第七話 月明かりの下で
丸い月に照らされた空間に、二匹の動物がいた。
片方は鈍く光る水溜まりに倒れ、もう片方はそのすぐそばに立っている。
最初、それがシロと気づくまでに、少しの時間を要した。
「シロ、でいいのよね?」
振り返ったその目に理性の光はなく、形相も獣そのものだった。
私に向けているものは、純粋な殺意か。
『あれが、あの方のなりたかったものですね』
「そう?シロ、あんた聞こえてる?その、さっきは小さいことを言って悪かったわね」
慎重に話しかけながら、近くへ歩み寄る。
私は、いつだって言葉足らずだ。
シロがこうなってしまったのは本人の望みだったとしても、まずは私のケジメをつけなければ納得はしたくない。
「シロ、私は」
世界が回る。いつの間にか私は地面に倒れ、シロに組み伏せられていた。
そして、今までとは比べ物にならないほどの力で噛みつかれる。
私の首筋からは、いつ振りに見るだろうか、鮮血が流れていた。
これが、シロのなりたかったもの?
理性を失って、ただ本能のままに喰らうこの姿が?
どんな道を歩んだら、こんな悲しい姿を望むのだろうか。
知りたい。
彼女が、こうなってしまった理由を。
……ここは、何にでもなれる場所。
ならば、それだって可能なはず。
私は強く念じ、目の前の狂気が映る瞳を覗いた。
———眼から脳に流れ込んだ記憶を、ゆっくりと咀嚼する。
そう、そういうことだったのか。
彼女の飢えも、あの時落ち込んでいた理由も。
……このまま食べられてしまうのはまずい。
いや、味の問題ではなく、腹を満たしても何も解決しない問題だからだ。
誰かを喰って解決するならば、いくらでも食わせてやるがそういうわけにはいかなくなった。
しかし、私の身体は完全に抑え込まれている。どうしたものか。
———足音。
傍に新しい気配を感じた瞬間、ゴオッと耳のそばで空を切る音が聞こえた。
そして、私の身体は解放される。
「これはいったい、どういうこと?」
そこには、斧を構えたミュースがいた。
「ねえ、もしあれだったらわちきがアイツを殺してあげるけど」
「だめ。ここは、私に任せて」
彼女の奥底にあるのは、紛れもない寂しさだった。
飢えるから食べるのではない。死にたくないから食べるわけでもない。
ただ、誰かと共に居たいからこそ食べるんだ。
それが彼女にとっての、唯一の手段だったから。
———それなら、言うべきことはこれだけだ。
「シロ!あなたに、私の半分をあげる!」
何かになった私、何にもならない私は共存できると気づいたから。
自分の二面性の狭間に挟まれたとしても、生きていける。
あなたが片方の自分を嫌いになったら、私が別の側面を見つけて、いくらでも褒めてあげるから。
だから。
「私が見る私、それは変わらないけれど、あなたが望む私だって、そこに存在してもいい!だから、シロ、あなたが欲しい私の分は、全部あげる!」
これだけ言っても、反応はない。
このやろう。
「だから、いつだって背中に乗ってやるし、寒ければ抱きつくし、アンタが望むことは何でもしてあげるって言ってんの!それに、あんたに離れられたら困るの、このバカ!!」
ここまで言って、どうにもならないなら仕方がない。
あとは、最後の悪あがきだ。
「まだ届かないのか、この欲しがりめ!ええい、シロ、来い!」
シロの姿が視界から消える
そして、一瞬のうちに。
「ぐぇぇ!」
シロの抱擁、いや、突進に私は背中から倒れる。
彼女を抱きしめたまま。
うええ。めっちゃ顔をペロペロしてくるやん。
「ソラ様!結婚しましょう!」
「断る」
「何でですか!この流れの行き着く先はそこしかないでしょう!」
「嫌だ!私はもっと独り身を満喫したいの!」
「嘘つきー!」
「何やってんだか」
そのままで、馬鹿なことを言い合う。
優しく撫でる髪の色はすっかりと赤色が抜け落ち、銀色の美しい毛並みが現れている。
月夜に照らされ輝くその光は、そらに映えている。
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