第4話 朗報
リビングに入って、最初に目についたのは全裸のロン毛野郎の姿だった。
しなやかな筋肉のついた細身の体に、前世で教科書に出てきたダヴィデ像のように白い肌。
ヴィーナスとかではなく、あくまでダヴィデ像なのが俺の憂鬱さに深みを増させる。
「おはようカオル! いい夕方だな!」
「ええ。マルス兄さんの裸体に映えるいい夕焼けですね」
「ははは! ありがとう!」
「おい、まだ話は終ってねえ。カオルを逃げどころにするな。もぐぞ」
「おいおいクレア、この僕が逃げる? 冗談はその品性の無さだけにしとけよ」
「呪われたいのかてめえ!?」
物騒な言葉にそぐわない美声。
その声だけで生計を立てられる程の美しさは、容姿にも表れていた。
髪色はマリーと変わらず、母親譲りのブロンド。
温かい色の髪をストレートで下ろし、自慢げに自ら揺れる毛先は、高嶺に咲いた花のよう。
女性らしい髪とは対照的な鋭い顔立ちも、女としてマイナスではなくプラスの方に傾かせていた。
クレア姉さんの見た目はまさにヴィーナスと言っても過言ではない。
問題なのはその中身。
淫魔のサキュバス並みの品性の無さと、周囲の迷惑を考えない傍若無人さ。
性格の悪さに関しては方向性がちがうだけでマリー並みだ。
陰湿な嫌がらせをマリーが好んでする一方で、クレア姉さんはストレートに人の嫌がることをしてくる。
どっちの方がマシかと言われたら、無論どっちも嫌だと答える。
本当に、もう。
俺の兄弟姉妹は容姿以外に良いところが一つもない。
一応スペックは高いよ?
マルス兄さんは王都の名門校であるオーガニア学園の教師をしているし、クレア姉さんは大教会のシスターだ。
どっちも普段の振る舞いと職業がミスマッチングしていることを度外視すれば、本当に能力は高い。
ただ、罵詈雑言の飛び交う二人の口論の様子と、それを見てクスクス笑ってるマリーの様子を見ると、家出への強い願望が俺の胸に浮かんでくるのだ。
「どうしたの、兄さん? 夜ご飯、食べないの?」
リビングに入ってから棒立ちになっていた俺を見かねて、マリーが声をかけてくる。
俺を魔法の実験台にしたことなどまるでなかったかのような雰囲気で。
まじふぁっく。
「……いや、食うよ」
「……そ」
マリーに眠らされたのは正午過ぎ。
窓の外を見ると空の色はオレンジ色。
結構な時間昼寝をしてしまったようだ。
ルナの祈りの時間……つまり、午後六時になるまでにはまだ時間がある。
夕飯はルナの祈りの時間が過ぎてから取るのが普通だが、今日は早めに作られたようだ。
何でか気になるが、それよりも両親がそろっていないのが気になる。
朝食と夕食は家族全員でというのがうちの家訓だったはずだが。
「父さんと母さんは?」
「一回帰ってきたけど、役所に用があるとか言って出てったよ」
マルス兄さんが食卓の席から立ちあがって答える。
その向かいの席に座っている姉が泣いているのが目に入った。
何で泣いてんのこの人。
「はは、どうやら言いすぎてしまったようだね。クレアのスライムのように柔らかいメンタルじゃ僕の口撃には耐えられなかったようだ」
「…………のろってやるのろってやるのろってやる」
クレア姉さんの呪詛に共鳴するように、食器がカタカタと揺れる。
彼女は情緒が不安定になると、よく魔法を暴発させる嫌いがある。
これまでにも何回か、兄との口げんかに負けて家の寿命を縮める行為を繰り返してきた。
「そんなことよりも、カオル」
「妹の涙をそんなこと呼ばわりですか……」
「ああ、そんなことだ。そんなことよりお前に手紙が届いてるぞ」
「手紙? 誰からですか?」
「ギルド評議会だ」
「は?」
ギルド評議会。
前世で言うと国会並みに重要な組織だ。
毎月のギルド役員試験を主催するのもギルド評議会だし、受験生の合否を決めるのもギルド評議会。
役員試験に合格した者をどこのギルドに割り当てるかを決めるのもギルド評議会だ。
人事関係の機能以外にも様々な方面で権力を持っている機関である。
そんな評議会からの突然の手紙。
内容の予測がつかない。
全裸の兄から手紙を受け取る。
厳かな装飾がなされた硬い材質の手紙だ。
少なくとも真っ裸の人間から渡されるような代物ではない。
というか、温暖期と寒冷期の間とはいえ流石に寒くないのだろうか。
