第3話 お休みなさい

 王都の城下町の一区。

 王都の住民の多くを占めている平民が主に暮らしている地区に俺の家はあった。

 国の最大都市だけあって、土地の値段はなかなかにいい値段がする。

 しかし、その割には非常に狭い。

 人口が多いので仕方ないが、俺の家族が全員暮らすにはだいぶ窮屈だ。


 ここら辺の家屋は魔石を含んだ石材、レンガなどで建造されている。

 魔石の効果としては室内の温度調節や害虫防止、カビやハウスダストの自然除去等々。

 狭くても機能面だけを見れば非常に暮らしやすい家ではあった。


 一番問題なのは住人だ。

 生まれてこの方家出をしたいと思ったことは何度もある。

 幼いころから俺は散々家族に苦汁をなめさせられた。

 両親からの英才教育は別にいい。

 俺が嫌だったのは兄弟姉妹の方だ。


 サクラ家の長男であるマルス。

 次女のクレア。

 そして末っ子のマリー。


 三人そろってサクラ家の生物兵器バイオハザード

 あるものは全裸で夜の街を徘徊して警備隊に補導され。

 またあるものは背中に幽霊をくっつけて家に持ちかえり。

 そしてあるものはことあるごとに禁呪を詠唱。


 一日三凶が彼らのモットー。

 次女のクレアが台頭してきたあたりからサクラ家には問題児が多いと噂され、

 マリーがそれに加わって王都の「気狂い家族マッドファミリー」伝説は幕を開けた。


 幸い俺はその一員には公的には加わっていない。

 先ほどミアには色々言われたが、普段からセクハラを女性に行っているわけではないのだ。

 むしろ然るべき時には礼節を重んじる優等生だと思われている。

 それは家族からも、近所からもだ。


 しかし、俺の優等生は今日までかもしれない。

 試験に落ちたことを聞けば両親は失望し、兄弟たちは馬鹿にするだろう。

 家を追い出され、路頭に迷うことになるかもしれない。


 ……よくよく考えればそれも悪くない気がするのは、反抗期故なのだろうか。

 とにかく、もう家の玄関の目の前にいるのだ。


 育ててくれたことは事実だし、資金援助もしてくれている。

 食事もまともなものがちゃんと出るし、寝床もある。

 文句が言えた立場ではないのは承知していた。

 だから、試験の結果報告ぐらいはしなければなるまい。


 俺は家のドアの取っ手に手をかけそっと開ける。

 ひとまずは家族が全員いるかどうかの確認だ。


 玄関を開けるとすぐリビングがある。

 食事もここでとるのが普通で、部屋の中央に部屋全体の三分の一を占めるテーブルが置いてある。

 暇なときはこのテーブルについて本を読んだり内職をしたり家族同士で談笑したりしているのが日常の光景だった。


 それだけを聞くと普通の仲のいい家族のように聞こえるのだが……。


(よかった……妹だけか)


 玄関のドアからそっと覗き、少しほっとしてそのままドアを開けて中に入る。


「ただいまマリー」

「あ、おかえり、兄さん」


 妹は椅子に座りながら本を読んでいるようだった。


「どうだった? 試験」

「う……残念ながらダメだったよ。面目ない」

「ふーん……」


 試験の結果が芳しくなかったことを聞いても特に反応はしない。

 生返事だ。


 きっと心の中でバカにしているんだ。

 世間様から神童とかもてはやされてる割に試験落っこちた出来損ないとか思ってやがるんだ。


「リアクション薄いな……」

「うーん? だって来月にもあるんでしょ? なら受かるまでやればいいじゃん」

「それはそうだけど……」

「もしかして一発で受からないとクレアお姉ちゃんとかマルス兄さんとかにバカにされるとか思ってる?」

「そりゃあ……あの人たちだったらそうしない方がおかしいだろう」


 なんだろう。

 思ってたのと違う方向に話が進んでる。


 マリーは読んでいた本を一旦閉じて、こちらに顔を向けた。

 ふわり、と多少距離が離れているのに彼女の翻した髪の匂いがほのかに香る。


 母によく似たブロンドのサラサラとした髪。

 赤いリボンでお姫様ヘアになっている髪束を巻いている。

 幼い時からの彼女のヘアスタイルだ。


 柑橘系なのかどうかは分からないが、それっぽい匂い。

 女子中学生の匂いと言ったら的確だろうか。

 いや、嗅いだことはないんだけどさ。

 きっとそんなかんじなんだろうなっていう匂いだ。


「兄さんが一生懸命だったのは私も知ってる。それは多分他の家族も同じ。サクラ一家の中で兄さんが一番まともなんだから頭のおかしい私たちがとやかく言うことはないよ」


 ……あれぇ?

