4話 水色って何色なんだろう

 ――翌朝。


 朝と言っても日の出直後の早朝。季節によっては夜明け前の時間。


 クエエエエエエエェーッ!


「!?」


 突然耳元で響く大きな声。正確には鳥の鳴き声が聞こえて飛び起きた。


 クェッ、クェッ。


「なんだ……レイが連れてる鳥かふぁああ」


 むくり。


 欠伸をしながら起き上がり、腰を捻ってポキポキ骨を鳴らす。


「レイ……はもう湖に行ったのか?」


 中に誰も入っていない寝袋を確認して、森崎は湖の方へと足を運んだ。




――早朝。


 夏の暑さがこれから訪れてきそうな、そんな日差しを浴びての朝。


 レイは昨日と同じく葉を集め、湖の風景を描いていた。


「……あはは」


 だんだんと鮮やかな色で埋まっていくその景色を見て、思わず笑みがこぼれる。


 木、花、土。


 それらは瓜二つと言えるほどに正確な色合いで描かれていたが、肝心の湖だけはまだ手付かずのままだ。


 ポチャ。


 湖の中に指を沈める。


 それを引き上げると指先からはポタッ、ポタッと雫が垂れる。


「この色……何色なんだろう?」


 葉や土のように、直接手にとって絵に出来るような色ではない。遠目に見れば水色。しかし、間近で見る透き通った湖の水はいわゆる水色という色をしていない。


「――おーい、レイ!」


 クエッ、クエッ。


 そんな事を考えている内に、森崎とクックがレイの元へと駆け寄ってきた。


「ったく、絵ぇ描きに来るなら起こしてくれりゃあいいのによ」


「うん……そうだね」


「今日も良い天気だ。また暑くなりそうだぜ」


「うん……ああそう」


「そういやお前、朝飯は食ったのか?」


「うーん……うんうん」


 ぼんやりとした生返事ばかり返すレイに、森崎は何やら不満そうな表情を見せる。


 グィッ。


「!?」


 いきなりレイの腕を掴むなり、そのままズンズンと歩き出す。


 クエーッ!


 森崎を止めようとするクックもお構いなしに、村の方へと歩き出す。


「何は無くともまずは飯だ。そんなボケッとしてちゃ良い絵も描けないだろうよ」


「……あはは、そうだね」


「小屋にある干し肉じゃあ栄養つかねぇからな。千枝んトコで飯にすっぞ」


 半ば強引に、レイを引っ張り出す森崎。


 レイはそれに抵抗するでもなく、その腕に身を委ねる。




 ――村長の家。


 千枝が住んでいる家。村一番の大きさを誇る家。森崎が村の中で唯一気を遣わずに入れる家でもある。


「ほぉ、嬢ちゃん大陸から来たっちゃ珍しいけんね」


「おじいちゃん、レイが前に居たのは大陸じゃなくて東京よ」


 千枝の両親は町で仕事をしているので、村へはたまにしか帰って来ないらしい。


 今日は村長である千枝の祖父と千枝に加え、森崎とレイの合わせて四人。久しぶりの賑やかな朝食に、千枝もどこかご機嫌な様子。


「レイってばご飯も食べないで絵を描こうとしてたの? そんなのダメよ不健康よ貧血になっちゃうんだからね!」


「あはは、サキモリにも同じこと言われた」


「ほらほら、たくさん食べないと大きくなれないんだからね」


 茶碗いっぱいに盛られた白米。きゅうりの漬物と納豆なんかを次々と差し出すと、お椀に味噌汁が入っていない事に気が付き台所へと急ぐ。


「そうじゃあ森崎、何でも今日は町ん方から山んとこに狩人が来とるらしいけんね。いつもみたいに喧嘩しねぇよう気ぃつけっぺや」


「もぐもぐ……ふぁな、俺はハンターとはソリが合わないんでな」


「こりゃ森崎! 年寄りの言う事をちゃあんと聞かんかえ!」


「へんっ」


 ゴクン。

 

