名前のない街
第一話 おっさん
あれから何日かの時が過ぎた頃の夜。
四足歩行になったシロを連れて、未だに導が見えぬ荒野を歩く。
「ワウゥ、わぅう」
「いつまでワウワウ言っているの。昨日食べたばかりでしょ」
「一日五食ハホシぃ。肉イッパイ腹タベタイ」
だいぶ限界に近づいているようだが、詰め込んでいた食料はもう底をついている。
ああ、さらばシロよ。お前のことは一生忘れないだろう。
……おや、遠くに明かりが見える。諦めかけたその先の希望の光のようだ。
より眼を凝らすと、いくつかの明かりが集まっている。
もしかしたら、何かしらの生き物がいるのかもしれない。
「シロ、あともう少しの辛抱だから、齧るのはやめて」
「ワタシニシネトイウノカ」
「ええ。大丈夫、あとでちゃんと生き返らせてあげるから」
「ああん、ひどい」
*
「ぷっは〜!」
たどり着いた先は荒野に集ったドワーフが住まう街だった。岩でできた無骨な建物が集合し、賑やかな声が響いている場所。
そして、今現在、親切で人懐っこい彼らに案内され、一層賑やかな酒場で食事をとっている。
陽気な雰囲気に当てられたのか、シロはすっかり出来上がっている。
あ、そういえば。
「あの、おっさん。私たち、お金を持ってないんだけど、飲み食いしちゃっていいの?」
同席している、ここまで案内してくれた髭がたくましいドワーフのおっさんに話しかける。特に何も言われてはいないが、念のため確認しておく。
「なんだ、そんなことか。ここではな、そんな煩わしいもんはないのさ。なんせ、炭鉱で一発あてた、豊かな町だからな。皆、好きな時に働き、好きな時に食べる、気楽で陽気なもんよ」
ほっと一安心。同じ轍を踏むところだったが、その心配はしなくてもよさそうだ。
「どうしてもお礼がしたいってんなら、俺の嫁にしてやってもいいぜ」
「そんな。私は、あなたにはもったいないわ」
「ガハハ!ちげぇねぇ!それよりもお嬢さん。あんたの相棒、面白いことになってるぜ」
指をさされた方を見ると、別のテーブルに片足を載せ、酒を片手に歌うワンコがいた。
どうやら、周りのドワーフにのせられているらしい。なにやってんだか。
「しかし、お前さんの相方はえらく酒に強いな。さっきから飲んでいるマグマ酒はうわばみすら卒倒するレベルなんだが」
「私も初めて知った。というより、このマグマ酒ってやつ、沸騰しているんだけど本当に飲めるの?」
私の前にも用意されているが、到底口に入れるものには見えない。
「おふざけ半分で作ったものに違いはないからな。ま、俺たちには丁度いいんだがな」
どうやら、私のような可憐な少女が来る場所ではなかったようだ。
遠い目をしながら、シロに視線を戻す。
「え〜、ご盛聴、ありがとうございました。続きまして、私の主に捧げる歌を歌います。聞いてください、『産地直送』」
軽くイラッとするタイトルだが、ここで邪魔をするのは無粋というもの。
いや、いいから。一々ウィンクを送ってくるな。
「すまねぇな。久々の客であいつらも熱くなってんのさ。」
「久々?」
「豊かになったとはいえ、見ての通り、殺風景なところだからな。娯楽と言えば、食うか呑むかの二択だしな」
どおりで、ここに訪れた時の歓迎っぷりが異常だったわけだ。
私の見た目に釣られたわけじゃないのね、ぐすん。
「ま、たまにはこんな日も、いいんじゃない?」
「間違いねぇ。ま、大体いつもこんな感じだけどな」
そう言って豪快に笑うおっさん。
騒がしいのはあまり好きではないが、ここの空気は悪くはない。
彼らの性格は純粋で、清々しさすら感じられるからだろう。
「そういや聞いてなかったが、あんたらはどうしてこんな田舎に来たんだ?」
「私達、旅をしているの。で、あいつが腹を空かしてから寄ったわけ。ちょっとした休憩ね」
「旅、かぁ。珍しいルートを通るもんだ」
どこか遠い目をするおっさん。
「なぁ、問題なければ聞きたいんだが、あんたらの旅の目的ってなんだ?」
「目的?そうね……」
これは、明確な目的をもって始めた旅ではない。
「さぁ、目的なんてないんじゃない?」
「ないって。いや、よくわからないんだが」
「私が私でいたから、勝手に旅が始まったんでしょ」
「んん〜?」
まぁ、分からなくて当然だよな。私だってはっきりしていないのに。
そう会話していると、声をかき消すほどの拍手喝采が起きる。
どうやらシロが歌い終わったようだ。
しかし、熱が冷めることはなさそうだ。
「〜っ、うるさい!!」
突然、酒場に大きな声が響き渡り、一瞬で辺りは静まり返る。
その声の主は、どうやら奥で忌々しそうにこちらを睨むアイツのようだ。
「あんたらねぇ、客が来たからっていつも以上に騒いでんじゃないわよ!それに、あんたも!テーブルに足をのせるなんて、行儀の悪い!」
巨大で豊満な身体をした女が、バカ騒ぎをしていたシロに文句を言おうと近づく。
