転移者は鈍色の夜に遠吠えを聞く

松吉

第1話-プロローグ-

「ハァ……」

 ミツキは溜息をついた。いつもと変わらぬ大学からの帰り道。つまらなく、くだらなく感じる授業や、居場所のないその日々に、嫌気の様な飽きの様な、そんな陰鬱な気分に飲まれていた。それでも何かを変えられるとも思えず、今日も退勤ラッシュで人がごった返す駅のホームで電車の到着を待っている。そして、彼は喧騒を遮断しようとスマートフォンを操作し、イヤホンから聞こえる曲の音量を上げた。しかしそれが、最悪な災悪を招くことになる。

 人のあふれたホームで一人の人が蹴躓き、体勢を崩したのだ。そしてそれは連鎖する。ドミノ倒しの様に、バタバタと。電車を待つ列の先頭、そこで耳を塞ぐミツキは哀れにもその事態には気付けず、当然に成す術もなく、ドンと跳ね飛ばされたしまった。そこには必然の様に電車が迫っているのだった。

「何だ、この感じ……」

 身の浮遊感。眼前に迫る二つの光。そして、金属の感触と絶望的なまでの痛み。その中でミツキは全てを思い出していた。しかしそれは彼の意図とは関係ない。物心がついた時から二十歳の大学生である今この時までの、ありとあらゆる全ての記憶が頭を駆け巡った。

「あ、そうか……俺は、死ぬのか」

 笑えて来る。この世の中で自分が一番不幸な気さえしてくる。幸せな事など無かったようにさえ思う。最期に脳裏を過ぎるのは、他人の冷たい眼や疎外感、そして孤独感。この世に積もった嫌悪そのものだった。ああ、神様なんて信じちゃいないけど、もし生まれ変われるなら、もうこんなつまらない世界には生まれたくないな。

 ミツキは目を閉じた。


「……んん」

 ミツキはその寝心地の悪さに薄っすらと目を覚ました。壮絶な悪夢を見たような浮かない気分に襲われながら、上体を起こす。今何時だ? てか今日の講義、何限目からだったっけ。彼のそんな思考は、眼前に広がる光景によって吹き飛ばされた。

「え、なんだよこれ」

 薄暗い洞穴の様な空間。壁に掛けられた松明。金貨や宝石、金銀財宝が乱雑に積まれたその山に埋もれる自分。全てが見慣れぬ状況に、彼は混乱していた。これは夢か? いや、でも俺は確か死んで……あれも夢なのか? 夢にしては感触がリアルだな。彼は状況を整理するように、自分を落ち着けるように、手元の金貨を手に掬った。金属の冷たい感覚やジャラジャラとコインが鳴らす音もしっかりと感じられる。精巧に作られた金貨には見たことのない紋章が刻まれていた。

「******~♪」

「ん? 歌?」

 目の前に続く洞窟の一本道、その奥から野太い声で口ずさまれている歌が聞こえる。その音と共に足音がだんだんとこちらに近付いていた。聞き覚えの無い、どこの国の歌かも分からないその響きに、ミツキの不安感は増大する。そして、とうとう姿を現したその男は、決して低くはないミツキの上背を優に超える大男だった。更に驚くべきはその外見。おおよそ日本人とは思えない凹凸のハッキリした顔立ちに、さながらゲームやアニメの盗賊の様な身なり、腰に下げたナイフ、そのどれを取ってもミツキは危機感を覚えずにはいられなかった。赤らんだ頬に間の抜けた表情、それに漂う酒の匂い。足取りも確かではないところを見ると酔っていることが分かる。

「ど、どうも……」

 震える声で捻りだした言葉を聞き、大男はミツキの存在を認知した。すると大男の表情が見る間に敵意に染まっていく。

「*******!!!」

 何語かも分からない言葉を浴びせられ、胸倉を掴まれたミツキは片手で軽く持ち上げられてしまった。

「ぐっ……」

 大男はもう片方の拳を振り上げ、ミツキを殴り飛ばした。財宝の山に叩きつけられたミツキは痛みに呻き声を上げる。そして、同時にこれが夢ではないことを悟った。大男はゆっくりと腰のナイフを抜き、彼を見据える。咄嗟に死を覚悟したミツキは散乱した金貨を握りしめ、大男の顔にめい一杯の力で投げつけた。一瞬生まれた大男の隙をつき、唯一大男の背後に続く道に彼は走り出す。無我夢中で、必死で。一本道を抜け広い空間に出たミツキは驚愕の光景を目にする。あの大男の様な格好をした屈強な男が何人も辺りで眠っていたのだ。

