第2話 浪報(誤字に非ず)
人間の国最大のオーガニア王国王都であるスーサという都市は、行政、経済、宗教全てにおいて最高たる機能を持っている。
城下町は常に繁盛し、都市の人口は十万人を超える。
警備隊やギルド役員のような役人も王のすぐ足元なだけあって質は高い。
王都の貴族街のさらに奥に位置する国王の城。
町のどこからでも見ることができるそれは、『超王城』――すなわち、王を超える城として畏敬の念を込めて呼ばれていた。
『超王城』の他にも目立つものは色々ある。
行政の中心が王城だとすれば、経済の中心は城下町全体。
宗教の中心だったら、オーガニア王国の総本山であるスーサ大教会が挙げられる。
今現在、その中でも特に賑わっていたのは城下町にある大広場。
王都には民衆が交流を深めたり、議論をしたり、一息ついたりするための場として公園のような広場がある。
自然にあふれ、動物たちの憩いの場でもあるこの広場にはひと際目立つ人工物の『水晶掲示板』というものがあった。
国民からは単に『クリスタル』と呼ばれるこの美しい水晶でできた建造物は、一応他の国にもあるが、純度や画質ははるかにオーガニアが勝る。
クリスタルは国王や、それに準ずる地位を持っているギルド評議会長、教皇といった権力者が利用する権限を持っており、公的な情報を国民に伝達するために用いていた。
クァーレ月の前期の34日。あるいは、三月の34日。
この日はつい前日まで行われていたギルド役員試験の合格発表の日。
サラの祈りの時間……正午になる十分前。
クリスタルの前には何十人かの受験生と、何百人もの野次馬が集まっていた。
…… …… …… …… ……
人口密度の高さに、気温以上の暑苦しさを感じる。
国の中枢都市の真昼間だってのにわんさかと暇人が居やがる。
受験生はともかく、なぜこれほどの野次馬がいるのか。
俺と同じ会場で最終試験を受けた奴は四人。
他の王都のどっかの会場で組合長試験を受けた奴を含め、事務員と討伐員志望を含めたとしても受験生は百人にも満たないだろう。
関係ない人間がこの広場の大多数を占めているのは明らかだった。
「痛ッ……ちょっと! 気をつけなさいよね! あ、コラ! 逃げるな!…………もう、やんなっちゃう!」
まだ何も映っていないクリスタルをボーっと眺めていると聞き覚えのある声が聞こえたので周りを見渡す。
すると、群衆に紛れて目が痛くなるような金髪の女がこちらに向かってきていた。
相変わらずの太っといツインテール。
あれじゃあ邪魔になって当然だろう。
歩くたびにユサユサと跳ねるのはおっぱいではなく毛髪の束。
っぱり金髪ツインテールは貧乳と相場が決まっているのだろうか。
「見つけたわよ! あなた、昨日はあんなことして! 許されると思ってるの!?」
喧騒の中でもはっきりと周囲に轟く彼女の怒鳴り声は、白銀のベルを乱暴に鳴らしたかのよう。
それでも全然耳障りな音ではなく、小鳥がちょっと癇癪を起こした程度の剣幕だ。
なぜ彼女がこんな怒っているのかについてはめっちゃ心当たりがある。
むしろ、心当たりしかない。
「い、い、いきなり初対面の乙女にキスするなんて! あなたどうかしてるわ!」
目前まで唾を飛ばしながら叫ぶツインテール。
名前はなんだったか。
たしか、ミアとか言ったはずだ。
可愛らしい名前だ。
やはり、異世界の女性は名が体を表すのだ。
ちなみに、キスをしたといっても唇にではない。
やってもいいんだったらあのプルンとした桃ゼリーみたいな唇にワンショット打ち込みたいものだが、もちろんダメだろう。
俺がキスしたのは彼女の右手だ。
昨日、試験が終わった後。
男の娘であるA君との会話に割り込んできた彼女を見て、これまでになく俺は興奮してしまった。
そしてつい、ミアのすべすべとしたお手てにチューしてしまったのだ。
反省はしているが、後悔は微塵もしていない。
「私、いつかできる大事な人のためにとっておいたのに……ひどい」
「嘘泣きはよせよ。それにちゃんとごちそうさまって言っただろ」
据え膳食わぬは男の恥。
済んだ膳に礼を尽くさぬも男の恥。
キスをされて真っ赤になったミアに俺はしっかりと礼を尽くした。
彼女はそれに返答する前に自分の荷物を置きっぱなしにそのまま試験室を飛び出して行ってしまったが。
「ほら、これ。お前の荷物。俺が悪人だったら返さないところだったぜ?」
「悪人じゃなかったらそもそもあんな真似しないわよ……でも、ありがとう。助かったわ」
