第5話

「そこで何してる?」

「……何にも」


 ぼんやりと、放課後のグラウンドの隅っこの石段に寝っ転がっていた私に声がかかったのは、部活に未練タラタラだった時だ。

 不思議そうに、それでいて楽しそうな顔をしてこちらを覗き込む女の顔には少々見覚えがあった。


「あ、アンタ見たことある」

「奇遇ね、私も君を見たことある」

「……俺のようなどこにでもいるような奴を?」

「全くおんなじ言葉を君に返す」


 私の頭を指差して、起きろとハンドサイン、しぶしぶ頭をあげると開いたところに彼女がストンと腰を下ろす。


「バスケ部の子だろ君」

「そういうアンタはなんだったけな……あぁそうだ絵を描く天才だ」

「部活行かなくていいのか?」

「この左肩に厳重に巻かれたギブスが見えないのかアンタ」

「いや、ほら運動部って怪我しても雑用押し付けられてるイメージあるから」

「バスケはやめた」

「なんで?」

「なんでさっき初めてあったばっかのアンタにそんなことを話さなきゃならない」


 私がそういうと、彼女は少しばかり考え込んで、何か思いついた。


「そうだ! 君が教えてくれたら、君の疑問に私が一つ答えるってのは?」

「俺からアンタに質問したいことなんて何もない」

「いや、ほら、なんかあるだろ? 彼氏いますかとか、なんでそんなに美人なんですかとか」

「アンタ自分にどれだけ自信があるんだ」


 半ば呆れながら呟いた。まぁ、誰かに打ち明けたい気持ちはあった、こんな重い思いを抱えていてはいつか動けなくなりそうだ。


「まぁ、いいか」


 諦めて、つられるように彼女の笑顔に釣り上げられて、私は彼女にことの顛末を打ち明けた。

 私が彼女に話す間、彼女はうんともすんとも言わずに黙って私の話を聞いていた、笑わずに茶化さずに。面白くもないのに、彼女は真剣に長い話を聞いてくれた。


「面白くもない話だ」

「あぁ、確かに君の話は笑えないな」


 陽が暮れ始めた。


「笑ってはいけない話だ」


 彼女が言った、哀しそうな顔で


「俺は、カエルにすらなれないオタマジャクシだ、アンタみたいな鷹とは違う」

「私もカエルさ、井の中のね」


 そういって彼女が立ち上がる。


「君は、これからどうするんだい?」

「部活はやめた。もう、多分二度とバスケはしない」


 ポケットの中でクシャクシャになったチラシを彼女に投げた。


「これは?」

「退部届を出したら、顧問が『お前には才能がある、部活が嫌なら社会人チームにでも』って」

「なんで私に」

「話を聞いて貰った礼」

「これを貰って私はどうしたらいいんだ? バスケでも始めろと?」

「それもあり、捨てるって手もあり」


 そうするよ、と彼女は笑って私に背を向ける。だが、すぐに振り返って私に言葉を投げた。


「あ、そういや君の質問になんでも答えるって言ったんだった。なんか質問ある?」

「価値のない人間って、いると思いますか?」


 その問いを投げた時、私は瞬時にその言葉が出た自分に驚いたし、こんな痛々しい質問をした自分を殺したくなった。

 彼女の笑い声が、宵の口のグラウンドにこだまする。


「ハハッ、急に敬語になったな君」

「そこかよ」

「質問の答えだが」


 彼女が、座っている私も正面に来る。


「その答えを、私は持っていないが、見つける手伝いぐらいならばできるかもしれない」

 

 呆気にとられる私に手を差し伸べながら言う。


「暇な時、特別棟二階の端の教室の来るといい。私は基本いつもそこにいるよ」


 差し伸べられた手を取った。

 その手は暖かくて、柔らかかった。


「あぁ……いや、はい」

「どうした急にかしこまって」

「なんでもないですよ」


 少しばかり救われた気がした。

 溺れる者は藁をも摑むというが、泳げないオタマジャクシを救ったのは自分をカエルと言い張る鷹だった。







 目覚ましの音がうるさい。

 懐かしくて、大切な夢を見ているのに邪魔するな、とうるさいスマホを取り目覚ましアプリを黙らせる。

 寝ぼけ眼をこすりながら、時計に目をやるとまだ朝の10時だ。


「ん? 10時……って、寝坊じゃねぇか!!!」


・・・


 なんでこんな高級品を私は買っているのか、というか昨日絵の具なんて買うんじゃなかったこのままでは寒空の下でティッシュ配る羽目になりそうだ。

 今年はやけに寒い、十一月の寒さにしては異常すぎるこれは、なんてボヤきつつ私はコートの襟を正して懐かしくも忌々しい病院の自動ドアを開いた。

「病室は三階、部屋番号は言うなって言われてるの」

「はぁ、そうっすか。ありがとうございます」

「肩の調子は? リハビリサボり君」

「絶好調ですよ、それじゃ」

 やけに色っぽい顔なじみのナースさんに礼して、三階に降りて部屋を探す。それにしてもなんでよりにもよって三階なんかに入院するのか、私に対する嫌がらせだろうか。病室の名前プレートを探し回ってやっと見つけた。

