11話 ほんの少しの青でも紫
――ガサッ。
ナギはガサゴソとポケットを漁ると、やけに分厚い長財布を取り出した。そしてそこから無作為に掴んだ十枚程度の万札を森崎に突きつける。
「情報料。取っときなさいよ」
「……いらねぇよ。こうなると分かってりゃ、お前さんに場所なんざ言わなかったぜ」
「はんっ、偽善者が。ここをアタシに教えた時点で、少なからずアンタも共犯なのに」
「違う、俺はそんなつもりじゃ……」
ぎゅうっ。
森崎の腕を、レイが強く掴んだ。
「ダメだよ」
「分かってら。こんな金なんざもらえな――」
「ううん、もらわないとダメ。いくら真っ赤に近い紫でも、それはほんの少しでも青が存在しているせいだから。だから私達は、これを受け取らないといけないんだよ」
殺気立っているナギから、レイは恐る恐る金を受け取った。だが、森崎はどうにも納得がいかないといった様子。
無関係。自分は殺しに関与していない。他の誰かが公園の場所を教えても同じ事が起きていただろう。
「へぇ、この子供の方が物分りがいいじゃない」
「子供じゃない……私はレイ」
薙刀を持つ長い金髪の女。ナギはニヤニヤとレイの顔を観察してから、ため息交じりに口を開いた。
「なーんだ、アンタつちの娘じゃないんだ。紛らわしい」
つちの娘。
見た目は少女の姿だが、人間では無い。褐色肌の身体に宝石のような輝く瞳を持ち、土を操ると言われている幻の生物。そしてつちの娘の瞳には、莫大な価値があると伝えられている。
「あはは、たまに言われる」
「はんっ、まぁいいわ。でもさっきの意味わかんない説明じゃ、ロリサキの方は不満そうな顔してるけど?」
ナギはその長い髪をサラリとなびかせながら、ニヤニヤと笑みを浮かべている。これは殺気からくるものでも、バカにしたような笑いでもない。これからレイが何を言うのか心待ちにしているような雰囲気だった。
「サキモリは……やっぱりおかしいと思う?」
「ああ、俺らは関係無い。だからその金は返すべきだ」
情報料。
そう言って渡された金額は、決して安いものでは無い。いや、金額の大小よりも受け取る事自体が気に入らない。もしそれを受け取ってしまえば、殺しに手を貸した事を認めているのと同じだからだ。
「……さっきまで、あの子達はここで遊んでたんだよね」
赤く染まったボール。元々は青かったボール。レイは上手く投げることの出来なかったボールを見つめて、僅かに目を細めた。
「青いボールが中心の世界で、まだ他の色を知らなかったままの子供達。それを赤く染め上げてしまったのは、確かにナギかも知れない。でも私達はそれを止めるどころか、黄色を教える事すら出来なかったから」
「……何が言いたいんだ?」
「サキモリは……子供達を殺すと知って、ナギを止められた?」
殺し屋。
その正体を知る前のナギからは、あまりに微弱すぎて感じ取れなかった殺気。しかし今では確かに感じる事が出来る、禍々しい殺意。特定の者に与えるわけでもなく、誰彼構わず殺してしまいそうな狂気。
そんな殺伐とした空気を常に纏っているにも関わらず、殺し屋が務まるその理由。それはナギ自身の強さを確かに象徴していた。
「……チッ」
ギギッ。
そっぽを向いて、やり場の無い怒りで拳を握り締める。
「知っていたとしても何も出来なかったから、それは私もサキモリも同じだから。だから二人で、これを……子供達の死を背負う必要があるんだよ」
ぎゅっ。
大事そうに両手で抱えていた現金を、ほんの少しだけ力を込めて握り締める。
「何も出来ない……か」
「そうね、そこの子供が言うとおりアンタらじゃ何にも出来ない。アタシを力づくで止めることも、警察に通報しても裏は取れてるからそれも無駄」
「クソッ」
「それに、見知らぬガキ共の命で金をもらえるなんてラッキーじゃない?」
「違うっ!」
ダンッ。
力を込めて、まるで攻撃するように大地を足で踏み潰す。
「違わない、人間なんて皆そんなもんよ。自分が一番で、他人の不幸は甘い蜜。強者に逆らわず弱者をいたぶる。善人なんてこの世にいやしない、法や警察が機能しているのがその証拠」
「それは……」
