あたしと付き合いたいのならオタクをやめなさい!

祭影圭介

第1話

「あたしと付き合いたいのならオタクをやめなさい」

 長い金髪の少女がにっこりと微笑み、流暢な日本語で言った。

 Tシャツとジーパンというラフな格好だ。日本と北欧のハーフで、背が高く大学生ぐらいに見える

 スタイルが良く、胸は無いものの モデルのようで街中でスカウトやナンパされることもしょっちゅうあるという。

 髪は明るい金髪で、眼の色は青に近く、肌も積もったばかりの新雪のようで、もしフィギュアスケートで着るようなひらひらの衣装を身に着けていれば、美しい妖精のようだろう。

 彼女が立っているだけでも人目を惹いた。

 周りにいるカップル達が、少女とその前にいるどうみても不釣り合いな、ダサい黒縁の眼鏡を掛け醜く太り、額から脂ぎった汗を流している半袖の制服の少年の姿を、好奇の目で眺めていた。

 そこは、街が一望できる見晴らしの良い公園で、夕陽の色で染まり数多くのカップルが景色を楽しんでいた。爽やかな風が少女の髪や周りの木々の葉を揺らしている。

 一方、少女を前にして仁久丸俊直(にくまるとしなお)は、思考を停止しいていた。

 彼は一週間前に告白し、今日は返事を聞くために呼び出された。

 正直、ごめんなさいは想定していたが、まさか――

 こんな難しい要求を突き付けてくるとは思わなかった。 

 現実の女のために、彼の一番の楽しみであるオタク趣味を捨てろと言ってきたのだ。

 この数年ぶりに再会した幼馴染の少女、鬼池麒龍(おにいけきりゅう)は――

「手始めに、あなたの部屋いっぱいにあるオタクグッズを、捨てるところから始めてもらおうかしら」

「何言ってるんだ。俺の青春が詰まってるんだぞ! 全部捨てるには何年かかるか」

「付き合おうかどうしようか迷って告白されてから、あなたのことは色々と調べさせてもらった。そしたら……しばらく会わないうちに、随分変態になったのね、俊直」

「な、なんのことだ」

「18歳未満なのに秋葉原にエロゲー買いに行ってる。しかもエッチシーンを抜けば、家庭向けのゲーム機でプレイできるような純愛ものではなく、凌辱系ばかり。ゲームの特典はおっぱいマウスパッド、ヒロインの女の子が履いているのを模した水色と白の縞々のパンツ、ブルマ、旧型スク水」

 両腕を胸の前で交差させ、口にするのも汚らわしいという不機嫌な様子で麒龍が言った。

「お、お前には関係ないだろう」

「あたしが捨てなくても、ご両親に知られたらどうなるかしら。おたくの息子、やばいです。フィギュアやドール(ハイパードルフィー)のスカートの下からパンツを眺めてはにやにや。ドールのパンツを興奮しながら履き替えさせる。挙句の果てには、おっぱい丸出しのセクシーなエロフィギュアに、白濁液のごとく練乳をぶっかけるプレイ。将来間違いなく犯罪者だわ。あたしは、きっとテレビのインタビューでこう答える。ええ、彼ならいつかやるんじゃないかと思ってました」

 仁久丸はさっきよりも明らかに狼狽えていた。 

「どうしてお前がそんなことを知っているんだ。そ、それに俺がそんなことをしているという証拠でもあるのか!?」

 麒龍はスマホを取り出し操作して、画面を見せる。

 仁久丸が近づいてアルバムの中を確認すると、発売日にキャラクター入りの大きな紙袋を持ち、秋葉原のパソコンゲームショップのアダルトゲームソフト館に出入りする写真や、匿名で運営しているブログに載せた、練乳が頭からたっぷりとかかったフィギュアの画像などがあった。

「こ……これだけでは、俺が買った証拠にはならないし、俺がこのブログを運営してるという推測じゃないか!」

 仁久丸は顔を背け、スマホを突き返した。

「あくまでシラを切るのね。残念だわ。でもまだあるわよ。とっておきのやつが……」

 麒龍が再びスマホを操作する。そして顔を思いっきり背けながら、彼に見えるように手を伸ばした。

 それは仁久丸が薄暗い部屋の中、電気もつけないで大きなヘッドフォンを付けながらパソコン画面の前に座り、ズボンをずり下げ自分のあれを握っているようにみえた。もちろんはっきりとは映っていないが、画面には下着姿の美少女が淫らな格好でベッドの上に横たわっている。

 今度の写真はスマホのアルバムの中ではなく、会話アプリのメッセージ画面の中だった。他にも、数枚写真があり、スク水をあそこに押し付けているものや、パンツを顔面に貼りつかせているものもある。

 仁久丸は顔面蒼白になって抗議の声をあげた。

「なんでお前が こんな写真持ってるんだ!」

「だから妹に嫌われるのよ」

「華(はな)の仕業か!!」

 よく見るとメッセージアプリの相手の名前に、見覚えのある犬のアイコンと彼の妹である華の名前があった。

 麒龍がため息をつきながらスマホを引っ込める。仁久丸はそれをとっさに奪おうとしたが、失敗した。

「くそっ。あいつ帰ったら覚えてろよ。これだから現実の妹は――」

「あんたと違っていい子だけど。うちに欲しいぐらい」

「欲しけりゃくれてやる。持ってけ!」

「華ちゃんが可哀そう。デブ丸の妹なんて呼ばれてて。あたしもこんな彼氏嫌だ。気持ち悪い……。それに俊直は嫌っているみたいだけど、華ちゃんは心配してくれて両親に言う前にあたしに打ち明けてくれたの。よかったわね、あたしで。感謝しなさい」

 やれやれといった口調だった。

 確かに彼女の言う通りかもしれない――と、仁久丸は思った。

 うちの頭の固い父と母のことを考えたら…… 

① アニメの録画ができなくなる。 

② パソコンやゲーム機を取り上げられる。 

③ 塾や習い事も増えるかもしれない。監視されやすいように。

④ 自分の部屋が無くなる。フィギュアやポスターなども全部撤去されて……。

 最悪だ。 

 麒龍の方が、まだマシかもしれない。

「捨てるわよね」 

 有無を言わせない口調で睨みながら彼女は迫った。

「はい! 捨てます!」

 気が動転した仁久丸は、圧の凄さに押されて、思わず頷く。顔には大量の汗を浮かべ、身体は妙に熱く火照っていた。鼻息も荒い。 

 思わず言ってしまった………

 と彼は後悔したが、このときは従うしかなかった。


 一軒家の二階の部屋。 

 そこが仁久丸の城だった。

 壁にはアニメやゲームの美少女キャラクターのポスターがずらりと貼られていて、『魔法少女リリカルうらら』を始め、戦闘機パイロットの主人公が、可愛い新人アイドルとセクシーで美人なトップシンガーのアイドル、どっちを取るかという三角関係を描いた『アクロスF(フロンティア)』。あなたに突然12人の妹ができて、彼女達からそれぞれ<お兄ちゃん>やら<お兄様>と飛ばれるようになる『シスター・クイーン』ほか、人気声優堀江奈々のポスターが天井にまで貼られている。

 ポスターは傷がつかないよう直接画鋲は刺さずに、一枚一枚アニメショップで買った専用のビニールに入れられ、その上から止められていた。

 ベッドには抱き枕があり、棚にはフィギュアやドール(ハイパードルフィー)が、所狭しと並んでいた。

 勉強机には大きなモニターが置かれていて、入り口から離れた場所にあり、家族が不意に扉を開けて入ってきても見えない位置に置かれていた。これならエロゲーやエロサイトなどを楽しんでいても、近づいてくる間に十分隠すことが出来る。

 学校から帰ってきて菓子を食った後、Tシャツと短パン姿に着替えた仁久丸が、巨体を椅子に休めてパソコンを起動していると、ドタバタという足音と共に、扉が割れんばかりの勢いで開け放たれた。大きな音に彼はびっくりして、思わず身をすくめる。

 麒龍と妹の華だった。麒龍は相変わらずのラフな格好で、妹の方はなぜか頭に鉢巻きを締め新選組の法被を着て、時代劇によく出てくる御用と書いた提灯を持っている。ショートカットが良く似合う、中学二年生だ。活発な性格でテニス部に所属している。