「*************!!!」

 一層足を速めたミツキの背中に先程の大男の怒号が突き刺さる。何とか洞窟を出た彼の視界に映ったのはほの暗い空と、顔を見せたばかりであろう太陽、そして朝靄に包まれた薄暗く深い森だった。一瞬足が止まってしまった彼の背中を再び大男の怒号が追い立てる。何かを思考する余裕もなく、ミツキは真っすぐと森へ向けて走り出した。肺が痛む、頭が回らない、だんだんと足が重くなっていく。幾度となく木の根に足を取られそうになりながら文字通り、死に物狂いで走り続ける。陽が空を徐々に照らし始めた頃、彼は森を抜け少し開けた場所に行き着いた。


 そこは細くなだらかな傾斜の続く一本の道だった。道の傍には綺麗な小川が流れている。ミツキは周囲を見渡し、聞き耳を立てた。聞こえるのは酷く煩い自分の呼吸と川の音。どうやらもう誰も追って来る様子はない。彼はその場に崩れ落ちた。息が整った時には、あたりは随分明るく木々の葉から差す木漏れ日がミツキを優しく照らしていた。彼が正常な思考を取り戻したのは、鉛のように重たい身体を引きずり、川の水で頭を冷やしてからの事だった。

 ちょっと待ってくれ。何なんだ、これは。どうゆう状況だ……。夢じゃ無いのは十分理解した。殴られた痛みも、身体の怠さも、水の冷たさもリアル過ぎる。でも、だとしたら、どうなっているんだ? 俺は電車に撥ねられた筈……生きていた? じゃあここはどこだ。こんな森が日本にあるのか。それに、あんな盗賊とか……。別の国の、それも別の時代? まさか、そんな馬鹿な。

 ぐるぐると答えの出ない考えを巡らせるミツキの視界にあるものが映り込んだ。それは一枚の標識のような木の看板に刻まれた文字だった。

「おい……嘘だろ?」

 彼は両手で前髪をかき上げるように頭を抱えた。大学で言語を学んでいた彼にとっては、その文字がなにより常軌を逸した事実を物語る。それは日本どころか、地球上の文字とは全く異なった作りのものだったのだ。

「別の国でも別の時代でも無い。ここは、別の世界なのか」

 暫く呆然としていたミツキだったが、どう考えてもこの状況を現実では無いと否定できず、行動を起こすことを決意する。

「どうすっかな……」

 とにかく先ずは現状の把握だな。服は、シャツにジーンズにジャケット……元のままか。持ち物はっと。

 ミツキはジーンズやジャケットの中からジャケットのフードに至るまで、今の持ち物を全てその場に出してみる事にした。部屋の鍵、ボールペン、金貨三枚。

 ん? 金貨? あの大男と揉み合った時に紛れたのか。これは殴られた慰謝料だと思って貰ってしまおう。どれくらいの価値があるのかも分からないけど、何か食料くらいは手に入るだろう。とにかく、人の居る所へ行くしかない。

 彼は川沿いの山道を下流に向かって歩き出した。足取りは軽く、目に映るもの全てに振り回されていた心も、すっかりと落ち着いている。それは、ミツキにとってこの世界が現実であるにせよ、あまりに異常で、元の世界に息苦しささえ感じていた彼からすれば、それこそ生まれ変わった気分と言える。新しい世界。自分を知るものなどいない世界。失う物もなく、何のしがらみもない。この時の彼は解放感や、まだ見ぬものへの希望すら抱いていた。

 

 どれくらい歩いただろう。真上にあった太陽が少し傾きだした頃、ミツキはようやく小さな街を見つけた。その街は川幅を覆う様に造られていて、多くの水路や、石作の建物が見受けられる。山道をさらに下れば街に入れそうだ。

