最終話 家族
1,000人もいた会員たちは、それぞれの想いをもって、会場を去った。あれほどの熱気が嘘かのように静けさを取り戻している。
財団法人は解散し、なにもなくなった。
後始末をするはずの財団法人の事務局も、いつのまにか消えてしまったため、楪葉と木枯たちとで、会場の後片付けをしていた。私達が思っていた以上に、投げ込まれたペットボトル、引き裂かれた財団法人の資料が散乱していた。会員達の憤りと怒りの証拠だ。これで全てが終わったとは思えないが、どこかしらの安堵感と開放感はあった。
この財団の生みの親、元凶である赤海は、総会が終わるのをみると、一目散に逃げ出した。暴徒化した会員達に襲われるのを恐れたか、はたまた恐喝容疑で捕まるのを恐れたのかもしれない。その必死に逃げる様は、取り押さえるのを憚れるくらいに無様だった。よだれを垂れ流し、何かを叫んでいた。あの男も、いつかは捕まるだろう。それも、因果応報だ。
座席の下のペットボトルを拾おうと腰を屈めると、腰が痛い。やはり、歳はとりたくないものだ。
「花城!」
突然、背後から聞き覚えのある太い声で、私を呼ぶ声がした。恨みをもつ会員の誰かが、私を襲ってくるような感じがして、肩がびくっとした。
「か、金川社長。なぜ、こんなところにいらっしゃるのですか? 」
なぜ、こんなところに、金川社長が……。いつもの現実の世界に引き戻され、会社にいるような感覚になった。
「花城、お前にしては、財団法人の見事な引き際だったな。褒めてやる!!」
そういうと、金川社長は観客席のところにドカッと座った。仕事では一度も褒められたことはないのに、どういう風の吹き回しだろうか……
「もしかして、金川社長は、全部見ていらっしゃったのですか? 」
「あぁ、最初から見てたぞ。胡散臭い法人だと思っていたが、まさか裏でそんな事をしていたとはな。お前のような小童が理事長に就任して、どうなることかと思ったが……よくケリをつけたというところか。なかなか、面白かった。褒美にお前にいいことを教えてやろうか。何故、片田舎に出向したお前を本社に引き戻したかわかるか? 」
さすがに、仕事の上司にあのような場を見られるとは、恥ずかしいものだ。しかし、なぜ、金川社長は、この場にいて、こんなに詳しいのだろうか?
「いや、まったくわかりません。前から疑問に思っておりました。なぜ、飛ばされた私にチャンスを頂いたのですか?」
「お前が出向したばかりの時だっけな。この怪しい財団法人の総会に出たんだよ。あの片田舎のホテルでやったやつに。その後の懇親会で、酔っ払っているお前の姿を見かけたんだよ……。馬鹿騒ぎして、歌を歌っていたな。」
「ま、まさか。社長は、私が同じ一族だと思ったから、私をわざわざ本社に呼び寄せたのですか? 」
「馬鹿言え!!お前と同じ一族なんて、虫酸が走るわい。ましてや、お前が一族の王で、わしが部下なんて、たまったもんじゃない。会社に戻ってから死ぬ気で働け!!」
そういうと、金川社長は、大笑いをしながら、会場を後にした。この財団法人があったおかげで、私は本社に返り咲いたということか。どうやら、会社には、私の居場所がまだある模様だ。
ここまで、精神的に追い詰められた日は初めてだ。心も体もクタクタだ。このまま、布団に潜り込めれば、どれだけ楽だろう。
だが、この日のうちに、もう一つ決着をつけなければならないものがあった。総会が始まる前から決めていたことだ。家族と真正面から向き合うことだ。愚かでバカな私は、自らの手で大切な家族を捨ててしまった。あれから連絡を全くとっていないので、妻と息子が、薄情な私のことをどう思っているかは分からない。今日のうちに謝ろうと思った。たった一言でも。どんなに時間がかかっても、どんなにカッコ悪くても、自分のエゴとは知りながら、家族のもとに帰りたい。