 俺の妹ってこんなこと言う子だったっけ。

 いや。そんなはずはない。

 俺の記憶が確かならこんな優しいことを言う子ではなかった。

 てか頭がおかしいって自覚はあったのな。


 妹の言葉に感動よりも動揺が勝っていると彼女はそのまま続けた。


「今まで結構迷惑かけたけどさ……こんなこと言っても信用してはもらえないだろうけどマルス兄さんもクレアお姉ちゃんも、私も……ついでにパパとママも兄さんには期待してるから。すぐに結果出せとは誰も言わないけど、みんな兄さんが将来大物になるって信じてるから。だから、もっと気楽にいこうよ」


 温かい言葉で諭すように。

 声色は聞き心地のいい音程で。

 言葉のリズムは子守歌のように。


「ね……だから今日のところはゆっくり眠って。明日からまた頑張ろ?」


(あ……ヤベ!! こいつ性懲りもなく……!!)


 気付いた時にはもう遅い。

 俺の意識は急激に薄まり、強制的に沈んでしまうのだった……。




 …… …… …… …… …… 




「よーし。オリジナル魔法【慰めると見せかけてドッキリ大成功】、見事に大成功! くしし……本当に兄さんは引っかかりやすいなあ」


 硬い床に眠り転げている兄を悪戯が成功したときの子供が浮かべるような笑みを浮かべて見つめる。

 しまった、という表情だけを残して彼は夢の世界へと旅立ってしまった。


 これまで何度この間抜けな兄を貶めてきたことか。

 生まれたときからの付き合いだが私の魔法に兄が引っかからなかった試しがない。


 魔法はいい。

 どんなに基本的で簡単な魔法でも何らかの改良の余地がある。

 私は暇な時間を無理やり作っては魔法の研究に勤しむ魔法オタクであった。

 魔法の実験体は主に家族。

 その中でも一つ上の兄は格好のカモだった。


 兄は表向きは好青年を演じていることが多いがその中身はただのスケベだ。

 可愛い女の子を見ると鼻の下を伸ばして煩悩で頭がいっぱいになる。

 それは家族と相対するときも一緒だ。

 きっと兄は試験に落ちて暗い気分になっているところに私という光が差し込んできて気が緩んでしまったのだろう。

 兄がしょっちゅう私をいやらしい目つきで見ていることは分かっているのだ。


 嫌な気は特にしない。

 手を出されたことは一度もないし、妹としても可愛がられていることも普段の態度からよく分かる。

 ただ、ときどき私を一人の女の子として見ているときもあるというだけだ。

 兄さんも『お年頃』な年齢だということだろう。


「ああ……マリー。実の兄を魅了するなんて、貴方は何て罪な女なの……」


 大人っぽい声を出したつもりになって床に倒れている兄を抱き起こす。

 気分は先日王都の劇場で見た演劇のヒロイン。

 演目は「ロミエとジェルエット」だったか。

 魔物のスライムに恋した某国の姫の物語だ。

 あらすじだけ聞くと地雷臭しかしなかったが結構面白かった。


「ふふ……こんなところでなんて。この子もまだ子供ね」


 自分よりも体が大きく男らしい体形をした兄。

 流石にこのまま床に寝させておくのは忍びない。

 寝室に運びたいが、私の力で抱き上げることは厳しい。


「……【筋力増強エンチャント】」


 でも、魔法があればどんな重いものもへっちゃらだ。

 自分の二倍の身長がある人間だって、岩石でできたゴーレムだって、何だって持ち上げられる。

 時々クレア姉さんが連れて帰ってくる巨大なドクロの化け物だって持ち上げるだけなら魔法が可能にしてくれる。


 『知力を上げて物理で殴れ』と偉大なる先人は言い残したが全くその通りだといつも思う。

 知力が上がれば魔法の効果が上がり、魔法の効果が上がれば【筋力増強エンチャント】の効果が上がる。

 それ即ち、戦士も魔法使いも突き詰めれば肉弾戦ぶつりこうげきが最強だということだ。

 カオル兄さんからはその理屈はおかしいとよく言われるが、おかしいのは兄さんのほうだろう。

 世の中の理から目を背け、自らの思考の檻に閉じこもる。

 ああ、なんと頑ななるかな。


「よいしょ、ほいしょ……どっこらせっと」


 兄を寝室まで運んで、ベッドに下ろす。


 サクラ一家の期待の星。

 先ほど兄に伝えたことは魔法の詠唱の一環だとはいえ全部本当のことだ。

 落ち込んでいる相手に慰めるふりをして洗脳する禁呪。

 魔法の発動条件は相手が落ち込んでいること、術者が相手のことをよく知っていること、詠唱文を相手の長所で構成すること。

 今回はもちろん洗脳するまではしないが、やろうとおもえばできる。