お、ドワーフのおっさんBが止めに入った。
「なぁ、ミュースよ。別にいいじゃないか、こんな日ぐらい。それに、騒がしいのはいつものことだろ?」
「いつもじゃないでしょ!こんなワンコロに鼻の下伸ばしてデレデレしちゃって!だからあんたはいつまでも童貞のままなのよ、この、万年童貞野郎!!」
「どどど、童貞ちゃうし!」
とても愉快な彼女は自分が騒ぎの元になっていることにも気づかず、声を荒げている。
「すまないな、ミュースが水を差したようで」
となりのおっさんが静かに話しかけてくる。
「あの娘はこの街の出身じゃないんだ。だから、どうにもここと性格が合わないようなのさ」
「それはまた、ご苦労様で。しかし、なんでまた」
「見てわかると思うがあいつの種族はオーガでな。この炭鉱の発展のために、俺たちより断然力があるから引っ張ってこられた不憫な娘なんだ」
オーガか。確かに、シロよりも更に一回りも大きそうな引き締まった身体を見れば納得できる。
加えて、金髪で外ハネの長い髪に浅黒い肌。これぞまさに、力を誇示するような見た目だ。
頭の両端から生えた短く丸い角は、ちょっと可愛いけど。
そして、ドワーフと言い争う彼女の観察を続けていると、我慢の限界だと言わんばかりのシロが割り込む。
おい、余計なことをするんじゃないぞ。
「小娘よ、ここが酒場であることをお忘れではないかな?ここは溜め込んだものを空っぽにできる唯一の場所なのだよ。汗と涙、感情をほとばしらせてなんぼじゃろがい!!」
その瞬間、わっと歓声が起きる。やだ、私の知るシロじゃない。
「そんなことだから、ここはいつまでたってもクソ田舎なのよ!先進的な場所はもっとこう、川のせせらぎを肴にお酒を楽しんでいるというのに!あんたもどうせ、田舎出身なんでしょ!」
「ガハッ!」
なぜか胸を打たれたように倒れるシロ。
そして、姐さん、姐さんとシロに駆け寄るおっさんたち。
展開が早いな。
「まさか、ワタクシは都会の者ですがなにか?オーラをぶつけてくるとは……。田舎者にはひとたまりもない……」
うむ、わからん。
このまま見ていても十分面白いが、埒が明かなさそうなので、ちょっと割り込むか。
「ここは、私に勝敗を預けてくれないかしら」
「ソ、ソラ様!」
「あ?なんだこのキャベツ野郎は」
ピキッ。
両腕を挙げ無礼な娘の両頬を掴み、グイッと引き寄せる。
そして、できるだけドスのきいた声で。
「キャベツじゃない、レタスだ。二度と間違えるな」
「ひ、ひぃぃ」
あまりにも失礼な発言をされたため、柄にもなく怒ってしまった。
いかんいかん。ここは冷静にならなければ。
その巨大な身体を掴んだまま椅子に座らせ、シロにも対面の席に座るように促す。
「ここは一つ、腕相撲といきましょう」
周囲からうおお、と一際大きな歓声が上がる。
どうやらこの場は十分に暖まっているようで、早速、賭けも始まっている。
怪我する心配もなく、あと腐れもなく勝敗をつけるには丁度いいだろう。
「え〜、シロが勝てばそのまま騒いでもよし、負ければ私たちはおとなしく縮こまるわ。それで、いいでしょ」
「ふふん、この私に力で挑むとは何て愚かな。こんな犬っころ、ひとひねりよ」
「あれ、力だけの筋肉バカよりスピードが優れていることをご存じでない?」
シロよ、腕相撲に速さは関係ないぞ。
しかし、勝算は十二分にある。そうでなければこのような勝負は持ち掛けない。
二匹が手を握った、その後の合図が重要だ。
「さあ、準備はいい?」
二匹の手をがっちりと組む。
「はふん」
「よーい、始め!」
ぱたん。
誰もが言葉を失う一瞬の決着。勝者は、シロ。
これは、当然の勝利である。
説明しよう!シロの手のひらについた肉球の極上の柔らかさによって、触れるものは皆、骨抜きにされてしまうのだ!
というのは冗談で、相手が力を入れるまでのコンマ数秒の隙をついて、シロは一気に勝負を決めたのだ。
目にも留まらぬ速さ、私でなきゃ見逃しちゃうね。
そして、なぜか恍惚な顔をしているミュースを他所に、周囲は阿鼻叫喚の様相を呈している。
どうやら、シロは大穴だったようだ。
「へへへ、儲かったぜ」
掛け金を回収するおっさんと、ノリで床に膝をつくおっさんたち。
それを尻目に、ミュースが我を取り戻す。
「ちょっと待って、こんな勝敗、認めないから!こんなの、イカサマ同然よ!」
「往生際が悪いなぁ、勝負に二回目はないんだよ。さ、ソラ様、宴の続きをやりましょ」
「私は別に端っこでもいいんだけどなぁ」
シロに腕を掴まれ、冷めやらぬ喧噪へと引っ張られる。正直、見ているだけでよかったんだが。
「絶対に、認めないからぁぁぁぁぁぁ」
悲痛な声を上げるミュースは酒をガバガバと口に運んでいく。
結局、彼女も交えて楽しく騒ぎましたとさ。
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