奇妙な話4【地縛霊】2300字以内

雨間一晴

地縛霊

「お客さん、こんな峠で降ろしちゃって良いんですか?ここら辺、幽霊が出るって話ですよ。それ目当てですか?」


 小太りなタクシーの運転手は、周りを気味悪そうに見回していた。夕日が落ちかけている峠は、所々が虫食いのように紅葉していた。左側には山を切ったような露見した岩肌の上から、木々が道路に向かってお辞儀をしていた。右側はガードレールを挟んで崖だった。


「はい。ここで大丈夫です。ありがとうございました」


 タクシーから一人の男が松葉杖を持って降りてきた。黒いダボダボのスウェット上下、片足にはギプスが付いていた。まだ二十代に見えるが、髭が伸びっぱなしで、短めの髪も寝起きのように好き勝手に動いているが、どこか日本人離れしている堀の深い顔立ちだった。


「帰りは大丈夫なんです?その足だと歩いて下山は無理だと思いますし、ほとんど車も通りませんけど……」


「知人に迎えをお願いしてるので大丈夫です」


「そうですか……。では、お気をつけて」


 逃げるようにタクシーは峠を下っていく。ご機嫌な子供が書いた落書きのように曲がりくねった道は、事故が多発して有名な心霊スポットだった。


 松葉杖の男は、少しの間、空を見ていた。西日が松葉杖を輝かせていた。


 思い出したかのように、ゆっくりと歩き出した。松葉杖の足元のゴムが体重をかけられて歪む。少し歩くと、急カーブの下り坂、ガードレールが、くの字に折り曲がっていた。一つのカーブミラーが沈む夕日を映している。


「……ふう」


 男は、折れたガードレールに松葉杖を預けて、折れ曲がったくぼみに腰をかけた。日が沈んでいく。木々が忙しく揺れる音の中、一つの黄色い街灯に頼りなく照らされ、背後はすぐ崖だった。


 男と崖の間に僅かにある、木々の隙間に女が浮いていた。白い暖かそうなニットに、ベージュのロングスカート、所々が汚れ、破けていた。茶色い真ん中分けの頬までの髪にポニーテール、顔はボヤけてよく見えない。


 背後から女が、手を前に広げながら音も無く、男に近づいていく。男はそっと気配を感じたのか、振り向くことなくポケットから細身のポケットナイフを取り出し、細く溜め息を吐き出した。足がギプスごとガタガタと震えている。


「あぁぁ……あああ……」


 女から石を擦り合わせたような掠れた声が漏れている、男の肩に手が触れようとしたとき。


「もう、いいんだ」


 男が絞り出したように、それでも力強く女に背を向けたまま言った。


「……」


 女の動きが止まり、黄色い街灯がバチバチと点滅している。


「本当にすまなかった、俺のせいで。辛い思いをさせてしまったね……」


 男がガードレールに手をかけて振り向き、片足立ちで女に言い放った。手に持つナイフが鈍く銀色に光っている。


「あぁぁ……ぁぁ……」


 女が後退りをしていく、ボヤけた顔が徐々に鮮明になり、あどけない少女の顔に一筋の涙が走るのを、役割を思い出した街灯が優しく照らした。


「俺だけが助かってしまって、随分待たせてしまったね。今、そっちに行くから」


「だめ!」


 女が駆け寄るよりも早く、男はナイフを自分の首に突き立てた。血が吹き出しガードレールを染めていく。


「ああ!だめ!」


 女が急いで傷口を塞ごうとするが、その手は首を通り抜けて触れる事は無かった。涙だけが許されたように彼の頬に垂れていく。


「誰か!誰か!彼を助けて!助けてよ!」


 暗くなった峠に、ただ掠れた声が響くだけで、女は崩れるように男を必死に助けようと手を伸ばす、ただ宙を掴むだけで、男の血は止まる事なく流れ続ける。


「いや……そんな……」


 男の顔は血の気も引いて青く、それでいて血で赤くなっていたが、どこか穏やかな表情だった。女は男の横でうずくまり、大声で泣いた。


 それから何時間経っただろう、ついに車は通る事なく、朝日が峠を照らし出しても、女はうずくまり泣き続けていた。


 そっと、女を後ろから包む手。


「ごめん、また待たせちゃったね。もう大丈夫だから」


「なんで!なんで生きててくれなかったの!私はあなたと一緒に居たかった、でも、死んでほしいなんて思ってない!勝手な事しないで!なんでよ!」


 激しく怒りの悲鳴が響いたが、振り向くことなく、膝立ちの姿勢で包まれながら、首に回る腕をぎゅっと掴んでいた。


「ごめん、なんかさ、やっぱり君が居ないと生きててもつまらないから。それに、バイクで事故を起こしてしまったのは俺だろ、俺だけ生きるなんて出来ないよ」


「どうして死んじゃうのよ、どうして……」


「本当ごめん、俺、寂しかったんだよ。病院でも君に会いたくて仕方なかった。俺のせいで君が死んでしまったこと、悔やんでも悔やんでも君の事しか考えられなかった」


 男は女の前に回り、泣き続ける彼女に優しくキスをした。


「うう……」


 そのまま抱き付いて泣き続ける彼女の頭を少し撫でて、強く抱きしめた。


「ほら、デートの続き、しようよ。ね、せっかくまた会えたんだから」


「うう、相変わらず自分勝手すぎるよ……」


「ごめんごめん、死んだままの格好なら、もっとオシャレすれば良かったな、松葉杖要らずになったのは、ありがたいけど、はは」


「笑えないよ、もう……」


「ほら、俺のせいで死んじゃったんだから、償わせてよ。ずっと一緒に居たいんだ。こんな所に縛られてる場合じゃないだろ、ほら、行こ」


「……うん。もっかいキスして……」


「はいはい、いくらでもしますよ」


 朝日に透けるように照らされた二人は、長いキスの後、腕を組みながら、静かに峠の先へと消えていった。

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奇妙な話4【地縛霊】2300字以内 雨間一晴 @AmemaHitoharu

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