 仁久丸は何か嫌な予感がしたが、椅子から体を起こす前に、二人によって取り押さえられた。

 そのまま巨体を床に押し倒され、捕縛される。

「御用だ! 大人しくお縄に付けぃ!!」

 力では圧倒的に仁久丸の方が有利だが、無防備な状態で奇襲を受けては、ひとたまりも無い。

「何なんだ、お前らは!?」

 床に横たわり縄をかけられ身動きできない状態で、彼は麒龍と華を見上げる。

「火付け盗賊改めならぬ、オタク変態改めである」

「あんたのオタクグッズを捨てに来たわ」

 麒龍がそう言いながら人気声優堀江奈々のポスターを剥がす。ビニールのカバーから抜き出し、次の瞬間思いっきり横に引き裂いた。

 じゃりっ――と、破れる音がする。

 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

「お前なんてことを! 全国の奈々ちゃんファンに謝れ!!」

「黙れ無礼者! 姫の御前であるぞ。神妙にいたせ」

 華が仁久丸の頭頂部を蹴り黙らせる。ドゴッと鈍い音がして声にならない悲鳴があがる。

「天誅!」

 そう言って彼女も麒龍に倣い、そこらへんのポスターを剥がして豪快に破った。二 人でビリビリと破っていき、紙片が床にたまっていった。

「この……クソ妹め。俺の部屋を盗撮したのもお前だろう」

「ふっふっふ、我は影の軍団」

 華は、おじいちゃんおばあちゃんの影響で時代劇が好きだ。腐女子ではなく一般人である。

「お前だって好きなアイドルのポスターぐらい部屋に貼るだろう!?」

 麒龍は無言で仁久丸まで歩み寄り、しゃがんで彼の横腹を摘まんだ。

「なに、この贅肉だらけのお腹。ほんとだらしのない豚ね。あたしは顔より筋肉。プロのボクサーとかが好きなの。外人のいかつい選手と戦って勝てるなら、あんたの写真を引き伸ばして部屋に飾ってあげるわ」

 彼女は立ち上がり、命令を下す。

「華ちゃん、全部運び出して」

「もうこれ以上はやめてくれ!」

「――御意」

 華は頷くと部屋の外に行き、大きなゴミ袋を持ってきて広げ、飾ってあったフィギュアなどを手当たり次第に詰め始めた。

「やめろ、バカ! 嘘だろ!?」

 麒龍は、残りのポスターを剥がし始める。

「頼む、捨てないでくれ! ああ、それは! 限定品のワンの使い魔のロイズちゃん」

「うるさいわね。筋トレ一か月続けられたら、返してあげてもいいわよ」

「往生際が悪いぞ。仁久丸俊直、討ち取ったり!」

 華が兄にタオルで目隠しをして、縄を噛ませて猿轡にする。 

 仁久丸が必死に呻くが、その後も荷物を運ぶ音と、ビリビリと紙を破る音が続いたのだった。


 仁久丸の部屋から運び出されたオタクグッズは、庭の物置に全て運び込まれ鍵が掛けられた。鍵は麒龍が管理し、筋トレをさぼっていないか、華が毎日監視することとなった。もしさぼったら、今まで集めたお宝の数々――、彼女達の命は無い。

 さらにはあろうことか、ついでにジムに通ったらどうかと両親の勧めで言われたが、すんでのところで回避した。

 あぶない。あぶない。

 父の直久は商店街で精肉店を営んでいる。ややデブだが、努力して毎朝ジョギングしていた。そこは凄いのだが息子の趣味に理解はなく、フィギュアを見れば気持ち悪いと嫌悪し、母の莉華は「おにいちゃ~ん」とアニメキャラが可愛く声を出しているシーンで、「あんた今どきこんな子いないわよ」と、もっと現実を見るようにと言うのだった。


「もうちょっとで妹達のライブが始まるぜ、仁久丸。待ちきれないな~。早く遥歌(はるか)ちゃんに兄君(あにぎみ)様って呼んで欲しい」

 仁久丸の横に並んでいるガリガリの男、粕谷が鼻息を荒くして興奮した様子で言った。手にはサイリウム、背負ったリュックにはビームサーベル(ポスター)が刺さっている。 

「和服姿が可愛い遥歌も人気があるけど、やっぱり咲(さく)弥(や)ちゃんの『お兄様~♡』だろう。堀江奈々の声であんな風に呼ばれたらたまらん。あの電撃ダースマガジンのメイド服姿の応募者全員プレゼントのテレカ、可愛かったな~」

 日曜日の午前中、彼らはとあるイベントに来ていた。広い会場内は参加者(オタク)で溢れ、熱気に包まれている。

 仁久丸はたった今買ったばかりの、シスター・クイーンのキャラクターのTシャツを着て、大量の紙袋抱え、同作品のうちわで仰ぎながら順番待ちの列に並んでいた。

 整理券をゲットし、この後の握手会をまだかまだかと楽しみにしているところだ。 

「お前はただのツインテール萌えだろう。リリカルうららのファイトちゃんも、月は東へ日は西への渋柿茉理(しぶがきまつり)ちゃんも」

「お前こそ元々は、千景(ちかげ)萌えだったじゃねえか。あのミステリアスな雰囲気がたまらんとか言ってたくせに、あとからキャラ追加されて、兄君(あにくん)から兄君様に流されやがった。俺は一途に咲弥ちゃん一筋だ!」

「うるせえ、咲弥(さくや)なんか露出の高い水着を着て、大人の雰囲気を醸し出し、お兄ちゃんを誘惑するタダのビッチじゃねえか」

「お前、全国の咲弥ファンに殺されたいのか!? ええい。遥歌はお前にはもったいない。こんなやつの護衛と身の回りの世話なんかしなくていい! ドイツに帰ってもっといい男を見つけろ!」

「妹なら華ちゃんがいるだろう。メイド服でも着て、毎朝登校前に起こしに来てもらえ!」

「お前は現実の妹がどういうものか知らないから、そんなことが言えるんだ。俺の妹がこんなに可愛いはずがない」

 仁久丸はズボンのポケットから定期入れを取り出し、交通系ICカードの裏に忍ばてあったメイド服姿の女の子が描かれたテレカを取り出して、にやにやしながら眺めた。

 ああ、癒される。

 麒龍達からの略奪から免れた彼の宝物だ。

 仁久丸と粕谷の二人は同級生で、その青春及び情熱を全てオタク活動に捧げるエリートだ。

 後輩オタクやライトなオタクからある意味尊敬されている。

 彼らはよく秋葉原に出現し、国連の安全保障理事会になぞらえ、秋葉原常任理事国と揶揄されていた。

 五大国のうち、デブ丸とチンカスと呼ばれている。

 彼らの好きなキャラの趣味は対局で、いつも真剣にあそこが萌えるだとか、どこが可愛いとか競い合っていた。

 例えば、仁久丸がアクロスFでは、一途な新人アイドルであるナンカちゃんが好きなのに対し、粕谷は大人の色気漂うシャリルが好きだ。ちなみに彼女のことを仁久丸からババアと罵られるとすごい怒る。

 それも彼らの間では日常茶飯事で、同志であり良きライバルであった。

 仁久丸のスマホからアニソンのメロディが響き、彼は画面を見た。麒龍からだった。会話アプリだがビデオ通話なので顔が見えてしまう。つまりイベントにいるのが、バレてしまうということだ。

 鳴り止むのを待った。だが二度、三度と掛かってきた。いい加減頭にきたので、電源を切ろうとしたが、メッセージが届いていた。

『次、出ないと、あんたの大切なものが二度と拝めなくなる。電話出ろ!』

 無視してイベントに集中しようかと思ったが、物置に捕らわれている人質達のことを考え、やむなく出ることにした。

「粕谷、俺ちょっとトイレ行きたくなった」

「ええ!? もうすぐ始まるぞ」

 驚く相棒を残して、仁久丸は巨体を揺らしながら、鳴り続けるスマホを手に、イベント会場の端まで走った。息を切らしたまま壁に寄りかかり、通話を開始する。Tシャツを隠したかったので、その画面をなるべく顔の近くに近づけた。 

「やっと出た。いまどこにいるの?」

 ぶっきらぼうな口調と共に、麒龍の顔が現れた。背景には、地元の御凪都(みなと)駅の駅ビルが映っていた。

「どこ行ってんの? 周りがずいぶんうるさいわね」

「そうか? カラオケだよ、カラオケ」

「秋葉原の? 嘘でしょ。華ちゃんから聞いた。お兄ちゃんの行きそうなとこはすぐわかるって。毎年同じのは特に……。イベント行くの禁止! 今すぐ帰ってきなさい」

「なんでお前に、そんなこと決められなくちゃいけないんだ!」

 スマホ画面に向かって大声で怒鳴る仁久丸。だが、「これな~んだ」と、麒龍が取り出したテレホンカードに彼は思わず喰いついた。

「バレンタインチョコ持ってる電子の妖精、機動戦艦ナタデココのツキノ・ルリじゃないか!」

「早く来て♡ 早く来ないと――」

 麒龍は公衆電話の中に入ったようで、テレカを差込口に入れようとしている。

「お、おい! 待て! やめろ! それは秋葉原のC‐BOOKSで、プレミアついて一万はするんだぞ!」

「え? そうなの。でも500円分しか使えないでしょ? あ、大変。スマホの充電切れちゃいそう」

「機体の調整が完全じゃないのか!?」

 仁久丸は唾を飛ばしながら叫んだ。

「何ガンダムの主人公みたいなセリフ言ってんだ? スマホ壊れてるのか?」

「あ、粕谷――」

 気が付くと彼が隣にいて不思議そうな顔をしていた。

 事情を説明したいところだが、今はそれどころではなかった。プレミア物のテレカに穴が開いては意味が無い。なんとしても避けねば! 事態は一刻一秒を争う!

