7話 白過ぎる講堂の畳の上で

 ――講堂。


 山道と町の間にある大きな建物。白くて広いその建物には、下に駐車場まで備え付けられている三階建ての講堂だった。


 ナムの案内で三階へ通されると、そこには一面の畳。そしてその先には巨大な仏壇が設置されていた。


「イムキョウノシセツデスカラ、ドウカゴユックリヤッテクダセー」


「何だお前さんイム教の人間かよ、悪いが俺は宗教も神様も信じてないんでね」


 イム教。


 日本国で最も有名な宗教である。大陸ではネモウ教が盛んだが、日本国ではこのイム教の信者が大半である。ちなみに森崎のように無宗教派の人間も少なくはない。


「イインスヨー、キョウハカイゴウノヒジャナインデオッケーッスヨー」


 講堂の中はただ広いだけではなくトイレやキッチンにシャワー室など、下手な宿泊施設よりも立派に生活できそうな造りになっていた。


「キンキュージノヒナンジョニモナッテイルカラ、エンリョシナッセ」


 ナムに言われるがままレイと森崎は濡れた服を着替えてから畳に寝転がり、のんびりとくつろいでいた。


「ねぇサキモリ、ナムって良い人だね」


「いーや、宗教なんかやってる奴だ。きっと何か裏があるに決まってる」


 畳の感触を味わいながらゴロゴロとリラックスしているレイとは違い、どこか疑いの気持ちがある森崎。


「あはは、悪い事を考えてる人だったら私たちを車に乗せたりしないよ」


 人が通らないような山道を歩いている異国の少女と、大きな猟銃を担いでいる危険な男など、損得だけで考えたら関わらない方が賢明だろう。


「確かにそうだな……てぇ事は良い奴じゃねぇか!?」


 クエーッ!


 そう言っているだろうと、クックにまでツッコミを食らう森崎であった。


「ハハハ、ニギヤカデスネ。ソロソロゴハンノジカンッスヨー」


 車で移動し、濡れた服や荷物などを整理している内に結構な時間が経過していた。


 出された料理は野菜の煮物やら骨付き肉の入ったスープやら、日本国の食べ物と大陸独特の料理が食卓に並べられていた。


「おいしそうだね、いただきます」


 畳の感触を足で味わいながら、舌では食事を味わう贅沢な時間。これによりレイも、始めは警戒していた森崎もすっかりナムに打ち解けていた。


「トコロデ……タベオワッタアトデ、フタリニオネガイガアルンスヨ」


「何ぃ?」


 ピクッ。


 それまで軽快に動かしていた森崎の箸が止まり、眼を細めてナムを睨んだ。


「サキモリっ」


 どんっ。


 凄みを利かせている森崎を肘で突く。


「サシモリサーン。チョットホウシカツドーヲヤッテモラウダケッスヨー」


 この講堂はイム教の施設であり、主にそれはイム教の信者が集まる会合で利用されるらしい。そこで定期的にボランティアとしてイム教徒が清掃活動を行っているのだが、どうやらそれをレイと森崎にも手伝ってほしいとの事であった。


「……ふぅん、私は良いよ」


「オウサンクス! レイサンフトッパラネ!」


「えっ、そんなに太ってるかなぁ?」


 きょとんとした顔で、レイがお腹をさする。

 

 それを見たナムが腹を抱えてハハハと大笑い。


「…………」


 和やかなムードで話すレイとナム。しかし森崎は腕を組んで考える。


 無宗教派の森崎にとって、イム教の奉仕活動をするという行為が好ましくないからだ。


「ねぇ、サキモリも手伝うよね?」


 少し首を傾げての上目遣いで問いかけるその聞き方に、顔が熱くなり反射的に目を逸らした。動揺しているのが悟られないよう、クールに返答する。


「まっ、まぁ俺は宗教なんざ嘘くさいモンは嫌いだけどよ、飯の礼もしないと気が引けるしな。仕方ねぇけど手伝ってやらん事もない」


「あはは、頑張ろうね」


 気が進まないのは確かだが、こう言ってしまった以上もう断る事は出来ない。


 食事を終えた三人は、講堂のエントランスに足を運んだ。


「あれ、誰か来てるよ?」


 エントランスから見える入り口。そこには中年のオバサン数名と、十代から二十代前後の青年らがわらわらと集まっている。


「あらナムさん、そちらの若い子たちは早くから来て感心ね」


「珍しいわね、そっちの子は大陸の人でしょう。はい、酢昆布どうぞ」


「ちょっと奥さん、今じゃ大陸の人もイム教を信仰しているのよ」


 ワイワイガヤガヤ。


 ワケも分からぬままオバサン連中に酢昆布を渡されるレイ。そのまま陽気に会話をしながらも、各々テキパキと掃除用具を手に動き始めていた。


「ソレジャアオフタリハ、コノカタタチトイッショニオナシャス」


「ん?」


 オバサンのスピード会話と素早い動きに圧倒されかけていた森崎とレイは、ナムの支持に従い残った青年達と掃除を開始する。


「宜しくお願いします」


「うん、よろしく」


 物腰の柔らかそうな青年、真面目そうな青年、おっとりした女性など様々だが、誰も彼もが礼儀正しく挨拶する。


「どうも、初めまして」


「あ、ああ」


 迷彩服を着た強面の男に対し、物を売りつける商人でも無いのに笑顔で挨拶する光景。これには森崎が面を食らってしまうのも無理はない。


「外は雨が降っていますから、今日は室内だけにしておきましょう」


 物腰の柔らかそうな青年を中心に掃除を開始する。


 エントランスの細かいゴミを集め、階段の掃除。トイレや風呂場を洗い、畳の上から仏壇までもピカピカになるまで清掃する。


 クエッ、クエッ!