「やっぱり現代って感じじゃないな」

 再び歩き、山道を下って行くと狭苦しいトンネルに差し掛かった。どうやら歩いて来た山道は街の裏口にあたるらしい。息を飲み、トンネルを潜ると細い水路に突き当たった。辺りは薄暗く、近くには石段がある。石段を上がれば、いよいよ街に入れそうだ。

「よし、行くぞ」

 自分を落ち着かせる様に呟くと、ミツキは石段を上がった。その先はボロボロの建物がひしめく路地裏の様な場所だった。彼は思わずたじろいだ。彼の歩く路地にはそこかしこに道端に座り込む浮浪者と思しき人々がいたのだ。老若男女様々な年齢層のぼろい衣服に身を包んだその人々の、影の差した眼から向けられる視線がザクザクとミツキを突き刺す。

 これがスラムってやつなのか。

 自ずと伏し目がちになり、歩くペースも上がってしまう。少し歩き、小さな橋を超えると景観は一変し、賑やかというか明るい雰囲気の街並みになった。

「ふぅ、何か中世って感じだな」

 ホッとしたのも束の間、ミツキは先程よりも更に苦痛な視線を一挙に浴びることになる。それもそうだ。彼はこの世界で言えば、かなり辺鄙な衣服を纏ってる。それだけではない。町には一見する限り、黒い髪の者も、黒い瞳の者も、堀の浅い顔立ちの者も、一人もいなったのだ。それは、この世界に来る前、彼が嫌というほど身に受けた奇異の視線。元の世界を生き辛くさえさせた、身に纏わり付くような粘着質な視線だった。

「クソ」

 ミツキは歯を食いしばった。先程までの生まれ変わった様な、夢見心地な気分は地に落ち、彼は一気に現実へと引き戻される。それは町をどれだけ歩いても変わることは無かった。それどころか彼を指さし、コソコソと話す者も少なくは無かった。ミツキの気分は落ちるところまで落ち、人気を避けて歩くうちに、怪しげな地区に迷い込んでしまっていた。そこは奥まった広場で、大きなテントが所狭しと並び、赤い照明に照らされている。いかにも胡散臭い、良い身なりをした中年達がテントを行き来しているのが見えた。すでに沈みかけた陽が空を妖しく彩り、彼の不安感をより一層煽る。

「*******?」

 ただ呆然と立ち尽くす事しか出来なかったミツキに、趣味の悪い派手な格好をした小太りな男が声を掛けた。朝の盗賊の様な敵意こそ感じなかったが、目つきや雰囲気から良くないものだというのは感じ取れる。そして勿論、掛けれた言葉の意味が分からない彼は、眼を伏せ無言を貫いた。或いは分かっていたとしても同じ行動を取っただろう。何の行動も取らず、苦痛な時をやり過ごす。元の世界で身に染みついたその行動を。しかし、この世界で彼の術は通用しなかった。

「*********」

 小太りな男はミツキの肩に手を回し、何やら気さくに言葉を連ねた。男からはむせ返りそうなキツイ香水の香りが漂っている。

「いや、あの」

 ミツキは抵抗も虚しく、男に引き摺られる様に数あるテントの内の一つに誘われてしまった。

「えっ……」

 目の前の光景に、彼は言葉を失った。手広なスペースに積み並べられた檻。そこに窮屈そうに詰められているのは、人や獣や、その間の獣人とでも呼ぶべき者たちだった。中にはミツキ自身よりも遥かに幼い見た目の者もいる。

「何だよ、これ」

 一斉に向けられる気味の悪い視線。纏わり付くような淀んだその視線は、昼のスラムの人々の視線に似てはいたが、どこか恨めしそうにも感じる。テント内に流れるやけに陽気な音楽が一層その異様さを引き立てていた。男はそれぞれの檻に一枚ずつ取り付けられた看板を次々と指さしながら自慢げに何かをミツキに説明しているようだった。この世界に無知な彼であっても檻の中の者たちが、物として扱われていることは分かる。同年代やそれ以下の子供と呼ぶにふさわしい人達が、ボロ布一枚で檻に詰められているその光景に彼はショックを隠せなかった。つまらない事で腐っていた自分への嫌悪感や、世界の凄惨さへの失望感。そんな幾つもの感情が入り乱れた形容しがたい想いが彼を襲う。それに耐え兼ねたミツキはテントを去ろうと、出口へ向かった。だが、例のごとく小太りの男が彼の腕を掴み、引き留めた。

「放せ!」

 思わずミツキは声を荒げ、掴まれた腕を振りほどいた。

「エ……」

 彼は勢い良く振り返り、辺りを見回す。か細く消え入りそうな声を彼は確かに聞いたのだ。

今、確かに誰かが反応した。俺の言葉が分かったのか? だとすれば、会話が出来る? どこだ、反応した人は……。どこにいる?

