16話 夕凪色の殺し屋

 ――翌朝。


 クエッ。クエッ。


「…………」


 朝も早くからクックが鳴く。


 そんな鳥の鳴き声よりも早くに目が覚めている森崎。むしろ一睡もしていない森崎。


「おはよう。サキモリ」


「ああ、だが俺は今から……いや、もうひと眠りする……ぜ」


 バタン。


 夜通し悶々としていた森崎は、枕にうつ伏せになり就寝。


「サキモリ、疲れてるのかな?」


 不思議そうに首を傾げた後、クックを連れて表へ出かける事にした。





 ――広場。


 昨晩は数多くの屋台が並んでいたこの場所も、朝は静かなものだった。


 近くのパン屋で購入したサンドウィッチを頬張りながらベンチに腰掛け、道行く人々の姿を眺めていた。


「みんな、忙しそうだね」


 夜は賑わう屋台を営んでいた者達。


 何も働いているのは夜の時間に限った事では無い。


 食材の入った荷物を運ぶヤキソバ屋の店主。わたあめの機械を清掃する若者の姿もあれば、金魚に餌をやるおじさんも居る。


「…………」


 まるでこの場所だけ、周りの空間からぽっかりと切り離したかのような。ゆっくりとした時間を過ごすレイ。


 そんな中、手にしたサンドウィッチにぱくり。口付けをした瞬間だった。


「――っ!?」


 ビクビクビクッ!


 驚きのあまり思わず立ち上がりそうになるも、恐怖で体が動かない。


 口に含んだサンドウィッチは濡れたまま、それすらも噛めないような。そんな状態。


 ……ナギだ。


 目を向けずとも、その人物である事が分かる。


 ――ズガッシャァアアアアアアアアアアアアアアン!


 物を壊す為だけに生まれた、大きな音が鳴り響く。


「うわぁっ!」


「何だなんだ!?」


 突然の爆音に、忙しなく作業をしていた者達がその方向に視線を集める。


 その意味を知らずに向けられた視線よりも遅れて、レイも同じく目をやった。


「はんっ、楽な仕事だったわ」


 長い金髪をサラリとなびかせ、カツカツとレイの座るベンチへと近付いてきた女性。ナギである。


「出しなさいよ」


「えっ?」


 ドサッとベンチに腰を下ろすなり、ようやくサンドウィッチを飲み込んだレイに対して手を出した。


「ケータイよ、電話の架け方くらいは教えてあげるって言ったじゃない」


「うっ、うん」


 まだ完全に殺気が消えたわけではない。震えた手で携帯電話を取り出しナギに渡す。


 注目。


 広場中の人間の視線が向けられているにも関わらず、ナギはまるで気にも留めずに携帯電話を操作している。


 完成されつつある絵の上から、まるで最初から何も描かれていなかったかのように上から新しい絵を描く。下に滲んだ色などお構い無しに塗りたくるような、そんな行動。


「何だ、迅って奴の番号は登録されてるわね。ここを押せば電話を架けられるし、こっちのボタンで切れるわよ。アドレス一覧はここから見れるわ」


「うん……ありがと」


 せっかく電話の使い方を教えてもらったにも関わらず、それをすぐに操作する気にはならなかった。


「町の人達……見ているだけだね」


 視線。


 動物がじっくりと獲物を狙うような視線とは程遠い。遠くから様子を伺うだけの、人間特有の臆病な視線。


「はんっ、昨日ここらの屋台を壊しまくってたから誰も私には近寄らないわよ」


 そう言って、ナギは元居た場所。窓ガラスが散乱している民家を指差した。


 人だかり。


 その中からざわざわと聞こえてくる言葉は「救急車を呼べ!」だの「誰か警察に連絡しろ!」と言った叫び声。


「バカね、もう死んでるっての」


 ニタニタと笑みを浮かべながら、困惑する人々を眺めるナギ。


 そして、まだ血のついている薙刀を見せつけるようにしてレイに向けた。


「今殺された奴は、誰かに恨まれる覚えもなければ妬まれる人間でもなかったみたい。それでも殺された。殺してくれって依頼があったのよ」


 ナギは語り出す。


 それは自分が殺した相手のはずなのに、勝手に死んでしまったかのような口調で語る。


「どおして?」


「はんっ、そりゃあ人が人を殺したい時なんて相手が自分にとって邪魔だからに決まってるわ。さっき死んだ奴は遺産配分を独り占めしようとした依頼主。自分の兄弟に殺されたのよ」


 金。


 物の見方によっては欲望の根源とも言える代物。


「アンタもロリサキもあまり金に興味は無いだろうけど、金さえあれば嫌でも人は寄ってくるし何不自由なく贅沢な暮らしが出来る。人が望む大抵の願望は叶えられるわ」


「……そおかな?」


 ビュンッ!