「お前最初からこのつもりで電話してきただろ。10円玉や100円玉があるだろ! 後で俺が払うから!!」

「小銭持ってきてな――」

 通信はそこで途絶えた。

 オワタ。


「あたしとの待ち合わせに、こんなの着てくるんじゃない! 恥ずかしいでしょ!!」

「お前が急に呼びつけたんだろ!」

 イベントを飛び出して麒龍と合流した仁久丸だったが、会うなり人気のいないビルの裏に連れて行かれ怒鳴られた。

「捨てろと言ってるのに、買ってくるんじゃない! 朝着ていったシャツに着替えて!!」

 だが唯一持っていたチェックの柄のシャツは汗だくで、とてももう一回着られるものではなかった。あとはイベントで買ってきたシャツしかない。

 そこらへんで新調するように言われたが、あいにく持ち合わせが無かった。 

「いくら使ってんの!? お父さんお母さんから貰ったお金でしょ。無駄遣いすんな!」

 仁久丸が買ってきたものは取り上げられ、彼女が持ってきていたキャリーケースに放り込まれ鍵を掛けられた。

 一旦、家に帰って隠しておけばよかった――

 いや、それだとどうせ妹にすぐ発見されるので、コインロッカーにでも入れておけばよかった。甘かった――と、彼は思った。

 その場で駅のゴミ箱に放り込まれなかっただけマシだろうか。

 結局、ユニクロに連れていかれ、金を借りて買う羽目になったのだった。 


 ポスターが剥がされ、フィギュアやプラモデルが撤去され殺風景になった仁久丸の部屋で、昨日買ってきたばかりの美少女キャラクターのTシャツを着せられ、彼は後ろ手に縛られて立たされていた。

 床にはなぜか新聞紙が敷き詰められ、ツイスターゲームと硯、墨汁、筆が置かれている。

 学校から帰ってくるやいなや麒龍と華に制服から、好きなシャツに着替えるように言われた。

 選択肢は二種類。

 どちらも同じ作品で、義理の妹を取るか、それとも優等生で学園一のアイドルを取るか――

 キャラクター的には『兄さん♪』と、主人公のことを慕ってくる、妹キャラの佐倉音夢(さくらねむ)が可愛い。やや病弱で、朝起こしに来たりするのが萌えポイントだ。

 しかしもう一人のヒロイン白川ことりも、容姿端麗の美少女で歌がうまい。声優(ボイス)は大好きな堀江奈々だ。  

 非常に悩ましい。

 悩んだ末、昨日のイベントでは両方買った

 まあ基本だろう。お蔭で今月の昼飯代などはかなり削らなければならないだろうが、グッズなどを買い作者に還元することは、ファンとしての当然だ。

 どっちを着るか迷いに迷ったが、佐倉音夢の誕生日は冬で、白川ことりは夏なので、ことりの方を着ることにした。

「いまからあたしとツイスターゲームで勝負ね」

「ちょっと待て」

 腕使えない時点で、どう考えても負ける気が――

「華ちゃん回して」

「御意!」

 仁久丸が口を挟むが聞いてない。揃ってツイスターの前に立ち、華は椅子に座りながらボードの矢印を回し、左足赤、右手青と始まった。

 仁久丸は仰向けになり、縛られた両手首でなんとか体重を支えている。その上に麒龍が覆いかぶさるようになり、彼女の胸が顔の近くに押し付けられた。しかもノーブラのようだ。

 ん~気持ちいい……

 おっぱいマウスパッドで色々触ってきたが、これが現実か――

 良い感触だ。

 大きくは無いが形がよい。揉んでみたい。とても柔らかそうだ。

 自分でも気づかないうちに鼻息が荒くなっていたようで、ス―ス―という音がする。

 エアコンは効いてるはずだが、熱気というか麒龍の身体が近くにあり接しているせいか、妙に暑い。

 気付かれていないだろうか――

 麒龍は上を向いているから、大丈夫だろう。

「ちょっと、あんまり揺れないでよ。」

「しょうがないだろ……。文句言うんだったら両腕を解け」

「この状態であんたが二回連続で勝ったらね」

 ちょっときついけど、このまま続くのも悪くない。

「負けたらお仕置きだからね」

「え?」

「何のために墨汁や筆を用意したと思ってるの」

「ああ、あれか。羽付きで負けたら顔に○とか×とか書くやつ」

「馬鹿ね そんなので済むと思ってるの。あたしとの待ち合わせに、あんな恥ずかしいシャツでやってくるなんて。あなたが今着ているその可愛い女の子の顔に、大きく×印をつけてあ・げ・る♡」

 仁久丸は顔面蒼白になって、ぶるぶると今まで以上に震え出した。

「華、早くしろ!」

 彼は叫んだ。

 現実の誘惑に浸っている場合ではない。俺のことりを守らなくてはならない。絶対に!