 ご飯を飲み込み、森崎はあからさまに村長から視線を逸らす。


「もう森崎ったら、またおじいちゃんと喧嘩してるの?」


 やれやれと言わんばかりに眉を細め、千枝が食卓に味噌汁を提供する。


 ずずず。


 置かれた味噌汁を即座に飲み干した森崎は、すっくと立ち上がる。


「ごっそさん」


 それだけ言って、足早に山の方へと向かう。


 どこか苛立ちさえも見えるその様子に、レイは茶碗を持ったまま首を傾げる。


「サキモリ……どおしたのかな?」


「おじいちゃんと顔を合わせるといっつもこんな感じよ。気にしないでレイはちゃんとご飯食べていきなさいおかわりもあるわお残しは許されないんだからねっ!」


 もぐもぐ、ずずず。


 次々と千枝が用意する食事を、レイは黙々と食べ続けていた。




 ――山の奥。


 湖のほとりよりも多くの動物が生息しているその場所に、森崎は足を踏み入れた。


「二人……いや、三人ってとこか」


 踏まれた草木から判別した足跡を注意深く確認し、野生の動物達が数多く潜伏している場所へと赴いた人数を推測する。


 ダーン……ダーン。


「チッ、もうおっぱじめてやがるのか」


 離れた場所からの銃声が耳に入り、森崎は大きな猟銃を肩に担いで山の奥へと急いだ。


 ダーン。


 また一発。どこからか銃声が聞こえたが、その場所までは特定できない。


「クソッ、他所もんを野放しにしたかねぇっつうのに」


 辺りを見回すが、姿は見えず。無常にも時間だけが過ぎて行った。


 クェーッ!


「ん?」


 鳥の鳴き声。


 それが聞こえるのと同時に、レイの姿がそこにあった。


「あ、サキモリ」


「レイ、お前どうして来た!?」


 湖のほとりのように安全な場所ではない、危険な野生動物も生息している山の奥。加えてハンター達の銃声も飛び交うこの場所に、レイは荷物も持たずにやって来ていた。


「こんなトコに手ぶらで来やがって、あぶねぇからさっさと戻んな」


「手ブラ?」


 ササッ。

 

 両手で胸を隠すレイ。


「そっちの意味じゃねぇよ!」


「あはは、冗談だよ」


「ったく、さっさとハンターの動向を確認しておきてぇってのに」


「ふぅん」


 ため息を吐く森崎を尻目に、レイはサクサクと山道を進み始める。


 ゆるやかな傾斜の一本道ではなく、複雑に入り組んだ獣道に近い場所。慣れない者が下手に動いたら迷う事は目に見えている。


「おいおい、勝手に行くんじゃ……」


「こっち、ハンターの所に行くんでしょ?」


 レイは迷う事無く歩き出す。


 足跡を頼りに通った道を探るでもなく、何の根拠があってか自信満々で歩み続ける。


 ダーン!


 銃声に近づいているのが分かる。どうやら道は正しいようだ。


「ねぇ……サキモリはどうしてハンターを追ってるの?」


「どうしてって……そりゃあ後先考えずに狩りを楽しむだけのバカなハンターなんかに山を荒らされちゃ困るからだよ」


「そっか。でもその心配はいらないと思うけど」


「ああん?」


 レイが何を思ってそう言ったのか、森崎には理解出来なかった。


 ダーン!


「……ほらね。銃声が聞こえた後も動物の足音がするし、血の匂いも全然してないから。多分そんなに腕の立つハンターじゃないみたいだね」


「姿すら見えねーのに足音なんざ聞こえるかって……ったく、どんな耳してやがんだか」


「あはは、こんな耳だよ?」


 森崎に見せ付けるように耳を強調するレイ。


 褐色肌の小さな耳は、レイの身体では数少ない子供らしい部位だった。


「…………」


「ひゃっ!?」


 ふにっ。


 間近に出されたその耳に、気付かぬうちに自然と手が伸びていた。


 ふにふにの柔らかい子供の耳は、指で包めてしまう程の大きさしかない。


「はははっ、サキモリ。くすぐったいよ」


「お、おう悪いな……」


 ククク、クエーッ!


 思わず掴んでしまった耳から手を離し、クックに突きまわされながら道を進んでいく内に、サキモリはハンター達の姿を肉眼で捉えた。


 森崎の読み通り数は三人。レイの言うとおり、あまり腕の立つハンターにも見えない。


「どうするの?」


「まぁ……一応様子を見るか」


 ダーン!


 山を駆け回る動物達に翻弄され、全くと言って良い程に狙いの定まらない体たらく。幾多もの銃声が聞こえても尚、一匹たりとも仕留めていない理由がすぐに分かった。


「なんだありゃ、ほっといても平気そうだな」


「いいの?」


「狩りすぎて生態系に影響が出たらまずいと思ったんだが、それもいらん心配だったな」


 ザッザッザ。


 くるりと振り返り、来た道を戻る森崎。


「…………」


 一度だけハンター達の方を振り向いてから、レイもそれに続いた。

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