第2章~白い講堂~

6話 雨の旅路と濡れた体と

 ポツ……ポツ……ポツ。


 湿った空気が漂う山道で、ふと空を見上げればそこには雨雲。


 薄黒い灰色に染まった雲の塊が、僅かばかりの雨水を降らしている。


「ちっ、こりゃあ一雨きちまうな。レイ、そこのでかい木の下で少し休憩だ」


 顔に付いた水滴を拭いながら、ガサゴソとポケットを漁る森崎。


 カチッ。


「あはは、こんな天気でもタバコ吸うんだ」


「こんな天気だから吸っとくんだよ。本降りになったら火が点かねぇからな」


 フゥーッ。


 気持ち良さそうに煙を吐き出す森崎。その隣に居るレイは、何だか楽しそうな表情でそれを眺めていた。


 ポツ……ザザザザザァアアアアアア。


 短くなったタバコの火を消した直後、予想通りの大雨。


「結構強い雨だな、しばらく動かないほうが賢明だろう」


「うん、そうだね」


 一応の雨具は持っているが、まだ日も高い上に急ぐ旅でも無い。無理に進むよりも止むのを待った方が良いと判断した。


「あっ」


 ザァザァと降りしきる雨の中、レイは山沿いの道路に視線をやった。


 釣られて森崎もその方向を見てみるが、何も無い。ただ果てしなく長い道路が見えるだけである。


「なんだよ、車でも通ってきたのかと思ったぜ。チッ、こんな雨だから近くの街まで乗せてってもらえりゃ良かったのによ」


 ガッカリした表情の森崎を尻目に、レイは変わらず道路の先を見続けていた。


 見えるのは雨粒とアスファルト。只それだけのはずなのに、レイの視線は動かない。


「…………」


 ジッと動かずに一点を眺めているレイ。


一体何を見ているのか、きっと雨でも見ているのだとレイなら言いかねないだろう。


「車が来たよ」


「何ぃ!?」


 荷物が濡れないようにとビニールで覆う作業をしていた森崎が、レイの声で道路沿いに顔を向ける。


 降りしきる雨の中、遠い道路の端あたりに見える移動する物体。それが車だと認識されるまで、そう時間はかからなかった。


「運転してる奴も雨で視界が悪いだろうから、こっちもアピールしねぇとな」


 近くに町も無いへんぴな通りだ、この車を逃したら雨の中を歩く事は避けられないだろう。そうならない為にも、急いで大きめのタオルをレイに手渡す。


「よっし、こいつを振って気付いてもらうんだ」


 車がドンドン近づいている。森崎とレイはタオルを振って居場所をアピールした。視界の優れない今の状況で道路に出て強引に止める方法は危険すぎる。これが最善策だと判断し、とにかく力の限りブンブンとタオルを動かした。


 ブロロロロロロロロロー……。


「ああくそっ、いっちまったか」


「あはは、でもしょうがないよ」


 笑いながらレイはタオルで顔を拭く。大きなタオルで拭く。大きさだけは一人前だが、居場所を知らせるには適さないであろう迷彩柄のタオルで拭う。


「他のタオル無かったの?」


「うっ」


 どこかバツが悪い様子の森崎は、迷彩柄のタオルで顔を隠すように拭った。




 ザァザァと振り続ける雨は、まだまだ止む気配が無い。


「そういや、よく車が来るって気付いたな。あんな遠くじゃさすがのお前さんも音が聞こえたわけじゃないだろうに」


「うん、雨でエンジンの音も排気ガスの匂いも分からなかったけど、車のライトっぽい光が見えたからそうなんじゃないかって思っただけだよ」


 再び木の下に戻り、雨水を吸った服を絞りながら談笑する。


 ぎゅっ。ぎゅっ。


 雨にさらされていた民族衣装の袖口を絞り、溜まった水分を地面に落とす。


 見ればレイは全身がずぶ濡れだった。早々に木の下へと非難していた森崎と違い、道路沿いで車が来るのを待っていたからだろう。


 顔にぴったりと張り付く髪に、身体のラインがピッチリと浮き出ている服に森崎の視線は釘付けだ。


「どおしたの?」


「どどど、どうもしねーしそれより服を脱げ……ってそりゃまずいからそのままでも問題だしなぁああもうとにかくこれでも巻いとけ!」


 使っていないタオルをいくつかレイに無理矢理かぶせると、雨に紛れて顔を伝っている汗を拭う。


「あはは、暖かいね」


「お、おう良かったな」


 そんなやり取りをしている間にも、雨はザァザァと降り続ける。


 クエッ!?


