第五話 名前のない街

「いてっ」


目的地へ向かう途中、目の前を歩いていたミュースが間抜けな声を発する。


「どうしたの?」


「いや、すねに何かが当たったんだけど…」


彼女の足元に視線を向ける。

そこには、銀色に輝く大きめ球体が落ちていた。


「そこにあるものにぶつけたんじゃない?」


「……なにこれ」


おそるおそる、道の脇にあるその球体に触れようとするミュース。

その途端。


「ビッーーーーーーー!!」


耳がイカれそうになるくらい大きな音が響き渡る。

シロと繋いでいた手を離してしまうくらいに。


「なに、一体なに!?」


あまりの音の大きさに硬直していたが、音が次第に小さくなるにつれて身体の自由を取り戻す。

そして、ミュースの場所、球体の近くに歩みを進める。


「ミュース、平気?」


「ええ、なんとかね。相変わらず、うるさいけど」


「ぽいうytれwqljgdさ!」


最初に発せられたものに比べれば小さい、途切れることのない音が、その球体から響いている。

どうやら、これの発生源はこの球体で間違いなさそうだ。


『どうされました?』


「え?」


訳がわからない音を耳にする中、頭の中に直接、声が響いたような気がした。

ちょっと、何が何やらわからない。


「ソラ様、後ろ!」


少し離れたシロの声により、無意識に後ろを振り向く。

そこには、これまた珍妙なものが立っていた。

複雑な深い青色の淡く輝く身体に、無数の星を散りばめたような肌。

頭にはうねうねと動く触手のようなものが付いており、顔と思われる部分には白い楕円が二つ、目の位置に付いている。

ヒトの形をしているが、明らかに別の生き物だ。

ちょっと宙に浮いているし。


しかし、明らかな敵意はなさそうだ。

このような不測の事態に陥った時、まずやるべきは、対話だろう。


「こんにちは」


『こんにちは』


再度、脳内に声が飛び込んでくる。

う〜ん、この気持ち悪い声の正体はこいつか?


「さっきから頭の中が気持ち悪いんだけど、これってあなたの仕業?」


『その通りです。素晴らしいですね、初対面でそこに気づかれるのは、初めてです』


う〜、気持ち悪い。幻聴が聞こえるようなこの感覚、私の頭がおかしくなってしまったと錯覚してしまいそうだ。


「ソラ様、大丈夫ですか?」


「ええ、平気。それよりも、あんた、こいつをどうにかできない!?うるさいんだけど!」


相変わらず訳の分からない音を発する傍の球体。

この場の状況を整理するためにも、駄目元で彼女に頼んでみる。


『はい、私に任せてください』


ふわふわと浮かぶ生き物が球体に近づく。

すると、不思議なことに、それから発せられていた音が落ち着いていく。

そして、球体はひとりでに転がり、森の中へと消えて行った。


『驚かせてしまってごめんなさい。あの子、足蹴にされて慌てたみたいです』


その言葉から察するに、あの球体も生き物だったというのだろうか。

それに、あんなものと意思疎通ができたのか?


