それから数日。

彼女の様子は相変わらずだが、意外にもラインを越えるような干渉はしてこなかった。

私はただ彼女の暇つぶしの玩具として扱われているのかと思っていたが、それは勘違いだったのかもしれない。

と、思った矢先のことだった。


「というわけで、散歩に行きましょう!」


朝、目覚めてすぐに彼女が話しかけてくる。

どういうわけだろうか。


「無理よ、足がないもの」


これでちょっとは怯んでくれるかな。


「私が支えるからいいでしょ。それか、お姫様抱っこで無理やり連れていくか」


まぁ、無理でしょうね。


「はぁ。…わかった、あなたに従うわ」


「やったねん!そうと決まれば、まずは着替えないとね」


ああ、そういえば服装なんて気にしたことがなかったな。

今までは彼女が用意した病衣のようなものを身に纏っていたが、それに頓着することもできないような状態だったから。


「…そう、好きにすればいい」


そして、寝室を出た彼女が忙しなくバタバタとする音が鳴り響く。

何も、そんなに慌てることもないだろうに。


そして、音が収まり少しして。


「ツバサちゅん!いいものがあったよ!」


静寂も束の間、嵐のような彼女は戻ってくる。


「じゃじゃん!見てよこれ、綺麗でしょ」


そうして彼女は手に持っているものをヒラヒラさせる。

目を凝らして、かろうじて全体の形が浮かんでくる。


「ワンピース?」


「そ、白のワンピース!ベタベタするくらい、ベタでしょ!」


その表現はどうかと思うが。


「さ、脱いだ脱いだ!よいではないか、よいではないか!」


「そのくらい、自分でできる」


「ノリ悪いなあ、もう」


そうして離れていった彼女を合図に着替えを始める。

幸い、この服は今の私でも簡単に着用できそうだ。

片足でおぼつきながらも、その衣装に身を包む。

あれ、なんだろう、すごく着心地が良い。

肌触りが良いだけでなく、肌に全くストレスを感じない。

これって、ものすごく高級なものではないだろうか。


「着替え終わったね。おお、よく似合ってるよ」


デリカシーもなくいつの間にか現れた彼女に声をかけられる。


「…ええ、あの、本当に、これを着てもいいの?」


こんな私じゃ、釣り合いが取れない。なんだか、すごく勿体無いような気がする。


「は?」


彼女には、この服の価値がわかっていないのだろうか。それとも、私自身、まともな服は久しぶりで感覚が大袈裟になったのだろうか。


「いや、あの。…ありがとう」


もう誰かに感謝することはないと思っていたが、思ったよりもその言葉はスッと喉を通っていった。


「ぬハハ、さぁ、散歩、行こうか」


「っ」


右側に、いきなりの感触。どうやら、彼女が密着し支えてくれているようだ。

忘れてしまっていた、人の暖かさが蘇る。


「ええ、行きましょう」


片足で歩けるか心配だったが、強く、ほとんど抱きかかえるように支える彼女の存在が頼もしい。

ああ、久しぶりに風を感じたい。そんな気分。



「どう、久しぶりの外は」


青い光と緑の匂いに包まれる。

どうやら、太陽と風を肌で感じる余裕ができたらしい。


「…いいところね」


久しぶりの喧騒も恐怖もない場所で、ついそんな言葉が口を衝いて出てしまう。


「そう」


返ってきた言葉は短く、何の感情も感じ取れないようだった。

彼女は、ここが嫌いなのだろうか。


「ね、ねぇ、せっかくだからいろんなところに連れて行ってもいい?大丈夫、そんなに遠くはないから」


「いいけど、どこへ?」


「動物がいるところとか、菜園っぽいところとか……」


はっきり言って興味が湧かない。いや、そもそも、今の私には何かを楽しむにはあまりにも不自由すぎるだろう。

それでも、ただ、彼女と歩くだけで、十分に思えてしまったのだ。



外から戻ってきて食事を済ませた私は、久しぶりに動いたからか、席に着いたままうとうとしていた。

いつもは恐怖しかない睡眠も、今なら安らかに眠れそうだ。


「あれ、寝ちゃいそう?」


「ええ…」


「運んであげるから、寝ても大丈夫だよ」


「うん」


そしてすぐに、まどろみの世界に導かれていった。

……。


―――殺せ。

アレは化け物だ、人間の敵だ。

皆を殺した、仇だ。


突然、何かにぶつかったような衝撃が身体に走る。

そして、意識がはっきりとした時には、ディナーナイフを握る右手に、ぬるいものが滴り落ちていた。

そして、目の前に横たわる緑色の物体。

なんとなく、わかっていた。彼女が人間でないことは。

それでもいいと、そう思えてきたはずなのに。

ああ、やっぱり私は、碌でもない人間だった。

さっさと、死ぬべきだった。


「あ〜、びっくりした」


…生きてる?


「って、なに刺した本人が泣いているのさ?」


生きてた。

私は、訳が分からなくなって、驚いて、彼女が生きていて。

そして、彼女の暖かさを確かめたくて。


「もう、怒ったと思えば泣いちゃって。バカだなぁ」


ああ、間違いない。

でも、本当に、死んでいなくてよかった。殺していなくてよかった。


「私、こう見えてもめちゃめちゃ頑丈だからさ、何があったか知らないけど、そんなもんじゃびくともしないよ」


「ごめんなさい」


一時して、ようやく冷静な頭を取り戻す。


「ねぇ、私、もう少しだけ生きていてもいい?」


「もちろん」


少しだけ、本当の自分に素直になれた夜だった。

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