 あらかじめ兄が試験に落ちた時のことを考えて作成した呪文だ。


 当然だが兄が合格したときのことまで考えて、【調子に乗るなアテンション】という魔法も作っておいた。 

 効果は使ってみてのお楽しみ。

 お蔵入りにはなるまい。

 だっていつかは必ず試験に受かるだろうから。


 なんだかんだ言ってカオル兄さんが優秀なのは事実。

 身内びいきを入れなくても黙っていれば二枚目の天才児。

 そして才能がどうとかいう前に努力をいっぱいしている。

 どんな目的であれ、努力をしているということは偉いことだ。


 目標があれば努力するのは当たり前、みたいなことも誰かが言っていたが私はそうは思わない。

 思い通りに実るかどうかも分からないのに形のないものを育てようとする。

 それが本当に正解なのかもはっきりせず、ただそれが好きだからという理由だけで。

 水や肥料をやっても種がなければ花は咲かないというのに。


 そんなことを兄は一生懸命にやっている。

 多分目的はエッチなことだ。

 彼の目に宿る痴性を見れば容易に理解できる。


 それでも私は兄を尊敬している。

 だから、私は兄を応援する。

 クレア姉さんやマルス兄さんも同じ意見だろう。


「さあて、この後は何をしようかな」


 いつも通り図書館に籠って魔法の研究か。

 もしくは王都の外で魔法の実験を行うか。

 まだ成人していない私は無職の自由人だ。

 何でもやりたいことができる。


「そういえばクレア姉さんがおすすめしてたカフェがあったな……」


 確か珍しいスイーツが人気な店とか言ってた。

 甘いものは魔法使いには欠かせない。

 今思い出したということは私の脳が無意識に糖分を欲しているということだろう。


 思い立ったが吉日。

 私は眠れる兄を一人家に残して上機嫌に町に繰り出した。


 …… …… …… …… ……


 賑やかな談笑の声で目が覚める。

 枕に頭を沈めたまま耳を澄ませると聞こえるのはどれも聞き覚えのある声。

 近所迷惑など考えず、夕餉の時間を宴会の時間と勘違いしているキチガイどもの声だ。


 ベッドから身を起こし、寝る前に起こったことを反芻してため息を吐く。


「……あのクソアマ、何度も何度も兄の俺を実験体にしやがって」


 引っかかる俺も俺だが、いかんせんタイミングが悪い。

 さっきのときもそうだが、マリーは俺の隙をつくのが非常にうまいのだ。


 寝起きにタライが降ってくるような魔法をしかけたり。

 寝室の扉に俺の手にだけ反応する麻痺魔法を設置したり。

 朝食のスープの中にマリー自身が苦手な野菜を魔法で凝縮したエキスを仕込んだり。


 マリーが近くにいるときは必ずと言っていいほど何かしらの魔法の罠があった。


 不思議なことに、俺以外の兄姉は絶対に引っかからない。

 マルス兄さんもクレア姉さんも、マリーの悪質なトラップに引っかかるところを俺はみたことがなかった。

 何かマリーの罠を回避するコツでもあるのかとも思ったが、あの二人に聞く気には絶対ならない。

 一方は王都の「露出狂ネイキドマン」、一方は王都の「屍愛好家ネクロフィリア」。

 そんな狂った異名を持つ人間に意見を聞こうなどとは思えなかった。


 一応俺も反撃を考えたことはある。

 しかし、俺の持つ能力でマリーに痛い目を見せるのは難しかった。


 前世との決定的な差異として、魔法の存在が挙げられる。

 異世界に魔法はお約束と言えばお約束だが、異世界転生ものにつきものの魔法チートとかは残念ながら俺にはなかった。

 俺の魔法に関する能力はまさしく一般人のそれ。


 低級炎魔法とかを発動しただけで森林を一つ焼き払ってテヘペロったりとか、そういう出鱈目な所業ができるほど俺のスペックは高くはなかった。

 まあ、マリーだったら森林一つ鼻歌交じりに焼け野原にできそうだけど。

 そんなマリーに、精々木を一本燃やせるほどの炎しか出せない俺が勝てる道理がなかった。


 意識がはっきりしていくにつれ、喧騒がより頭に響くようになっていく気がする。

 この声はマルス兄さんとクレア姉さんのだな。

 あの二人は仲がいいのか悪いのか、同じ卓を囲うと百パーセント口論になるから。

 ホント迷惑だからやめてほしい。

 たまにどっちかが魔法使ったりするし。


 一回流れ弾が当たって今回のように気絶したことを思い出しながら、俺は喧騒の方へと向かった。

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