 華が椅子に座ったまま、彼を見下ろしながら次の指示を出した。右足緑。

 仁久丸が動かそうとしていたところへ、麒龍がさっと足を伸ばして塞いだ。

 あっと仁久丸が叫ぶ。体制が崩れる前に、別の場所を探したがもう遅かった。

 ドサッと彼の巨体が音を立てて床に沈んだ。

 きゃっ

 麒龍も足を弾かれたようでバランスを崩し、そのままに仁久丸の上に乗っかるように倒れ込む。鈍い音がして彼は軽く頭を打った。

 いてててて

 もぞもぞと手足を動かし仁久丸は、痛みが和らぐのを待つ。

 すると目の前に麒龍の唇があった。彼女の金髪が仁久丸の頬にかかっている。シャンプーの良い香りが、彼を優しく包んだ。

 麒龍は頬を染めながら慌てて立ち上がると、華にあれ渡してと頼んだ。

 華は椅子から立ち上がり、銀色に光る金属の二つの輪っかを渡した。それは短い鎖で繋がれていた。

「手錠なんかどこで調達してきたんだ!?」

「あんたのエロゲーの特典でしょ」

「うっ」

 麒龍は仁久丸の両足首に手錠をはめると、彼のあそこを、力を込めて足の裏でぐりぐりと上下左右に揺らし始めた。 

 玉が潰されそうな嫌な感触が彼を襲う。

 悶絶する仁久丸。

 ああぅ うあ~

 という声を出しながら、芋虫のように身を左右に捩っている。

「こういうのがいいんでしょ。オタクって」

「変態」

 華は蔑んだ目で兄を見下ろしていた。

「DC(どこさわってんの)ダ・メーポ!」

 仁久丸は息も絶え絶えになりながら、ようやく言葉を吐き出した。

「さっき私の胸見てたでしょ」

「そ……そんなことはない!」

 麒龍に睨まれ、仁久丸が顔をそらす。

 彼女は足を動かすのをやめ、彼の腹の上に足を乗せ、両腕を腰に当てながら見下ろしていた。

 その圧に、仁久丸は全身から嫌な汗が流れるのを感じていた。今ここで、『はい』と答えれば何をされるかわからない。

 勇気を持って正面を向いた。麒龍と目が合う。随分長い間見つめ合っていたような気がした。

 やがて彼女は足を放し、くるりと身を翻して仁久丸の元から離れた。

 やっと解放されたと思って、安堵の息をついたのも束の間――

 彼女は手に筆を掴んで戻ってきた。小さな雫が点々と新聞紙の上に落ちて黒い染みを作る。

「嘘でしょ。ちゃんとわかってるんだから」

 麒龍は、再び仁久丸のあそこをぐりぐりと左右に踏みつけながら、Tシャツの白川ことりの顔に大きく×印をつけた。

〝あ〝あ〝あ〝あ

 信じられない光景を前にして目を見開き、放心状態の仁久丸。大事なところを踏みにじられる肉体的な痛みと、大好きなものを傷つけられる精神的な苦痛が彼を襲う。

 麒龍が足を離しても、彼の目は×印がでかでかと書かれたTシャツに向けられたまま、口はぽかんと半開きの状態だった。間抜け面をしている阿呆にしかみえない。

「さあ起きて。もう一回やるわよ。そのシャツが真っ黒になるまで何度でも続けるから」


 週末の仁久丸の部屋。朝から地獄の特訓が行われていた。

 華が腕立てしている兄の背中の上に乗っている。手には三十センチほどある、学校で使うような竹の定規を持っていた。

 一方、仁久丸の方は力尽きて、床にぺちゃんこに潰れていた。顔が赤く、息も乱れている。

 両腕をあげようと頑張っているが、唸り声を出しているだけで全然体は持ち上がっていない。

 彼らの横では麒龍が仁王立ちで監督をしていて、そして逃げられないように仁久丸の片足は手錠でベッドの脚に固定されていた。

 ぺちん

 とちょっと遠慮がちに、華が定規で、薄い半ズボンを履いている兄の尻を叩いた。

「お兄ちゃん、だらしない」

「お前、そこをどけ」

「どうせどいても無理でしょ……」

 兄を元気づけようと妹が定規を持っていない方の手で、ぺしぺし叩く。

「華ちゃん もっと強く」

『こうかな?』と首を傾げながら、華が定規を大きく振るった。

 ひいっ

 ズボンの上からだったので大きな音はしないが、仁久丸が声をあげてビクンと反応した。

 だが麒龍は満足しなかったようで、貸してと言って華の手から定規を奪い、お手本を見せる。

 ぺちーん

 あひいい

「いい音ね」

 麒龍は満足そうに頷いた。

 仁久丸の方は、苦痛に顔を歪めている。太ももに定規の形をした赤い縦線の痕が残り、腫れていた。

「もう駄目だ~。華~、水くれ~」

 仁久丸は、これ以上叩かれないよう、ごろんと仰向けに寝返りを打ち、深く息を吐き出した。

 乗っかっていた華が不意を突かれて転がり、白いパンツが丸見えだったので、慌てて手でスカートを押さえて立ち上がった。

「あら、体制変える元気があるんなら、もっとできるでしょ」

 麒龍が定規の先端で、シャツの上から、仁久丸の乳首をつんつんといじる。

 んっ

 と仁久丸は声を漏らした。さらに彼女は、乳首周辺をゆっくり焦らすように円を描いたり、ときには何度も擦ったりして責める。

 ん んんっ はうぁ~

 仁久丸もその動きに合わせて声を出した。

「気持ち悪い」

 華が心底嫌そうな顔をして吐き捨て、机の上にあったミネラルウォーターの入った500ミリリットルのペットボトルを、顔の近くに投げつけた。ズドンと落下の音がする。

 うおっ

 仁久丸がびびって、思わず顔をそらす。危ないな~と文句を言いながらそれを手に取り、よほど喉が渇いていたのか、一気に飲み干した。

 その後、ぷは~と幸せそうな顔で横たわっている。

「麒龍さんがお義姉ちゃんになってくれたらいいけど、お兄ちゃんには本当もったいない」

「あら、いい子ね」

 嬉しくなった麒龍は華を抱きしめて頭を撫でた。

 えへへと彼女は照れる。

「ちょっとそこの豚、いつまで寝てるの。全然、回数が足りないじゃない。そんなんじゃ痩せないわよ」

「『二人でトレーニング』のDⅤDを見させてくれ。それなら頑張れる……かも」

 それは可愛い女の子のキャラクターが、腕立てや腹筋・スクワットなどを行う、筋トレアニメである。トレーニングの最中、胸、おしり、太ももなどの絵が強調され、思わず目がその部分に釘付けになってしまう。

 但し、買ったはいいが、一日でもうトレーニング自体はやらなくなった。

「どうせそんなの見てもお兄ちゃんは、できるようにならないでしょ。ぶひぶひ言ってんじゃねーぞ。起きろ萌え豚」

 華が可愛い声でディスりながら、机の脇に立てかけてあった木刀を掴み、ちぇすとー! と兄の胸を目がけて振り下ろした。

 仁久丸がそれに気づいて、いつにない敏捷さを発揮して巨体を転がす。ドガッと床を木刀の先端が突いた。ちっ、外したか――と華が舌打ちする。

 じいちゃん。いくら孫娘が可愛いからって、そんなもの買い与えるなよ。長男死ぬぞ……。

 俺がニュータイプとして覚醒して、もう慣れているから避けられるけど、オールドタイプのままの人間だったなら重症を負うぜ。

 まだ覚醒前の、腕や手で受け止めていた頃は、タイミングを間違えると骨に思いっきり当たってとても痛かった。

 今の俺はもう種が割れているんだ。そんな攻撃は当たらん!

 仁久丸が得意気にしていると、麒龍が手に二つのガソダムのプラモデルを持ってやってきた。

「なにニヤついてるの。ほんとオタクって何考えてるかわかんない。はい、華ちゃんにはこれ」

「何これ? 羽生えてる。白鳥みたーい」

 華が渡されたのは、ウイングガソダムゼロ EW(エターナルワルツ) &ドライツバーク [スペシャルコーティング]。ガソダム(ロボット)の後ろに4枚の白い羽がついていて、ダブルバスターライフルという強力で大きな銃を持っているのが特徴だ。限定品で価格は10800円。

 ガソダムパイロットの男達が格好良く、放映当時は一般女性にも人気が出た作品だ。

 一方、麒龍が手にしているのはフルアーマー―ユニコーンガソダムブルーver(バージョン)。マイスターグレード、8400円。こちらも限定品だ。

 ガソダムの背中にミサイルポッドや大型ブースターを始め、手には大きな斧と槍が一体化したような武器(ハイパービームジャベリン)を持ち、脚にもハンド・グレネードを装備など、とにかくごてごてとたくさん重火器がついている。

 パーツ数が多く700個もあり、作るのはちょっとした苦行だった。

「毎日筋トレに取り組んでるのは偉いけど、回数が全然足りないって、華ちゃんからちゃんと報告がきてる。これから、その足りない分だけ壊していくね」

 麒龍が机の上にあったニッパーを掴み、華が持っているガソダムの白い羽に切り込みを入れる仕草をする。

「待て! 必ず全部十回ずつできるようにするから!」

「何か月待てばできるようになるの? 一生待っててもできないかもしれないでしょ」

「朝昼晩三回ずつ、いや一時間に一回やればいい」

「学校ある日はどうするの」

「学校でやる!」

 仁久丸が必死で麒龍を引き留めていたが、その努力も虚しく

 パキッ

「あ、割っちゃった」

 羽をはばたかせようとして遊んでいた華が声をあげた。どうしようこれ……という風に、折れた羽を摘まんでいる。

 ぽかんと、時が止まったように、仁久丸の表情が凍り付いた。

 それを合図に破壊の宴が始まった。

 ポキ パキッ 

「あら面白い。えい♡」

 麒龍は簡単に折れそうな大きなパーツや薄いパーツは手で折り、固そうなものはニッパーやペンチで壊していく。

 華の方は細かいのが苦手のようで、途中まで手でやったり、ニッパーなどの道具を使っていたが、途中から立ち上がり木刀で叩き潰し始めた。

 きえええええ 成敗!

 彼女が狂気の形相で木刀を振り下ろす度に、ガチャっと音がして破片が飛び散る。ゴロゴロと床の上をガソプラが転がった。

 一方、麒龍はベッドの上に可愛らしく女の子座りをしながら、楽しそうにリズムをつけるように、パーツを剥ぎ取っていく。細かいことを根に持ちそうだ。

 こいつら嫁の貰い手できるのか――

 圧倒的な暴力を前に、仁久丸はもはや反抗する気力を失っていた。

 ああ、俺のデスティニーインパクトガソダムRやクロスボーンガソダムⅹ2、限定品じゃないけど背中にあるツインサテライトキャノンが格好いいガソダムツインⅹなど、お気に入りもこの後こんな目に合うんだろうか。

 長い砲身をちょん切られたり、そう考えると涙が出そうになった。

 華は、散らばったガンプラの破片を下敷きの上に集め始めた。

「掃除してるの? 偉いわね~、華ちゃんは」

「ううん。違うよー」

 首を横に振りながら彼女は、不意にベランダの窓を開けて、破片をのせた下敷きを持ちサンダルを履いて外に出た。

「お兄ちゃんが、後から接着剤とかでくっつけて再生できないように、お外に捨てるの」

「そこまでやるか!?」

 彼女は二階のベランダから家の庭に向かって、できるだけ遠くにいろんな方向に、ぽいぽいと投げていった。

「俺が怒られるからやめろ! 華!」

しかし静止の声は届かず、彼の妹は無邪気にはしゃぎながら戻ってきて、窓を閉めた。

 そして弱り切った仁久丸の心に、麒龍はとどめの一撃を刺した。

 なんとボロボロになったガソプラの首の接合部分をニッパーで切り落としたのだ! 切られた首が、乾いた虚しい音を立ててコテッと床に落ちる。

 仁久丸は傷心の中、思わず呟いていた。

「nice boat」


「ごきげんよう、チンカス」

「ごきげんよう デブ丸。……武蔵野の森のお嬢様達は、そんな下品な言葉は使わないぜ」

「性格がひねくれていてよ」

 仁久丸が登校して窓際の一番後ろにある自分の席に着くなり、粕谷が寄ってきたので彼はオタク流の挨拶をした。周りの女子達が気持ち悪そうに彼らを見ている。

「お前なんで最近ブログの更新止まってるんだ?」

 彼らは互いにブログを運営していて、レビュー数で張り合っていた。アニメの感想、フィギュアやプラモのレビュー、イベントのレポートなど楽しみにしている読者もそこそこいる。

「ちょっと忙しくて」

「ファイトちゃんへの愛が萌えつきたか」

「そんなことあるわけがないだろ。ただちょっと……。いまアイドルを応援する活動で現場にいってるもんだから。ドルカツ、ドルカツ」

 ほお、と粕谷はやや驚いた表情をする。

「お前がアイドルとは珍しいな。じゃあその記事書けよ。夢中になってたくさん撮りまくってんだろ。布教活動しないのか? それとも有名になって欲しくなくて独り占めしたいのか」