 レイの頭。正確にはその髪に、切っ先が触れる。


「ここで私がアンタを殺しても、組織の力と金で情報を操作して事実はうやむやになる。アンタの探している目に見えない輝きとやらも、見えないままに暗闇に閉ざされるわね」


「大丈夫」


「……はぁ?」


 薙刀を突きつけられているこの状況下で、レイは白い微笑みを見せる。


 これにはナギも眉を細めて呆れる以外の行動は取れない。


「朝でも昼でも夜でもない。一日の内でとても短い時間だけど、とっても素敵な色をしている夕凪色の一面だってナギにはあるから、だから大丈夫なんだよ」


 教わったばかりの携帯電話の操作。


 せっせと指を動かして見つけたアドレス帳の中には『ナギ』の電話番号が存在していた。


「あはは、これでナギといつでもお話し出来るね」


「……はんっ」


 そっぽを向いて薙刀を下ろすナギ。


 夕凪色を見せてくれたナギの隣で、はむはむと新たなサンドウィッチを口に運んだ。


 クエッ。クエーッ。


「そうだね、半分こしよっか」


 小さくちぎったパンの端をついばむクック。


 青い鳥。珍しい鳥。日本国では見かけたことも無い鳥。


「…………」


 クエッ。クェッ。


 殺気を出していないナギの視線に気付く様子もなく、パンをついばむクック。


「そう言えば、アンタの連れてる鳥を狙ってる奴が居るわよ」


「あはは、クックは日本国には居ない鳥だからね」


 ナギの発言を聞いても、驚いた様子はまるでない。珍しい事ではないのだろう。レイは変わらぬ調子でクックにパンを分け与える。


「ま、もうその心配も無いでしょうけど」


 人ごみから感じる視線。


 大半はその人ごみを作った張本人。ナギに向けられたものだが、レイ。そしてクックに向けられている視線も少なくは無い。


「あはは、ありがと」


「アンタの為じゃないわ。仕事だからよ」


 目に見えているナギと言う名の地雷原。そんな人物と行動を共にしている事を知れば、レイとクックにうかつに近付く者はまず居ない。


「ううん。ナギにとってはそのつもりが無くても、私がそう感じたから。だからありがとうって言って良いんだよ」


「はんっ、好きにすれば」


「あはは、そうするね」


 ぶっきらぼうな態度を取るナギを見て、レイはクスクスと微笑んだ。いつもは赤く殺気立っているナギと言う人物の、ほんの少しだけの別の色が見えたから。





 ――夕刻。


「――うん……うん、それじゃあまたね」


「なんだお前さん、一人でぶつぶつと……ふぁ~あ」


 へんぴな時間から眠りについていた森崎が、ようやく目を覚ます。


 重たいまぶたを擦りながらの、大きなあくび。


「おはようサキモリ。今朝ね、ナギにケータイの使い方を教えてもらったんだ」


「あの女がぁ?」


「うん、ナギには夕凪色の一面だってあるんだよ」


 レイの言わんとしている事は相変わらず理解しかねる。


 それよりも何よりも、森崎はナギがそんな行動を取る所が想像つかなかった。


「いやいやあの女の事だ、きっと使い方を教えるフリして何か仕掛けを――」


 コンコン。


 苦い表情で考え込む森崎などお構い無しに、部屋のドアがノックされる。


 レイが足早にドアを開けると、ホーケン。そしてナギの姿。


「ちょっとロリサキ、随分と言ってくれるじゃない」


「ゲッ、お前さん聞いてたのかよ!?」


 部屋に入るなり森崎に薙刀を向けるナギ。それを間に入ってレイが止める様を見て、腹を抱えて笑うホーケン。


「それじゃあ、そろそろ行こっか」


「あん、行くってどこにだ?」


 森崎はレイに問いかける。


 しかしそれに答えるわけでもなく、レイはすでにまとめていた荷物を背負って部屋を飛び出した。


「ハハハ、サッキーは寝てたから知らないだろうが白昼堂々ナギが一仕事やっちまってな」


「そうか、でも俺らは関係無……くはねぇなぁ」


 直接的に被害を被った者など居るわけも無いが、ナギと行動を共にしているレイ達。本人達はどうであれ、周りの人間からは同様に危険な存在だと思われて当然だ。


 山賊だという理由で村の人達から避けられていた森崎に、ホーケンの言わんとしている事はすぐに理解出来た。


「わーったよ、んじゃ行くとするか」


 頷き、ほんの短い間だが寝床にしていた豪華な宿に別れを告げる。


 森崎達がホテルの入り口辺りまで来ると、荷物を抱えたレイが賑わう祭りの風景の中でぼんやりと突っ立っていた。


 何を見ているのだろうか。それを聞いたらきっとまた何かわけの分からない事を言ってくるのではないかと想像しながら、森崎はレイに声を掛ける。


「待たせたな」


「ううん、それよりこれからどこ行こうか?」


「さぁな。当てもなければ金も無い」


「あはは、サキモリそればっかり」


 一夜限りの祭り。


 その楽しい時間は、まさに夕凪色の時間。まるで夜空を彩る花火のように、一瞬にして過ぎ去ってしまう。


「へへっ、行く所が決まってないのなら良い所に案内するぜ」


「何だよ、お前さんも付いてくるのか?」


 キョトンとした態度で、森崎が問う。


 するとホーケンは、肩をすくめて答えた。


「おいおいつれないね~。こっから北の方にある町なんだが、夏雪が見られる土地があるぜ」


「夏雪だぁ? 夏に雪なんざ降るのかよ?」


「そう、日本国なのに夏に雪が降る絶景スポットさ」


 その言葉を聞いた森崎は、スッと視線を空へと向けた。


 夕刻になっても太陽はまだまだ沈まない。夏真っ盛りのこの時期に、雪が降るなんてにわかには信じ難い。


「良いと思うよ。私は見てみたい、夏雪も。まだ知らないその場所も」


 日を重ねる毎に出会う見知らぬ人と。旅路を重ねる毎に出会う見知らぬ土地と。その多くは決して綺麗な色とは呼べないものであっても、目には見えない輝きを見つける為にレイは旅路を進み続ける。

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