俺から荷物を受け取ってしっかりと中身を確認しているミア。
安心しろ。
大量に入っていたクマさんのぬいぐるみも、可愛らしいピンクの財布も、ちゃあんと全部確認してからそのバッグの中に入れたから。
ついでにちょっとした贈り物も入れておいたぜ。
今後長い付き合いになるかもしれないからな。
サービス精神は大事だ。
ぷぷぷ。
だが、彼女がバッグの中身を確認し終わる前に広場が静まる。
合格者発表の時間が来たのだ。
サラの祈りの時間。
サラというのは聖人の一人で、昼を象徴する祈り人。
朝はミサで、夜はルナ。
六時間おきにこの世界に訪れる聖霊だ。
初めて聞いたときは驚いたものだが、どこからともなく流れてくる美しい讃美歌は彼女らが歌っている。
この世界の言語は俺が元居た世界のものではない。
ゆえに、音楽を形作る言葉というのもまた大きく異なる。
けど、世界が違っても何かに縋りたいという人々の心は変わらないのだろう。
だからこそ宗教というものは力を持ち、民の心に根付く。
地球だとそれがかえって悲惨な結果を招くこともあったが、実際に神が存在するこの世界においてはそこまで問題は頻発しない。
神託はまさしく神託として機能するし、王が神そのものとして崇拝されることもない。
他国の神とで仲が悪いこともあるが、戦争に至るほどのことではない。
しかしこの世界にも戦争はもちろんある。
その相手になるのは他国や魔物もそうだし、たまに攻めてくる良く分からん戦闘民族もそうだ。
ただ……一番の脅威は魔王だろう。
この世界は人間界の一つしかない。
だが、魔王が現れれば魔界が生まれる。
人間界のどこかに魔王は生まれ、その周囲一帯を魔物や魔族の根城にするのだ。
人間はその根城を『魔界』と呼び、いつ魔界が生じてもいいように自分たちの国を強化する。
今の時代はまだ平和。
最後に魔界が生まれて滅んだのは百年以上前の出来事だ。
『ゴーリヤの大災害』という、当時の魔王にちなんだ呼び名で歴史上に刻まれた。
そして、文献から引用すれば「そろそろ新しい魔王が生まれても不思議ではない」とのこと。
できれば戦争は勘弁してほしいが、まあ魔王が生まれてしまったらその時はその時だろう。
どちらにしろ今は自分のことで精一杯だ。
試験に受かって、ギルド役員になり、女の子とニャンニャンする。
今はその最初の段階。
音楽が流れ終わり、クリスタルに映像が流れ始めた。
背景はギルド評議会の建物の一室だろう。
男前な角刈りの男性が紙束を手に装飾の凝った椅子に踏ん反りかえっている。
彼は咳ばらいをして、顔に見合ったゴリラみたいな声でしゃべり始めた。
「あ゛あ゛ー……これから先日行われたギルド役員試験の合格者を発表するぅ゛……受験生諸君は耳をかっぽじってよーく聞くように。ではまず、事務員の合格者から……」
余計な前置きがないのはありがたい。
受験番号と名前を1セットに次々と読み上げられていく。
周りは歓声や悲鳴の嵐となり、まだ結果を読み上げられていない受験生は「うるせえ聞こえねえだろ」と言いたげな顔で睨みつける。
そんな周囲の様子を尻目にしているとやがて、ギルドマスター試験の合格者が発表され始めた。
「受験番号82番……ミア・フレグラント、続いて83番、キール・ピーラー……それから」
「やった!!」
突然すぐ隣でガッツポーズをされて思わずビクッとなる。
ミアではない。
彼女も顔を歓喜の色に染めているが、ガッツポーズはしていない。
隣にいつの間にかいたのは昨日の男の娘だった。
「おお……いつから居たんだお前」
「あ、ゴメン。君とミアちゃんが言い争ってるのが聞こえてさ。俺も仲間に入れてもらおうと思った直後に合格発表になっちゃって」
言い争っていたといえるほど俺は声を荒げてはいないはずだが、ミアのせいでそう思われたのだろう。
黙っていれば女にしか見えない彼はよく手入れされた青い髪を恥ずかしそうにかきながら微笑んでいる。
彼とのウマはなかなかに合致した。
腐女子だったら一目見てアヒュウってなりそうな顔とは裏腹に、結構なムッツリであることが昨日一緒に飯を食っていてはっきりした。
まあ俺と同じで童貞らしいだけどな。
くく、ギルド役員になった暁には彼と二人で夜の街に繰り出してたくさんの女の子にちやほやされるというのもいいかもしれん。
エリート職だからきっと引っ張りダコに違いない。
俺一人で行くのはちょっと勇気が足りないから彼と二人で行けば怖くないだろう。