「いや、それが……、そう、パソコン買う金が無いんだ」

 と言うのは嘘で、パソコンのパスワードを変えられ、華や麒龍の監視下でないと利用できない状態だった。たまに使いたいと言っても、理由によっては却下される。しかもモニターの前に座ってても大丈夫な時間は一日三十分までに制限され、エロゲーはもちろん、ブラウザゲームや明智光秀の野望のような戦国武将が出てくる歴史もののゲームすら満足にできない。

「はあ? 壊れたのか。……でもブログぐらいスマホで書けるだろ」

「いや写真取り込めないじゃん」

「華ちゃんの無かったっけ?」

「勝手に使うとすげー怒る」

「ああ、そうか……。じゃあ学校帰りに俺の家に来い。貸してやる」

「えっ? 今日か」

「何か問題あったか?」

「いや――。問題なんか何もないよ♪ 結構、結構いけるもんね♪ 失敗なんて笑顔でさあ、君と一緒乗り越えていこう♪」

 椅子に座ったまま軽くジャンプして、親指を立てて笑顔をみせる仁久丸。

 家にいても麒龍と華の餌食になるだけかもしれない。せっかくの友人からの好意だ。

 受けておこうと彼は思った。

「ようし決まった。そういえば、今度出る超時空要塞アクロスFのナンカちゃんのフィギュア お前買うだろ。俺も来月、銀河の妖精シャリルのフィギュア買うからさ、そのうち歌姫達にぶっかけパーティやろうぜ。練乳たっぷり用意するぜ」

 仁久丸は、ああ……と曖昧に頷いた後、アニメの作中によく出てくる決め台詞を放った。

「抱きしめたい! 銀河の果てまで」

 

 それから一週間ほどが経った、ある平日の朝――

「お兄ちゃんゴミ出しといて~。行ってきま~す」

「こら華、待て! 今日はお前が当番だろう!」

 仁久丸が両手に大きなゴミ袋を持ち、ドタドタと玄関から門へ妹を追いかける。

「やだよ~。悔しかったら捕まえてみな~」

 だが華は駆け足で兄をからかいながら、どんどん離れていき、しまいには見えなくなってしまった。

 仁久丸は途中から諦めて家の前の道を歩いていく。乗用車がすれ違えるぐらいの幅で、車は殆ど通っておらず、サラリーマンや制服姿の学生、子供の手を引いた女性が行き来していた。

 そこに昭和の歌謡曲のようなテンポのメロディが流れてきた。清掃車から流れている御凪都市民の歌だ。

 好きです御凪都 愛の街♪ よろこびを語る広場に 聞こえる やさしい花の歌♪

 近くで回収しているようだ。

 仁久丸がいつもゴミを出すところは、まだのようで、収集場所にはビニール袋の山が積まれていた。間に合って良かった。

 崩れないようにゴミを山の上に乗せて、彼は再び歩き出した。

 今日は、ちょっといつもより量が多かったな~

 と思いながら通学していると、お気に入りの堀江奈々の曲が鳴り、彼はスマホを取り出した。

 麒龍からだった。出ようか一瞬躊躇ってから、通話ボタンを押す。

「おはよう俊直。どうしてブログが更新されてるのかな?」

「……」

「隠しても無駄。お友達の家でパソコン借りたんでしょ。ちゃんと知ってるんだから」

「いやスマホでやったんだよ」

「スマホの割には写真の画質がいいわね。フィギュアの女の子のパンツのアップとか。一回一眼レフ取りに家に戻ったんでしょ。おまけに、お父さんのを無断で借りて使った」

 仁久丸は朝から冷汗がだらだらだった。全て見透かされているような気がした。嫌な予感しかしない。歩きながら周りをキョロキョロと見回す。

 特に麒龍の姿も華の姿も無かった。いるわけないか……。そんなに四六時中見張れるはずがない。家に監視カメラでもつけているのか? 一週間ぐらい何もなかったので油断していた。泳がされていたのか――

「フィギュア買って、お友達の家に置いてきたんでしょ」

 仁久丸は顔面蒼白になった。買ったばかりのフィギュア――、超時空シンデレラ、アクロスFの新星アイドルのナンカちゃん。

 発売日当日、家には持って帰らずに粕谷の家に寄り、そのまま預かってもらっているはずだ。

 彼女の命が危ない。直感的に彼はそう感じた。

「ナンカちゃんはどこだ?」

「そんなに好きなの? あの子のことが」

「ああ、抱きしめたい――、銀河の果てまで」

「――今日いつもよりゴミの量多くなかった?」

 その瞬間、仁久丸は全てを悟った。華め、わざとさぼったな――。

「ゴミでも抱いて寝てろ、この豚!」

 通信が途絶える。彼は元来た道を慌てて引き返した。巨体を揺らしながら、腕を必死に振りながら地面をドスドスと蹴る。走るのに鞄が邪魔だ。

 頼む。間に合ってくれ!

 清掃車から流れるメロディーとウイーンとゴミ袋を飲み込む機械音が聞こえてくる。もうほとんどゴミは残っていないようで、清掃員達が最後のゴミ袋を放り込み、次の場所へ行くところだった。

 それでも仁久丸は走った。心の中で絶叫した。

 うおおおおおおおおおおおおおおおおおお

 口に出していたのか、彼の形相があまりにも必死だったのか、通りを歩いている人々が彼を見た。

 だが清掃車は行ってしまった。

 仁久丸のスピードが徐々に落ちていき、三歩二歩と脚を出してようやく止まった。

 両膝に手を置いて息を整える。汗が滴り、アスファルトの地面に置落ちた。心臓がまだ割れんばかりに動いている。

 追跡を諦めた時、麒龍から着信があったことに気づいた。必死で走っていたので気づかなかったのだろう。

 会話アプリのメッセージで、写真が届いていた。

 ぐちゃぐちゃの生ごみにまみれている、可哀そうなナンカちゃんの姿だった。キノコ、ワカメ、などの他、何かのソースなのか赤いねばねばしたよくわからないものが貼りついている。

 とんでもない侮辱だ。

 どうやったらあいつらはこんなひどいことを思いつくんだろう―――

 仁久丸は涙が出そうになった。

 俺自身はどんなに罵倒されようが、気持ち悪いと言われようが我慢できる。だが大好きなものを汚されるのは本当に辛い。

 その日彼は、清掃工場に行くため午前中学校を欠席し、午後先生にすごい怒られたのだった。


 暑い夏の日の夕方――

 仁久丸は自宅の狭い庭を物置の鍵を持って歩いていた。

 麒龍にオタクグッズを物置に封印されてから、二週間と数日。

 精肉店の手伝いから帰ってきて、疲れていて夕飯まで部屋で休んでいた時、華から鍵を渡されたときは目を疑った。

「俊直――お兄ちゃん毎日頑張ってるから。でもさぼったらすぐまた取り上げる――だって。良かったね」

 にわかには信じがたくて、受け取ってから寝てしまった。

 起きてから、やっぱり現実だと気づき嬉しくなった。 

 あいつもいいところあるじゃないか―― 

 少しは良心が痛んだのか。よかったよかった。あいつも鬼じゃなかったということだ。

 お気に入りのグッズが次々と無くなり、正直もう限界だった。どれも思い入れのある物ばかりだった。

 一回どうにかして中の物を取り出せないか試みたことがあったが、周りをウロウロしていただけで、『物置ごと燃やすわよ』と脅されたことがあり、仕方なく退散した。

 それ以来、夜こっそり家族が寝静まってから一回だけ行ったが、やっぱり無理そうで諦めていた。

 仁久丸はルンルン気分で、鼻歌でアニソンを歌いながら物置の前に立ち、鍵を差し込んで回した。ガチャっと音がする。

 ああ、ようやく対面できる。

「封印解除(レリーズ)!」

 と『カードキャプターあさくら』の決め台詞を言いながら、彼は扉を開けた。元は少女漫画で、小学生の魔法少女が活躍する作品だ。恋愛要素もある。

 ガラガラと音を立てて扉が開き、暗闇に光が差し込んでいく。

 しかし――

 中は空っぽだった。棚を外せば大人三人、仁久丸なら二人分入りそうなスペースだが、何もない。

 彼は扉を開けたまましばらく固まっていた。

 俺のガンプラは? テレカは? 堀江奈々のサイン入り色紙は? 抱き枕カバーは?

 ない! ない! ない! どこにもない!!

 苦労して集めたグッズが、山のように積まれているはずなのに一個も無い!

 上下左右、再度顔を動かし確認する。念のため物置の中に入り棚の上に手を置いてみたりしたが、スチールの無機質な感触がするだけでやはり何も無い。

 いきなり彼は気が狂ったように、バン! バン! バン! と両手で棚を思いっきり叩きだした。

 まさかもう全部捨てたのか!?

 そして物置から出て頭を抱える。

 すると、どこからか笑い声が聞こえてきた。

 横を向くが誰もいない。何かおかしいーー。上か!?