「ん?」


 まだ雨は止んでいない。それどころか、雨足はどんどん強まっている気さえしている。


 その中でクックが何かを発見し、レイに知らせた。


「……人?」


「おいおい、こんなトコ歩いて通る奴なんざ俺ら以外に居るのかよ……って!?」


 見ればこちらにやって来る者が一人。傘も差さずに走って来る者が一人。段々と近づいていくにつれ、その風体も明らかになっていく。


「大きい人だね」


「肌が黒いな……日本国の人間じゃねぇようだが」


 バチャバチャとしぶきを飛ばしながら駆けて来る大きな男。おそらく年齢は三十前後と思わしきスキンヘッドの男。レイと比べても真っ黒の肌色をしている大男が、二人の側まで息を切らしてやってきた。


「ハァ……ハァ……オフタリサーン、ドチラマデー?」


 ツルリと見事に毛根の無いスキンヘッドを輝かせ、雨のせいなのか汗のせいなのか区別がつかない程にずぶ濡れの男が二人の前に現れたのだ。


「町の方……いや、この雨が凌げりゃどこだって構わねぇんだが」


「オッケ、オッケ。ワタシノマイカーノッチャッテノッチャッテ」


 男は笑いながら両手を広げ、着いて来いと言わんばかりに手招きする。


 いきなり現れた黒い大男を森崎は警戒していたが、レイは微塵も疑う素振りを見せずにその後ろを付いていく。


「おっ、おいレイ」


「せっかくなんだから乗せてってもらおうよ。この人、さっきの車の人だよ」


 レイを止めようとした森崎だったが、ザァザァと止みそうも無い雨音を嫌と言うほど聞いてしまってはそう強くは言えなかった。


 白いワゴン車。安全を考慮して見通しの良い位置に停められたそれは、三人では広すぎるぐらいの大きさがある。


「イヤービックリシタッスワー。マサカコンナトコデヒッチハイクシテルナンテオモワナカッタヨー」


 ブロロロロロロロロ。


 車が発進する。雨に負けじとワイパーをフル稼働させて車は進む。


「おいおいお前さん、俺らに気付いてわざわざ車から降りて濡れてまで知らねぇ奴を乗せてくなんて……言っとくが俺は全然金持ってないぞ?」


「私は少しならあるよ?」


「おいコラそういう事言うんじゃねぇ!」


 森崎がレイを一喝すると、男はハハハと大声で笑い出す。


 見ず知らずの人間を、悪天候の中をわざわざ駆けつけてまで助ける男。単なる良い人、お人好しと言う一言で済ませてしまえば簡単なのだが、それも度が過ぎると森崎で無くとも警戒してしまうだろう。


「オウ! モウシオクレマシタガワタシノネーム、ナム。オフタリサンハ?」


 ゆるやかなスピードで運転しながら、チラリとミラーで後部座席の二人を見るナム。


 陽気に話しかけるナムに森崎はどう反応するか迷っていたが、レイはあっさりと口を開いて答えた。


「私はレイ、この子はクック。それでこっちはサキモリ」


「森崎だ!」


 自己紹介を終えると、ナムはまたしてもハハハと大きな声で笑い出した。いくら他の車も人も通らないような道とはいえ、ハンドル片手に腹を抱えて笑っている。


「オーケー、ナマエオボエマシター。レイサン、クックサン、サシモリサンデスネー」


「誰が居酒屋の定番メニューだ!」


 結局名前を訂正する間もなく、目的地へと到着するまでハハハと大きな笑い声が車内に響き渡るのだった。

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