最終話

 夕焼けに照らされて、紅い色の涙を流しながら彼女は笑う。

 血に塗れても、何度手放そうとしても離れなかった、離せなかった自分の全てを纏め上げて、彼女はもう一度作品を描き上げた。


「君でよかったと思うよ」

 神妙な顔で彼女が言う。

「どうしたんですか唐突に、あなたらしくもない」

 どうにもそれがむず痒くて、私はチャラけてはぐらかす。

「本当に、君でよかった。私に火をつけることが出来るのは、今はきっと君だけだ」

 その言葉に思わず息が詰まった。

「あの時の問いに、答えるよ」

 夕焼けを背にして、静かに宝石みたいな涙を流しながら彼女は答えを口にする。

「価値のない人間がいるかなんて、わからないけれど」

 

 私は息を呑む。


「君は、価値のある人間だ。それはこの私が、一生涯胸を張って保証する」


 夕日がやけに眩しい。

 視界が眩む。

 あぁ、そうか。私はずっと。

「ずっと……俺は」

 頬に雫が伝っているのが分かる、そうして色々なことを思い出す

 誰かにこうやって肯定して欲しかったのか。

「泣くこたないだろ」

 彼女が笑う。

「そう言う貴女も泣いている」

 私がそう指摘すると、慌てたように目元を拭って恥ずかしそうに笑いだした。

 

・・・


 その絵は構図だけ見ればありきたりなのかも知れない。

 少なくともピカソとかそんなぶっ飛んでる絵じゃないのは確かだ。


 絵の中の私は幸せそうに笑っていて、足元にはバスケットボールとバッシュが転がっている。


「あぁ、貴女は本当に跳んだんですね」


 はしゃぎ疲れて眠る彼女に向けて呟いた。

 胸に残るのは置いて行かれたような寂しさと、随分と前に忘れてしまった何か。

 絵の中のバスケットボールを指でそっと触って、私は静かに目を閉じる。

 思い出すのだ、忘れていた……知っていたはずの私なりの跳び方を。

 彼女に置いていかれぬように。





・・・




 三月だと言うのに、どうにも寒さが厳しくて嫌になる。

 長ったるい卒業式に参加しなくていいのが唯一の救いなのだが、私といえば学校の敷地内で寒空の下でガタガタ震えていた。

 何故こんな苦行に身を置いているのだろうか? もしかすると私は潜在的なマゾヒストなのかも知れないと言う若干の不安が残る。

 あまりの寒さに耐えかねて、自販機でコーンポタージュを買った。以前彼女がドヤ顔で語ってきたコーンが底に残らない飲み方を試しながら、座して卒業式が終わるのを待つ。


 ぼけっと座っていると、体育館の中から校歌が流れてきた、もうじき終りなのだろう。私はなんとなく絵が完成してからのことを思い出しながら、静かにほくそ笑む。あの後、彼女が描いた作品は表彰やらなんやらされたと聞いた、彼女は画家として大きく跳躍したのだろう。

 絵のおかげかは知らないが、無事美大への進学が決まってるようで少しばかり安堵した、彼女は一切勉強している様子がなかったし、頭の中では勝手に彼女と卒業式をあげる気でいた。合格祝いで買ったプレゼントはまた私の財布に致命傷を与えていった、寒空のなかのティッシュ配りは中々心にくるものがある。