 二階の華の部屋のベランダに、麒龍達がいた。 あーあ、ばれちゃったという顔をして笑った後、特に残念がっている様子もなくキャハキャハ騒いでいる。とても楽しそうだ。

 あいつら――

 それを見ていたらなんだか無性に腹が立ってきた。

 だが仁久丸が文句を言うよりも先に、

「もう他の場所に移したー」

「お兄ちゃん、ばいば~い」

 手を振りながら彼女達は中へと消えた。

 くそっ!

 仁久丸はスマホを地面に叩きつけそうになって、すんでの所でその衝動を押しと留めたのだった。


 麒龍にグッズを奪われて三週間ほどが過ぎた

 回数は足りていないものの華の監視の元、毎日筋トレは続いてはいる。

 だが一か月経っても返してくれるという保証はどこにもない。

 だいたい四~五日に一個のペースで、お宝グッズが犠牲になっている。残り一週間。あと一~二個は覚悟しなければならないか。今まで色々なものがやつらの餌食となった。

 ポスター、Tシャツ、プラモデル、フィギュア。次はなんだ?

 これ以上の犠牲は避けたいところだ。

 麒龍達は、華の友達の家の犬を見に行くとかで今はいない。

 仁久丸はやや穏やかな気持ちで自室のベッドに寝そべりながら、スマホのアプリで無料の漫画を読んでいた。束の間の休息といったところか。それとも嵐の前の静けさか――

 すると華から会話アプリのビデオ通話で着信があった。珍しい。何の用だろうと思って出てみると、大きなトレーの上に魔法少女リリカルうららのファイトちゃんの抱き枕カバーが載せられていた。

「ああ、お兄ちゃん繋がった? 間にあった。良かった~」

 そこに柴犬がやってきて、トレーの上に乗っかった。

「ワンちゃんのトイレで~す」

「やめろーーーーーー!」

 この後、何が起こるか悟った仁久丸が絶叫する。

「その抱き枕カバーは、イベントで徹夜して並んでようやくゲットしたんだ。始発で行っても売切れてて、買えないぐらい長蛇の列で、買いたくても買えないやつが大勢いるんだぞ! 一万円、いや秋葉原で一万五千円する。ペットのトイレのシーツなんて、そんなもったいない使い方ダメ! 絶対!」

 必死に説明するが届いていないようだ。

 犬がトレーの上から外に出ると、ファイトちゃんの上にでっかい糞が並んでいた。

 愛くるしい顔で、ハッハッハッハッと息をしている。

「このバカ犬!」

 ワン!!

 文句を言うように犬が吠えた。

 麒龍がよしよしと頭を撫で、ご褒美の餌をあげている。

「華ちゃん、シーツ取り替えて捨てちゃって」

「はーい」

「ま、待て!!」

 仁久丸が止めに入った。犬にうんこをひっかけられはしたが、愛する嫁がごみとして捨てられ燃やされるなど、断じてあってはならない。

 これ以上一人も犠牲を出さない。愛情があれば、どうとでもなる……はずだ。

「まさか――」

 彼は怒りを抑えて静かに息をのみ込んだ後、欧米の政治家が演説するように拳を振り上げ、大げさなパフォーマンスで、意を決したように高らかに宣言した。

「ファイトちゃんは俺の嫁! たとえ彼女が糞まみれだろうとも、糞と共にもらい受ける!」

 麒龍達が面食らっていた。華が気持ち悪い……と、嫌悪の表情を露わにする。

「わかった。愛があるのなら抱き枕カバー取りに来い。そして、それ抱いて寝ろ!」

 麒龍はそう叫んで、ビデオ通話を打ち切ったのだった


 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

 ここまでコケにされて黙っていられるか!

 ファイトちゃんに糞をひっかけるなど、もう我慢できん。許さん!

 怒ったぞ!

 抱き枕カバーに着いた匂いは、洗っても洗ってもなかなか取れなかった

 見た目きれいにはなったものの、やはり抱いて寝るには抵抗がある。

 彼の心は怒りと復讐に燃えていた。

 学校の授業中もノートもろくに取らないで、一日中そのことばかり考えていた。

 俺が何をした!?

 何を信じるか、憲法で保障されているはずだ! 確か授業で習った信教の自由ってやつだ。

 電車男が放映された頃から秋葉原は観光化され、オタクに対する偏見も減ったはず。

 それなのにあいつらと来たら――

 彼女達の蛮行を止めるにはどうしたらいいか。

 確かに可愛い女の子には目が無いし、エロシーンがあれば興奮する。

 でもそれだけじゃないんだ。泣けるストーリー、感動する場面、キャラクター同士の友情、格好良いメカデザインなどなど、アニメやゲームの作品にはいろんなものが詰まっている。

 これらの作品がどんなに素晴らしいか語ればいいのか――。ガソダムWやアクロスFみたいに女性にも人気の作品なら、なんとか理解してくれるんじゃないだろうか。

 いや、あいつらがそんなものに耳を貸すはずがない。

 青き清浄なる世界を目論むナチュラルどもめ!

 やつらに対抗するためにはどうしたらいいか?

 もはや武力による紛争根絶しかない。

 ガソダムによる武力介入とまではいかないが、一回ぎゃふんと言わせて懲らしめてやる!

 悪即斬!

 ではまず何をすればいいのか?

 麒龍や華の部屋を盗聴か。そうすれば二人が何か企てていても、事前に阻止できるかもしれない。

 お宝グッズを救い出すことができるかもしれない。

 しかし写真という弱みを握られている以上、どうしてもいいなりになるしかない。

 ならばこちらもあいつの恥ずかしい写真でも撮って、対抗するのが一番いいだろう。

 入浴シーンや着替えている下着姿の写真などがあればBESTだが、そんな美味しい場面は撮影するのが難しい。ウチにはよく遊びに来るが、彼女が帰国してから麒龍の家にはまだお邪魔したことが無い。忍び込むのは困難だ。

 自分の家のトイレに設置しておくか――

 親父が糞してるシーンまで映ってしまいそうだな……。

 外でのパンチラを狙うか?

 通学路には坂とかがないのでよほど風が強い日ではないと厳しいし、学校の階段や女子更衣室などは他の女子生徒に見つかるかもしれないのでリスクが高い。

 だが麒龍の家に行く機会が無い以上、このどちらかが良さそうだ。

 そしてあいつの恥ずかしい写真を撮影し、お互いの持っている写真を交換すればいい。

 決まった。

 秋葉原に高性能小型カメラを買いに行こう。


 三時間目の美術の授業が終わって、絵具などの道具の片付けが遅くなった仁久丸は、自分のクラスに戻ろうと急いで美術室を出た。室内にはもう他のクラスの生徒達が続々と入ってきており、次の授業まであと僅かしかない。

 新館にある特別教室での授業は、教室などは綺麗なのはいいんだが、普段過ごしている本館までやや遠く、移動が面倒なのが難点だ。

 それでも昼飯前の体育よりはマシか――。着替えたりしているうちに昼休みの時間はどんどん削られ、遊ぶ時間も無くなるし、購買で食べ物を買いたくても出遅れる。あれは本当にやめてほしい。

 仁久丸がアクリル絵の具の道具を持ちながら廊下を速足で歩いていると、突き当りにある階段の方から、『きゃあ』という女子の悲鳴が聞こえた。

 なんか聞き覚えがある声のような――と思って階段を下りていくと、踊り場の方で小さな人だかりができていた。

『押された』、『逃げていく男子生徒の人影を見た』、『いや、誰かが飲み物をこぼしたままにしていて、それで床が濡れていたから足を滑らせたんだろう』など、野次馬が噂していた。

 彼が階段の途中で立ち止まり見下ろすと、金髪の女子生徒が座り込んで足を抑えていて、その周りを他の女子達が取り囲んでいる。足を挫いてしかめっ面をしているのは麒龍だ。

 大方告白してきた男を手ひどく振って、恨みでも買ったんじゃないか。やれやれ。

ざまあみろ。自業自得だ。モテるからって調子に乗るな! 

 知らないふりして通り過ぎようかと思ったが、彼の身体は太っていて目立つ。黙って通り過ぎれば、後で酷いやつと女子達に噂を立てられかねない。ただでさえ麒龍相手に手を焼いている・悩まされているというのに、このうえ学校の女子にまで嫌われたら、もう居場所は家にも学校にもどこにもない。

 だが今更引き返して別の道を行くのもめんどくさい。

 どうしようかな――このままだと遅れるし

 一応、助けに行ってみるか。

 助けを求められれば手を貸すし、先生が途中でやってきて特に手助けがいらなさそうだったらそのまま行く。

 うん、決めた。我ながらいいアイデアだ。

 彼は頷くと

「強気に本気、素敵に無敵、元気に勇気! 仁久丸俊直、神に遣わされただ今参上!!

