5話 水色の防人

 ――夕刻。


 レイは昨日と変わらず湖の景色を描いていた。


 もう完成は間近といったところだろう。彩色も最終段階に入っている。


「ねぇレイ、絵ばっかり描いてないで遊びましょうよ」


「うん……もうすぐ描き終わるからご飯の後でね」


 レイと遊びにやってきた千枝は、退屈そうに絵を眺めている。


 湖。木。土。空。


 それがあるだけの平凡な風景だが、レイは何枚も何枚もその景色を描いていた。


「おーい、二人ともー」


「あっ、森崎。せっかく千枝が来てあげてるのに、今までどこに行ってたのよ!」


 森の奥から姿を見せた森崎は、カチリと咥えていたタバコに火を点ける。


 フゥッ。


「ハンター共にそろそろ引き上げるよう声を掛けてきたんだが、どうやら途中で一人とはぐれちまったらしい。お前らこっちで見かけていないか?」


 森崎の問いに、レイと千枝は揃って首を横に振る。


 それを確認すると、短くなったタバコを足で踏みにじる。


「チッ、全然狩れないからってムキになってやがるか、道に迷って戻れなくなってるのかも知れないな……」


「私も手伝おうか?」


 絵を描く手を止め、レイは首を傾げた。


 その返事を待たずして、道具をしまいクックを肩に乗せてすっくと立ち上がる。


「ああ頼む。他のハンターは迷うと余計に危ないからもう帰しちまったし、銃声の音も聞こえなくなってるから俺一人じゃ探しようが無くってな」


「もうっ、夕飯に間に合うようにしないとダメなんだからね」


 村の方向へと帰る千枝とは反対に、レイ達は再び山の奥へと向かっていく。


 ザクザクザク。


 山の中。朝に歩いた所と同じ場所だというのに、少しばかり表情の違う山の中。それが面白いのか、レイはどこかうれしそうに散策する。


「夕日が綺麗だね。秋になれば紅葉と重なって、きっともっと良い色になる」


 暮れる前の夕日の中をぶらぶらと歩いていると、突然翼を羽ばたかせたクックが「クェーッ」と一鳴き。レイと森崎はピタリと足を止めた。


「居たか!?」


「人……それと動物の気配。こっちから!」


 ザッザッザッザ!


 背の高い茂みを抜けたその先には、おびえた様子でその場に座り込む一人の男性。そしてその正面に見える恐怖の対象は、男より何倍も大きな身体をした熊である。


「あ……わわわ……ひはひぃいいいっ」


 ガクガクガクと、全身を震わせている男。近くに投げ捨てられるようにして置いてある猟銃からして、仲間とはぐれたハンターに違いない。


「チッ、こりゃあまずいな」


 ザッ。


 現場の状況と男の様子を見るなり即座に駆けつけようした森崎だったが、一本の細腕によって進行は防がれた。


「待ってサキモリ!」


 担いでいた猟銃を下ろした森崎に、レイが待ったをかける。


 巨大な熊に襲われている人間を前に、扱い慣れた得物を所持した者が取る行動。


「……レイ?」


 人助け。


 暴れる熊を殺して人の命を救う。人情味溢れる勇敢な行為と同時に、それは熊の命を絶つ行動にも繋がる。ハンターならばいざ知らず、防人としてそれをするのはいけないと言いたくてレイは森崎を制止したのだろう。


「その人を助ければ熊を殺すことになるけど、サキモリは本当にそれでいいの?」


「へっ、良いも悪いも言ってる場合じゃねえだろうよ!」


 軽く鼻を擦った直後、静かに猟銃を構える森崎。


 ――バンッ! バンッ!


 大きな猟銃から放たれた弾丸は熊の真後ろにある木の枝と、その下の土を貫いた。


 枝の落ちる音、土の跳ねる感触から熊はすぐさま後ろを振り向き警戒する。


「……なんてな、俺は欲張り者なんでね」


「銃声で熊が……離れてく?」


 のっそのっそと遠ざかって行く熊を、レイは目を丸くして眺めていた。


 人と熊、その両方の命を守り抜いたその姿はまさしく防人と呼ぶに相応しい。


「ううわぁあああああ助けてくれぇええ! 殺さないでくれよぉおおお!」


『!?』


 見えない場所からの銃声に驚いた男が、恐怖のあまりに取り乱したような声をあげる。


 それに反応し、熊は再び男の居る方向へと視線を送る。


「ちぃっ!」


 バンッ! バンッ!


 熊の注意を逸らそうと再び発砲。


「あぁああああ来るな来るな来るなぁああああ!」


 男の怯えた叫びは止まず、声にひかれるように熊はゆっくりと男に近づいていく。


 考える暇さえ与える事無く、熊は図太い腕を振り上げて男に襲い掛かった。


「グガァアアアア!」


「サキモリッ!」


 ――バンッ!