注意深くひとつひとつの檻を見渡すと、こちらを恐れを含んだような驚いた表情で見つめる少女が目に留まった。痩せ細り、髪の伸びきったその少女はミツキよりも幾つか幼く見え、他の者たち同様、ボロ布の簡素な衣服を着せられ、首と両手を繋ぐように枷が付けられている。そして、奇形とでも呼ぶのか、左右不揃いの巻角が彼女が少なくとも純粋な人間ではない事を物語っていた。それでもミツキは藁にもすがる気持ちで彼女の檻に駆け寄った。

「君、俺の言葉が分かるのか!?」

少女は怯えを見せながらも頷く。

「色々知りたい事があるんだ! 君は」

そこまで言いかけた所でミツキは小太りな男に羽交い締めにされた。男は顔を歪め、声を荒げている。それでも構わずに、言いかけた言葉を続けた。

「君はどうすればそこから出られるんだ!?」

「エ……カ、カネ」

少女は声を絞り答えた。

「カネ? 金か!」

ミツキがポケットから金貨を一枚取り出して見せると、男は手の平を返したように態度を変える。乱れた服を整え、咳払いをひとつ。切って貼った様な気味の悪い笑みを浮かべた。

「これでいいんだろ。この子を解放してくれ」

金貨を握った手を男に差し出す。

「********」

男は何かを言いながら小さくお辞儀をした後、金貨を受け取り、懐から鍵の束を取り出した。そこから鍵を1本外すと、それをミツキに手渡し、少女の檻を指差した。鍵を恐る恐る受け取ったミツキは静かに檻の扉を開け、少女に手を差し伸べる。

「行こう」

少女はほんの小さく頷き、枷の付いた手でミツキの手を取るのだった。テントを後にした彼は少女の手を引き、少し歩くと水路の下へ続く階段に腰を下ろした。少女は自ずとミツキよりも下段へ行くと膝を抱える。すっかり陽が落ち、薄い雲に覆われた空からほんのりと月光が差し、水面をキラキラと輝かせていた。聞こえるのは水の流れる音くらいのものだった。

「ここなら静かに話せそうだ。えっと……」

ミツキはそこで初めて彼女が小さく震えている事に気付く。自らの今までの行動を考えれば、怖がらせてしまっていても何らおかしくはない。異世界の言葉で叫び、突然連れ去られた状態なのだから。

「あぁ、すまない。取り敢えず先に枷を外すよ」

先程受け取った鍵で少女の枷を全て外すと、彼女は目を丸くし、何だか信じられないといった風だった。

「俺は君に危害を加える気はないんだ」

そう言いながらミツキはジャケットを脱ぎ、少女の肩に掛ける。彼女は一瞬ビクッと身体を震わせた。ロクな扱いを受けていなかったのが一層伺える。おずおずとジャケットに袖を通すと、目深にフードを被った。やはり奇形の角はコンプレックスになり得るのだろうか.。それとも……あのテントには獣か怪物か獣人しかいなかった。それに町では人間以外を見かけなかった。この世界では獣人に人権がないのかもしれない。いや、それより今は。

「確認なんだけど、君は俺の言葉が分かるんだよな?」

「ウン。でも、全部じゃナイ」

 少女はたどたどしく答えた。日本語が流暢に話せるという訳では無いらしい。それでも、今のミツキにとっては唯一の希望と言えた。

「この言葉を使っている人は他にいるのか?」

「いない。ヒトは、使わない」

「え?」

どういう事だ? この世界では、この子の様に亜人が使う言葉なのか?