「数字が飛んで受験番号97番、メル・シーブラッド、以上5名が今期のギルド役員組合長試験の合格者だ。合格者は役所の方まで来て手続きを済ませてくれぃ゛。今後の詳細はそこで話されるはずだ。不合格者もめげずにこれから頑張ってくれ。クァーリの加護があらんことを祈ろう……」
プツンという、テレビの電源が切れたような音が鳴り、合格発表が終わる。
……おっと、俺としたことが妄想に勤しみすぎて自分の名前が呼ばれるのを聞き逃しちまったようだ。
キールのせいではあるが喜んでいるところに水を差すまい。
ていうか、わざわざ読み上げるんじゃなくて合格者リストをそのままアップしてくれればいいのに。そうすればこうして聞き逃すことはないのだから。何かしら理由があるんだろうか。
「なあ、俺の名前って呼ばれたよな?」
「えっと……ごめん。ちょっと聞こえなかったかな」
「そうか。じゃあミア……おい、何こっち見てニヤニヤしてんだ?」
正面に立っていたミアがさっき俺に詰め寄ってきた時とは打って変わって、歓喜に染まった笑みをこちらに向けている。
まあそれほど嬉しかったのだろう。
この時の俺は勘違いしていた。
彼女の笑みは歓喜の笑みではない。
――嘲笑の笑みだったのだ。
「とにもかくにも、二人とも合格おめでとう。それで、ミアは俺の名前が呼ばれたの聞いてたか」
「……わよ」
「あん?」
「呼ばれてないわよ、あなた。……ぷぷっ」
……は?
今、何て言ったこいつ?
呼ばれてない?
俺が?
家族一の神童とまで祭り上げられていたこの俺が?
いや待て。
よくよく考えたら俺は彼女に名乗っていない。
試験を一緒にやっていた上で知るような機会もなかったはずだが。
「お前俺の名前知ってんの?」
「ええ。カオル・サクラ君でしょ。王都の中でも頭のおかしい一族で有名なサクラ家の四人兄弟の三番目の。私も昨日あなたに酷い目にあわされてあなたのこと調べさせてもらったわ。調べたうえで言わせてもらうと、やっぱりあなたもサクラ家の一員という情報は間違っていないわね。納得しすぎて涙が出ちゃうほどだもの」
身辺調査の結果を侮辱とほぼ同じな形式で報告してくるミア。
人の家族を『頭のおかしい』とか『気が狂っている』だとか、失礼なやっちゃな。
間違ってはいないけどその一員に俺を含めないでほしい。
「私と、そこにいる……キール君でよかったかしら。キール君以外には合格者は三人。最後に呼ばれたメルって人と、後はポンコツとかトンコツだとかという名前の二人だったわね。あなたが落ちてくれて本当に安心したわ。ま、これ以上死体に鞭を打つような真似はしないわよ。私が悪人だったら昨日のことをいまだに根に持って更に罵倒するようなことを言っていたでしょうけど。私はあなたと違って善人だから……くすくす」
……このアマ。
自分が受かってるからって調子に乗りやがって。
だが、事実俺は負け犬。
彼女は本心から喜んでいるようだし、本当に俺の名前は呼ばれていないのだろう。
「でもまあ、試験はまたあるんだし、次に向けてがんばりなさい。じゃあね~」
手を後ろに振りながらそのまま去っていく。
俺はその様子を落ち込み切ったまなざしで見送るのだった。
「大丈夫? カオル君。彼女の言う通り試験は今月の後期にもあるんだから……」
「負け犬の俺に構わなくていい。キールもさっさと手続きを済ませに役所に行ってこい」
「でも……うっ」
しつこく言葉を掛けてくるので睨みを利かすと、彼は言葉を詰まらせて視線をこちらに向けながら仕方なさそうに広場を後にした。
……はあ。
やっちまった。
余りに落ちたことがショックで彼に厳しく当たってしまった。
次に会ったら謝っておくか。
会う機会があればの話だが。
「……ちくしょう」
ミアに散々バカにされて怒っているのではない。
キールに必死にフォローをされて惨めな気分になっているのではない。
試験に落ちて、心が折れたわけでもない。
ただ、悲しいのだ。
何がって言ったらナニがに決まってる。
何度も言ってるけど俺は女の子とナニをしたくてギルドマスターを目指しているのだ。
その野望が遠ざかり、俺は悲観に暮れていた。
「……一応、家族に報告するか」
あの家族が何を言うか予想は不可能だ。
親は割とまともな部類に入っているが、俺の上二人と下一人、兄と姉と妹は全員サイコパスだし。
全員そろっているという状況だけはやめてほしい。
錨を引きずるような気分で、俺は自宅への帰路についた。
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