 大きな猟銃から、硝煙が立ち上る。


 ドサッと倒れる大きな音と共に、少しだけ地面が揺れた。




 ――翌朝。


 いつもは千枝とその祖父しか居ない家。だが今日は普段より人口密度が高い家となっていた。


「昨日はどうもありがとうございます、おかげで助かりました」


「デカイ熊を一発で伸したんだって? やっぱり本業の人は違うな~」


「これはほんのお礼です。是非あの方に渡してください」

 いつもは静かな村長の家だが、この日はハンター達とその友人やらが押しかけていた。


 森崎は人の命を救った。ハンター達からは英雄の様に称えられ、それは一晩で町中の噂になっていたのだ。


 ありがとう。ありがとう。

 

 いくつもの感謝の言葉を浴びせられ、お礼の品々が渡される。


「…………」


 町からお礼にやって来た人々とは反対に、どこか浮かない表情をしている村長は無言でそれを受け取った。


「そうよ、森崎は凄いのよ私のフィアンセなんだからもっといっぱいたくさん誉めたって良いのよ!」


 どやっ。


 まるで自分が誉められたかのように胸を張る千枝。


 普段は森崎が村の人達からどこか距離を置かれている事に、子供ながらに気付いていた千枝にとって森崎の功績が認められたことが嬉しかったのだ。


 そして一頻り礼を言い終えた町の人間が帰るや否や、それまで黙り込んでいた村長がようやく口を開いた。


「……千枝」


「あっ、おじいちゃん。今日は森崎ご飯食べに来てないわね、人から感謝されるのが苦手っぽいから後から来るのかしらね?」


 すでに綺麗になっているテーブルを拭いたり、食器類を早々と準備したり、落ち着かない様子でそわそわと森崎が来るのを待つ千枝。


「森崎は……もうここには来やせんよ」


 ひしっ。


 ぱたぱたと部屋中をうろついていた千枝の足が、ピタリと止まった。


「えっ、ええ何それちょっと意味が分からないわ聞き間違いね冗談でしょ!?」


「村を出るっちゃ。これは嘘や無い」


 ばんっ!


 村長の発言に、千枝は思い切り机を叩いて抗議した。


「なっ、何で出て行くのよ意味分かんないわ! 森崎は人を助けた命の恩人で言うなればヒーローと言っても過言ではないわ。なのにどうしてそんな事言い出すのよ!?」


 ずずいっ、と千枝が村長にすがりつく様に歩み寄る。


 そんな千枝に対し、ポン。と軽く頭を撫ぜてやる。


「森崎はぁ人を救ったがぁ、山を殺しちまったんじゃあ。じゃけん、もうここに顔を出せんっちゃろ」


「なに……それ……?」


 村長にしがみついたまま、千枝は唇を噛み締める。言っている事の全てを理解しているわけではないだろうが、それでも森崎が遠くに行ってしまうのを感じたからだ。


「嫌っ、嫌よそんなの! 森崎は千枝が大きくなったら結婚するって決めてるんだから、だからずっと一緒に居なくちゃ……嫌だよ」


 小さくうずくまって、わんわんと泣き出す千枝。


 誰が悪いわけでもないが、村の掟がそうさせる。森崎自身も自分がした行動が分かっているはずだ。それを止めることは誰も出来ない。村長という立場なら尚更だ。




 ――湖のほとり。


 この場所に来るのもこれで最後になるだろう。山小屋で荷物をまとめ終えた森崎は、旅立ちの前に湖へ立ち寄ることにした。


 パチャ、パチャ。


 水の跳ねる音が聞こえる。


 見ればそこにはレイが居た。おそらく今日も湖の景色を描いているのだろう。


 そう思って近づいてみるが、レイは画材の類は一切出していなかった。湖の側に腰掛て脚を水面に浮かべたり沈めたり、水遊びをしているようだ。


 細くしなやかな脚が、綺麗な褐色肌の美脚だけが泳ぐ姿。声を掛けるのも忘れて、森崎はついつい魅入ってしまった。


「ん、サキモリ?」


 森崎の視線に気付いたのか、レイが声を掛ける。


 脚ばかり見ていたのがバレないように、冷静を装いレイに話しかける。


「お、おう今日は絵を描いてないんだな」


「うん、サキモリのお陰でもう描き終わったから」


 そう言って、レイは森崎に一枚の絵を見せる。


 太陽の光を浴びて輝く夏色の木々達。まるで写真を切り抜いたかのような風景だったが、肝心の湖には彩色が施されていなかった。


「湖の水を絵に塗っても、その色が出るわけじゃない。人を助けて感謝されても、その人の心が晴れるわけじゃない。サキモリがそれを教えてくれたから、だからこの絵はもうこれで完成なんだよ」


「おいおい、俺はもう防人じゃ……」


「――ううん。あんな大きな熊を殺してしまったから、確かにこの山はこれから生殖態のバランスが大きく崩れる危険性がある。だけどそうならない為に、ギリギリまで熊を殺さずに人を助けようとしたサキモリは立派な防人だよ」


 ちゃぽん。


水を切った脚ですっくと立ち上がり、レイは画材やその他の荷物を持って歩き出す。


 それに続くように、自然と森崎も歩き出した。特に意識していたわけでもないのに、レイに歩を合わせて進み出す。


「サキモリは……これからどうするの?」


 お互いに、どこへ向かっているのかも分からないのだろう。


 不安は無い。むしろこの先に何があるのか、楽しみさえ感じられる。


「さぁな、当ても無けりゃ金も無い。山道を歩きながらなんとかするさ」


「そう、でも私は少しならお金あるからサキモリも一緒に行こっ」


「おっ、おいちょっと!?」


「あはは、クック。行くよ」


 クエーッ!


 バサバサバサバサ。


 森崎の手を引いて、レイとクックは山道を進む。


 田舎の村での数日間。水色の防人との出会いを経て、レイは旅路を歩いて行く。

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