気持ち……きっとこんな風だと思うんだ」
「はぁ?」
ナギは呆れ顔で森崎に目で問いかけるが、分かるはず無いだろうと言わんばかりに肩をすくめる。
「ひっそりとその場所に訪れては、消えていく。周りの植物達を枯らさない程度に、積もらないように降り注ぐ。私も色んな場所を歩いてきて、その場所から消えていく。何だか私たちって、夏雪みたいだね」
あははと笑いながら、夜空を見つめるレイ。
カチッ。
「夏雪……か、俺はそんな綺麗なモンじゃねぇからな。せいぜいタバコの煙だな」
フゥッ。
紫煙を吹き出し、ニヤニヤと笑う森崎。
「はんっ、アタシの場合は殺しの仕事をしながらだから。例えるなら台風ね」
森崎も、ナギもなんだか楽しそうだ。
レイは起き上がり、土で汚れた手足のままで再びキャンバスと向き合う。
色の無かった花に彩色を、鮮やかな色でも煌びやかな色でも無い色を加えていく。
「あーあー、それじゃあ花が見えないじゃない」
「何だってそんな色塗ってんだ?」
土色。
葉も花びらも、全てが土と同じ色。遠くから見れば描かれている花の存在に気付かないような、そんな配色。
「良いんだよ。私はサキモリみたく上手に水をあげる事が出来ないし、ナギみたいに力強く根付く事も出来ない。ホーケンみたいに肥料を持っているわけでもないから、だからこの色で良いんだよ」
土だらけ泥だらけの手で鼻の頭を擦って、得意気に言う。
「はぁ……絵なんか後でいいから、先に風呂行きなさいよ」
「えっ、お風呂は……イヤだな」
「ダメよ、見ているだけで不快だわ。いいから脱ぎなさい」
「あっ、ナギ!?」
ズンズンズン。
レイの手を取り、風呂場へと強行するナギ。
その場には、土にまみれたヒラヒラの服が残されていた。
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