「よぉ、遅かったな。すぐにここだと分かると思ってたよ」

「三階で部屋番号を教えてもらえなかった時点で嫌な予感はしてましたよ、まさか俺が前に入院してた病室と一緒だとは」

「私たち運命の赤い糸で結ばれてるねぇ」

 甘ったるい声で彼女が言う。

 似合わないからやめろと私が言う。

「んで、手土産は?」

「買ってきましたよ」

 私が袋を渡すと「おぉ! これこれ!」と子供のようにはしゃいで包みを破く。

「コーヒーも買ってきたんで一緒にどうぞ」

「気が利くな」

 お前も食えと、いくつかを紙皿に乗せて押し付けてくるのでありがたく受け取った。

「ところで、なんで怪我を?」

「階段から落ちた」

 思わず、死のうとしたんですか? と聞きかけた。

「あ、死のうとしたわけじゃないぞ?」

「本当に?」

「あぁ、本当に」

 それから彼女はコーヒーで口を潤して、困ったように笑いながらことの顛末を語り出した。今朝見た夢のせいで、奇しくもあの時と逆だなぁなんて思いながら。

「ただぼうっと歩いててな、階段でよろけたんだ。本当ならさ、別に落ちるような感じじゃなかったんだ。でもさ、変な考えが頭をよぎってな」

「変な考え?」

「もし、もしここで手を怪我したら、逃げ道を……言い訳を作れるんじゃないかって」

 淡々と彼女の独白が続く。

「そんで階段から足を踏み外した。そん時さ、私とっさに腕をかばったんだ。笑えるよなさっきまで逃げ道が作れるかもなんて考えてたのに」

 そしたらこのザマだ、なんてケラケラ彼女が笑う。

「階段も言うほど高くなくて、頭も打ったが問題はないそうだ。足も今日精密検査したらヒビが入ってるだけだって」

「大事なくて良かったです」

「親にも先生にもボッとしてたって言ってるんだから、口裏わせてくれよ? この話したのは君だけなんだから」

「わかってますよ」

 

 彼女は馬鹿だ。


「貴方は馬鹿だ」

「否定はしない」

「揺り籠から墓場まで馬鹿野郎がついて回るタイプの馬鹿だ」

 自分でも声に熱が帯びていくのが分かる。

 いつぶりだろうか、誰かに対して本気で怒っているのは。

「ひどいなぁ、君は。怪我人だぜ私」

 私が怒こっているのを分かっていて、彼女は飄々とはぐらかす。

「分かってるよ、そんなことは」

「分かってねぇだろッ!」

 立ち上がった拍子に椅子が倒れたが、そんなことも気にならなかった。

「もし絵が描けなくなってたらどうするつもりだったんですか!? アンタにとってそれがどんだけ大切なものかなんて、俺が言わなくても分かってただろ!」

 病室に私の怒号が響いた。

 彼女には、失ってから……いや、自ら捨ててから気づくなんて馬鹿な真似はして欲しくなかった。

 彼女には、彼女にだけは私のような結末を迎えて欲しくなかった。

「うん、そうだな。分かってるよ、大丈夫だ分かってる」

 彼女の手が、私の手に伸びた。

 暖かくて、柔らかい、あの日の手を思い出す。

「ごめんな。それとありがとう、私のために怒ってくれて」

「……つい熱くなりました」


 吐く息がいまだに熱を帯びている。

 この病院、この病室にいると嫌でもいろいろなことを思い出してしまう。ここには色々詰まってる、だからきっと私は彼女と自分を重ねてしまった。


「文字通り骨身にしみた、君に誓うよ。二度とこんな馬鹿みたいな真似はしない。だからさ、そう哀しそうな顔をしないでくれ」

 椅子を起こして、座り込むと彼女の手が私の頬に伸びた。

 優しく撫でながら、彼女が言う。

「吹っ切れたよ」

「何がです?」

「何もかも」

 彼女は初めて会った時みたいな不敵な笑みを浮かべる。

「やっぱり私は、絵を描くしか能のない女らしい、身を以てそれを思い出したよ」

 そして、笑みが静かに消えると真剣なものに移り変わる。

「私は描くよ」

「はい」

「だから、また付き合ってくれるかい?」

「えぇ、喜んで」

 私は笑ってそう言った。

 

 満足げな彼女の横顔を眺めながらそうして悟る。

 彼女はきっと、跳び方を思い出して。

 彼女はきっと、もう一度大海を知る。


「喜んで、最後まで付き合ってあげますよ」


 だったら、彼女がもう一度胸を張って大海に飛び出せるように。


「私はさ、飛べないんだ」

 カーテンの隙間から覗く暖かな光が彼女を照らす、まるで舞台上の主人公に当てられたスポットライトのようだ。

「だけど私はさ、誰よりも高く高く、そんでもって誰よりも長く空を飛ぶよ」


 私のようなオタマジャクシにできることがあるなら、なんだってやってやる。


・・・


 それから彼女は、一週間ほどで松葉杖をつきながら学校に復帰して、すぐさま作品の制作に取り掛かった。

 まるで取り憑かれたように、されど憑き物は落ちたような顔で。


 彼女が筆をとるたびに、私は彼女に魅入られる。

 確かに、そこにいたのだ。鷹は、ずっとそこにいたのだ。

 周囲の人間が天才だと祭り上げる彼女の姿がそこにはあった。


 それから随分と夜を使い果たして、幾つもの失敗作を己の背中に積み上げた。だが、以前のよう彼女が筆を置くことは、心を折ることはなかった。

 寒さがいよいよ本格化してきて、サンタが来て年が巡った。

 泣いて笑って悩んで叫んで足掻いて、何度も空を目指して跳んで。


 彼女の作品が形になった。 

 跳べない彼女は、描けない彼女は。

「ありがとな」

 もう、どこにもいなかった。

 

 

 

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