 わらわらと卒業生たちが外に出てくる。涙を流すもの、笑うもの、この瞬間を写真に残すもの、十人十色のその中で、私は彼女の姿を探す。

 クラスメイトたちと写真をとっているようだ、ちゃんと友達がいたのかあの人、少し感動してしまった。感情はもはや保護者のソレに近い。

 楽しそうに、されど寂しそうに笑う彼女はバレないようにスマホの画角に収めてシャッターボタンを押した。

 するとどうやら私に気がついたようで、片手で『そこにいろ』と私に命令を出して、友人たちに別れを告げて私の元に駆け寄ってきた。

「貴様ぁ、盗撮とはいい度胸だなぁ」

「別に減るもんでもないからいいでしょうに。てか、いいんですかこっちきて」

「かまわんかまわん、どうせ嫌でも今日の夜に打ち上げで顔をわせる」

「そっすか」

 私がそう言うと、彼女は短く「そうだよ」とつぶやいて、卒業証書の筒で私を突いた。

「帰ろう、最後だから付き合えよ」

「えぇ、喜んで」


・・・


 ゆっくりと裏門を目指して人気のないグラウンドを歩く。向こうの方では卒業生のどんちゃんさわぎが聞こえるので余計にこちらの静寂が際立った。

「ここに制服で来るのも、今日が最後なのか」

 名残惜しそうに彼女が言う。

「珍しくセンチメンタルですね」

「今日ぐらいはね」

 鼻歌交じりなところを見るに上機嫌ではあるらしい。

「その紙なんだ?」

 私のポケットからチラリと覗くチラシみたいなものをひょいっと奪い取る。

「社会人チーム……ね」

 そう言うと私の手に紙を握らせて優しく微笑んだ。


 グラウンドの途中で、彼女が不意に立ち止まる。

「そういや向こうらへんで君の中二病な質問を投げられたんだ」

 やめてほしい、一気に恥ずかしさで顔が紅潮していく。

「まぁ、でもあれがなければ君も私もずっとウダウダしてるだけだったな。そう考えると、君の中二病もバカにできないな」

「貴女は多分、俺がいなくても跳べてましたよ」

 

 彼女の物語に、私のような奴の代わりなんていくらでもいる。きっと、たまたま私だっただけなのだ。


「かもな。でもね、私は君で本当によかったと思ってる」

 校舎脇をすり抜けて、いよいよ裏門が見えてくる。

 歩くペースがことさらゆっくりになって行くのを私も彼女も理解しているのに口には出さない。

 気がついていても、分かっていても口には出せないことだってあるのだ。


 だから私は、このわずかな時間に縋るように足を止めた。

 だから彼女は、振り切るみたいに私の先を進んで、ゆっくりと振り返った。


「跳べそうか?」

 優しい声音で問いかける。

「えぇ、きっと跳びますよ」

 だから私も真剣に答えた。

 すると、彼女はちょっぴり寂しそうな顔をして頬をかいた。

「君は……本当に変わったな」

「いや、多分変わってないですよ」

 ただ、思い出しただけなのだ。

 自分に手足があることを、自分が昔は大海を知りたくて無謀にも跳んでいたことを。

「思い出したんですよ、随分と時間はかかりましたけどね」

 永遠にも思える一拍を置いて、彼女が華のような笑顔を浮かべた。

「なら、うん、よかった」

 そう言って彼女は私に背を向けた。

 物を言わずに、裏門へ進む彼女の背中を私は立ち止まって見送った。

「さよならだ、君との高校生活は実に不毛で退屈しなかった」

 よく泣く人だと思う。

 月を見上げても泣くし、辛くても泣く、悲しくても嬉しくても泣く、彼女は本当に涙脆い。

 あぁ、それでもそんな涙は初めて見た。

 おかげで、胸の奥が熱くて仕方がない。

「俺も同じですよ、本当に楽しかった」

 精一杯の強がりで、私は彼女に笑って見せた。

「さようなら」

 私の言葉を聞いた彼女は満足げに笑って背を向ける。

 そうして大きく体を仰け反らせ、裏門から外の世界に跳びだした。


 

 彼女に背を向けて、私も来た道を戻る。

 どうせいつかまた会える、いつもの調子で彼女と笑う。

 今生の別れなんて大それたものじゃない。


 だから微塵も悲しくなんてない。

 なんと言うか、あぁ、とても爽やかな気分なのだ。

 願わくば今後の彼女の波乱万丈の人生と、私の先行き不安な人生に大きな拍手喝采を。




・・・



 帰り道で、どこからか煩く鳴く聞き覚えのある鳴き声が響いた。

 この時期にもいるんだなぁ、なんて思いながら私は一人で家路を急ぐ。


 良い子はそろそろお家にかえるお時間だ。


 帰り道の階段で、一番上からワンステップ、私もはじめの一歩を踏み出した。


             

                                   了


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frog jumper 檜木 海月 @karin22

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