3話 星も人もたくさんだから

 ――夕刻。


 そのまま千枝の家で半日ほど過ごし、昼食をご馳走になった森崎とレイ。

 

 レイはもう一度湖まで絵を描きに戻ると言ったっきり、まだ村には戻って来ていない。


 森崎はそれが気になり、再び湖までやって来たのだ。

 

「……ったく、そろそろ日も暮れるってのに」


 ザッザッザ。


 夏場とは言え都会のように煌びやかな街灯がある場所ではない。すでに辺りは薄暗くなっている為、いつになく早足で山道を歩く森崎。


 ちゃぽん。


 水の音。


 湖の近くまでやってきた森崎にそれが聞こえてきた。


「おーい、レイ。まだ絵ぇ描いてんのかー?」


 ザパンッ。


 森崎が声を掛けた直後に、湖の中からしぶきが飛ぶ。


「サキモリ……?」

 

 ぽたぽたと体から水を滴らせている黒いシルエットが、湖の中から姿を見せる。そして森崎の姿を確認すると、ひたひたと歩み寄ってきた。


「呼んだ?」


「あ、ああ呼んだけどよ……」


 ぴちゃん、ぴちゃん。


 水が滴る良い女。


 健康的な褐色肌の少女が、一糸まとわぬ姿で目の前に立っている。


 顔に似合わぬ豊かなバストをぷるんと揺らし、肢体とは相対的な白いタオルで髪に付いた水滴を拭っている。


 ごくり。


 思わず生唾を飲み込んでしまう程に、見惚れるボディライン。


「なぁに?」


「いっ、いやいや全然見てねーし見たところで何も思わねーから安心しろって!」


「えっと、サキモリが呼んだんじゃないの?」


 ぷるんぷるん。


 片足で跳ねながら、耳に入った水を落とす。


「だぁあああ! とにかくさっさと服を着ろ!」


「あはは、そうだね。こんな季節だけど夜は冷えるからね」

 体を拭いながら、服が置いてある場所まで歩くレイ。


 ふぅ。


 薄手の民族服に身を包んだレイを確認し、森崎はホッとため息を吐く。


「ままま、全くもってけしからん奴だぜ」


 クエーッ!


「イテテッ、何だお前。俺は何もしてないっつの!」


「もうクック、サキモリとケンカしちゃだめだよ」


 バサバサバサ。


 レイに止められ、攻撃の手を休めるクック。


「それで、サキモリはどうしたの?」


「おおそうだ、お前がちっとも村に戻って来ないから様子を見に来たんだ」


「ふぅん、でも私はもう寝るだけなんだけど」


 スッ。


 レイの指差す方向。


 そこには画材やらなんやらの大荷物と共に、小さな寝袋が一つ。


「こ……ここで寝る気だったのかよ」


 はぁ。


 森崎はため息を吐きつつも、レイならばあながち心配もいらないだろうと、今日会ったばかりの少女なのに何故だかそういう安心感がどこかにあった。


「まぁお前さんなら問題無いだろうが、ガキを一人で山に置いていくわけにもいかんだろう。寝る場所くらいはもっと安全な所に連れてくぜ」


「村まで戻るの?」


「ああ、千枝のトコならワケを話せば泊めてくれるだろう」


「そっか、サキモリは?」


「俺は山小屋」


 ザッザッザ。


 レイを連れて山道を歩く森崎。暗くなる前に山道を抜け出そうと、いくらか早足で村までの帰路を急ぐ。


「やっぱり……私もそっちのが良いな」


「なっ!?」


 ザッ。


 思わず立ち止まる。


 森崎はレイの方を振り返り、その顔を見た。


「うん、私もサキモリと一緒に山小屋で寝るよ」


「はぁああああ?」




 ――山小屋。


 湖から一キロ程離れた場所にある、森崎が住んでいる山小屋。


 中には木で造られた机とイス。雑に散りばめられたガラクタと敷きっぱなしの煎餅布団が一式あるだけだった。


「コーヒー飲めるか?」


「うん」


 カチッ。


 古びたコンロのスイッチを入れ、錆び付いたヤカンをセットする。


「ねぇサキモリ。ここはのどかで、とっても広くて、夏色が映える素敵な村だね」


 カチャリ。


 目の前に置かれたコーヒーからもくもくと上がる湯気を眺めながら、レイはぽつりとつぶやいた。


「人の多い東京も好きだけど、私はこういう場所も好きだな」


 フー、フー。


 柔らかそうな唇から、優しく吐息を出して熱を逃がす。


 ゴクリ。


 その様子を眺めていただけで妙に緊張してしまった森崎は、乾いた唾と一緒にゴクリとコーヒーを飲み始めた。


「ま、まぁこんなちっぽけなトコが気に入ったんなら良いけどよ」


「村に、山に、この小屋。全部が自分の居場所だから、ここは広いよ」


「自分の居場所……ねぇ?」


 レイの言わんとしている事が分からない森崎は、首を傾げながら小屋の扉を開ける。


 カチッ、チッ……ボッ。


 暗い背景を照らす灯火。そこから程なく煙が空へと舞い上がる。


「あはは、サキモリはタバコ吸うんだ」


「まーな」


 何が可笑しいのか、レイは笑いながら森崎がタバコを吸う姿を観察していた。


 フゥー。


 薄暗い景色の中。それを照らす赤い灯火から生み出されるのは、月明かりに映える幻想的な白い煙。

 

 ゆらゆら、ゆらり。

 

 明るい時間では決して目にする事の出来ない白い光は、森崎の周りを覆うようにして舞っている。


「……きれい」


 ふふっ。


 ぼんやりとした明かりの中で、レイは白い煙をジッと眺めていた。


「おいおい、あんまり近づくなって。子供にゃタバコの煙は毒なんだよ」


「ふぅん、でも私は好きだな。この匂い」


 フゥー。


 森崎はレイの居る方向とは逆に煙を吐き出す。


「ねぇサキモリ」


「あん?」


 ザッ。


 咥えていたタバコを片手で持ち、振り返る。


「不思議だね。サキモリは素敵な部分がいっぱいの人なのに、千枝以外の村人達はサキモリを嫌ってる」


「ヘッ、そりゃあ山賊だからに決まってるだろう。不思議なモンかよ」


 白い煙が立ち上るタバコを踏みつける森崎。

 

 するとレイは首を横に振り、そのまま煙の行く末を。夜空を見上げる。

 

 星空。

 

 東京の街中では決して見ることの出来ない数の星々に向けて、両手を伸ばす。


「星も人もたくさんだから、目に映る光以外の輝きを見るために私は旅をしているから。だからサキモリが山賊でも、私は好きだよ」


 クスッ。


 目の前に居る褐色肌の少女。スタイルは子供のそれとは違っていたが、この時のレイの笑顔にドキッとしたのは確かだ。


「なななっおっ、お前の話は難しくてわかんねーな……ってかほらあれだ、遅くなる前にガキは寝ろ寝ろ」


 その顔を見られないようにレイを山小屋に押し込み、森崎はどこか落ち着かない様子で火種の落ちたタバコを咥え直した。

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