「おいおい、お前さんが羽を落としちゃ掃除が終わらんだろ」


「あはは、クックも手伝いたかったんだよ」

 数十……いや、数百人単位で入れる程の広い講堂の掃除も、多くの人が力を合わせて作業したのでそれほど長い時間は掛からなかった。


「オツカレサンデース。ワタシハチョットデテイキマスケド、マダマダユックリシテッテヨ」


 外はまだ雨が降っているので、ナムは集まってくれた人達を町まで車で送るらしい。


 レイや森崎としても、この雨の中を急いで出発する気は無い。行為に甘え、のんびりと講堂で過ごすことにした。




 ――ザザザザザァアアアアアア。


「……雨、まだ降ってやがんのか」


 どれくらいの時間が経過していたのだろうか。ウトウトとまぶたが重たくなっていた森崎が、強い雨音を聞いて意識を取り戻す。


 今日中には止みそうも無い。まるでここに残っていろと言わんばかりに、激しく降り続ける外の雨。


「おい、何してんだ?」


 レイはいつの間にか道具を広げて、スケッチブックに何か絵を描いているようだ。


 だが、窓の外には雨ばかり。ここからでは水が滴る林や森しか見えやしないのに、一体何を描いているのだろうか。


「うん、講堂の絵を描いてるんだよ」


 緑多き所にそびえ立つは、白く大きく壮大な建物。


 外で描く時とは違い、色鉛筆やクレヨンといった簡素な道具を使いながら講堂の絵を完成させていた。


「人や自然の風景は表情豊かで見ながらじゃないと難しいけど、一回見た建物だったらここでも描けるから」


「ほぉ……見ないで描けるもんなんだなぁ」


 雨の中の緑に囲まれた白い砦。


 レイの描いた講堂からは、実際に見たそれよりも屈強な雰囲気を感じとれる。


「……白いな」


 雨や緑に負けないくらい、存在感のありすぎる白。絵にはまるで詳しくない森崎にも、意図的に白色が強調されている印象を受けた。


「あはは、ちょっと白すぎたかな?」


 笑いながら、コロンと畳に寝転ぶレイ。無防備になったひらひらとした民族衣装から、健康的な褐色肌がチラリと顔を覗かせていた。


「おいおい少しは隠せって……ん、お前さん背中のそりゃあ何だ?」


はだけた背中を見せたままゴロンとしているレイを見て、森崎は目を丸くした。


 模様。


 普段気にも留めていなかったが、レイの腕や肩あたりにも描かれている模様。その小さな背中にも赤や黒で彩色された、いくつもの円がグルグルと重なっているような謎の模様。日本国で言う所の刺青のような印を、レイは背負っていた。

「背中って、曼荼羅(まんだら)の事?」


「ま、まん……まんだそれ?」


 はらり。


 座り直し、レイは背中がしっかりと見えるように服をはだけた。


 赤、黒、円、線。


 それらがバラバラに、まるで子供の描いた落書きのような模様。だが、それでいて何か法則性があるような気さえもする複雑な模様。


「良く分かんねーけど、お前さんの国でのイム教みたいなもんか?」


「ううん、これは私の居た土地では崇高な紋様。宗教じゃなくて守り神……かわいく言うとおまじないみたいな物かな?」


 どこか誇らしげに、あははと笑うレイ。イム教の者達と同様に、それを信仰している事に誇りを持っている顔で笑っていた。


 クルリ。


 思い出したかのように森崎の方を振り向き、スッと側に寄る。


「あっ、そう言えばサキモリは宗教とか神様とか嫌いなんだよね。日本国にはそういう人が多いって聞いてたけど、どうして嫌いなの?」


「ちょっまっ、オイオイオイオイ前向くなってか服を着ろ服をっ!」


 ザザッと後ずさりしつつ、森崎は咄嗟に目を逸らす。


 そんな慌てた森崎を見て、レイはあははと笑いながらゆるりと服を着始めた。


「ったく、他の奴は知らんが俺は信じていないだけだ。それに、イム教は良くない噂もあるからな」


「ふぅん……でも、ナムも他の皆も私たちを騙すような感じは無かったけど?」


 レイの言う通り、ここの人達は良い人。むしろ過ぎた善人である。だが、それが森崎にとって気がかりでもあった。


「まぁいい、どうせ雨が止んだら出て行く所だ。せっかくだし畳を堪能していくか」


「あはは、そうだね」


 二人は揃ってごろんと横になり、畳の感触を存分に楽しみながらまどろんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る