夜になると、この季節はまだ冷たい空気が押し返している。たまに吹く冷たい風が、自宅に戻ろうとする私の足を止めようとする。
自宅に帰らなくなって、もうすぐ二年。自宅の鍵は今でも持っているが、入っていく勇気がない。部屋のナンバーは押せても、呼び出しボタンを押す指が思うように動かない。
「はーい。花城です。」
インターホーン越しに、妻がよそ行きのトーンで出た。宅急便が来たとでも思ったのだろう。
「俺だ。入ってもいいか?」
「ここは、あなたの家でしょ。入っていいに決まってるでしょ!」
妻はいつものように冷たく言った。ドアのオートロックが解除される音がした。やはり、妻は相当怒っているのだろう。
自宅のある10階へ向かうエレベーターの中で、妻になんと弁明すればいいのかを考える。
そもそも、どんな顔をすればいいのだろうか。
私に愛想を尽かして、向こうから別れ話が出るのではないか。気づくと、全身が棒のように硬く強張っている。私の気持ちが固まらないなか、エレベーターのドアが無情にも開いた。
久しぶりに帰った自宅は、時間が止まっていたかのように、昔と変わらなかった。私の匂いがそのまま残っているような気がした。妻が好きだった玄関の芳香剤の匂い、光輝の緑のキックスケーター。この細長い長い廊下を、よく光輝がハイハイをして出迎えてくれた。そんな当たり前の生活の匂いがたまらなく愛おしい。
妻からの返事もなく、恐る恐るリビングに入った。妻は台所に立っていて、私の顔を見ることもなく、背を向けていた。妻の小さな背中が、これまでのことを激しく責めているような気がした。ずっと一緒に暮らしてきたのに、言葉がなかなか出ない。
「いろいろと本当に悪かった……。」
「そんなところで、突っ立ていないで座れば! 突然、連絡も無しに帰ってくるから、カレーしかないわよ。また、健康診断でひっかかるから、あんまり食べすぎないでね。また、デブになっちゃうから。」
妻は、まだ私の顔を見てくれようとはしない。
「まずは、俺の話を聞いてくれないか? それから、どれだけでも、俺を責めてよい。全ては、私が悪いんだから。」
私の周りで起きたことを、すべて白状した。
遺伝子検査を受けてから、今日の総会までに起きたことすべてを。そして、妻と光輝を疑ってしまったこと、家族を捨てたことを、懸命に謝った。頭を擦り付けて、涙を流しながら、必死に謝った。側から見ると、その様は無様だったろう。すぐに妻に許されるとは思っていない。それでもいい。何度でも何度でも謝ろうと決めた。
妻は黙って、私の話を聞いていた。冷え切ったお茶をすすってからこう言った。
「まったく酷い話よね。それにしても、あなたってほんとバカだよね……。この2年間、光輝との二人の生活は辛かった。あなたは理由も言わずに、この家を出て行った。訳がわからなかったわ。まさか、私が浮気をして、光輝が別の人との子供だと思っていたとはね。笑える。私、自立するために、仕事も始めたのよ。」
「そうなのか?あんなに、仕事に行くのを拒んでいたのに。」
「あなたにはちゃんと言ってなかったけど。前の職場で、ノルマに追われて、一度倒れたことがあるの。今思うと、軽い鬱状態だったのかもしれないわね。眠れないし、ご飯も食べられないし。その時のことがトラウマになっていて、なかなか社会復帰できなかったのよ。だけど、光輝と二人になって、それではダメだ。私もしっかりしないと思ったのよ。何があっても、私たちの大切な子供を守らなければとね。」
いま思えば、私はなんて馬鹿なんだろう。妻の一言一言が胸に突き刺さる。妻は必死に我が子を守ろうとしていたのだ。
