第十話 エピローグ

それからというもの、ツバサはよく笑うようになった。

それだけでなく、私が作った杖を使い歩き、家畜や植物の世話だって手伝ってくれた。

これが、彼女の本当の姿だったのだろう。とても、かわいい。


「ねえ、この白色のものはなに?」


ある日、菜園の近くに勝手に生えていた花を指さしてツバサは言った。

前と比べると視力の方もだいぶ弱まっているようで、最近はよく身体をぶつけたり食べ物をこぼしたりするようになっている。

それでも、彼女の笑顔は日々、輝きを増している。


「それは、知らない間に生えていた花だよ。邪魔なら抜いてもいいけど」


「ううん、そうじゃなくて。ちゃんと育ててみようと思うんだ。皆への、手向けの花ってやつ」


「うん、いいんじゃない。でも急にどうして?」


「今まで何もできなかったから、このくらいはしてあげないと。それに、ちゃんと気持ちの整理をつけるためにも、ね」


おそらくは、以前ツバサが話していた故郷のことを言っているのだろう。

その話を持ち出したことに一瞬だけ心配したが、どうやらその必要はなさそうだ。


「じゃあ、どうせなら立派な墓でも作ってみようか」


「うん」


そうして木材やその辺の意思などを適当に引っ張り出して作った墓はとても不格好で、お互いの不器用さに笑ってしまった。


―――これが、楽しかった最後の記憶。


どのくらい時が過ぎただろうか。この場所は時間の流れがゆっくりだから、長かったような短かったような。

それでも確実に、ツバサの身体は病に侵されていった。

前から隠していたのか、急に体調が悪くなったのかはわからない。

いや、そもそも、あれだけの生活を送れていたこと自体が奇跡だったのだろう。

私は、悔しかった。もっと早くにツバサと出会っていたなら、もっと長く一緒に過ごせたかもしれない。

世界を斜に構え、こんなところに留まっていなければ。自分自身が、こんなにも憎い。


「どうしたの、ソラ?」


か細い声で、現実に戻される。

私は今、寝たきりのツバサの手を握っている。そうだ、独りよがりになっている場合じゃなかった。


「ふふ、なんだか、昔と反対になったみたいだね」


「な、なにが?」


「私が沈んでいた時はいつも、あなたが引き戻してくれたじゃない」


「ベべべ、別に沈んでないし!夕飯の献立を考えてただけだし!」


「あはは」


短く、今にも消えそうな笑い声が響く。


「ねえ、ソラ。ちょっと、わがままを言ってもいい?」


「うん、なに?」


「あのね、ちょっとだけ、外に出たいな」


ああ、ずっと寝たきりだったもんね。そのくらいお安い御用だ。


「いいけど、身体が冷える前には戻るからね」


「うん」


そして、ツバサの身体を抱きかかえる。所謂、お姫様抱っこというやつで。


「体調が悪くなったら、すぐに言ってね」


「うん」



広い世界の、みすぼらしい一戸の家の前に座り込む二匹を、涼やかな風が包み込む。

青のグラデ—ションに覆われた空と、それを支える淡い緑色。

その中で、私はツバサの肩を抱き、空を眺めていた。


「ソラ」


「うん?」


「ありがとう。私、幸せだったよ」


「そっか。まぁ、私もたぶん、ツバサと過ごせて、幸せだった」


「———よかった」


「……うん」



そして、別れの時はやってくる。

そして、終わりの時がやってくる。


青い風と緑の香り、それと、あなたの体温。

青い風と緑の香り、それと、あなたの暖かさ。


私の全てがここにある。

あなたが気づかせてくれた。


細く、儚いその手にずっと、ずっと支えられていた。

強く、拙いその手でいつも、いつも守ってくれた。


ツバサから、抱えきれないほどの時間をもらったから、もう、大丈夫。

ソラとは、たくさんの時間を共に過ごしたから、もう十分。


あなたに、両手いっぱいの愛と、安らぎを。

あなたに、精一杯の想いと、祈りを。


「ありがとう、さよなら」


でも、やっぱり、寂しいね。





ああ、終わってみるとあっという間だったな。

この寝室も、空っぽになってしまった。


「ふぅ」


ため息一つ、久しぶりのベッドに横になる。

ツバサの匂いと暖かさが残っているような幻に、なぜか胸が痛くなる。


「これ、洗濯した方がいいな」


今までは、こんな感情を抱くことはなかったのに。

切り替えなければ。


「あれ?」


立ち上がり、シーツ等を洗濯しようと枕を持ち上げたところ、くしゃくしゃになった紙がそこにはあった。


———ソラへ?

気になった私は、その紙を手に取り目を通した。

そこには震えた、崩れた字でこう書いてあった。



ソラのまえでははずかしいから

つたえきれなかったことを

よめるかわからないけどここにしたためます


はじめてソラにあったころは、あなたのことがまったくりかいできませんでした。

わたしはきっと、なにもみえていなかったのね。いや、わたしじしんしかみていなかったのかな。

いまもまだ、あなたのことをりかいしたとはいえないけれど、こころはちかくなったきがします。

そして、あなたはきづかせてくれました。

めのまえにはあなたがいて、かこがとおくにあることを。

めのまえのあなたには、わたしのなやみなんてかなわないことを。

かこはかこで、いまはいまだと。

たんじゅんなことだけど、それだけでわたしは、すくわれました。

じぶんをすくえるのはじぶんだけ、それにきづくきっかけをくれました。

こんなにもかんたんなことだったなんて、わらってしまったけどね。


きっとあなたは、わたしがやりたいようにやっただけ、といつものちょうしでいうかもしれませんが、これだけはいわせてください。

ありがとう。

ソラ、あなたを、あいしています。


そらのツバサより

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