8
いつもより、寝覚めがいい。
窓から見える青色に、少しだけ心が染まったからだろうか。
ベッドから起き上がり、バランスをとりながら立ち上がる。
最近は自分の力だけで立ち、なんとか片足で動けるようになった。
跳ねながら移動するなんて我ながら不格好だけどね。
そうしてリビングに向かうと、いつもの緑と朝食が私を迎える。
「おはよう!」
「おはよう」
うん、あいさつ程度なら普通に交わしても問題ない。
そして、いつものように席に着く。
「さぁ、今日の朝食はシェフの気まぐれ風気まぐれです。いっぱい召し上がれ」
「いただきます」
そういえば、今まで考える余裕はなかったが、目の前にいるのはどんな生き物なんだろう。
人間じゃないのなら、いったいどんな見た目をしているんだろう。
それに、今は私がベッドを使っているが、彼女はちゃんとした場所で寝ているんだろうか。
わからないことだらけだ。
「どうしたの、そんな神妙な顔をして」
現実に引き戻される。
「いや、あなたって、どんな生き物なのかなって思って」
ただの好奇心からか、それともこの状況のいたたまれなさなのかはわからないが、そんな言葉が口を出る。
「どんな生き物って、私は私だけど」
その通りなのだが。
「それもそうだけど、もっとこう、種別とかあるじゃない?」
「ないね」
「え?」
「そんなものはない。ツバサだって、そうでしょ?」
「いや、私には人間っていう…」
「ああ、人間ってあの不自由な奴らね。って、ツバサもそうだったの?」
なんで、そこに疑問を持つのだろう。
「そうか、だったらそんなくだらないことを質問するのも頷けるな」
全然理解できない。今更だけど、何で同じ言葉で話せているのだろうか。
「でも、私は私。それ以外には何もない、種別なんていらない。人間だって、人間という型にはまった何物でもない生き物に過ぎない」
「ごめんなさい、よく、理解できない」
「まぁ、そうでしょうね。…ねぇ、こんな話知ってる?」
「…どんな、話?」
「ちょっとした昔話。生き物の根っこの部分、生命はみんな一緒で、進む道によって姿形や生き方を変えるって話」
「聞いたこともない…」
「でしょうね。形や生き方を縛る人間にとっては不都合でしょうから」
つまりはこう言いたいのか。そんな種別とかつまらないことにこだわるのは人間だけで、本当は自由なんだと。
そんなこと、信じられるわけがない。
「もう、本当に真面目なんだから。こんなに自由に生きていい場所があるんだからさ、あれこれ考えずに好きにしていいの!」
でも、それを、受け入れるわけにはいかない。私を支える信念が折れてしまう。
細くて頼りないものだけど、空っぽの私を支えてくれるものは復讐、それしかないんだ。
「ほれ、もういいからお食べ。じゃないと冷めてしまうよ」
「…ええ」
私だって、幸せになりたいと何度も思った。だけど、その度に聞こえてくる。
———叫び声が聞こえる。それは私の心が安らかになればなるほど黒く、大きくなる。
今はもう、誰の声か判別できないほど混ざり合っている。
身体が震えだす。そう、これがあるから。
これに対処するには、心を深く冷たいところまで沈めるしかないんだ。
そんな簡単に、自由になんてなれはしない。
それから、ずっと同じ問答が自分の中で繰り返されていた。
もう楽になっていいのだろうか、いや、ダメに決まっている、と。
食べてはすぐに横になる生活を続けていると、どうしても時間を持て余してしまい、考える暇もないくらい必死だった今までに比べ、どうにも居心地が悪くなる。
……彼女は人間じゃない。だからこそあんな考え方ができる。いや、それとも私が本当に考えすぎなのだろうか。
でも、私に残されたものは、もうこれしかないんだ。それを手放してしまえば空っぽになってしまう。
別に、死んでしまおうが壊れてしまおうが構わない。でも、空になったらあの思い出さえも消えてしまう。
私が私たるものを、そう簡単に手放したくはない。
―――やっぱり、ここを出て行こう。
ここにいては、いつか、この温さに浸かりきってしまう。
きっと止められるだろうから、夜が深くなった時間にでも逃げてしまおう。
正直、この足でどこまで進めるかは不安だけど、そうも言っていられない。
それまではできるだけ休んでおこう。
*
夕飯も食べ終え、外はすっかり闇に包まれている。
後もう少し時間が経てば決行できる。
寝室の窓から静かに抜け出せば———
「ここから出て行くつもり?」
唐突に背後から聞こえた声に心臓が凍った。
なぜ、わかった?