「だってそうでしょう、世の中良い奴ばかりだったら法律なんて堅苦しい決まり事も、警察なんて権力組織も、アタシのような殺し屋に依頼が来る事もないわ」
綺麗事を並べていた森崎を嘲笑う。
言い返せない。
ナギの言っている事が絶対だとは思えない。いや、思いたくないだけかも知れない。それでも間違っているとは言い難い。実際、山賊時代の森崎自身はそれを否定する資格は無いだろう。
「…………」
公園の風景。思わず目を背けたくなるそんな変わり果てた風景を見ながら、レイはナギに問いかける。
「ねぇナギ、一つ聞いて良い?」
「別にいいけど、それに対してアタシが答えるかは分からないわ」
森崎との会話で少々不機嫌になったのか、ぶっきらぼうに返事をするナギ。
しかしレイは問いかける。下手な事を言えばその場で斬り捨てられるかも知れない状況で質問を投げかける。
「ナギにとってこの世界は……何色に見える?」
「はぁ?」
突然の問いかけに、口を開いて呆れ顔。そして質問の内容がおかしかったのだろうか、急にクククと笑い出す。
「アッハッハッハ、何それ意味が分からないわ。でも、強いて言えば黒じゃない?」
「どおして?」
ふぅ。とため息を吐いてから、ナギは自らが描いた惨状を見て言葉を続ける。
「先が分からない。思いもよらない事件や事故であっという間に命は絶たれる。暗闇の先に光は無い。この後始末も警察が適当な理由をつけて事故で済ませるから、真実は闇の中。盲目にならざるを得ない、そんな世界ね」
「……そう」
「そうよ。んで、アンタは?」
今度はナギが問う。
想定外の質問だったのだろうか、レイは顎に手を当てて考える。
「う~ん……鈍色かなぁ?」
「はぁ? 何よそれ?」
「いくつもの色々な色が混ざり合って、でもそれは綺麗な虹色にはなれなくて。何だかもどかしい鈍い色……かな?」
そんな言葉を並べながら、レイはうんうんと頷いた。
鈍色。
旅路で出会った人々。森崎のように村の人から正しい色を認識されない水色の防人も居れば、千枝のように周りの色に染まる前の子供。ナムのような白すぎるイム教を崇拝している者も。
出会わなければその人達の色も見えなかった。それは決して綺麗な色ばかりではないが、出合ったからその色が見えたのだ。
「あはは、自分でもよくわからないから、だからナギに聞いたのかも知れない。もっと色んな人と逢って、色んな世界を見てからちゃんと答えられるようにしておくよ」
ぎゅっ。
ナギから受け取った札束を、もう一度強く握り締める。
「じゃあ行こっ、サキモリ」
「おっ、おいおい引っ張るなよ」
まだ完全に納得したわけではない森崎を連れて、レイは旅路を進んで行く。
歩き続けるその道は、鈍い色をしていると分かっていながらも。
「――んで?」
「どおしたの?」
小さな街を通り抜けて、大きな山道へと辿り着いた頃。森崎は渋い顔をして後ろを振り返る。
「どうしたもこうしたもねーよ、何でコイツが一緒に来てんだよ!?」
「あはは、どおしてだろうね?」
二人の歩く数メートル後ろから、薙刀を持った金髪の女。ナギが歩いてくる。いくらか離れてはいるが、どう見ても後を付いて来ているのは間違い無い。
「どうしてって、アタシはさっきの答えを保留にされてるのよ。それとも、アタシが付いて来ちゃロリサキが困るわけ?」
「困るに決まってんだろーが、ったく何で殺し屋のお前さんが一緒に来たがるんだか」
ザザッ。
ほんの少しだけナギがその身を寄せようとすると、レイは即座に森崎の体にしがみつく。
「おわっ!?」
「アッハッハ、それとアンタらが面白そうだからってのもあるわね」
常に殺気を撒き散らしているナギが居るせいか、山道だというのに動物は愚か虫の姿さえも見えない。だが、いたずらに殺気を強めて近付かれるとレイもクックも咄嗟に森崎にしがみ付く羽目になる。
ぎゅうううっ。
クぇーッ、クエッ!
「イテテテっ、おいナギ!」
「アハハハハハ」
青い公園を赤く塗り潰したナギが加わり、レイと森崎は未だ見ぬ旅路へと進んで行く。
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