第5章~鈍色の世界~
17話 雪のように静かな少女
――早朝。
空からは、確かに見える太陽の光。
だけど天気は晴れとは言えない。
そう、白い粉雪が舞っているから。
「……わぁ」
夏とは思えないくらい、気温は低い。呼吸をする度、白い吐息が視界を曇らす。
大きく口を開いたまま、レイは立ち止まって空を眺める。
いつまでもいつまでも、放っておけばずっとその体勢から動かないだろう。
「まさか日本国にこんな場所があったなんてな……」
森崎もまた、目に見えている白い雪が信じられないと言った具合に只々それに魅入っている。
「ちょっと、ロリサキまで一緒に止まってんじゃないわよ」
辺りを見渡しても、地面には緑の姿が確かに存在する。感触など無いに等しい粉雪は、この空でだけ白く輝いている。
「そう焦んなすって。町も近いしのんびり行こうぜ」
ふわり、ふわり。
風に乗って空を舞うたんぽぽの様な白い輝きを、レイはまばたきするのも忘れてしまう程に見続けていた。
「雪って、こんな綺麗だったんだね」
「何だお前さん、雪を見たこと無かったのか?」
「うん。雪ってもっと冷たいものだと思ってたけど……何だか暖かいね」
足元に積もる事は無く、空の世界でだけ輝いている粉雪。地面に触れた途端、消えるように一瞬で溶けてなくなる白い結晶。
「暖かいわけないでしょう? てかアンタ、その格好で寒くないの?」
「うん、下にブルマー履いてるから大丈夫だよ」
チラリ。
ヒラヒラとした民族衣装の裾を上げ、ナギに紺色のブルマーを見せ付ける。
「はぁ? なんでそんなん着てるのよ?」
軽蔑の眼差しで、ナギは森崎に視線を送る。
すると森崎は両手を振って否定した。
「待て待て、俺が買ったわけじゃ……」
「これはね、サキモリにお金出してもらったんだ」
「誤解されるような事をいうなっ!」
雪が降る道なのに、緑と共存する不思議な道。
そんな不思議な道を、レイは一歩一歩踏みしめて歩いて行く。
クエッ?
「どおしたの?」
道中は静かにレイの肩に乗っていたクック。
しかし何かに気が付いたのか、羽音をバサバサと響かせる。
「向こうに居る人に驚いたのかな?」
「話し声もしないし、多分近所のガキが一人で遊んでるだけでしょうに」
クックとレイ。そしてナギが向ける視線の先。
木と葉と草と。それ以外には何も見えない空間。
「おいおいサッキー、何か見えるか?」
「俺をこいつらと一緒にするな、さっぱりわからん」
森崎とホーケンは肩をすくめて、二人の洞察力に驚かされている。
人。
粉雪が降り注ぐこの場所へ来てから初めて出会う人物。その者を一目見ようと、レイはぱたぱたと駆けて行く。
「おはよ」
「?」
そこに居たのは、ナギの言うとおりの子供。レイよりも歳は随分と幼いだろう。五、六歳程度の少女だった。
「ここの雪って綺麗だね。私、雪って初めてみたけど好きになっちゃった」
「…………」
レイに話しかけられた幼い少女は、キョロキョロと辺りを見渡した後に頷いた。
そして、レイの肩に乗ったクックの存在に気が付いたのか。クックを指差し物珍しそうな眼差しを向ける。
クエッ。クエックエッ。
指を向けられたクックは、バサバサとレイの背中に隠れてしまう。
「あはは、ごめんね。クックは時々人見知りするんだ」
そんな他愛も無い会話をしている内に、背後から複数の足音。
森崎達がレイと幼い少女の下へとやってきた。
「レイ、一人で勝手に行くなっての」
「っ!?」
タタタタタ。
ゾロゾロとやってきた大人達に恐怖を覚えたのか、幼い少女は小動物の如くその場から離れていった。
「なんだぁ? 人を見るなりいきなり逃げやがった」
「ハハハ、そりゃあ強面の猟銃担いだ山賊みたいなオッサンに、薙刀持った殺し屋が近付きゃ皆逃げてくだろうぜ」
「うっせー、お前さんこそ胡散臭いサラリーマン崩れみたいな格好してんじゃねーか!」
そんな姦しい声が聞こえる中で、レイは走り去って行った少女の背中を目で追い続けていた。
「ほほーう、あっちに駆けて行く所を見るとどうやら施設の子みたいだな。俺は仕事があるんでそこに行くけど、皆は町の見物でもしていてくんな」
町はすぐ目の前にあるのに、ホーケンはそこから離れるようにして歩を進める。その方向は、幼い少女が走り去った方向と一致していた。
「待って、施設って何の?」
タタタッ。
小走りにホーケンの後を追うレイ。
「身体障害者を集めた養護施設に、要介護者が集まる介護施設さ」
「障害者って……あの子、どこか体が悪いの?」
施設の方へ駆けて行く所を見るに、身体に何か障害があるとは考えにくい。
レイは出合ったばかりの幼い少女の事を思い出し、首を傾げる。