一度だって口に出していないはず。
「あのさぁ、そんな思いつめた顔をして外をチラチラみてたらさすがに私でも気づくよ。朝食の後からでしょ、考えていたのは」
ああ、なんて情けないんだろう。
まさか、見抜かれていたなんて。
「別に出て行くなとは言わないけどさ、理由も話さないなんて、ちょっと失礼なんじゃないかな」
「話せば、いいの?」
「まぁ、内容次第だけど。でも、それ以上にただ知りたいって気持ちの方が強いけどね」
本当かどうかは怪しい。
でも、私はここから出て行きたいだけであって、彼女が嫌いなわけではない。
それに、誰も私の人生を知らないのも寂しい気はする。
ここは素直に、話してみよう。
もし駄目だったとしても、いつでも抜け出せるはずだ。
そうして私は、重たい口を開いた。
私の住んでいた場所は、華やかではないけど貧しくもない、そんな普通の街だった。
両親と弟、友人に好きな人。そんな人たちと過ごして、平凡な幸せを享受していた。
本当に、笑っちゃうくらい平凡で平和な毎日。
でも、それはあっという間に踏みにじられたの。
———なんでもない日に突然、化け物が襲ってきた。
理由なんてわからない。今までそんなことは無かったのに、いきなり。
街が崩壊するのなんて、あっという間だった。
お父さんもお母さんも弟もともだちも殺されたの。
あっけなさすぎて、悲しみを感じる暇もなかった。
でも、立ち尽くしていた私の手を引いてくれる人がいたの。
引っ張って、街のすぐそばにある森の中へ連れて行ってくれた。
化け物の足に敵うはずなんてないのに、それでも懸命に。
……急に、彼に引かれていた左腕の感覚がなくなったの。
そこから溢れる血を、倒れた私はどこか他人事のように眺めていた。
私はもういい、貴方だけでも逃げて、と。
でも、彼は私を立ち上がらせて、背中を押して。
……そこからは、あまり覚えていない。
誰かに助けられた気もするし、裏切られた気もする。
胸にある憎しみだけは、はっきりとしているけど。
たったこれだけの話。一人の人間が恨みを抱くだけの話。
「う〜ん、よくわからない」
わからない?
いや、彼女とは全てが根本的に違うことはわかっている。
わからないのも、無理はない———
「そんなの、よくある話じゃん」
……よくある話?
そんな、そんな一言で片付けてしまうの?
感情が湧き上がってくる。
落ち着いて。きっと、彼女には悪気はない。
彼女は元からこんな性格じゃない。
「ええ、よくある話よ。でも、まさか自分達がそんな目に合うとも思っていなかった。」
「まぁ、それは仕方ないとしても、その後はツバサがやりたいようにやったんでしょ?」
だったらそれでいいじゃない、と言わんばかり。
ああ、嫌いになりたくはなかったのに。
「ええ、そう。だから、化け物どもを殺し廻った。クソみたいな人生を送るために。他に、選べる道なんてないから」
「それはおかしいよ。最初から道なんてないし、こうやって生きるべきなんてものもないのに。別に、ツバサの歩んできたことは、決められたことでもないでしょ?」
「だったら……。そうだったとして、どうすればよかったの!?今の私には、憎しみしかない!ただ過ぎ去った幸せのために化け物を殺すしかない!今の私には、それしか見えない!」
「……もしも死んでいった奴らのため、自分が自分であるためっていうのなら、とんでもない思い上がりだよ。死んでいった奴ら、いや、生きている奴らだって自分の思いだって関係ない。ただ、何もない世界にツバサの心と身体があるだけだから」
「……」
「確かにさ、心も身体もひび割れているけども、スープを少し、受け止めるくらいはできるでしょ?空っぽのほうがいいって言うのなら仕方ないけどさ」
「…私はもう、壊れているの。何もしなくても、粉々に砕けてしまうくらいに」
「別にそれでもいいよ。私はずっと注ぎ続けるって決めているから。傷だらけでも、受け止めきれなくても、少しは暖かくなるでしょ」
———っ。
「私は、そんな簡単に割り切れない!あなたに、一体何が分かるっていうの!」
勢いよく、怒りのままに腕と足に力を込め窓から外に飛び出す。
行く当てなんてないのに、そんなに遠くへも行けやしないのに。
だけど、様々な感情が渦巻くまま、あの場に留まることはできなかった。
不格好に跳ねながら走り続け、気が付けば辺りは黒一色になっていた。
その中を進んでいると、胸の痛みが鮮明に浮かんでくる。
どうしてこんなに痛い?
私は、悲しかったの?
いえ、そんなはずはない。だって、あんな奴には関係ないし、どうだっていい。
最初から信用していないし、こうすることは決めていたことだから。
それなのに、痛みが消えない。
そもそも、あんなことを話すべきではなかった。
でも、彼女の前だから勘違いしてしまったんだ。きっと、優しく受け入れてくれると。
……ああ、もう家の明かりさえ見えなくなった。
今までは平気だったのに、今はこんなにも暗闇が怖い。
しばらくすると限界が訪れ、遂に、つまずきその場に倒れてしまう。
もう、何処にも行けない———。
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