「なんでかわかる?不妊治療をしているうちに、私はボロボロになった。あなたは、私の体を気遣って、子供を諦めようと言ったわよね。それは、あなたの本心じゃなかったことは知っていたわ。私も絶対に諦めたくなかった。私はそんな優しいことを言ってくれるあなたの子供を産みたいと心から思った。そして、光輝が生まれてきてくれた。神様は、私達のことを見捨てなかったと思ったわ……」
涙が止まらなかった。妻がそんなことを想っていてくれたなんて知らなかった。それなのに、私は、私は……。
「あなたは、遺伝子検査というものに騙されたわけだったよね。ねえ、最後に私達が喫茶店で会ったときのことを覚えている? 突然、あなたは光輝は俺の子か?と言った。あの時、私はスマホで光輝の待ち受け画面を見せたわよね。」
「あぁ。よく覚えている。ほんとに酷いことを言った。お前が俺のことをそんなふうに大切に思ってくれたのに。ほんと、ひどいやつだ。すまない。」
妻はスマホを取り出した。再び、光輝の待ち受け画面を私に見せた。喫茶店では思わなかったが、光輝が私に笑いかけてくれているような気がする。
「よく見なさいよ。この目元なんて、あなたにそっくりじゃないの。笑えるくらい。どんどん、あなたに似てくるのよ。やっぱり、血は争えないもんよね。これが、あなたが騙された遺伝子の力なんじゃないの?」
妻の言う通りだと思った。やはり、妻にはどう考えても、勝てない。
「あなたが言いたかったことは、分かったわ。こうして、無事に帰ってきたら、許してあげる。それよりも、光輝にはごめんなさいをしないの? あの子は、健気にあなたの事を信じて、ずっと帰ってくるのを待っていたわよ。」
「こんな俺でも、会ってもいいのか? 」
「当たり前でしょ。私よりも光輝に謝るべきでしょ!!光輝は、保育園で疲れたみたいだから、もう眠ってしまったけど……」
寝室に入ると、光輝は背中を向けて寝ており、顔が見えなかった。
それにしても、しばらく見ないうちに、大きくなったなぁ。この空白の二年間は埋められないのではないかと思った。
「大きくなったでしょ。もうすぐ4歳よ。あなたのことは、海外出張していることになっているから。あなたが前に言っていた英会話教材も買ったわ。光輝、あのキャラクターが好きなのよ。特にレッドがね。あなた、海外勤務のくせに、英語も話せなかったら、光輝に恥かくわよ。二人っきりにしてあげるから、いっぱい謝りなさい……」
妻は平然とした態度をとっているが、無理をしている。10年以上も夫婦だったのだ。それぐらいはわかる。こんな私をすべて許してくれたとは思えないが、私を信じてこの家族を守ってくれたことに感謝した。
光輝が寝返りをして、こちらに顔を見せた。廊下のオレンジの電気に照らされている。
よく寝ている。
起こさないように、栗毛の髪をなでる。こんなにまつ毛が長かったっけ? こんなに肌は白かったっけ? 妻が言う通り、眠りに落ちている光輝は、私の小さい時の写真に瓜二つだ。誰がなんと言おうと、この子は私の子供だ。
深夜に、熱をだして、夜間病院に駆け込んだよな。俺がオムツを変えたら、よく小便をかけられたよな。お風呂から飛び出し、よく、チンチンと叫んでいたよな。電車が好きで、二人で日が暮れるまで見に行ったよな。
この子が産まれたとき、妻と泣いたよな。
走馬灯のように、幸せで平凡だった毎日が思い返される。妻と光輝を最後まで信じられなかった自分が情けなく、涙がとめどなく流れた。
寝ている光輝を強く抱きしめた。
「とうと、お帰り。仕事は終わったの? 」
「あぁ、全部終わったよ。今までごめんな」
光輝には、確実に私の血が流れている。
私のYの遺伝子が着実に受け継がれている。光輝の温かさに触れて、ただそれが嬉しかった。
Yの遺伝子 阿彦 @naka66
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