心配にはならないけど、純粋に疑問だ。
兄の痴態を視界の端に入れながら、俺は手紙の封を開けてみる。
中にはこれまたお偉いさんが使うような最高級の品質の便箋。
少しの緊張を覚えながら、俺はいよいよ手紙を読み始めた。
堅苦しい挨拶にはじまって、要件のところまで読み進める。
きっと、視線が下に行くにつれ、俺の目は見開かれていったことだろう。
手紙には、衝撃の内容が書かれていた。
『ギルド役員組合長試験において、見事首席の座を手にしたカオル殿。
合格おめでとう。
他の者に遅れて合格を通知することにまず謝罪をさせていただきたい。
貴殿の配属されるギルドについて、引継ぎの準備を整えるまでに少し時間を要してしまった。
ついては、評議長直々に貴殿の担うギルドの説明をすることになった。
この文を読み終え次第、評議会までご足労願いたい。
ギルド評議会現評議長代理 アルベルト・バトラー』
上質な紙に書かれている割には、やや砕けた文章。
急いで書いた、という印象が否めないところどころの字の粗さ。
だが、そんなことはどうでもよかった。
俺の胸中は今まで味わったことのない程の感情で埋め尽くされていた。
「合格……ってか、俺が、首席?」
既に自分の中では失敗したと思っていた受験が、実は合格だった。
突然転がり込んできた事実に、頭が追い付かない。
それでも何回か手紙を読み返して、文章を咀嚼していくうちにだんだんと実感がわいてくる。
超難関のギルド役員試験に、合格。
前世では何も成し遂げられなかった自分が。
前世での14年と今世での15年合わせて29年という年月を経て、初めて成し遂げた業績。
こんなにも『嬉しい』と言う感情が身体を支配したのは前世も含めて初めての経験だった。
こんなにも、『達成感』というものを感じたのも、初めてのことだった。
「やっぱり合格だったんじゃん?」
いつの間にかマリーが横から手紙を覗き込んでいた。
手紙の内容を読んでも特段驚いた様子はなく、いつものように微笑みを浮かべてるだけだった。
「流石俺の弟だな。ギルド役員試験に首席で通るとは」
「え……あ、ありがとうございます」
「何でぇ、結局受かったのか。マリーから落ちたって聞いたときはどうやって笑い種にしたものか悩んだってのに」
「ぶっとばしますよ」
マルス兄さんからのストレートな誉め言葉に照れて、クレア姉さんに普段なら絶対しないツッコミを入れてしまう。
サクラ家のカースト的に、こんな口を聞いたら逆にぶっとばされそうだがそんなこともなかった。
分かったような顔をされながらただ、乱暴に髪を撫でられただけだった。
キチガイ家族どもの珍しい態度が、純粋に俺の受験成功を祝っていることを意味しているというのは、ほぼほぼ自明なことだった。
前世ではそれほど経験できなかった家族の温かみは、この家庭にはかろうじてあるようなのが、憎らしい。
「言うじゃねえか、カオル」
「ちょ、やめてくださいクレア姉さん」
「うけけ、今日は祝い酒か」
「マリーもお酒飲みたい!」
「マリーはまだ駄目だよ。そしてカオル、お前は評議会に行かないといけないんだろ」
マルス兄さんが姉の手を払いのけて俺を促す。
真面目な顔をしているが、恰好が恰好なだけに色々台無しだ。
だが、言ってることは至極真っ当。
お偉いさんを待たせるわけにはいくまい。
最低限の荷物をまとめて、玄関に立つ。
「じゃあ、行ってきます」
三者三様の「いってらっしゃい」を背に、俺は家を出た。
… … … … …
威勢よく家を飛び出して、暗闇に包まれつつある王都の町を駆け抜ける。
羽のように軽い気分とは、まさに今の俺の気持ちのようなことを言うのだろう。
町中で俺みたいに走っている人間はいなかった。
すれちがう人たちがみな不思議そうな顔で見てくるのが分かる。
そのことに羞恥も感じない、むしろ愉快な気分で走り続けることができるほどに、浮かれていた。
温暖期が終わって夏に入りかけの季節。
風の涼しさとともに、俺は走る。
汗をかくが、不快さは感じなかった。
評議会のある場所は王都の中心部。
王の住む超王城の近くにある。
俺の家のある平民街を出て、結構な距離を走る必要があった。
それでも、この世界の平均並みには身体を鍛えてあるのでスタミナは余裕で持つ。