「もしかして、わちきのせい?というより、さっきからこの頭に響いてる声はなに?」


どうやらミュースにもこの声が届いているようだ。


『混乱されるのも無理はないでしょう。ですが、安心してください。あなたたちの害になるようなことはありませんので』


「ソラさん、もしかして、この青いものが話しているの?」


「そうみたい」


ふざけた話だが、今のところはそう考えるしかないだろう。

世の中には、変わったやつもいるものだ。

さて、このまま立ち止まるわけにはいかないか。

さっきまでのことはいったん忘れて進むとしよう。


「さてと、一件落着ということで、先に進みましょうか。あ、あなたもありがとう」


『ええ、それは構いませんが、ここから先に進んでも行き止まりですよ?」


「ミュース?」


冷たい目で彼女を見る。

一体、どこへ案内しようとしていたのやら。


「だから、言ったじゃん。詳しくは知らないって。おイワさんの話じゃ、森に入ればすぐに着くって言ってたもん」


プンスカして最後にもんをつけるだなんて、なんて杓子定規な怒り方だろう。

意外とかわいいけど。


『あの、失礼ですが、もしよろしければ案内しましょうか?私が知っている場所であれば、ですが』


この怪しい生き物を信用していいのかはわからないし、正直、距離を置きたい生き物でもある。

しかし、迷子になって彷徨うよりはマシだろう。


「それでは遠慮なく。目的地は、ええっと、なんだっけ。……名前のない街」


「そそ」


『名前のない街。……そうですね、うん。この周辺に街はありませんし、おそらく私の知っている場所かと』



『ここです。ようこそ、私たちが住む場所へ』


そこは、少なくとも街と呼べるような場所ではなく、森林の開けた場所に建物が何軒かある殺風景な場所だった。


「ここが、名前のない街?それと、あなたが住んでいる場所?」


『ええ。ただ、名前のない街という名前ではなく、名前がないだけの場所ですけどね』


なるほど、そういうことか。おイワさんも、まわりくどい言い方をしたものだ。

なかなか面白そうな場所だが、不服そうな奴が一名。


「わちき、結構楽しみにしていたんだけど、こんな何もないところなの?」


元々住んでいる町よりも更に何もないところに来てしまったミュースにとっては落胆してしまうことだろう。

私としては、こんな変な生き物が住むこの場所に、少しの興味は湧いてきたのだけど。


「聞いた話と全然違うじゃない!不思議にあふれた煌びやかなところだって言っていたのに!」


「ほら、あそこにお花が咲いているよ」


「わ〜い。ってアホか」


ノリが悪い奴め。

しかし、目の前の彼女以外には誰もいないな。


「それにしても、随分と寂しいところじゃない。もしかして、ここに住んでいるのはあなただけ?」


『いや、いろんなものが住んでいますよ。現に今、住民たちはあなた方を歓迎しているじゃないですか』


「どこが?」


周りを見渡した限りでは、誰も見当たらない。

誰かの声が聞こえるわけでもない。

これのどこが、歓迎していると言えるのだろう。


『見えないかもしれませんが、周りに風が吹いているでしょう?彼らも、ここの住民なのですよ』


「何を〜言っているのか、全然わからない〜」


『詳しくは、あちらでゆっくり説明しましょう』


指を差された方を見ると、そこにはこの辺りで一番目立つ大きさの木造の建物があった。

そして、案内されそこに近づくと、これはただの丸太を並べたような雑な造りの小屋ではなく、綺麗に整えられていることがわかる。

そして、窓や壁、屋根には装飾が施され、シンプルながら絢爛な仕上がりになっている。

少しだけ安心した。


『どうぞ』


「おじゃまします」


玄関をくぐると、木の香りと暖かさに迎えられる。

そこらに並んでいる家具も、質素ではあるが貧相ではない。


『こちらの席にどうぞ』


言われるがまま席に着こうとするが、ミュースだけは別の方向に向かう。

よほど不機嫌なのか、窓際にあるソファに乱暴に寝転がった。


「なにやってんのよ」


「へんっ」


完全にへそを曲げたミュースは放っておいて、さっきからうんともすんとも言わないシロに気を配る。

今は素直に隣に座っているが、大丈夫なのだろうか。


『それでは、まずはこの場所について説明したほうがいいでしょうね』


「よろしく」


全く慣れることがない彼女の話し方。まずはそこについて問い詰めたいが、聞いたところでどうにかなるものでもないだろう。


『名前のない街、というのはまさしくその通りで、ここにある全てに、名前はありません。もちろん生き物にも、です』


「それが、説明になっているの?」


『お気づきになりませんか。名前というものは、あなたたちを縛るもの。それがなければ、私たちは誰もが、何にでもなれるのです』


これまた、唐突で奇妙な話だ。

新興宗教の街にでも迷い込んでしまったのだろうか。


「そんなことを言われてもねぇ」


『そういえば、あなた達がここに来た時に、風を感じませんでしたか?』


「風?吹いていたような、ないような」


『厳密に言えば風ではありませんが、彼らも、ここの住民なのですよ。身体なんていらない、自由になりたいという思いで、自らの名を捨て、ああなったのです』


「……元々は、なんだったの?」


『それは教えられません。個人情報なので』


何故そこで一線を引くのだろうか。だが、作り話として聞いてしまえば面白いものだ。


『森の中で出会った銀色の彼も、ここから生まれたのですよ』


あんな姿になりたいだなんて、どんな性格をしているのだろうか。

いや、こんな冗談話は脇に置いておこう。

とりあえず、私の目の前に確実に存在する、一番気になる生き物について質問しなければ。


「まぁ、それはいいとして、あんたは、何者?どうして頭の中にあなたの声が響くのか、それも含めて答えてくれる?」


『ええ、やっぱり気になりますよね。そう、簡単に言えば、誰とでもコミュニケーションを取れるように変化した、というべきでしょうか。私が発しているのは言語ではなく、想いなのです。だから、このように直接響いてしまうのです』