少女は震える声で振り絞る様に続けた。

「アナタは、なに? コレは怪物が使う、コトバ」

「か、怪物?」

その不穏な会話は人々の叫び声によって打ち切られる。

「なんだ?」

近くで何かが起きている。逃げ惑う人の姿が水路の上流、少し先の橋に見受けられた。人々の顔はいずれも恐怖に歪んでいる。それを追う様に、馬に乗った野蛮な風体の男たちが次いで橋を渡って行った。ミツキは戦慄する。ギャアギャアと山猿の様に、はしゃぐその一団の最後尾、そこには彼の知る顔があったのだ。

忘れもしない。あいつは今朝、俺をぶん殴った盗賊だ。だとしたら、この襲撃は俺のせいか? ダメだ。町の人には悪いが、まともに喧嘩もした事がない俺にはどうにもできない。

「逃げよう」

ミツキはそう言うと、少女の手を掴み立ち上がった。しかし、それと同時に盗賊の双眸がこちらに向けられている事に気がついた。盗賊は口角をジワリとあげる。その反面、目は笑っていなかった。

「*****!!!」

奴が叫ぶと、取り巻きの三下達十数人が一斉にこちらに馬を走らせる。

「いくぞ!!」

ミツキは半ば少女を引きずる様に水路に沿い下流側に駆け出した。橋までは距離があったとはいえ、相手は馬でミツキは朝から動き詰め。さらにはつい先ほどまで見世物小屋に居た少女を連れているとあっては逃げ切れる筈もなく、とうとう町の正面入り口にあたる広場で盗賊たちに囲まれてしまった。

 まずい事になった。逃げ場がない。人も逃げたか、家の中で息を潜めている。助けは期待できない。俺達は何の武装もしていないし、していたとしても戦って勝てる相手と数じゃないだろう。それに見たところ奴らはボウガンを構えている。ここから何かアクションを起こそうものならきっと撃ってくる。今度こそ、もうダメかもしれない……。

ミツキ達は円状に盗賊達に取り囲まれてしまった。あちこち聞こえる薄ら笑いがより一層、場の状況を身に突き立てる。そして、それを猛獣のような視線と歪むように吊り上がった口角で眺めていた、リーダーと思しき例の大男が隣の男に顎で指示を出した。

「――――ッッッぐあぁぁぁ!!!」

 赤く熱されたやけ釘で刺された様な激痛がミツキの右大腿を襲った。経験した事のないその痛みに堪えきれず、絶叫する。辺り一面に響き渡った声を聞き、盗賊達は下品に喜び騒いだ。対照的に少女はボロ着の裾を強く掴み、打ち震えている。それでも矢を受けたミツキは、飛びそうな意識を何とか繋ぎ止め、荒み震える吐息で刺さった矢を握りしめた。

 脚が、動かない。血も滲んで止まる様子がない。感覚が麻痺しているのか、あまり痛みが無いのがせめてもの救いだ.。矢を引き抜けば動けるかもしれないが、さっきの激痛がそれを躊躇わせている。クソ。何でこんな目に……。いや、違う。元はと言えば自分のせいなんだ。理解されないのも、居場所がないのも、何も上手くいかなかったのも、全部。目を背けて、世の中のせいにして、その結果がこれだ。世界が変わったって何にもならない。自分の命どころか今日あった少女でさえ巻き込んで……。畜生。どうせ殺されるなら、一発ぐらいぶん殴ってやる。矢を抜け。抜くんだ。タダで死んでたまるか。やれ、やれ、やって見せろ!

 ミツキは歯を食いしばり、矢を握った手に力を込めた。

「……ぁぁぁああああああああ―――――――ォォォオオオン!!!」

 何だ? 遠吠え?

 ミツキは薄れゆく意識の中で、自らの絶叫に重なるように山犬の様な咆哮を聞いた。しかし、それは他ならぬ、ミツキ自身から発せられたものっだったのだ。彼の身体は肥大化する。服は裂け、全身は鈍色の体毛に覆われた。闇の中で鋭く光る黄金の眼。ピンと立った耳。鋭く尖った爪牙。それは紛れもなく、人型の狼。人狼と呼ぶに相応しい姿だった。喉を鳴らす、例の大男よりも更に大きな体躯の怪物に盗賊達はどよめき、馬は本能に逆らえず、バタバタと地団駄を踏んだ。人狼と化したミツキの眼光は、獲物を見定める獣の様にゆっくりと辺りを見回すのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

転移者は鈍色の夜に遠吠えを聞く 松吉 @matu_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