今宵もまやかしの美しさ、いただきます」

 少女漫画の決め台詞を大げさに口に出しながら、階段を下りて行った。

 その場に居合わせた連中が彼に気付いて『あ、仁久丸』とか『仁久丸君』とか声をあげる。

 彼は麒龍の横に腰を下ろし背を向けた

「ほら乗っかれ」

 え? と彼女は戸惑った表情を浮かべる。

「お姫様抱っこの方がいいのか? めんどうなやつだな~」

 仁久丸が抱きかかえようとするが、さすがに恥ずかしかったようで、いい、いいと慌てて首を横に振って断り、しょうがないわね……などと呟きながら背中に乗っかってきた。

 彼女の胸が背中に当たる。以前のツイスターゲームの時ほど柔らかくないが、それでも良い感触だ。今度は制服とブラジャーに包まれているので当然だが……。

 麒龍が腕を仁久丸の首に回し、しがみつく。

 シャンプーの良い香りがふわっと漂ってきた。

 彼は彼女が負傷した部分を避けて、足をしっかりと持ち立ち上がった。それにしても軽い。

 おーと周りから謎の歓声が上がる。

 拒否されていたら置いて行こうかと思っていたのだが、こうなってしまった以上、もう保健室まで送るしかない。さらに堂々と次の授業に遅刻できるだろう。

 荷物を頼むと女子達に言い、そのうちの一人――、黒髪ショートヘアの家庭的で大人しそうな子が控えめに「うん、わかった」と頷く。

 そうして仁久丸は歩き出した。階段を下り一階へ。長い廊下を旧校舎へと進む。途中事情を知らない生徒達が好奇の視線を向けてきた。だがチャイムが鳴り、彼らの多くは教室に引っ込んで、だいぶ気にしなくて済むようになった

 麒龍は恥ずかしいのか、デブ男におんぶされているところを誰かに見られたくないのか、ずっと彼の背中に顔を伏せていた。しかしその金髪は嫌でも目立つ。あまり意味がない……。

 保健室まであとちょっと。さっさと降ろしてしまおう。

 麒龍を担いでいて、仁久丸はふと思い出したことがあった。

 そういえば、こいつたまにドジだった――と、小さい頃の記憶が蘇る。

 夏休み、大人達に連れられて海水浴に行ったとき、濡れた岩場で滑って転び、膝小僧擦りむいて、血が出て泣いていた。

 幼稚園の遠足だったか、みんなで山に登ったときも、こけて挫いたのか、少しおぶった記憶がある。確か先生も近くにいなかったときだ。

 すっかり忘れていた。

 普段は遊びでも、ぐいぐい周りを引っ張っていくんだけど、こういうとこだけ妙に女の子らしいというか、しおらしいというか、急に大人しくなるんだよなぁ。

 そんなことを考えているうちに保健室に辿り着き、彼は手でノックする代わりに足で軽く二回ほど蹴ってわざと音をたててから、ゆっくり扉を引いた。

「失礼しまーす」

 薬品の匂いが鼻をかすめる。

 人の気配はなく。誰もいないようだ。

 二つあるベッドはカーテンが敷かれていなくて、窓から入ってくる陽射しに明るく照らされていた。

「デブもたまには役に立つだろ」

 ベッドの一つに麒龍を下ろす。彼女はスカートをちょっとまくって足を気にしていたが、それ以外は問題ないようだ。

 頭を打ったとかではないので、先生が来てちゃんと処置してくれれば、まあ大丈夫だろう。

「先生来るまで寝てろ」

 と言いながら彼は、麒龍から離れていった。

「決め台詞……恥ずかしいからやめなさいよ」

 仁久丸は苦笑した。

 特に礼の言葉は期待していなかったが、まったく最後まで文句の多いやつだ。

 扉を閉めるとき、彼の方を見ながら彼女は小さな声で言った。

「ありがとう」


 土曜日の放課後。

 秋葉原に小型高性能カメラなどを探しにやってきたものの、仁久丸は買わずに店を出てきてふらふらと秋葉原の街を当てもなく歩き回っていた。

 エアコンが効いて涼しかった店内と比べて、外は陽射しが強い。すぐに汗が出てくる。  

 買い物客で賑わう人ごみに紛れながら、彼は迷っていた。

 いくら恨みを持つ女に復讐したいとはいえ、最先端の技術を悪用してはいけない。

いけないと思う。

 確かに、最新鋭の機械(メカ)は使ってみたい。ワクワクする。

 だが、これだからオタクは――と世間から叩かれるような原因を、自らの手で作ってはならないのだ。オタが地に堕ちる。

 多くの仲間達が世間から後ろ指をさされないように自分の趣味を隠し、世の中に適合しているふりをして、ひっそりとささやかに楽しみながら生きているというのに、事件を起こすような奴は本当迷惑だ。

 そうだ。やっちゃだめだ。

 マリア様がみていらっしゃる。

 仁久丸は、自分に強く言い聞かせた。

 では、今度からどうしたらいいのか――

 あいつらが知らない友達に、新発売のフィギュアやプラモデルなど頼むか?

 いや、オタクグッズを預かってくれそうなやつなどいない。

 レンタルショーケースに、売る気がないけど入れておくというのはどうだ?

 一番安いところで、月々二千円ぐらい……。

 ダメだ。金がないし、もったいない。漫画やラノベが三~四冊買えてしまう。

 ただでさえ今月は麒龍のせいで余計な出費したし、さらに間が悪いことにスマホが昨日の夜壊れたから、新しいのに変えないといけない。そうだ。今日はそっちの用事もあったんだ。

 中古端末、後で見に行こう。忘れてた……。

 じゃあ、声優などのライブのみ参加するか? グッズも何も買えないけど。

 参加自体を阻止されないように粕谷など、一緒に行くやつらにも麒龍や華から何を聞かれても教えるなと言わなければならない。

 ……無理だろうな。必ずどこかで漏れる。

 しかし、このまま防戦一方というのも、面白くないんだよな――

 スマホの中古ショップに行く前に、気晴らしにお気に入りのアニメショップ巡りをしようとしたところで、彼は偶然粕谷を見かけた。

 声を掛けようとしたところ、金髪の女が彼に近寄って行った。

 風通しのよさそうな肩の部分がひらひらしている黒いブラウスとジーンズの短パン。そこから伸びる白い手足が印象的で、紐の長い赤色のハンドバッグを肩から提げている。 

 麒龍だった。

 なんであいつがチンカスなんかと一緒にいるんだ。どういう組み合わせだ? 

 いつもよりおしゃれで、しかも露出度が高い。

 そのときズボンの後ろポケットで、無断で借りてきた父のスマホが震えた。

 華からだ。

「なんだ? 今忙しい」

「なんだじゃないよ、お兄ちゃん。お父さんが凄く怒ってるよ。すぐ帰ってこいって」

 ばれたか――

 いつもフラフラ出かけて帰ってこない癖に、こういうときだけ帰ってくるの早いんだよな。

 まだ図書館閉まってないぜ。あと二時間はある。

 粕谷と麒龍は観光客に紛れて歩き出した。チンカスが案内しているようだ。

 スマホのスピーカーを通して遠くから父の声が聞こえる。

 やべー、すごく怒ってる……。

「お兄ちゃん、今どこにい――」

 苦渋の選択の末、仁久丸はスマホの電源を切り、チンカス達の後を少し追うことにした。


 日曜日の朝、仁久丸がベッドで横になりながらごろごろと惰眠を貪っていると、華が元気におはよーと扉を開けて入ってきて、ベッドの上に乗っかり、彼の腹の上にスカートの前を隠しながらすとんと腰を落とした。

 麒龍より軽い。

 彼女が起こしに来るなんて滅多にない。どこかに連れて行ってもらいたいときや、みんなで出かけるときだけだ。

「海行くぞ~」

「はあ!?」

 仁久丸が素っ頓狂な声をあげる。

「そんなリア充達が行くところ俺は行かん」

 彼はそう答えて横を向いた。華がバランスを崩し、うわぁと彼の身体から滑り落ちる。スカートの中がチラッと見えた。ピンクだ。

「何偏屈になってんの、お兄ちゃん。麒龍さんの水着姿見たくないの。金髪美女のナイスボディ。誘われてるんだよ。せっかくのチャンス断っちゃうの? もう一生見れないかもよ」

 見たいか、見たくないかと聞かれればまあ見たいが、二人だけで行ってくればいいじゃないか。なぜ俺を誘うんだろう、なにか怪しい――と彼は思った。こいつらは信用できない。

 華のスマホが鳴り、スカートのポケットから取り出して、もしもしと話し始める。

相手は麒龍のようだ。お兄ちゃんが来ないって――と、通話相手に不満を漏らしている。彼女は「え? わかった」と頷き、スピーカーのボタンを押して、仁久丸にも聞こえるようにした。麒龍の大きな声が流れてくる。

「ついてこないと私達だけでスイカ割じゃなくてアニメのDⅤD割りするわよ。目隠しした華ちゃんが、バット振り下ろして、ぱりーんと。他にも声優のサイン入りアルバムとか、限定品もあるんでしょ。本当にこなくていいの?」