「身体が丈夫でも脳に障害があったり、目が見えなかったり耳が聞こえなかったり。理由なんていくらでもあるからな、今の子も何か障害があるんだろうさ」
「そおなんだ……ねぇ、私もホーケンのお仕事に付いて行って良い?」
「おいおい俺の仕事は保険屋だぜ。一緒に施設に行ったって夏雪みたいに見ていて楽しい場所じゃない、レイちゃんが見ていてもつまんねーだろうぜ?」
少し困った様に笑いながら、ホーケンは肩をすくめる。
それでもレイは、引き返す選択をしなかった。
「うん、平気。ホーケンの仕事も、あの子がどこに行ったのかも見てみたいから」
「そこまで言うなら止めやしないけど……」
チラリ。
森崎とナギに視線を送ると、それぞれ首を横に振った。
「病院だか施設だかに興味はねーからな、俺はパスだ」
「同感ね、田舎臭い町をぶらついていた方がまだマシだわ」
それは思わずため息が出る綺麗な景色でも、わくわくする楽しいショーでも無い。人が見ていて満足する場所とはかけ離れた存在。
それでも、レイは行きたい気持ちでいっぱいだった。ほんの僅かでも、会話を交わした幼い少女が居るその場所へ。
――施設。
町からは少し離れた所にある施設。町の近くにはいくらでも建てられそうな敷地があるにも関わらず、離れた場所に存在する施設。
「へぇ、結構大きいんだね」
「ははっ、そりゃあそんだけ人が居るってこった」
外観は清掃が行き届いており、広さも想像していた物より大きい。ナムの居た数百人単位の人が入れるイム教の講堂にも、勝るとも劣らない大きさだ。
「ほいほいごくろーさん、保険屋だぜ」
入ってすぐに顔を見せた受付の女性への挨拶もそこそこに中へと進む。
外観同様、広い廊下に清潔感のある床。そこをほんの少し歩けば、せわしなく走り回る施設の職員らしき人物の姿が見られる。
「さてと、まずはさっきの子供が居そうなトコから行きますか」
ホーケンの案内で廊下を進むと、ある大部屋へと辿り着いた。
そこに先ほど出合った幼い少女の姿は無かったが、別の子供達の姿があった。
「ねぇホーケン、この子達って……」
カーペットをバンバンと叩く子供。何を思ってか「うーうー」うなりを上げる子供。車椅子に乗ったまま、ずっと頷きを繰り返す子供の姿がそこにはあった。
「ああ、どいつもこいつも障害児だな。ここはそういう施設だからな」
「さっきの子……居ないね」
レイとホーケンはその部屋を後にし、次の部屋へと向かった。
そこも同様に、片腕の無い少年や目の焦点が定かでは無い少女。奇声を発する子供に、それをなだめる大人の姿。
「よぉ、相変わらず忙しそうだな」
ホーケンが声を掛けると、子供をなだめる男性が苦笑いして会釈する。
相当苦労している事は、この光景を一目見ただけで感じ取れる。
「あっ」
「っ!」
ホーケンが施設の職員らしき男性に近寄る中、部屋の隅で本を読んでいる幼い少女を見つけた。夏雪が降る道で出会った、あの少女である。
「まだ名前も教えてなかったよね。私はレイだよ、よろしくね」
「…………」
レイが自己紹介を終えると、幼い少女はキョロキョロと辺りを見渡した。
何かを探しているような素振りに、レイはすぐにピンと来た。
「あはは、クックは外で待ってるから居ないんだ」
それを聞いた幼い少女は、少し残念そうな顔をした。
レイよりも、森崎の住んでいた村に居る千枝よりも幼い少女。
「…………」
口をゆっくりと動かして、何かを伝えようとしている幼い少女。
その光景を見かねてか、施設の子供の面倒を見ていた男性と仕事の話をしていたホーケンがレイに近寄り。
「一生懸命話しかけてるみたいだが……その子、耳は聞こえるが声が出せないらしいぜ」
ホーケンが告げる。
レイはその言葉に驚くわけでも疑うわけでもなく、ゆっくりと頷いた。
「大丈夫だよ」
「へっ?」
間の抜けた声を出すホーケンに、レイは柔らかい微笑みを見せつける。
安心の笑顔。
喜びを表す笑いでも、無理をした作り笑いでもない。全てを受け入れてしまえそうな、悟った様な笑顔。
「この子の声、聞こえない声でも私には届いているから。だから大丈夫なんだよ」
日本国の子供ならば中学生程度の年齢。そんな子供に出来る表情ではない。
暦の季節は夏とは言え、寒い地域の朝も早い時間。厚着をしているわけでもないのに、ホーケンは嫌な汗を掻いていた。
「へっ、へへ……どうりであのナギが気に入るわけだぜ」
そんな事を呟いて、ホーケンは施設の男性と会話をすべく少し離れた場所へ移った。
レイは幼い少女に読んでいる本についての質問や、この地域の事についてしばらく話しを続けていた。
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