ここ異世界では魔物の強さが半端じゃないので人間もそれに合わせて進化したのか、やたら強靭な体を持つようになったらしい。
もちろん、限界はあるようで素の体で魔物と張り合えるような者はそれこそギルド討伐員ぐらいだが。
彼らでさえも、魔法や何かしらの特殊能力を使わずに肉弾戦で魔物とガチンコファイトは結構厳しいと聞く。
実際のところどうなのかは知らないが。
人が魔物と戦っているところを見たことがないし。
何故なら、魔物がいる町の外に出たことがないから。
……そう。
実を言うと、生まれてこの方俺は外の世界を見たことがない。
王都の外に出たことがないのだ。
王都にはすべてがそろっている。
市場も、医院も、役所も、娯楽の場も、学校も、郵便施設も、生きるために必要なものは何でも。
生まれ故郷であるスーサという都市には揃っていた。
だから、外の世界のことは本の中での知識しか知らない。
ギルドマスターになって、自分だけのハーレムギルドを作る。
それが一番の目標であるが、もう一つやりたいことがある。
それは、この世界の広さを知ること。
つまり、フロンティアスピリットである。
この世界。
惑星なのかどうかは知らんが、まだ解明されていない部分がどうにも多い。
例えばもし、今俺が立っているこの大陸からずっと東とか西とかに進んだとして、その果てには何があるか。
誰も知らない。
地球だったら、ある地点からずっと東に進めばいずれ元居た地点に戻ってくる。
球形だから当然だ。
しかし、この世界ではどうなのかは分からない。
誰も、ある境界よりも先に進んだことがないのだ。
その境界というのが、『魔壁』と呼ばれる壁だ。
今まで一人しか、この壁を見た者はいないらしい。
昔、カルバン、という有名な冒険家がいた。
前世で言うところのコロンブスとか、マルコ・ポーロみたいな人だ。
彼が世界中を旅して、唯一行く道を阻まれることになったのが、この『魔壁』の存在である。
彼の旅行記というか、冒険記だけが『魔壁』について触れていた。
曰く、『セーネ大陸』の東端に壁あり。
曰く、その大陸の壁沿い北端に、霧籠る巨大な洞穴あり。
曰く、この世界は魔壁に包まれた箱庭なり。
昔の言葉で書かれていたそれだけが『魔壁』の情報であった。
なお、カルバンの冒険記は国家機密レベルの禁書らしいが父親が何故か持っていた。
もう家族についてツッコミを入れるのは正直疲れたので、そういうものだと納得してほしい。
この世界には人間界の一つしかない。
それは、常識ということになっている。
エルフとかドワーフとかの亜人種族も一部を除いてこっちでは人間ということになってるので、そういうことになっているらしい。
王都の外の人間界を見てみたい。
人間界の外の、『魔壁』の先を見てみたい。
前世で狭い世界でしか生きることができなかった反動からか、冒険というものに強い憧れを持っていた。
その憧れを、現実にしたい。
ギルドマスターになれば、魔物討伐がメインの仕事である以上、外の世界との関わりは嫌でも持つことになる。
そもそも、配属されるギルドが王都のギルドとも限らない。
しばらくはギルドマスター補佐としてやっていくことになるだろうが、夢への第一歩を何とか踏み出せた。
……まあ、なんだかんだ言って最優先は女の子との交流だし、自分のギルドで女の子の討伐隊員とか事務員とかとイチャイチャできればそれで幸せなんだけどね。
実は俺が合格だったとあのミアが知ったらどうなるだろう。
しかも首席で。
馬鹿にされた仕返しは当然倍返しだ。
これからのことを考えるとニヤニヤが止まらない。
はたから見れば薄ら笑いを浮かべながら走っている変態に見えただろうが、この時の俺はそんなことは気にしなかった。
浮かれに浮かれていた。
人生って何て素晴らしいんだろう、とか考えていた。
俺は忘れていた。
人生は苦難の連続。
楽あれば苦もある。
しかし、それを思い出すのは、もう少し後のこと。
完全に日が暮れ、夜のとばりが訪れた王都。
次に日が昇るとき、晴れか曇りか、それとも雨か。
ただ、神のみぞ知る。
俺は街灯の照らす夜道を走り続けた。
うちの討伐隊員がアイドル(意味深)で困ってます リンゴ豆 @ringo_mame
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