最終話
サーペントがユーグと名を改めてから7年が経った。
その間に、ギョーム9世は此の世を去り、ダンジュローザは何処かへと姿を消した。
アエノールと名前を変えたネージュは、次女を産み、そして、待望の嫡男となる子供を産んだ。
ギョーム9世の嫡子が亡くなってから、それほど日が経っていなかった事が幸いし、死んでしまったのは、嫡子ではなく侍従であったと訂正された。元々、嫡子は、ギョームとダンジュローザの不倫関係に懊悩し、あまり民衆と触れ合ってこなかった為、ギョーム9世の若い頃と同じ顔をした
ギョームは、子供用の小さなベッドの中で穏やかな寝息を立てて眠る我が子の姿を見た後、夫婦の寝室に入る。
自分は年相応に老けたが、アエノールは
村にいた頃の様な、野に咲く花の様な可憐さは失われたが、初めて対面した
とても三人もの子供を産んだ女性とは思えない、奇跡の様な艶めかしさだ。
(ダンジュローザもそうだった。老けにくい血統なのだろう)
そう考えながら、ソファに座っている妻の横に腰を下ろすと、肩に手を回す。
「お前が、いつまでも美しいのは、お義母さん譲りなんだろうなぁ」
「なんですか?いきなり」
アエノールは、夫のつぶやきに照れた様で、頬を薔薇色に染めた。
「いや、何。お義母さんを見ていなかったら、私はお前を、人ならざる者と思っていたかもしれない。という話だよ」
「それは、どういう事ですの?」
ギョームは、自分がまだ樵であった頃の事を話し始めた。
グロウという樵頭に誘われて、吹雪になる危険性のあった山に同行させられた事。
そして、その夜、透ける程に白い肌をした、プラチナブロンドに赤い瞳をした妖女がグロウを凍死させた事。
その妖女に、恐ろしさと共に、心臓が揺さぶられる程、恋焦がれてしまった事。
「…だが、お前の愛らしさに、私は救われたんだ。お前に会わなかったら、私は、きっと、妖女に会う為に、また、あの樵小屋で夜を明かしてしまったのだろう。」
そうしめくくり、ギョームは自分の妻に口づけようとしたが、アエノールは顔を上げてはくれなかった。それどころか、彼女は泣いている様だった。
「……何故?」
「え?」
「何故、話してしまったのですか?」
「え?」
「あれ程、誰にも話さぬように。と言っておいたのに…」
「アエノール?」
アエノールは、ギョームの手を振りほどき、俯いたままソファから立ち上がった。
アエノールの栗色の髪は、みるみる内に色素が抜けていき、代わりに、光に反射する氷を纏っていくかの様に光沢を放っていった。
そして零れる涙は、キラキラと光り、一粒一粒が、それはそれは小さな雪である様だった。
サファイアだった瞳は、ルビーの様に紅く光る。
「言っておいたでしょう。もし、誰かに話してしまったら『私は貴方を殺します』と。貴方は、私との約束をついに違えておしまいになった」
アエノールの変貌に、ギョームは慄いた。
しかし、それと同時に、十代の頃と同じ様に胸が高鳴るのを覚えた。
ポロポロと、雪の粒を零し続けるアエノールは、指先をギョームに向け、凄まじい冷気を発するかに見えた。が、彼女はそれをしなかった。
「貴方に“真実の愛の証”である男子を与えてしまう前であったなら、私は貴方を殺してしまえたのに、今となっては、もうそれは叶いません。ですが、“真実の愛の証”は、最早、貴方の手許に置くわけにはまいりません。あの子は私が貰っていきます」
アエノールの言葉に、ギョームはギョッとしたが、今度は、身体がピクリとも動かなくなっていた。
アエノールが両腕を掲げると、いつかの様に指先から冷気を噴出させた。
何処からか、水蒸気の様な白い
「“真実の愛の証”を返して貰った今、貴方を守るものは、もう何もありません。16年前の事と今日の事を、誰にも言ってはなりません。そして、娘達の事は、どうか大事に育てて下さいね。あの子達に不平を言わせる様な事があってはいけません。もし、この事を違えれば、今度は、私の母が貴方を殺すでしょう。母は貴方が治める
アエノールは、そう呟くと、ギョームに背を向けると同時に、彼女自身もまた、靄の様に消えてしまった。
ギョームは、しばらく呆然としていたが、自分の体が動く事を認識すると、急いで、息子の眠る部屋へ向かった。
幼い息子は冷たくなって、最早、還らぬ人となっていた。
Fin
Fille de neige 久浩香 @id1621238
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