 仁久丸はガバッと飛び起きる。

 脅されて仕方なく従うしかなかった……。


 夕日が美しい海岸は、ボードを持ったサーファーが波乗りを楽しんでいたり、家族連れやビキニ姿の美女達が、波の音がする砂浜で、はしゃいだりしていた。

 昼間は混雑していたが、海水浴客は徐々に帰り始め、広々とスペースを使えるようになった。

 仁久丸は顔だけを出して、全身砂の中に埋まっていた。

 ちゃんとここから出してくれるか少し不安だったが、スイカも食べたし、のどかな時間を過ごしている。

 麒龍達はバケツに水を汲んで来たりと、花火の準備をしていた。

 麒龍は赤いビキニで、胸の前や腰には金メッキで塗装された輪がついていて、大人っぽい色気を出している。華はオレンジのパレオで元気一杯という感じだ。

 アニメのDⅤDやCDは、割られずに済んだ。

「プラスチックの破片が海岸に飛んだら危ないでしょ。そんなことするわけないじゃない。馬鹿ね」

 と一蹴され、本気で心配していたのが馬鹿みたいだったが、とにかく良かった。

 彼の元にビーチサンダルを履いた麒龍が近寄ってきて、ニコリと微笑む。

「綺麗な花火、見せてあげる」

 それだけ言って、彼女は華の方へと去って行った。

 やがて彼女達は楽しそうに、立ったまま花火をしながら、はしゃぎだした。

 金色や赤、青と変わる炎の色を眺めたり、それが終わると今度は座って線香花火を始める。 

 俺にはやらせてくれないのか……。そろそろここから出たい――

 と仁久丸は思った。

 やや喉が渇いてきたのと、今はまだ大丈夫だが、さっきスイカを大量に食べたせいか少々トイレ……、お腹が緩くなってきているような気がする。

「最後に打ち上げ花火するね~!」

 彼女達が遊んでいる砂浜には、家庭用打ち上げ花火の筒がいくつか置かれているが、華は手に正方形の厚紙みたいなものを持っていた。色紙だ。

 なんで色紙なんか持ってるんだ。あいつ?

「俊直~、物置にあった色紙、燃料にするためにもらうね~」

 彼女が色紙を砂の上に置くと、麒龍は手にしていた、まだ勢いよく炎が出ている花火をそれに向ける。

 やめろ! それはDⅤD全巻購入特典で、さらに抽選で当たった人間しか行けない、握手会でゲットした――

 黒くなり火が付くのが見える。砂の上で煙を出しながら勢いよく燃え始めた。麒流は新しい花火を近づけ炎を手際よく移すと、次々と打ち上げ花火の筒に着火していった。

「NOOOOOOOOOOOOOOO!」

 その後、彼女達は打ち上げ花火から離れ、仁久丸の方へと走ってきた。

 打ち上げ音がして、鮮やかな花火が立て続けに空に咲く。二人が振り返って歓声をあげた。

 華は飛び跳ねて喜んでいる。彼女は片手をメガホンのようにして、のんきに「た~まや~」と声を遠くまで響かせた。

 花火は散り、薄暗くなった空が戻った。

 余韻に浸っていた彼女達の足元で、仁久丸は叫んだ。

「絶望した!!! お前らの人を欺く才能に絶望したあああああああああああああああああ」

 その後、彼は魂の抜け殻のように、口は半開きになり、体からは力が抜け、眼は虚空をさ迷っていた。

「お兄ちゃん、廃人になっちゃった」

 彼の夏は萌え尽きた。


 お年玉だけじゃ足りないよな~。やっぱり高いな……。この前燃やされたサイン入り色紙も一つだけ見つけたけど、三万もする。もたもたしている間に売れてしまわないかな――。

 仁久丸は自室の机に座って、秋葉原の街中で見つけてきたバイト雑誌をめくりながら、何か良いバイトはないかと、ぼーっと物色していた。

 机の上には、ホールのケーキが入りそうなぐらいの箱とペットボトルの炭酸飲料がある。

 お年玉前借しようかな、じいちゃんとばあちゃんに――。それとも誕生日プレゼントで、欲しいと言ってねだるか。

 いやいや、年金生活者にたかるような真似はできない。

 ようし。決めた。

 俺はバイトする!!

 バイトして、麒龍や華に壊された分を再び買い集める!

 年末年始の郵便局以外の初めてのバイトだ。どうせならオタクの女の子と出会いたい。ひょっとしたら話が弾んで、デートとか行くようになるかもしれない。

 麒流への告白なんか忘れた。あんなのはもう無しだ。バイト先だって、どうせ可愛いオタクのコスプレが趣味のような彼女なんかできやしないさ。

 麒龍のことで学んだだろ。現実の女なんてこりごりさ。なんでみんな好きな女と結婚したはずなのに、世の中の家庭を持ったお父さん達は、妻や娘から愛されていない人が多いんだ?

 そうだ。やっぱり二次元が一番さ。彼女達は裏切らない。そんな酷いことはしない。

 アニメ見たりゲームしたりする時間が減るが、しょうがない。あいつらとかかわる時間も減るだろうから一石二鳥だ。

 そしてレンタルショーケースやレンタルボックスを借りて厳重に警備する。鍵は何をされようが絶対渡さない。場所も3か月おきとかに変える。

 完璧だ。

 今日を境に、俺は変わるんだ。

 もうあいつらの好きにはさせない。

 そして机の端にある箱に目を向けた。彼の口元が微笑む。

 小腹も減ったし食おう。

 仁久丸は真剣な表情から一転、開けるのが楽しみで、待ち遠しくて仕方が無いという表情になった。

 包装を解いて箱を開ける。『ふたりはぶりっこキュア』、通称ブリキュアのケーキだ。

 ケーキの真ん中にはハート形のおもちゃが乗っていて、チョコレートの板には「おたんじょうびおめでとう」とひらがなで書いてあり、包んでいるフィルムには二人の女の子キャラクターの絵が描いてある。

 仁久丸はスマホを取り出して、ニヤニヤしながら写真を撮った。

 そこへ階段を上がってくる複数の足音が響いた。

 やばい――

 彼は慌ててケーキに食らいついた。

 誰にも邪魔させん。やらせはせん。やらせはせんぞ!!

 甘い味が彼の口いっぱいに広がる。

 うまい。幸せ~。

「HAPPY BIRTHDAY 俊直!」

 扉を開けて入ってきたのは、麒龍と粕谷だった。二人とも手に大きな黒い袋を3つずつ下げている。秋葉原の中古アニメグッズを取り扱っている店だ。

「あー、一人でケーキ食べてる」

「丸ごとかぶりつくって、どんだけ腹減ってんだよ。おっ、ブリキュアじゃねえか。独り占めしてるんじゃねえ。俺にも食わせろ」

「あたしにも」

 それぞれ文句を言いながら、誕生日プレゼントだと言って彼女達は、パンパンに膨らんだ袋を仁久丸へと差し出した。

 ケーキを置き、もぐもぐと口を動かしながら彼は手を拭いて、ペットボトルの中を飲んでから立ち上がって、「何なんだよ二人とも。楽しみを邪魔するなよ」と文句を言いながら、袋の中身を確かめた。

「こ、これは!?」

 仁久丸は目を疑った。

 袋の中に入っていたのは、麒龍達が糞まみれにした抱き枕カバーや破壊したプラモ、フィギュアなどだった。

 堀江奈々の声優の色紙まである。全部揃えれば十万とはいかないまでも、相当な額のはずだ。

「どうした……これ? 錬金術で錬成したのか!?」

「ふはははは。我が名はチンカスの錬金術師――ってそんなわけねーだろ、アホ」

 めちゃくちゃ弱そうだ、という感想はおいといて、仁久丸はまだ信じられないでいた。色紙を両手で高く掲げて、黒いペンで可愛らしい字で書かれたハートマーク付きのサインを眺めている。目の前にあるものと彼の記憶の中にあるものが一致した。うん。本物だ。間違いない。

「奇跡だ」

「粕谷君に付き合ってもらって大変だった。集めるの。華ちゃんも、ちょっと貯金から出してくれたし。千円ぐらいだけど」

「さすがにポスターは難しかった」

 この前、秋葉原で二人を見た――と言いかけて仁久丸はやめた。

 三十分ぐらい尾行したが、遠くからだったので何をしているかまではわからなかったのだが、つけていたことは、なんとなく言わない方がいい気がした。せっかく今まで破壊されたものが殆ど戻ってきたのに、ついうっかり余計な口を滑らして、また壊されでもしたら大変だ。

「でも、筋トレ少しでもさぼったら、また壊していくから。今度は買い直さないわよ」

 うひ~

 仁久丸の狼狽ぶりを見て、笑いながら粕谷が言った。

「奇跡は起こらないから奇跡っていうんだよ。ジーク麒龍! ジーク麒龍!」

「やめて。そういうオタクっぽいの」

 拳を振り上げているチンカスを制し、麒龍が格好付けて、長い金髪を手で払う仕草をしながら優しく微笑んだ。

「あたしと付き合いたいのなら、オタクをやめなさい」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あたしと付き合いたいのならオタクをやめなさい! 祭影圭介 @matsurikage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