「想いって、あんたねぇ」


さらっと言っているが、思いを直接伝えるなんて芸当、どう私に働きかければそんなことが可能なのか見当もつかない。

それに彼女の言う通りだとすれば、私たちに響いていたのは彼女の子でなく想いということになる。

どことなく気持ち悪さを感じてしまうのは、それが原因か。


「だから、あんな変な奴とも通じることができたの?」


いつの間にか、私の後ろに立っていたミュースが身を乗り出して質問をする。

……嫌がらせのように、頭の上に彼女の胸のポヨポヨが乗っているんだが。


『ええ、ここの住民だけでなく、この世界の全ての生きとし生けるものと対話が可能です。たぶん』


「ほへぇ〜」


どこに感心したのか、先ほどとは一転し目を輝かせているミュース。


「ね、どうやったらそんな風に自分のなりたいものになれるの?」


『ただ、強く念じればいいのです。ただそれだけで、誰もが自分の成りたいものに成れる。ここでは、それが可能なのです』


「それだけ?」


『はい。ただ、少しの間、ここに留まる必要はありますが』


どーにも胡散臭いなぁ。

毛頭信じるつもりはないが、暇つぶしがてら口を挟んでみよう。


「で、なりたいものになった後、どうするの?」


『どうする、ですか?皆、それぞれの姿でそれぞれが好きなこと、やりたいことをしてのびのびと生きていますよ』


……そう。


「よっし、私、スレンダー美女になってくる!!」


蒸し暑かった頭が涼しくなったかと思えば、勢いよく部屋を飛び出すミュース。

なんだ、そんな願望があったのか。


「……私も、ちょっと外の空気を浴びてきます」


「そう?勝手にどっかに消えたら、ダメだからね。ちゃんと、戻ってきなさいよ」


「はい」


悲しみにも似た微笑みを浮かべながら、静かに出て行くシロ。

何だか、置いていかれて悲しい気分。

それ以上に、心配。


『あなたは、いいのですか?あなたもどちらかといえば、こちら側の生き物だと感じているのですが』


う〜ん、嫌だなぁ〜。本当に、嫌だ。

こんなものと私を、一緒にしないでほしい。


「全く、違うわね。真逆と言ってもいい」


『それは、どうしてですか?その姿は、その証明と———』


「馬鹿にしないでよ。なりたいものに成るなんてくだらないことを求めるわけないじゃない。私は、完成したくないの。そこで、立ち止まりたくないの。なりたいものになって、やりたいことをただ繰り返すだけだけの人生なんて、まっぴらごめんよ」


まだまだ。


「私はただ、何者でもないまま、何にもなれないまま、歩きたいだけ。何かと、誰かと出会い、常に変容しなければ、ここまで生きた意味がないから。何かになってしまったら、あんただって自分のままじゃいられない。私だって、私じゃなくなってしまう」


こんなことを長々と語りたくはないのだが、私の確かな思いを確認するために、声に出した。

そして何より、捨てたくはない名前がここにあるからね。


『それは、否定はできませんが、それでいいのですか?安らぎも、明かりもない世界を、孤独と共に歩むのですか?』


「あんた達みたいに、名前のない生き方に縛られるよりはマシでしょ?あ、別に、その生き方を否定しているわけじゃないからね」


なぜか物言いが強くなってしまうのは悪い癖だ。

穏やかな旅をするためには、直していかないとね。


『そうですか。どうやら、あなたはここにいるべきではないようですね』


「そうでしょうね」


『ただ、気をつけてください。あなたの仲間とまだ旅を続けるつもりなら、もっと関心を持たなければいけませんよ。』


「何の話よ?」


『現在進行形の話ですよ』


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